カズオ・イシグロのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
『私たちが孤児だったころ』は、探偵小説の形式をまといながら、実際には“記憶”と“喪失”をめぐる静かな内面劇として立ち上がる作品だ。
物語を読み進めるほど、主人公クリストファー・バンクスが追い求めているのは事件の真相ではなく、幼いころに失われた世界そのものなのだと気づく。
記憶の“ずれ”が生む静かな痛み
クリストファーは名探偵として語られるが、彼の回想はどこか曖昧で、幼少期の上海は理想化され、現実と記憶の境界はにじんでいる。
この“にじみ”が物語の核心であり、読者は彼の語りをそのまま信じることができない。
家族の影が、沈黙の中で形を変える
クリストファーが両親の失踪を追う動機は、探偵としての使命感だろうか、むしろ幼い自分が抱えた喪失の穴を埋めたいという切実な願いに近いのではないか。
しかし彼はその本音を語らず、淡々と“調査”を続ける。会話の隙間や、ふとした沈黙に、それが滲み出てくる。
上海という舞台の“遠さ”
物語後半、クリストファーは再び上海を訪れるが、そこにあるのは彼が求めていた“故郷”ではない、それは戦争に揺れる現実の都市だ。
彼の記憶の中の上海と、目の前の上海の落差、「変わってしまった故郷」の感覚、懐かしさと喪失感が同時に押し寄せ、静かな痛みを残す。
『私たちが孤児だったころ』は、ミステリーの形だが、実際には“記憶の物語”だ。
語られない感情、曖昧な回想、変わりゆく故郷――こうした要素が重なり、イシグロが好きだという小津安二郎の映画が持つ余白の美学に通じる。
派手な謎解きを期待する読者には向かないかもしれないが、静かに心を揺らす物語を求める人には、深い余韻を残すだろう。 -
Posted by ブクログ
ネタバレイシグロカズオの信頼できない語り手モノは面白いな、と思う。主人公が信じ込んでいる、両親失踪事件の真相が、上海で調査を進めるに連れてぜんぜん思っていたのと違うことが分かっていく。
主人公の語りと、回想によって話があっちこっちに飛ぶ構成がちょっと分かりにくい。これが文学上の手法としての「意識の流れ」ってやつなんだろうな…(イシグロカズオのノーベル賞インタビューで、失われた時を求めてに影響を受けてるって話してたからそういうのを感じる)
舞台になってるのが、第二次世界大戦前後の上海、というのも好きだった。
というか、チャプター4くらいの上海回想編にたどり着くまでが面白く感じられなくて、頑張って耐えて読んだ(イシグロ作品はだいたい、途中まで耐えて読まないと面白いと感じられない傾向がある気がする。日の名残りも二日目夜からが面白くなったし。遠い山並みの〜も最後の最後になってようやく面白いと思えたし)
孤児たち(サラ、クリストファー、ジェニー)が、「あなたはそのままで良いんだよ」と受け入れてもらえる場所を探して足掻く話でもあり、愛を求める普遍的な欲求の話なのかなと思った。
ただ、サラの性格がイマイチ好きになれなかったり、クリストファーが両親を探しに日本軍と中国軍が戦う前線に飛び込んで行く時のくだりで人間性が終わってるというか、発狂してるんですか?って感じのムーブをかましたりとかしてて、読んでてキャラクターに対してストレスを感じるところもしばしば…。
サラの、どうせ結婚するなら何か人類にとって価値がある人として、その人を支えたい、っていうのは、「日の名残り」の執事の美学にもちょっと似通じるところがある。
けどだからと言って、社交界で出会う、自分が「価値がない」と判断した人を露骨に下に見て、状況が変わったと思ったら手のひらクルッと返して擦り寄るところは読んでてイラつくというか…まあこんな人っているよね…。
クリストファーはイギリスで名を挙げた探偵のはずなのに、日本軍と中国軍の戦う前線にある労働者居住区に、何十年も前に行方不明になった両親が生きて幽閉されてると信じて突っ走っていくところ、そんな判断能力で探偵ができるか??と疑いつつ読んでたけど、その辺りの不協和音がなにか伏線になってるわけではなかった。両親が幽閉されてる場所を見つけたんだから、協力して当然って態度でクリストファーが中国軍の将校に迫ったり、軍の防備に使う兵士を自分に貸せと当然のように要求したり、将校の案内で前線の最先端に連れてってもらうことを当然のように要求したり、断られたら相手の能力が低いとなじったりナショナリティを馬鹿にしたりしだすの…怖…。
幼少期の親友アキラを、偶然出会った日本兵と取り違えて、アジア系の顔判断できてないところを露呈させたりしてるのにも、クリストファーの無自覚(または時代柄当然のように内在させている?)なレイシズムを感じる。
クリストファーをそういう人間として描くことに何か意味があったのかもしれないんだけど上手く読み解けず。
クリストファーは上海のイギリス人たちを軽蔑してたけど、クリストファー自身もそういう人達と所詮は同じ、ってことだったのかな。
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Posted by ブクログ
ネタバレAudible
かつて、彼の作品を読んだ時に原文で読みたいと思ったほど美しい文章だった。それは、この彼の5作品目となる長編小説でも変わらない。
日中戦争中の上海が主な舞台なので、日本語を話せないという著者だが、それでも中国を苦しめた阿片と、中国を攻める日本軍のことはどのような思いで描いたのだろうと思わずにはいられなかった。それがこの物語を時々苦しくしたが、イデオロギーに固執していないのは救いだった。
上海で生まれ育ったイギリス人の少年が、相次いで両親が失踪し、故郷イギリスの叔母の元で育てられ、やがてケンブリッジ大学を卒業した後、探偵として名士になる。遺産を相続した後は、孤児を養女に取るほどまで生活にも余裕があった。恐らく貴族ではなさそうだが、ブルジョワジーなのだろう。
上海に戻り、両親を探す過程で、それまでの教育や探偵としてのキャリア、名士に慣れたこと、それまでに要したお金すべてが、母親が中国人の妾の一人になったことで支えられていたと知る。
また、父親は誘拐などではなく、単に愛人と駆け落ちしただけだった。
今までのすべてが虚構だったと知り、(描かれていないが)戦争が終わる。
彼は両親を探し求めるように、使命も追い求めていた。その為に、人生で唯一一緒になっても良いと思った人まで失ってしまった。
彼の人生がほぼ虚構だったように、彼の「使命」だと思っていたものも虚構だったのではないだろうか。
老人になった彼が、それでもその使命が果たされなければ人生が始まらないと言っていたが、それは自分と少し被った。
ずっと、健康を取り戻さなければ、人生が始まらないと思っていた。やりたいことも、健康でなければできないと。
だが、人生に先があるかはわからないし、「いつか」は永遠に来ない。