カズオ・イシグロのレビュー一覧
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ネタバレ 購入済み
人生の尊厳
一部ご紹介します。
・「あなた方は教わっているようで、実は教わっていません。
形ばかり教わっていても、誰一人、本当に理解しているとは思えません」
「あなた方の人生はもう決まっています。これから大人になっていきますが、あなた方に老年はありません。
あなた方は一つの目的のためにこの世に産み出されていて、将来は決定済みです。ですから、無益な空想はもうやめなければなりません」
「みっともない人生にしないため、自分が何者で、先に何が待っているかを知っておいてください」
・「絵も、詩も、そういうものは全て、作った人の内部をさらけ出す。作った人の魂を見せる」
・すぐにも行動を起こさないと、機会は永遠に失われるかもしれない
・「あなた方はいい人生を送ってきました。教育も受けました。もちろん、もっとしてあげられなかったことに心残りはありますけれど」
「生徒たちを人道的で文化的な環境で育てれば、普通の人間と同じように、感受性豊かで理知的な人間に育ちうること、それを世界に示した」
「あなた方は、駒だとしても幸運な駒ですよ。追い風が吹くかに見えた時期もありましたが、それは去りました。
世の中とは、ときにそうしたものです。受け入れなければね。
人の考えや感情はあちらに行き、こちらに戻り、変わります。
あなた方は、変化する流れの中のいまに生まれたということです」
・「新しい世界が足早にやってくる。科学が発達して、効率もいい。
古い病気に新しい治療法が見つかる。すばらしい。でも、無慈悲で、残酷な世界でもある。
そこにこの少女がいた。目を固く閉じて、胸に古い世界をしっかり抱えている。
心の中では消えつつある世界だと分かっているのに、それを抱きしめて、離さないで、離さないでと懇願している」
・「俺はな、よく川の中の二人を考える。
どこかにある川で、凄く流れが速いんだ。で、その水の中に二人がいる。
互いに相手にしがみついている。必死でしがみついてるんだけど、結局、流れが強すぎて、最後は手を離して、別々に流される。
俺たちって、それと同じだろ?最後はな、永遠に一緒ってわけにはいかん」
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Posted by ブクログ
ネタバレこういう感想文を投稿するのは初めてなのでご容赦ください。以下の感想は読み終わったばかりの勢いで書いています。
最初から最後まで、画家・小野の視点で描かれている。『価値観の変動』と『生き方』に焦点を当てた作品だと感じた。私がこの本から受け取ったメッセージを以下に示す。
《価値観は時代とともに移ろい行くものだから、誰しも後になって自らの過ちに気がつくかもしれない。しかし、『自分の信念に従って、全力で生きた』ならば、それの信念が間違いであったとしても後悔はしないであろう。》
また、この作品では、とかく何かを明言するのを避ける傾向にある。しかし、多数の場面を組み合わせて、人の心の動きを鮮やかに描いていた。
以下に大まかな作品の流れを示す(完全なるネタバレです)。
戦時中、小野は〈地平ヲ望メ〉という版画作品で広く影響を及ぼした。この作品に描かれた精神は「お国の為に戦う」(だと考える)。作品は、当時の小野の信念に基づき描かれ、地域で大いに賞賛されたらしい。
しかし、終戦後にこの絵のテーマとなった精神は批判される。さらに、若者も当時の『権力者』への憎しみを曝け出す。それは、若者が『権力者』に、仲間の命を奪われたと考えるからである。
小野は、回想中に自らの過ちと、人々に与えた損害に正面から向き合い認める。価値観は移ろいゆくものであるからである。当時は良しとされていたものが、現代では悪になってしまうのである。
しかし、当時の小野が『自らの信念に従って、全力で行動した』という事実は変わらない。そして、彼は自らの過ちは認めても、当時の『生き方』には業績以上の満足感を得ていたのである。
一方、若者の言う『権力者』とは、将校・政治家・実業家達であったと判明する。そこで小野は自らが感じた責任の大きさは、自分の職業に見合っていなかったと悟る。けれども、確実に社会に影響を及ぼした者としての責任を感じ、また、自らの信念を貫いた事に誇りを持ちながら生きるのである。
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Posted by ブクログ
この本はすごい。ほとんどもしくはすべての登場人物が自分のことしか考えられない。もどかしい思いで何度も本を閉じたのだが、読みきったあともう一度それぞれのエピソードを読んでみると、噛めば噛むほど味が出てくる。吸い尽くせないほどに。頑張って読み切る価値がある。
自分は果たして本当に誰かのことを知りたいと思ったことがあったのか? そう思っていたと感じていたときでも、ただ自分のことを誰かがどう思っているかを知りたかっただけではなかったのか? 時に誰かに優しくすることはできるが、結局いつも自分のことばかりだったんじゃないか? そんなことを思う。
最初は荒唐無稽で夢のような世界の話だと思うのだが、読み終わって数日が過ぎたあたりから、だんだんとそれが世界の本当の姿なんじゃないかというふうに思えてくる。みんな言いたいことだけを言っていて、すべての人同士がすれ違っている世界。でも、それは全くもってありのままの現実なんじゃないかと。 -
Posted by ブクログ
2回目。いつも素晴らしい小説をありがとう。
初めて日の名残りを読んだ時はたまげたけど、テーマほんとうにそっくり。
日の名残りの方が華やかさと鮮やかな色彩感があって好きだけど、地味で淡々としていて暗いこちらも良い小説。
主人公のやるせなさや辛さも、周囲の気まずさや不満も、どちらも手に取るようにわかるから、読んでて少ししんどくなる部分すらあった。
今主人公を責める周りの人たち、すなわち二人の娘や素一や三宅家の人たちは、戦争中は何を考えてどう行動してたの?
主人公が先陣切ってやったことが戦後的価値観に照らし合わせれば良くない行いだとしても、当時彼ら周囲の人たちはそれを支持して尊敬したんじゃないの?
戦後「民衆は騙されてたんだ!」とかいう民衆の無責任さ、そう言いたくなるのわかるけど、でも一歩立ち止まって考えてみなよ!!!
と言いたくなる。
彼らのも、小野とは違う方向からの自己正当化の一つよね。
小野の苦悩や考えれば考えるほどねじれてしまう建前と本心、自己正当化って側から見てるとなんて痛々しいの。自分でも痛々しい自覚あって必死に隠してるんだろうな、彼は。 -
Posted by ブクログ
巻末の解説によると、発表当初から賛否が大きく分かれたという本書。デビューからそれまでに寡作ながらいずれも高い評価と栄誉ある賞を得た作家が、本当に書きたかったものを書いたそうです。
出だしから登場する人たちの長いセリフ、それに続く非現実な場面転換。序盤から、読み進める側は、この奇妙な小説をどう受け止めていいのか、戸惑います。否定的な感想を持つ人は、おそらくこの戸惑いを消化できなかったのではないでしょうか。そうした気持ちも当然と言えるほど、風変わりな小説です。
自分は、その風変わりさが、ルイス・キャロルのファンタジー小説に通じるものとして呑み込み、非現実な進行も含めて楽しむようになり、中盤からは予想もつかない展開にスリリングな興奮を感じるようになった口です。※なお、補足すると三月兎やハンプティダンプティ的なものは登場しません。あくまでもひと同士の想いのズレや行き違いを描いたものです。
もっとも印象深い小説のひとつ。そう評したいです。 -
Posted by ブクログ
これだけ登場人物たちの過去を語らない作品も珍しい。
かすかに文中に出てくるだけで、あとは読者がなんとなく想像するしかない。
悦子の心情も本当はどう考えているのかわからない。娘が自殺をしたという母親にしてはものすごく冷たい。でも、過去を語りながら後悔と懺悔を伝えている気がする。
決して「後悔」という言葉は出てこないが、母親としてあの子とどう向き合えばよかったのか?と彼女は考えているのではないだろうか。
大声をあげて泣くのでもなく、取り乱すわけでもなく、昔を思い出しながら娘との関係を振り返っているのではないのか。
本当に始終遠い何かを眺めているようで、霞がかかったような感じ。
登場人物の過去なんて読者が想像するだけ、説明はいらない、でもそれでいいんだ!となぜか納得してしまう不思議な作品だった
一方で謎を説明してほしい人はすごくモヤモヤして消化不良を起こす作品だと思う
池澤さんの解説にもあったように、小津安二郎の映画を1本見たような気分にもなる。
“if you don’t like it over there, we can always come back.”
「とにかく、行ってみて嫌だったら、かえってくればいいでしょ」
このセリフは翻訳が良くないと言われているが、確かにちょっと冷たい。
「私たちはいつでも一緒に帰れるよ」
これが悦子が景子に言うべき本当の答えだったのかもしれない。
説明が少ない小説なので、いろんな解釈ができると思う。
私は良い作品だと思うけど、一番最後の方の解説が嫌だった。それでちょっと台無し。 -
Posted by ブクログ
最近、世界文学ってナンダ?が頭の片隅にある。今回池澤夏樹の解説を読んで、『遠い山なみの光』で描かれているものは一見日本的心性にも見えるが、実は世界的に共通しうるテーマも内包していることを証明していることを理解した。これはかなり希望である。
個人的にこれまで読んできたイシグロの作品から、彼の小説に出てくる「どこまでも無垢で真っ直ぐな主人公」が好きだった。本作『遠い山なみの光』の主人公悦子は、それとは少し違う。女は家長を立てるものだという旧来の日本的価値観を信じながらも、悦子と佐知子、万里子と景子という対比構造から、結果的に悦子がその価値観から離れ自立を目指したことが暗に示される。
それを暗に示さず、権威を盲信したり、無垢のまま生き続ける主人公を最後まで見守っていたのが『日の名残り』や『私を離さないで』や『クララとお日さま』であると思う。私はそっちの方が好きだなと感じた。 -
Posted by ブクログ
偉大な執事とは何か、品格とは何か。
最初は、自分の感情よりも仕事を優先する執事としての価値観にあまり共感できず、なかなか物語に入り込めなかった。でも徐々に、それがスティーブンスの美学であり、彼がその美学を真っ当していることを理解して、その考えを受け入れることができた。
偉大な執事であることと、幸せな人生は同じことではないのかもしれない。
父親の危篤も、ダーリントン卿の政治も、ミス・ケントンとの関係も、人生を振り返る中で後悔は沢山あったと思う。それでも、過去を悔やみ続けるのではなく、価値あるもののために尽くしてきた自分の人生を受け入れ、残された時間を前向きに生きようとする。今後、もし自分の人生が思い通りにならなかったとしても、その過程には誇りを持てるような生き方をしたいと思った。 -
Posted by ブクログ
淡々とした調子で主人公の口から過去のエピソードが語られるなかで、前半は主人公たちが置かれている立場や運命が少しずつ明らかにされていく。
寝る前に読んでいたら、その静かな不気味さに背中がゾクゾクしてきて、いい歳して寝つくのが怖くなった日もあった。
ヘールシャムを出てからは、特殊な環境に置かれた主人公たちが、狭い人間関係の中で葛藤する様子に焦点が当てられていて、後半は不気味さは薄れ、切なさや歯痒さを感じることが多かった。
個人的にはトミーが人として好き。1番人間らしさを感じた。
ルーシー先生の葛藤にも胸にくるものがあった。ルーシー先生が学校を去る前に、トミーを助けようとして以前伝えた言葉を訂正したのはどうしてなのか、そこのルーシー先生の真意が読み取れなかった。
原著を読んでいないけど、とても読みやすくて、本当に女性が語っているような口調で、架空の話なのにとてもリアル。翻訳もすごかったのだと思う。
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Posted by ブクログ
読み終わって最初に出てきた感想は、「面白かった」とか「感動した」とかよりも、「なんだこれ、めちゃくちゃうまいな」
この小説、とにかく時間軸が行ったり来たりする。
キャシーが今のことを話していたと思ったら、突然ヘールシャム時代の話になって、そこからまた別の記憶に飛んでいく。
でも、不思議と読みにくいわけではない。
むしろ、その行ったり来たりに付き合っているうちに、こっちの頭の中に少しずつ物語ができあがっていく感じがする。
特に印象に残ったのが、「そのときはよく理解できなかったけど、なぜか頭には残っていた」みたいなことが何度も出てくるところ。
登場人物たちは、何も知らされていなかったわけじゃない。
ある程度は教えられている。
ただ、まだ本当の意味を理解できない時期に教えられている。
だから、大人になってから「あのとき言われていたのは、こういうことだったのか」と意味がつながっていく。
これが読んでいる側にも起こる。
何気なく書かれていた一言や出来事が、何十ページか後になって急に意味を持ち始める。
時間軸だけじゃなくて、「理解する順番」までめちゃくちゃにされる。
それがものすごくうまい。
登場人物もみんな好きだった。
特にトミーにはかなり愛着が湧いた。
子どものころは癇癪を起こしたり、周囲とうまく合わせられなかったりするけれど、その不器用さも含めて一番まっすぐな人に見える。
嬉しいと嬉しいし、傷つけば傷つく。
うまく取り繕えない。
だから読んでいるうちに、自然とトミーのことが気になるようになった。
一方でルースは、たぶん誰の中にもある嫌な部分を、少し大きくして描いたような人物だと思う。
自分を大きく見せたり、知らないことを知っているように振る舞ったり、人間関係の中で優位に立とうとしたりする。
正直、読んでいて嫌だなと思うところもある。
でも、完全には嫌いになれない。
「自分には価値があると思いたい」とか、「仲間外れになりたくない」とか、「自分が愛されていることを確認したい」とか。
そういうものって、程度の差はあっても多分みんな持っている。
だからルースを見ていると、人の嫌な部分を見せられているというより、自分の中にもあるものを少し拡大して見せられている感じがした。
そしてキャシー。
一番冷静で、一番まともに見えるけれど、この人もやっぱりどこか欠けている。
感情がないわけではない。
むしろかなり細かく人を見ている。
でも、大事なことに対して驚くほど強く抵抗しない。
傷ついても少し距離を取る。
好きな人がいても強く奪いにいかない。
自分の運命についても、基本的には決められた枠の中で受け入れていく。
ただ、それを弱さと言ってしまうのも違う気がする。
もしかするとキャシーは、何かを失うことに耐えるために、物事を少し離れたところから見る癖がついているのかもしれない。
だから、この小説は悲しい出来事がたくさん起きているのに、キャシー自身は「私はこんなに悲しかった」とはあまり言わない。
代わりに、「あのときルースがこう言った」とか、「そういえばこんなことがあった」と淡々と思い出していく。
その淡々とした語りの中に、ものすごく大きな感情が埋まっている。
たぶんこの小説は、登場人物だけじゃなくて、小説そのものも「何かが欠けている」ように作られているんだと思う。
世界について細かく説明しない。
登場人物の感情も全部は説明しない。
何が正しくて何が間違っているのかも作者は言わない。
時間もバラバラ。
重要なことも少しずつしか教えてくれない。
だから読者が、その足りない部分を自分で埋めながら読んでいくことになる。
そして気づいたころには、キャシーやトミーやルースの人生が、自分の記憶みたいに頭の中に残っている。
読み終わって、「感動した」という言葉だけでは何か違うと思った。
もちろん悲しいし、考えさせられる。
でも、それ以上に、
「こういうふうに小説って書けるのか」
という驚きが残った。
理解できないことを、理解できるようになる少し前に置いておく。
意味の分からない記憶を先に渡しておいて、あとからその意味を変える。
読者の頭の中まで使って物語を完成させていく。
読み終わった今、一番しっくりくる感想はやっぱり
「なんだこれ。うますぎる。」 -
Posted by ブクログ
たまたま目に触れた一冊を読んでみた。
何とも言えない感情に包まれ、心を大きく揺さぶられた。
「日の名残り」以来のカズオ・イシグロ。
冗長なフィクションとも感じる退屈な前半部から一変し、中盤以降は突如、驚きと戦慄の連続だった。
びっくりするほど重要な情報が、あっさりと告げられる。
隔絶された施設で平穏な学生生活を送っていた子どもたちは、実は臓器提供をするためだけに生きていたのだ。
子どもたちは毎月の健康診断を欠かさず、外部の大人たちによる「教育」を受け、平凡な生活を送っている。
ささいなことに悩み、喧嘩し、恋をして、未来に希望を持ちながら生きている。
やがて、その時が来ることなどつゆ知らず。
施設を卒業した子どもたちは、臓器「提供者」になる。
そして「提供者」の世話をする「介護者」もまた子どもたちから選ばれる。
「介護者」もいずれ「提供者」になり、役割が終われば、この世に別れを告げる。
何という運命であろうか。
「提供者」の臓器は医学の進歩のために使われ、新たな薬や治療法が開発される。
これまで治らなかった病気が治るようになり、人類は今までより長く生きられるようになる。
外の人間は誰も臓器提供者の存在を知らず、あるいは、知らないふりをして普通に生きている。
まるで科学と医学の進歩のためには仕方がない、人類が背負うべき合理的な犠牲とでも言うかのように。
これは、フィクションであってほしい。
でも、もしかしたら、世界のどこかでこんなことが起きているのかもしれない。
私たちは都合の悪いことにフタをして、見ないようにしているだけなのかもしれない。
人類の業の深さを思い知る。 -
Posted by ブクログ
物語のたどり着いた先にある、何か収まりの良さ、居心地の良さ。そんな物事を、いつも読者は期待しているのかもしれない。ぼくも、そのひとりには違いない。ジメジメした感情なんて寄せ付けない“割り切りかた”が示された結末。
“AF”が何者かなんて、もうどうでもよくて、少なからず読者であるぼくが寄せていた感情の、その相手はジョジーでありリックであり、クリシーでありポールでもあり、店長さんや、メラニアやヘレンや、ヘンリーですら、あったのではないか。
つまり、ぼくは読者であり、同時にクララそのものだったのかもしれない。クララには感情があったけれど、それは抑圧されていて、客観的で俯瞰されていて、だからこそ、その“感情”のあり方が胸に迫った。
あくまでも“道具”に過ぎないからこそ、皆がそれを理解していたからこそ、AFへ抱く思いは、この上なく潔かった。清々しく思えた。高度な機能、性能を誇る“道具”の、道具としての“寿命”は、じつは儚い。“寿命”を迎えた“道具”は“引退”せざるを得ないものだ。
けれど、ぼくには到底、そんな割り切り方ができそうもない。いつまでそばに居てほしい、そんな思いからは、解放されそうもない。
人の、人としてのあり方は、決して割り切ることができないし、でも、相互理解や親密さを“道具”に見出す、そんな“感傷”を“道具”に対して抱くことは、ぼくの“甘さ”に他ならず、もしかしたら大きな過ちかもしれない。
ときに美しく、ときに危うい、その“甘さ”。
廃品置き場の場面は、その両義性を、静かに、鋭く突きつけてくる。 -
Posted by ブクログ
イギリスの名門の家に仕えていた執事による人生の黄昏時の回顧録
執事のスティーブンスは、執事だった父や同業者と「偉大な執事とは何か?」「執事の品格とは?」について語った事がある
そんな、執事としての矜持を常に背負った人生の晩年
これまでの主人であるダーリントン卿が亡くなり、身内が誰も屋敷を相続しなかったため、屋敷を購入したアメリカ人の新しい主人のファラディ氏に仕えている
使用人達もそのまま残れる事になっていたが、次々と辞めていき、現在は屋敷の管理が満足には立ち行かないほどの少数でなんとか回している
そんな中、かつて女中頭を務めていたミス・ケントン(現在は既に結婚してベン夫人)から手紙が届く
夫婦生活が上手くいっていないかのような内容
スティーブンスはファラディ氏から与えられた休暇とフォードに乗ってケントンに会いに旅に出る
彼女に戻ってきて貰えればなんとかなるのではという期待を込めて
そんな道中の1956年の現在と、1920年代から1930年代にかけての回想シーンを往復しつつ物語が進んでいく
読み終わって思った感想を一言で表すなら「英国紳士めんどくせぇ」
ネットスラングで言うと「ブリカス」と評されるように、自己欺瞞と、のらりくらりと弁舌で目前の問題を如何に対処するかという日和見的な態度が鼻につく
道中の車のトラブルも自分の知識不足の言い訳や責任転嫁が伺える
信用できない語り手のミステリのように感じる人もいるようだけど
ダーリントン卿は序盤で既に親ドイツな態度をとっているし
中盤以降でもユダヤ人に対する偏見で解雇している
スティーブンスはそれを擁護しようとしているけど、本人も納得しての事ではない本音がちゃんと読者にはわかるように書かれてある
自分は理解できないが、ご主人様の判断は間違っていないだろう
自分はそんな事を判断したり意見する立場ではなく、自らの職責を全うする事が役目であると言い聞かせている
ミス・ケントンを呼び戻したい理由も、屋敷の人手不足だけではないのもあからさま
淡いロマンスが回想のそこかしこに見られるけど、本人は意図してか無自覚なのか、昔も今も決して二人にはそんな関係性や想いはなかったと言い聞かせている
でも、滲み出る想いも、それは幻想や思い込みなんだよなー
かつてスティーブンスは、主人の言われるがままに行動することこそ美徳だと考え、それができる自分に満足していた
しかし、現在の主人ファラディ氏には十分に仕えられているとは思っていない
そして自分も老齢になり、昔のようには様々なことが十分にできなくなっている
そんな中で、旅路の終わりに偶然の邂逅で言われた事
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人生、楽しまなくっちゃ。夕日が一日でいちばんいい時間なんだ。
脚を伸ばして、のんびりするのさ。夕方がいちばんいい。
わしはそう思う。みんなにも尋ねてごらんよ。
夕方がいちばんいい時間だって言うよ。
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衰えを認識しつつ、これまでの自分の延長線上として前向きになっているのがいいな
「新しい主人を満足させるジョークを言うにはどうすればよいのか」と考えるのも、堅物で真面目な執事なのだろうと思う
解説で「ジーヴス」について言及されている
あのシリーズは文庫化されている2册を読んだだけだけど
あんな執事というか従者がいたら安心できるだろうなぁと思う
まぁ、主人であるバーティに金銭的な損をさせる事もあるけど、でも様々ななトラブルは解決してくれる
まるで優秀なドラえもんのような存在だものね
執事として偉大かどうかや品格があるかは別として
自分に仕えてくれるなら、スティーブンスよりジーヴスの方がいいなと思う
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品格ある執事の道を追求し続けてきたスティーブンスは、短い旅に出た。美しい田園風景の道すがら様々な思い出がよぎる。長年仕えたダーリントン卿への敬慕、執事の鑑だった亡父、共に働いた女中頭への淡い想い、二つの大戦の間に邸内で催された重要な外交会議の数々――過ぎ去りし遠い思い出は、今なお輝きを増して胸のなかで生き続ける。
1989年英国最高峰の文学賞・ブッカー賞受賞。映画化でも話題に。
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Posted by ブクログ
ネタバレ面白いよりすごいなって作品
印象に残ってるのは、最後にエミリ先生とキャシーが話すシーン。人間はどんなに正義を掲げても理念があっても、良いことをしているつもりでも1つの立場をとって発言したり行動すると、一気にエゴになるんじゃないかと思わされました。あの人たちは確かに善人で、ヘールシャムの生徒に一種の幸せを与えたと実感している。でも、求めてるのはそれじゃない。人の勝手な善意に振り回されるキャシー達を見て、絶望と虚無感と、終わりを迎えることに変わらない彼女達にとってあの人達の善意は何の意味もないと思わされるのがすごい作品だなと。
それでも思い出のヘールシャムと仲間は確かに存在はしているのに。 -
Posted by ブクログ
第一次大戦後、ドイツが重い賠償責任を負っていた時代に、そういう責任の負わせ方は紳士的ではないと考えていたダーリントン卿と、彼に忠誠を尽くすスティーブンスが執事という役割に徹する姿は、いかにも英国的で読みごたえがある。
品位とは何かを突き詰め、「公衆の面前で衣服を脱ぎ捨てないこと」という比喩で表現している。それが父親や女性に対する感情を押し殺した対応につながり、人生の岐路でもしかしたら過った選択をしたかもしれないという、スティーブンスの後悔につながっていて、この物語の大きな軸を作っているように見える。
大まかに受けた印象では、そこに至った思考回路はどうであれ、卿はやはり第一次大戦後から、第二次大戦前、戦中とナチ寄りだったわけで、その卿に忠誠を誓い仕え続けたスティーブンスは、執事としての忠誠心と仕事を誇ることはできても、主人がその時代に持った考え方を結局は肯定することができないというねじれた状態に置かれてしまったわけだ。
日の光が残る桟橋で、点灯される電球の風景を眺めながら「夕方こそ1日で一番いい時間だ」という言葉をかみしめるスティーブンス。人生が思い通りにいかなかったからといって、後ろばかり向き、自分を責めてみても詮無いこと、という思いは、どんな人にもあてはまりそうだ。