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「笑い」を引き起こす「おかしさ」はどこから生まれるのだろうか。ベルクソンは形や動きのおかしさから、情況や言葉、そして性格のおかしさへと、喜劇のさまざまな場面や台詞を引きながら考察を進める。ベルクソンの主要著作群のなかで異彩を放つ、「ベルクソン哲学の可能性が最も豊饒に秘められた」、独創性あふれる思考の営み。ベルクソンの著作のなかでもっとも版を重ねたロングセラーを分かりやすい訳文と詳細な解説で読み解く
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Posted by ブクログ
戦前のフランスの哲学者・ベルクソンによる「笑い」を探る書。 わかりやすい翻訳で、内容をあたまのなかで転がしながらおもしろく読めました。 タイトルにドドンと「笑い」とありますが、 笑い全般を扱っているのではなく、おかしさによる笑いに限定した、 「特殊笑い理論」というような種類の本です。 「笑い」は知...続きを読む性のものか感性のものかでいうと、知性のものだという。 感性(感情性といったほうがいいのかもしれない)が強ければ、 つまり愛情や憐憫の情が知性をまさっていれば、 滑稽な場面でも笑う場合ではなくなる。 愛情をもっていても笑えるのは、愛情をひととき忘れるからだそう。 つまり、「笑い」は硬直性にたいして知性的に起こるものだという。 そして緊張を忘れた人が柔軟にものごとに対処できずに 硬直性へとはまってしまうのだと。 駆けていてつまずいた人が笑われたとして、 その笑われた根拠は、その人の不本意さにある。 そしてその不本意さは、硬直性がまねいた失敗、ということになる。 そうベルクソンは語るのだが、 緊張が硬直性を招くことだって多いし、 ここで使われる緊張という言葉には注意が必要かなと思いました (巻末の解説で、このあたりについては上手にほぐしてくれていました)。 また、笑いをもたらす欠点の持ち主は、笑われたことで自らを取り繕おうとする。 つまり、笑いには、笑った人が笑われる人を矯正する作用がある、 言葉を変えると、「習俗を懲戒する」という機能があるんです。 でも、です。 瑣末な場面での笑いのもつ懲戒作用はそれほど悪くもない懲戒かもしれないけれど、 行き過ぎた笑いだってあって、その場合、正しくない笑いが懲戒作用を行使してしまう。 無自覚に笑いが主導権を握っている前提っていう世の性格は今も強いと思いますが、 笑いを疑わないことは牧歌的だとも思う。 このあたりについては、本書の終わりの方で、笑いは悪意でもある、と書かれていました。 笑いは、欠点をつついて「そこはおかしいよ」と知らせもするけれど、 正義だというものでもないのです (ああ、そうだ。「いじめ」には笑いが密接に絡んでいますよね)。 以上のような筋なのですが、 これらをふまえると、むくむくと自分で考えたいことが膨らんでいきます。 緊張の緩みが「笑い」を招き、 「笑い」とはその対象が修正を必要とするものだと指摘する性質を持つ、とありました。 そこから考えてみると、 第一段階的には、笑われないように人前で緊張を続け、笑うときには対象をバカにしさえする。 しかし、第二段階的には、緊張の緩みをよしとしてあえて笑われ、対象をバカにはしない、 となるのではないか。 これは経験上からくる考えなのですけども。 この第二段階的な「笑い」のあり方って、 人間としてもそのコミュニティーとしても成熟した段階だし、 生きやすさを考えてみても望ましい。 ハリウッド映画でのこじゃれたユーモアのやりとり、 笑いをコミュニケーションに使っている場面なんかを 「いいねえ!」って思えるのは「笑い」が成熟してるからですよね。 笑われまいと必死になっている人って多くいるし、 その笑われてはならないっていう論理が幅を利かせる空気が漂う場ってよくあります。 これはまあ、僕自身の環世界上(僕個人が見ている個別的世界上)での特有の状況と考えるより、 地方でっていうカテゴリと40代でっていうカテゴリ上で、 ある程度の勢力を持っているような気がします。 こういう「笑い」の段階だっていわゆる民度の高低に関係しているならば、 「笑い」の質や成熟度からでも世界はちょっとずつ変わっていけるのでしょう。 とすれば、お笑い芸人という職に適った人が、 哲学者や思想家よりも社会によりよい影響を与え、 動かしていける可能性を秘めているとも言えちゃんですよ。 というところで本書に戻ると、 内的に深めていく人は詩人だとか悲劇だとかの方面で、 表面的な人間観察が得意な人は喜劇の方面だ、と書かれていて、 その説明からも納得しました。 小説でいうと、純文学的傾向の強いタイプが前者で、 エンタメ的傾向の強いタイプが後者になるのでしょう。 また、「行為」と「身ぶり」の違いについてもなるほどと思いました。 「行為」はその人物をかりたてる意志や感情から切り離せないけれども、 「身ぶり」は無意識的かつ無意味になされ、また習慣に似て自動的な側面も強いのだ、と。 ベルクソンの言う、笑いを生じさせる「緊張が緩んだ状態」というのは、 しなやかさを失って自動的に行動する状態のことですから、 「行為」ではなく「身ぶり」のほうで、喜劇を書く人は笑いをつくるということです。 というところですが、 こういうのとは別に随所で、 「おっ、言うねぇ」と感じるような箴言的な文言に出合いました。 著者は哲学者なんですが、日常とかけ離れていない著作なので、 ちょうどいい風合いの文章と論説です。 とてもおもしろかったです。
『笑いには社会的意味合いがあるに違いないのだ。』 『社会が完全なものに近づいていくと、その成員により大きなしなやかさをもって適応することを求めるようになるということであり、社会がその根底においてだんだん均衡のとれたものになっていく傾向にあるということであり、社会がこれほど大きな集団になるとどうして...続きを読むもついてまわる混乱をその表面からだんだん追い払っているということであり、笑いがそうしたうねりの形を強調することで有用な役目を果たしているということである。』
おかしさに基づく笑いについて講じた書。 それが成立する諸条件について考察する際の助けとなる。 本書はおかしさ、すなわち不調和に基づく笑いをテーマに考察をしているが、漱石の「草枕」にみられる東洋的な超然的歓びに見出される構造とも共通する部分が見られることに気づく。
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