笑いというものを学問にしたのは、フロイトやベルグソンのおかげだと思える。
笑うという行動というよりは、何かを「おかしい」感じるのは一体どういうことなのか、この心の動きは一体何なのだ。ベルグソンの興味はそこから始まる。
それを考えるために、ベルグソンは、一体何を我々はおかしいと感じるのか、そこから攻め
...続きを読むる。モリエールの喜劇に詳しい訳ではないが、ベルグソンにとって、相当魅力的なものであったに違いない。
たしかに彼のおかしみは、モリエールをはじめとする当時の喜劇に限った話であるかもしれない。シェイクスピアなどのことは一切と言っていいほど触れられていない。しかし、彼がこのようにして、笑いの観察をじっと始めたことこそ、笑いを学問したことこそ、意義であると思う。誰しもが何かをおかしいと感じる。当たり前すぎることだ。だが、この当たり前が当たり前である不思議さ、そして、このおかしみというものがひとを強く動かし、精神が立ち上がる。これを考えずにギリシア以降捨て置かれたということが、ベルグソンにとっては我慢ならなかったのだと思う。
生きるということはおかしみをどこかで感じるということだ。学問はその不思議を追究することに他ならない。彼が今後この笑いというものをどこまで追求していったかは知らぬ。けれど、彼はきっと必ず、どこかでこの笑いについて探究し続けたはずだ。これは始まりに過ぎない。