出口顯の作品一覧
「出口顯」の「声と文字の人類学」「読解レヴィ=ストロース」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「出口顯」の「声と文字の人類学」「読解レヴィ=ストロース」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
ビジネス・実用
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Posted by ブクログ
著者の専門は文化人類学なので、レヴィ=ストロースを中心とした「構造主義」の話しかと思ったら、レヴィ=ストロースは最初の方で少し出てきたら、あとは結構、フーコーの話しが続く。そして、バルト、ラカンの話しを経由して、レヴィ=ストロースに戻ってくる。
非政治的で、静的にみえるレヴィ=ストロースとは、かなり違うものにみえるフーコーの権力論なのだが、実は、かなりの共通点をもっているんだな〜。
というか、お互いを必要としあう対称的な存在。つまり、構造主義的な構造にこの2人はあるというわけ。
フーコーは、ポスト構造主義と位置付けられることもあるけど、構造主義としての側面もしっかりあるんだよね。というか、ポスト構造主義と呼ばれるものも、構造主義とかなり連続したもので、構造主義を単純に否定的に批判することはできないと思う。
前から思ってたのだけど、その辺のところが、すっきりと、そしてとてもスリリングに論じられていて、面白かったな〜。
個人的には、今、「関係性のなかの自己」みたいな概念を深めようとしているところで、いくつかの疑問点、たとえば身体とか、うちなる他者、複数性、言語みたいなのについて、手がかりがもらえた。
レヴィ=ストロース的な言い方だと「人を喰らう社会」と「人を吐き出す社会」があるということになる。レヴィ=ストロースもフーコーもともに「人を吐き出す社会」への批判として、「人を喰らう社会」というオルタナティヴをレヴィ=ストロースは「未開社会」に、フーコーは、西欧の古典主義社会だとか、キリスト教以前の社会とかに見出す可能性を探っていたということかな?
そうか〜、こうなるといよいよ「神話論理」に挑戦する日がやってきたということかな?
Posted by ブクログ
「最初に声の文化があって、その後文字の文化が生まれた」という文明観を再検討した本。
最初に取り上げられるのは、ジャック・グディ(初めて知った学者だ)、マクルーハン、オングのリテラシー研究。
文字が人間の認識様式を変容させ、西洋的科学を発展させ、視覚を特権化した、とまとめてある。
これに対して、筆者は歴史的な社会や、西洋文明に植民地化された社会を取り上げ、必ずしも口承から書承へ単純に移行したわけではないという例を対置する。
「書承」という言葉は、この本のキーワードの一つ。
そういう言葉があるんだ、と思ったら、筆者の導入する用語のようで、「リテラシー」とされている。
ただ、読み書き能力だけを指すのではなく、書いてコミュニケーションを取ろうとする意志や実践も含めてそう呼ぶとのことだった。
たしかに、挙がっている例は面白い。
権力が人々を管理するために、戸籍を作り、それまで人々が持っていた多様な名前や婚姻の在り方を書き留めて固定しようとする。
声の多様性は抑制され、文字は知見を固着し、論理や理性につながるものとして特別視される。
なるほど、これは権力のするわざである。
ところが、ニコ・ベズネエが報告した、ツバル共和国のヌクラエラエ環礁の事例は、宣教師が持ち込んだ文字言語が理性とされる観念を覆す。
これまで口頭のコミュニケーションではなされなかったような濃密な感情のコミュニケーションを文字によって行ったのだという。
文字を書く行為が呪術的な力を持つのではないかと期待したブラジル・ナンビワラ族の事例、十九世紀フランス・ピレネー地方に観察された、書物は「魔法の書」であり、「読書」により憑依されるという考え方があったことなども、とても面白い例だ。
口承文化を称揚する立場からは批判されがちな文字だが、文字(特に手書き文字)も聴覚、触覚などの感覚と関わるメディアであったことも、指摘されるとなるほど、と思う。
平家物語の研究を引きながら、物語がテキスト化され、それがさらに語られ…という文字と声の相互的な関係いついても言及されている。
本書の終盤は「打ち文字」の話が出てきた。
これも話し言葉を文字化したもので、声と文字の境界に起きている現象。
そこで読み書きすることは、ボルヘスの「砂の本」のようであるのか、それ以外のありかたなのか。
筆者の議論は手書きの方へ進んでいくようだったが、もう少し打ち文字の考察も読んでみたかった。
こうやって多様な例を通して読み進めてくると、たしかに、声の文化から文字の文化へ、という変化を考えるのは単純すぎることはよくわかった。
ではその先はどうなるのか。
どう研究は進んでいくのだろう?
Posted by ブクログ
レヴィ=ストロース、ラカン、バルト、フーコーの4人の思想を読み解きながら、「構造主義」と呼ばれる人文科学の方法論的革命の意義を論じた本です。
著者は、構造主義からポスト構造主義への発展という図式を退け、レヴィ=ストロースの神話分析の中に、ラカンの『S/Z』やフーコーのマグリット論、あるいはラカンの鏡像段階論と共通する志向を読み取ろうとしています。4人の仕事に共通しているのは、他者を巻き込み他者に巻き込まれる中で主体や自己が形成されるという発想であると著者は主張します。神話や文学作品などの対象を分析的に捉える西洋近代の主体を相対化することは、自己の視線が他者の視線と輻輳する場へとみずからを開くことであり、そうした志向が彼らの仕事の根底にあることが明らかにされています。
また著者は、そうした構造主義の発想に基づいて、代理出産をめぐる「生=権力」の分析や、マリリン・ストラザーンと平野啓一郎の「分人」批判を展開しています。
若干議論が拡散してしまっている印象があるものの、論じられているテーマはおもしろいと思いました。