哲学・宗教・心理作品一覧
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-故・河合隼雄氏と親交の深かった国内外の研究者が集まり、2008年4月に京都で開かれた追悼シンポジウムの全記録。海外からはユング派分析家として世界的に高名なJ・ヒルマン氏が講演を行い、国内からは民俗学の赤坂憲雄氏、宗教哲学の鎌田東二氏、精神分析家の北山修氏がそれぞれ自らの研究テーマを河合氏の視点と絡めながら語る。
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-外的条件が変わっても全体の形を保つような治療構造とは。 患者と治療者のニーズに応える標準的な治療法の提案。 第5章より抜粋■なぜ「標準」としての「治療的柔構造に基づく治療法」を考えることが必要なのかについて、以下に三つの理由をあげておきましょう。 一つには、各学派が依然として異なるドグマを持ち、それが心理療法についてこれから学ぼうとする人たちを混乱させているという事実があります。ある事柄についての一般的な理解を得たいのに、すでに特定のイデオロギーに染まった情報を与えられることになるからです。最初に心理療法とは一般的にどういうものかを、学派を超えて学ぶ機会を持つことは非常に重要なのです。 第二の理由は、患者は学派により治療者を選んできているわけではないということです。これはおそらくもっとも重要な問題です。そもそも患者さんは症状に悩んで治療者のもとを訪れるのであり、「~学派」の治療を受けるためにやって来ているわけではありません。多くの場合患者さんは特定の治療法との「相性(マッチング)」を持っています。精神分析的なやり方が性に合っている人もいれば、非常に具体的な行動療法的アプローチに向いている人もいるでしょう。そして治療者は、「この患者さんにはどのようなアプローチが一番合いそうだろうか?」と考え、検討するという役割を常に担っています。 第三の理由は、まだ経験の浅い治療者にとっては、治療理論や治療構造についての何らかの準拠枠の提示が必要だからです。「治療的柔構造に基づく治療法」は、ある種の雛形を提供する意味もあります。この療法の最大の眼目は、さまざまな原則を相対的に応用することですが、そのためには多くの人によって受け入れられるような基準、料理で言えば基本的な味付けがある程度できていなくてはならないのです。 柔構造による治療は多くの「いいかげんさ」、あいまいさ、恣意性を含みますが、そこに原則がないというわけではありません。むしろかなり熟慮された原則がいくつか必要となります。それがあってこその「良い加減さ」なのです。五重塔などの建築物は、そこに「心柱」という構造があることで地震などによる倒壊を防いでいるとされます。塔の各層は風や地震にさらされた際に大きく揺れ動きますが、心柱は常に全体のバランスをとって倒壊を防いでいます。そして治療の外的条件が変わっても治療構造の全体が形を保つのは、「柔軟性を重んじた治療原則」がちょうど塔の心柱のような役割を果たすからです。
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-左脳と右脳や記憶の仕組みなど,心理療法の訓練や実践をしている人たちのために,実践の支えとなるような脳科学の知識を解説。 まえがきより抜粋● 本書は私が過去3年間ほどの間にいくつかの刊行物に書きつづった原稿に大幅な加筆修正を施してまとめたものです。テーマは脳科学についてですが,読んでいただく対象としては心理療法の訓練ないしは実践をなさっている方たちを想定しています。それはここに書かれた内容の大半が,私自身が心理療法を実践する上でその支えとなるような知識として蓄えたものだからです。私は精神科医ですが脳科学の専門家ではありませんし,脳について詳細な知識を得るだけの時間的な余裕も力もありません。ただし脳について必要に応じて得てきた知識が精神科医としての薬物療法のみならず,心理療法を行う上でもさまざまな意味で助けとなりうることを,日常の臨床を通じて感じています。これまで疑問に思っていたことが,脳についての最新の情報により説明されることは,ある種の興奮や感動を伴うことですらあります。そしてそのような体験をぜひ心理療法家の皆さんにも共有していただきたいと思ったのが,本書の執筆の動機です。 私が本書で最も訴えたいのは,心の臨床家は,患者さんへの共感能力を高めるために,ぜひとも患者さんの脳について知っておかなくてはならないということです。私たち人間の心は,脳という物質的基盤を持っています。それはさまざまに私たちの心を規制し,枠にはめようとします。そして場合によっては脳のほんの少しの変化や病変に翻弄され,それが精神科的な問題となって現れます。しかも不幸なことにたいていの場合,私たちは自分や患者さんたちの脳で起きたことが何かを知るすべがありません。そこで私たちは患者さんの示す精神科的な疾患について,さまざまな心理的な意味づけをしようとしますが,それは多くの場合,たくさんの誤解を生み出します。そしてもし患者さんを治療する立場にある心理療法家も患者さんの脳について無知であるとしたら,それらの誤解を助長することにもなりかねません。それは私たちがぜひとも避けたいことです。 本書は脳を扱っていても,その内容はあくまでも私たちが人の心を理解するためのものであるということをこの序文で強調しておきます。そして本書が心理療法家の皆さんが患者さんの心の世界の理解を深めるための一助となることを願っています。 岡野 憲一郎
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-本書は,前著『新しい精神分析理論』に続く『中立性と現実―新しい精神分析理論2』である。そのために,前著と同じように,「これらの米国の新しい精神分析の理論に自己表現の言葉を見出している」のが本書とうっかりみなしてしまうおそれがある。 本書で岡野氏が一番語りたいのは,「その態度が……本来はそれ(精神分析)とは別のどこかに関係するものだ」ということで,この別のどこかはきわめて個別的な岡野憲一郎という「私自身の態度」であって,この「私自身」の「態度」が肯定し,受け入れることのできる精神分析をつくり上げることが私の目標なのです」。これは精神分析家としての大変な「岡野憲一郎宣言」である。なぜならば,この宣言は,岡野氏がフロイトと同等の一個の精神分析の主体になることの希求ないし自覚を意味するからだ。フロイトの技法論文をよく読めば―常に私が主張してきたように―フロイトにとってこの岡野氏の言うことがどんなによく当てはまるか。私の言うフロイト的治療態度は,患者との間で創造された,フロイトという彼自身の資質,教養,思想,文化にとって最も彼らしい「態度」だったのだ。そして岡野君も同じような意味での「態度」について語りたいと言っているのだ,と私は思う。 小此木啓吾(「序文」より抜粋)
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-本書は,著者岡野憲一郎氏の研究成果を世に問う第三作である。第一作『外傷性精神障害』が啓蒙的,第二作『恥と自己愛の精神分析』が内省的とでもいえば,この第三作は,よい意味で野心的,それだけにまた論争的でもある。「『分析の隠れ身』から『自己を用いること』へ」「禁欲モデルから提供モデルへ」の各章に提起されている新しい治療論は,当然,岡野君自身の臨床経験,そしてまた彼自身が受けた訓練分析体験にその基礎を置いているのだが,しかもそれが彼個人の体験にとどまることなく,現代の米国における新しい動向によって自己表現と経験の裏付けを受けている点にこの本の魅力がある。三つの流れが,岡野君という主体の中で新しいものを生み出す。そういう心的なプロセスが精神分析そのものだと私は考えているのだが,本書はこの精神分析らしい主体的な条件を見事に備えている。 本書はまさに新しい精神分析の治療論,そして技法論として,わが国の精神分析・精神療法の領域の読者にお読みいただくことを心から期待しています。さらに岡野君の第四作がどんな展開を遂げるか,いまから楽しみにしています。小此木啓吾(「序文」より抜粋)
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-いいニュースと悪いニュースがある。いいニュースは世界と日本を隔てる壁が低くなり、いつでも外に飛び出せるようになったこと。悪いニュースは、その壁の向こうから新たな競争相手が次々とやってくること――(本文より)。2013年晩秋に開催された、激変する国際情勢の今を知るセミナーの番外編。10代の兄妹とのプライベートな対話から、世界と日本の境界線に立つ者だけが知る厳しい現実と未来への希望が見えた! グローバルの波に乗るのも、飲み込まれるのも自分次第。どうせなら今をチャンスと捉えて、新しい時代を自分なりに生き抜いてほしい。「プランB」こそ、どんな世界でも生き抜くために必要な、知的なサバイバル術! 国際ジャーナリスト、ミュージシャンとして活躍する著者から、若者に向けられたメッセージ。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 本書は、心臓神経症、不妊症、小鳥恐怖、離人症的感覚に悩む一人の女性の夢分析過程をまとめた事例研究である。セラピストである著者自身が3年間2000個に及ぶ夢を丹念に記録・分析し、夢分析の実際をみせる。クライエントの精細な夢描写、それを的確に理解するセラピストの絶えざる応答はときにスリリングであり、劇的な治癒は夢分析の本質を教示する。粘り強く、真摯な対応はクライエント中心療法の模範であり、心理臨床家にとって好個の教材となろう。著者の記念碑的著作『女坂-夢分析の世界』(1994年刊)を加筆修正、多くの声に応えて待望の復刊。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 時代の変遷の中で、日本人の母性イメージは種々に混乱し、女性のアイデンティティもさまざまな形で拡散を見せている。本書は、セラピストとして、そうした現代的諸問題を抱えるクライエントと40年以上も会い続けてきたベテラン臨床家が、「母性とは何か」について叡智に満ちた臨床心理学的視座を示す。ことに第2部では七つの事例を取りあげて、現代的問題の孕む葛藤とその解決の道筋を、個性化の観点から鮮やかに示している。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 箱庭療法が日本に導入されて40余年。その領域は心理臨床に留まらず、医療・教育・福祉にまで広がっている。しかし箱庭療法による治療と基礎的研究の間には依然ギャップがある。本書は箱庭制作者と面接者との関係性に焦点を当て、制作者側の内的体験を検討する。さらに箱庭(砂箱)そのものについても主観的体験や臨床事例を通して検討していき、箱庭制作者と面接者、そして箱庭の三者関係から、箱庭療法の治療的要因に迫る。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 児童養護施設に心理職が導入されるようになったが、それは被虐待児への対応のためであって、そこで暮らす他の子どもたち全般にまで及んでいない。本書は、長年、施設でカウンセラーとして子どもたちの心理療法を実践してきた著者が、被虐待児を中心に多くの典型事例をあげながら、様々な問題を抱える子どもたちの心の世界を類型に分けて理解し、職員や心理士がどのように関わってゆけばよいのか、具体的にアドバイスする待望の書。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 臨床心理士と呼ばれるこころの専門家が行なう臨床心理行為の概念設定の問題、心理療法における枠組みについて、クライエントの来談動機と心理療法の実際について、カウンセラーの守秘義務について、心理療法における終結について、また、実際にカウンセリングを受けたクライエントからみた事例報告についてなど、心理療法にとってきわめて基本的かつ重要な問題を、九つの章にまとめる。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 宗教とは何か。宗教現象を理解するためには「聖なるもの」や「神」といった非合理的、超越的存在を扱うことが必要となる。本書は、日本の精神的風土と宗教との関わり(1章・2章)、ライフヒストリーと宗教との関わり(3章・4章)、歴史資料から読み解く(5章・6章)、計量・調査による宗教の分析(7章・8章)と、具体的な宗教教団を事例として採り上げて、宗教社会学の視点と方法論を網羅したテキスト。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 ユングはなぜ、ヨーガを研究したのか?限られたメンバーのためだけに行なわれた濃密なセミナーへの扉が、今、開かれる。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 心理臨床の第一人者である著者が一人のクライエントに行った20回に及ぶ教育分析の全場面を克明に再現。詳細な逐語録である本書は、カウンセリングが辿る過程や意味、危険性や転移-逆転移の様相までを鮮明に浮き彫りにする。面接の中でクライエントの意識はどのように変容していくのか?コミュニケーションのとり方や沈黙の処理の方法など、臨床心理士やカウンセラーを目指す人すべてに役立つ貴重な記録資料。『教育カウンセリングの実際』(1992年刊)を一部加筆修正、冒険的試みの全過程が待望の復刊。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 都市には、神ガミの様々なネットワークがある。家内安全・病気平癒・商売繁盛など、不可視の明日の安泰を願う現世利益の信仰、祈りと浄化を密かに託す水子供養、先祖を祀る聖地としての霊園墓地、伝統・伝承を今に受け継ぐ各地域のお祭りや家庭の年中行事、精神世界という新しい名称のもとに息づく占いや心霊研究の世界等‥、気鋭の研究者の11編の論考で、様々な生活と欲望が生起する都市を覆う信仰の諸相を考察する。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 本書は、"家族関係"や"現代人の心の危機"について、新聞に連載され好評を博したエッセイに書下しを加え、編集してまとめたものである。4人の子持ちである著者自身の家族や患者をめぐる家族のエピソードなどを引きつつ、ユーモラスに、そして鋭い人間観察を交えながら、よりよい家族の在り方を探っている。家族の危機とか崩壊が叫ばれて久しいが、本書の診断と処方箋を読めば、きっと読者家族の幸福に役立つことが多いにちがいない。心の健康についても、身近な事例を満載しているので、予防のための知識が得られる興味深い読物となっている。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 「私とは何か」「生きるとは何か」という人間存在にとって永遠の問いを、ギリシャ哲学をはじめ宗教、文学、医学、生物学、物理学など、古今東西の多彩な文献からの引用を駆使しつつ深めていった意欲的な書き下ろし。医学博士であり、鍼灸師でもある著者は、巧みなバランス感覚でこの永遠の問いを自らに問いつづける。その該博な知識と深い思索は、他者を排除することなく包み込む温かさをもっている。序文および推薦は、河合隼雄氏。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 私たちのまわりには、「何で生計を立てているか」とか「以前どんな職業に就いていたか」によって、自分がだれであるかを説明しようとする人が、実に沢山います。 けれども、退職しても、今までずっとそうであったのと同じ人物なのです。ですから、まるで本来の自分を明け渡してしまったように感じる必要はまったくありません。新しい環境に備えること、適応すること、そして新しい環境を最大に活かすことが、本書が扱うすべてです。 意欲的であり続ける方法、成長し続ける方法、ストレスや恐れや喪失を感じるときには心をどこに向ければよいかを興味深く、しかも実際的に提示しています。 最終章はこんな言葉で結ばれています。 「神はすべてをご存知です――そして心を配ってくださっています。神が、人を愛するこの仕事から定年退職されることは決してありません」
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 前教皇ベネディクト16世は、現代における「信仰の深刻な危機」を理由に、第二バチカン公会議から50年を経た、2012年10月11日から2013年11月24日の「王であるキリスト」の祭日までの期間を「信仰年」と定めた。 カトリック鹿児島教区の引退司教である糸永真一師は、教皇の真意をよく理解し、その思いに呼応する形で、自身が運営するブログ『糸永真一司教のカトリック時評』の中で、第二バチカン公会議に関する小論を発表し続け、公会議が現代世界にもたらした大きな実りを検証している。 公会議開幕から50年、公会議公文書は、今読んでも人知を超えた神の英知、聖霊の豊かな恵みをそこに感じ取ることができる。 公会議を論じた書籍はこれまで多数出版されているが、それらの多くが内容の正確な記録を旨とする中で、「真意を測り知る手がかりになれば」という著者の熱い思いが異彩を放つ。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 永井隆の父親がモデルとおぼしき〈中江登〉は、大病院の息子ながら使命感に燃え、新婚間もなく僻地の村で開業医の第一歩を踏みだす。 貧しさと無知がはびこる村で、人々の冷たい視線を気にせず、患者の使いが来れば夜中でもカバンをさげて駈けつける〈登〉。妻もまた、看護婦として協力するかたわら、村の女房や娘たちに少しでも社会的目を開かせようと、託児所造りに奔走する。 だがそうして1年間、身を粉にして献身的に働いた報いは、薬代の支払いと空っぽになった箪笥だけだった――。 折りも折り、先輩の病院から副院長の誘いの手紙。二人の心は動く。とりあえず様子を見るだけと自分に言い聞かせて出かけた二人は途中で、胸を悪くして紡績工場を解雇された娘を迎えて戻る、母娘に出会う。 二人の心はまた動いた。「やっぱり村へ帰ろう。この村には人が住んでいる」
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 広島と長崎に原爆が落とされた時、永井博士は世界が原子力時代に入ったことを感じる。放射線医学者であり、長崎医科大学放射線科部長として散乱放射線に冒された上に、原爆による二重の放射能によって白血病患者となり、自らの体を「研究対象」にした博士以外にも、放射線治療の黎明期には、隣人愛のため真理探究のために、「科学の殉教者」として倒れた物理学者、医学者、技師、助手、看護婦は多くいた。 彼らこそ真に平和の英雄であるという観点から、原子科学の原点に立ち戻って書かれた本書では、科学も科学技術も人間のために使われなければならないという著者の強い願いが、平易な文章で綴られる。 人々を放射能障害から救うために、原子力と原子病について正しく深く知ることの必要性を説く永井博士の熱意が、科学者としての探究心と温かい人間愛に昇華して、行間に脈打つ。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 『健康回復セラピー』は、病気の痛みと悩みに向き合い、全存在――身体と精神と魂――の癒しと健康へ導く手引きです。医師の勧めや治療を受ける際にも、あなたにできることは、もっともっとあるのです。それが病気に対処し回復に向かう助けとなります。前向きな態度を育み、心も気持ちも豊かな泉にするのです。 同時に自分の病気からも得ることがあります。病気によって――不思議なことに――魂がより大きな知恵と同情に向かって広がるのです。あなたの生命そのものが、豊かになるのです。 あなたが直面しているのが、あるいは終末に向かうかもしれない病気であっても、本書は心の静けさと穏やかさ――さらに、カルテに記された文言を超えた健康に向かう助けとなります。 今、病気でない人にも、いや病気でない人にこそ読んでほしい一冊です。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 苦しみが具体的に私たちの生活にふりかかると、気持ちにも体にも精神にも重く覆いかぶさってきます。 苦悩と苦痛をなくすための手っ取り早い解決方法はありません。本書『苦しみを意味あるものにするセラピー』はそのようなことを約束するものではありません。しかし、読者が、避けることのできない困難な現実と苦闘する時、本書は読者と共に歩み、読者に苦しみの意味を見いだすことができる見識と知恵と着想を提供します。 私たちは、苦しむかどうかを選ぶことはできません。人間の生活には苦しみが付き物です。私たちは、不完全な世界に暮らしています。間違った選択をすることもあります。しかし、苦しみにどう対応するかは自分で選んで決めることができます。苦しみを意味のあるものにするのは、私たちの対応――人を大切に思う神の心に根ざした対応――によるのです。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 クリスマスの準備に追われて忙しく過ごしていませんか。あるいは、心からの喜びもなくクリスマスをただ「きれいごと」としてすませていませんか。 本書は、クリスマスのしきたりの良い部分を残し、自分自身のバランスを保ちながら、理由のない思い込みを削り落とすための、実行可能な知恵を提供しています。 本書の色鮮やかなページによって、この輝かしい季節にあなたの心は高められ、あふれるばかりの元気とすばらしい喜びを取り戻すことができるでしょう。 何よりもだいじなことは、クリスマスの祝いの中心にある出来事を――心の中で、自分なりの方法で――真剣に考えるように招かれているということです。なぜなら、かんじんかなめの、一番深いクリスマスセラピーは、そこ、すなわちイエスの誕生の神秘とそれが意味していることのうちにあるのですから。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 池に投げ込まれた石のように、がんはあなたの生活と周りの人たちの暮らしに波紋を広げます。そこには新たな不安と、新たな感情が生まれます。前途には長い不確かな道が現われます。治療の間中、痛みと非常に多くの不安を経験することになります。 『がんをかかえて生きるセラピー』は、がんのもたらす身体的、情緒的な課題に向き合う方法を示しています。あなたが抱く不安や感情、疑いに前向きに対処するには、病気をどう受け止めたらよいか、治療に役立つよう行動するには、どうすればよいかについても示唆しています。 また、がんをかかえていることで、種々の制約ととても大きな不安が生じますが、にもかかわらず、この病気を、神や周りの人たちとより親しくなり、人生において本当に重要なことに焦点を合わせるチャンスとするためにも、本書はきっと役立つことでしょう。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 暮らしになくてはならないものだけを求めるようにしましょう。そして簡素に暮らしましょう。この選択は、実際には、一つの大きな選択であるよりも、むしろたくさんの「小さな」選択なのですが、その効果はなにが大事で価値あるものなのかをわたしたちに教えてくれることです。 簡素に暮らすことで、私たちの個人資産──頭、気持ち、心──を思い悩みから解放することができます。 簡素に暮らすことで、天然資源のいくらかを節約することができます。 簡素に暮らすことで、気をつかわなければならない「原材料」のリストが減り、その分だけ他のことに(または人に)気をつかうことができます。 簡素に暮らすことで、心を開いて「超自然の恵み」を受け、私たちを大切に思い、私たちの幸せだけを望んでおられる神と一つになる方法を本書が教えてくれます。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 介護は価値のあるそして生きがいを感じるものですが、それはまた、へとへとに疲れるものでもあります。プロ、ボランティア、身内、友人を問わず、人の世話をしていると、自分自身のことを後回しにしてしまうことがあります。けれども、効果のある介護をするには、自分を大切にしなければなりません。 本書は、介護をする際の生活をバランスのとれたものにする――つまり人の世話と同時に自分の健康にも心を配る方法を示唆しています。献身と自己実現の達成のためにこの手引き書は、あなたを、自分の生活を大事にし、自分を充電し、支えを求め、祈るようにと招いています。自分自身をいたわることを学ぶとき、人に対しても同じことをもっとよくできるようになるのです。 また本書の各ページは、自分と人をいたわることが、この世でどれほど重要なことであるかを思い起こさせてくれるでしょう。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 誕生日は人生の里程標(マイルストーン)。お祝いの日です。この喜ばしい日に、どうして「セラピー」が必要なのでしょうか。 なぜなら、現実には誕生日が必ずしもすばらしい「もてなし」の日であるとはかぎらないからです。誕生日がくると、ゆううつになることもよくあります。とくに10年ごとの曲がり角の誕生日や他の重大な節目の誕生日には、やり残した仕事や、したいことをするのに、あとどれほどの時間しか残されていないか、などといったことが冷静に思い起こされます。誕生日はまた、加齢という事実に厳然と私たちを向き合わせるのです。 『お誕生日おめでとうセラピー』は、内省と自己肯定と成長のために誕生日を使う方法を提案します。本書は、失意と後悔を認めると同時に、あなたが到達している高みと、将来の楽しみに気づく助けとなることでしょう。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 月刊誌『家庭の友』(サンパウロ発行)で1992年から連載された「イラストで知るカトリック教会生活」をベースにして、全国のカトリック教会の香部屋に一冊ずつ常備されることを念頭に、ハンディタイプに再編集した「教会豆知識」の決定版。 発行から10年余りで7刷を数える定番ロングセラーである。 内容は日々の教会の中で使用される教会用語や典礼用語、また祭儀で使う聖具・祭具・祭服や奉仕職の所作・手順、教会の構成メンバーなどが、分かり易いイラストとともに説明してあり、楽しく眺めているうちにいつの間にか頭に入り、身に付いてしまうという「すぐれもの」ガイドブックである。 聖体奉仕者をはじめとする奉仕職の必携書であることは間違いないが、これだけ盛り沢山で50頁とは、各家庭にもおいておきたい一冊である。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 祈りは特別なものではなくて、「あなた」のものです。本書『祈りセラピー』によって、一瞬一瞬が、そして日々のすべての出来事が祈りのチャンスであることがわかります。 おだやかな心と安らぎを望んでいない人は一人もいません。けれども、現代の多くの人は、祈ることができないと思っています。自分の周りにある祈りのチャンスに気がつかないだけなのかもしれません。私たちはだれでも祈りのタレントを預かっているのです。 ベネディクト会士キース・マククレラン師の『祈りセラピー』は、簡潔な言葉で長年の知恵を提供し、私たちを励ましてくれます。 そしてやさしく記された知恵の言葉は、ユーモアあふれるエルフ(妖精)のイラストとあいまって、心をなごませ、日々の暮らしを豊かにする助けとなることでしょう。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 私はよい父であったろうか。 本書はその反省の上に立って、二人の幼児への遺訓という形で綴られているが、これはわが子誠一と茅乃だけに対する遺誡ではない。 「わがいとし子よ。〈なんじの近きものを己の如く愛すべし〉そなたたちに遺す私の言葉は、この句をもって始めたい。そしておそらく終わりもこの句をもって結ばれ、ついにはすべてこの句にふくまれることになるであろう」という言葉で本書は書き出されている。 身近な話題の中に、わが子とすべての人間に対する切々とした思いを取り上げ、親は子どもに対する、子どもは親に対する愛情をいやが上にもかき立てられる。 聖フランシスコ・ザベリオ渡日400年記念式典が浦上天主堂で行なわれた翌日、思いがけず教皇特使の見舞いを受けた際の悦びは、子どもたちにとっても無形の遺産となったにちがいない。
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-東洋哲学の「道」をビジュアル化 「玄之又玄 衆妙之門」……名のない領域から天と地がうまれる。その門を潜ると諸々なモノが生まれでる。 「万物作焉而不辞」……生気の自然のリズムに任せて手をくわえない事がたいせつ。世の中の価値概念に捕らわれるな。 「為無為 則無不治」……無用な心配、余計なことをしないで事を行えば収まらない事はなかろう。 ストライプというシンプルなモチーフと老子81条の出会いが織りなす宇宙観。 おだやかに、そして激しく老子の言葉に揺れ動く心がストライプに躍動する。 印象がある老子タオの言葉に揺らぐ心象ストライプ画の有彩色変調116点の作品を見て遊んでほしい。 During the pursuit of stripe patterns, I came across Tao's 81 verses and was attracted to the dense words. The cosmology resolved some matters and encouraged me at the same time. I decided to express the Tao's world with simple stripe patterns. When I was designing, Tao was getting into the mind of me. The stripes's waver is fluctuation of Tao's words and it was like linguistic resonance. ●たかはし文雄(たかはし・ふみお) 東京杉並生まれ、北千住育ち。東京都立工芸高校P科/日本大学法学部新聞学科にて学ぶ。デザイン制作社を経て、1996年アトリエジータ設立し、グラフィックデザイン、エディトリアルデザイン、CIデザイン、イラスト等の企画・制作を担当する。その間講師として高校生のデザイン+制作を指導。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 仮説実験授業を提唱し,科学教育の全面的な改革をおし進めてきた著者。その研究成果は社会の科学にも広がっている。その発想法にはどんな特徴があるのか。多岐にわたる研究内容の中に一貫して流れている発想法と科学的な視点が見えてくる,著者のエッセンスあふれる1冊。党派制を越えた独自の視点で,「科学・歴史・教育」について考え直す。 〔もくじ〕 1 科学をたのしんだ人びとに学ぶ 知的エンターテイメントとしての科学教育の伝統・民衆の共有財産としての科学・ガリレオ・ガリレイ……『岩波科学百科』・ファラデーにおける物理と数学……〔書評〕小山慶太『ファラデーが生きたイギリス』・井上円了の妖怪学……三流の学問と一流の学問と・近代日本の数学者の本格的な伝記…〔書評〕阿部博行『小倉金之助』・雑学の伝統が甦るとき…小島勝治『日本統計文化史序説』に寄せて・雑学の中から日本の科学史を浮かび上がらせた人…大矢真一さんの仕事・引用の技法……模倣から創造へ 2 科学と数学 その歴史と教育 理系の目の系譜・科学と数学・私にとっての「応用数学」・江戸時代の円周率の値……数学の専門家と素人との間・疑似科学の普及について考える……マスコミの権威と科学の権威・ニュートンの質量の定義とガリレイ・ニュートンの原子論・事典の中の「科学教育」……『ブリタニカ国際大百科事典』『現代学校教育大事典』 3 歴史を見なおす 日本の近代化はいつ始まったか……数量・統計を通して見ると,歴史が違って見えてくる・党派性に支配されない歴史教育の可能性を探る……『新編日本史』を見て思うこと・江戸時代再発見・脚気病研究史の教訓・日本人の創造性・漢方医学と西洋医学・科学史研究上の二つの立場……結果主義と多数派主義
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 月刊誌『たのしい授業』の創刊から1986年までに掲載された論文の中から,民主主義・発想法・研究方法論・組織論・運動論などについて書かれた論文をまとめた1冊。「民主主義」などというと,仰々しく聞こえるかもしれませんが,ここにはたのしく生きていくための指針になるものの見方・考え方がいっぱい。授業や生活の中に真の民主主義を実現するための指針に。 ★★ もくじ ★★ 第1部 社会の法則と民主主義 人間の法則と社会の法則/企業の精神と近代科学の精神/最後の奴隷制としての多数決原理/正義と民主主義の問題としての「いじめ」 第2部 自由に発想する法 恥の教育から楽しさの教育へ/発想法における自由と束縛/発想法カルタのすすめ/発想法カルタ 第3部 言葉と民主主義……教育研究をすすめるための視点 教師のための読書論/文章を理解するとはどういうことか/言葉のなりたちを調べる意義/まちがえることと教育/よいテスト問題ができれば教育研究がすすむ/小学生の卒業論文/私の調べて欲しいこと 第4部 未来への天望 組織論・運動論 教育の未来/日本の教育界をイメージする材料/真理は十年にして勝つ/「大学入試・共通一次事テスト」の運命/二種類の集会/世界の教育と仮説実験授業/みんなが創造的に学ぶ時代
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-ルソーの『社会契約論』は、フランス革命に、ほとんど何の影響も及ぼしていないし、そもそも、ルソーは「革命」などということを考えもしなかった。『エミール』を書いたとき、ルソーは、自分にも有り得たかも知れない、いま一つの、楽しい人生を空想していた。教育を革新しようなどとは考えもしなかった。『新エロイーズ』は、ルソーが、片恋や社会的な不遇の苦悩から逃避しようとして、私生活と私的感情を書き込んで作った空想物語であって、ロマン派のさきがけになろうなどとは考えてもいなかった。・・・しかし、日本で、こんなことを書くと、ルソーを知っているつもりのあらゆる人々から、「ルソーについて、基本的なことも知らないバカ者め」、と怒鳴りつけられます。しかし、フランスでは、これが穏健中正、支持者のもっとも多いルソー論なのです。それもそのはず、上記の三点を始めとするルソーのさまざまの面を確実な実証によって証明している本書は、生涯を、ルソーを中心とするフランス十八世紀文化の研究に捧げた、パリ大学名誉教授、ダニエル・モルネの晩年の名著なのです。この書が初めて翻訳されたので、当の翻訳者を始めとする日本の読書人に、常識をくつがえされたショックは免れません。しかし、その暫時のショックから立ち直ったわれわれの前に、解き甲斐のある二つの問いが現れます。第一問、日本人のルソー観は、いつ、そして、何故、統一されて今に到っているのか。第二問、ルソーとはどんな人だったのか。人間・ルソーを知己とすることができたら、自分の生き方、人間観、社会観はどう変わるか。第二問を考えるための貴重なヒントとして、『告白』、『孤独な散歩者の夢想』など、晩年の自伝を虚心に読んで、まずは、人間・ルソーに親しむところから、もう一度、ルソーに接近するのがよい、と、著者のモルネは勧めてくれています。既成概念の再検討のためにも、是非、本書を、ご一読ください。(訳者は東大大学院修了、もと大学教員)
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-著者のカズヌーヴは、一九一五年、イタリア生まれ、フランスとアメリカで社会学、人類学を学んだ人。人間にとって幸福とは何か、という問いを、これまでの西欧中心の哲学理論にとらわれずに、自由に、考えています。この本は、「天国とはどんなところか」という問いを、さまざまの時代と民族に即して考えるところから始まります。幸福論ならば、何をおいても、欲求の充足方法、という、われわれの常識の、意表をつく本です。しかし、現世の彼方へのあこがれは、実は、人類の起源とともに古いものであり、科学技術万能時代の、われわれ現代人こそが、そのあこがれをとおして、真の幸福がつかめることを、著者は、驚くべき説得力で示してくれます。アメリカ・インディアンのズニー族とナヴァホ族の生活と祭儀に、彼らのユニークな幸福論を探る部分は、とくに、感動的です。
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-「これだ!」と思える素敵な生き方、考え方を、生活に組み込んで習慣とし、ついでに、いやなクセを解消することができたら、それこそが、生活の質(Quality of Life=クオーリティ・オブ・ライフ)の向上。それを、実行し持続するためのヒントを、ふんだんに提供してくれるのがこの本です。今の自分にピッタリと合うプランを、この本の中に見つけて、すぐに取り組んでみましょう。生活に、明るさと落ち着きが戻ってきます。原書が刊行された1929年と言えば、二つの世界大戦のはざま。しかも、経済恐慌のあらしの中とあって、欧米の人々は、群れの中に逃げ込んで自己を失っていました。先の見通しのつかない、不安に満ちた日々。そこへ出現した本書は、爆発的に広まり、アメリカでは、年間を通してベストセラーの一位を維持しました。二十世紀のアメリカを代表する哲学者・教育学者のジョン・デューイは、本書を「思考のための必需品」と認める小論を書き、さらに推薦文(「訳者のまえがき」に訳文を収録)を書いて本書を推奨しました。いまの人々に必要な、精神の自立と予見の力を教えるのはこの本だ、と確信したのです。本書が興味ぶかく語る、欧米各国の教育事情や国民性の比較は、七十年後の今も、なまなましい現実感を失っていません。世界が、またも、重苦しい雲に被われている今、われわれは、この本を通して過去を思い起こし、それに重ねて現在を考える必要があります。そこで、訳者は、ディムネの心をくみながら、現代日本人を、ディムネ風に考察する三章を書いて巻末に添えています。
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-宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』と、サン・テグジュペリの『星の王子さま』は、どちらも、ほとんどすべての日本人が知っている、名高いファンタジー(幻想文学)です。ところが、その二つの作品の、だれも知らなかった新しい読み方と意味を、この本が発見しました。『銀河鉄道の夜』については、いくつかの資料のユニークな解読をとおして、主人公・カムパネルラのモデルが、作者の死んだ妹・トシであることを発見しました。併(あわ)せて、その、ファンタジーを、賢治が制作した理由と経緯(いきさつ)が明らかになりました。ジョバンニ、カムパネルラという名前の由来など、注目すべき発見も、数多く紹介されています。『星の王子さま』については、フランスで刊行された辞書類を使って、原書を吟味した結果、邦訳(半世紀にわたって愛読されてきた、内藤濯(ないとうあろう)先生の訳)だけでは、けっして、知ることのできない、作者の真の思想や、作品を一貫する信念などについて、少なくとも二十ケ所、新しい、重大な発見がありました。そこで、ファンタジー『星の王子さま』は、作者の幼時が、幻影となって出現して自らの半生を語り、未来の世界の平安を祈りながら書いた遺書、という推測が可能になっています。それらの発見をとおして、二つのファンタジーの姿が、すっかり新しくなったので、作者たちは、この本の中で初めて、それぞれの、心の全体を打ち明けて、語り合っています。本書では、さらに、「まえがき」と「あとがき」で、人の生命と文化と宗教とが、ファンタジーの中で、一つに融合することを、具体的な例を挙げて論じています。両作品の、詳しい説明付きの「あらすじ」も、楽しい読み物となっています。二人の天才が、自由奔放に論じ合い、相互の思考を確認し合っている、この本の議論に、ぜひ、参加して、心を爽快にし、生きるための活力を獲得してください。
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-ルソーのすべての著書や書簡から、ルソーの正体を描き出す、興味ぶかい文を集めて、解説し、ルソーの本質を探り出した本です。著者のファゲは、道徳、政治、教育、の諸問題について、ルソーと対等に、自由に語り合った結果を、鋭い寸評として、随所にちりばめています。たとえば、「愛や友情は、幻想に過ぎない。しかし、その幻想に抱かれる心ほど、生気ある実在は、ない」、「人が三人いるとして、二人が合意すれば、三人目の意見は無視してもよい、という、多数決の論理に、ルソーも、だまされている」、「ルソーは、フェミニストとなるには、女を愛しすぎた」、「民主主義は、人を、画一化している」、などなど。ルソーは、一般の読者が送ってきた身の上相談の手紙に、親身に答えました。その返信のコピーの中の七通が、この本で、初めて、紹介されています。返信の宛先は、自殺志願の青年、再婚をためらう若い未亡人、などなど。ルソーは、彼らの、家族や友人になった気持ちで、語りかけています。(「道徳」の項) 国家の治安と国民の幸福増進のために、ルソーは、市民宗教を提案しました。その名残が、いまも、各国の国歌、元首の演説、日本の憲法などに、跡を留めていて、国旗などの国の象徴とともに、国民の心の結集に、一役を買っています。(「政治」の項) ルソー、いわく、「どんなに不可解と見える心も、角度を変えてみれば、かならず、そこから、有用な才能が引き出せる。そのことを無視して、ごく早い時期から画一的な知育を行うと、子供たちの魂の、偉大な面が光を失って、心の、生来の姿が隠れてしまう。その結果、少数の目標に、雑多な才能が殺到して、子供たちの固有の特色を消し合い、子供たちが独自に創造したものの、すべてが失われてしまう」。(「教育」の項) ファゲは、この本を、ルソー生誕200年記念行事の一環として書きました。それから、さらに100年、人類は、さまざまの難題に、ぶつかって、迷路に入りそうになっては、正道に立ち帰るべく、悪戦苦闘中。そんな大衆の一人である訳者も、(訳註)、(付記)、(小論)などのかたちで、ルソーとファゲに向かって、現代人類の苦衷(くちゅう)を訴えています。
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