アンリ・ベルクソンの一覧
「アンリ・ベルクソン」の新着作品・人気作品や、最新のユーザーレビューをお届けします!
-
作者をフォローする
- フォローするとこの作者の新刊が配信された際に、お知らせします。
ユーザーレビュー
-
現在のところ最新の翻訳で、最良のものだと思う。昔のベルクソンの翻訳は主に仏文学者がやっていたことが多く、そのせいか良質の仏文学を読んでいるような感覚があったのだが、最近の(主に哲学者による)翻訳ではその香りがなくさみしく感じていたところだった。ところがこの本にはその感覚があり、やはりそれはもともとベ
...続きを読むルクソンが持っているものだったのだと改めて思った。
解説も内容の適格な要約など適切。ちなみに、p.377に「最近の「純粋想起」という翻訳は(略)致命的」とあるが、それはちくま学芸文庫の合田正人訳と白水社の新訳全集の竹内信夫訳の二つを指している。
最近のものとしては岩波文庫の熊野純彦訳もあるが、こちらは「純粋記憶」と訳されている。もともと「記憶」という言葉に対する原語として「メモワール」と「スヴニール」の二つがあることが問題で、それを「想起」と訳すのはどうか、という話であり、熊野訳ではルビをつけて分けておくことで対処している。
この学術文庫版では「メモワール」について、文脈に応じて「記憶力」と訳すような工夫をして対応している。
ドゥルーズやメルロ=ポンティ(特に『シネマ』や『知覚の現象学』)など、この本を読んでいないとまともに理解できない(少なくともフランスの)哲学書は多い。(今回読んでみて”これを念頭において言ってたのね”というところがけっこうある)この学術文庫版は入手しやすいし、訳にも勢いがあって読みやすく、注や解説も充実しているので、とっかかりとしてとてもよいと思った。
Posted by ブクログ
-
私たちは普段、何かを感じ何かを考えながら生きている。その思考によって成果を出すことは今の社会においては頻繁に求められることだろう。そして、私たちは創造的な思考を求められるが、同時にその思考は現実を捉えていなければならない。
では、考えるとは実際どういったことなのか。私たちの思考はどのようにして働いて
...続きを読むいるのか。その一つの答えを出すのが19世紀から20世紀の哲学を代表するこの本の著者アンリ・ベルクソンである。
「どんな抽象的な思考も、その出発点は常に知覚です。」
私たちの思考は知覚から得たものを配列し直すことはできるが、その材料は知覚から得るのである。そしてこの知覚とは、ただ目の前のものを見ることである。「肉体の眼でも精神の眼でも、いま見ている以上のものをどうして見ることができようか。」
思考の出発点・起源はただこれだけのことなのだ。その知覚の中に思考の材料はすべて含まれている。しかしそうしたことでさえ、私たちは勘違いしてしまっているのではないか。自分の知覚、言い換えれば直観を否定してしまっているのではないか。それが思考にとって唯一ともいえる、真の創造の契機であるはずなのに。
こうした問題を含みながら、その知覚を正しくとらえるためにベルクソンは哲学をする。そうして、真の時間や真の精神的運動へと迫っていく。
私たちはどのようにして「現実」を正確に捉えるのか。ベルクソンが考えていたことの中にその答えはあるかもしれない。
Posted by ブクログ
-
ベルクリン哲学について、著者自身の講演や論文を集約し、記述した1冊で、夏目漱石などもさかんに読みこんだそうである。「実在を私たちの観念の寸法に合わせてはいけない。私たちの観念を実在に合わせて拡げるのだ。」(P.326)。冒頭の「哲学に欠けているのは正確さである。」(P.9)は核心をついた言葉と感じた
...続きを読む。
Posted by ブクログ
-
訳がこなれていて読みやすい。講演集のようだが、柔らかい語り口の印象、例える言葉もエレガント。ページを眺めているだけでなんだか心地よい。
Posted by ブクログ
-
たいへん示唆的な哲学書である。しかも、訳文が読みやすい。「産業的」「優勝的」など意味不明な言葉が少しあるが、岩波版より論旨は追いやすい。結局、この著作のポイントは、すべてを生命の流れ、つまり「純粋持続」のもとにみるということだろう。また、進化の観点からみれば、知性は行動するために生命がつくったものな
...続きを読むので、必然的に限界があるのである。ダーウィンやアイマー、ド・フリースやラマルクなどの進化論思想の読み解きも面白い。進化には結局、生命の意志があるのだ。思想の映画的メカニズムをもとに、科学思想を検討するところもみごとである。カルノーやクラウジウスなどの熱力学にも少しふれているが、アリストテレスの科学論が類や概念の絶頂、つまり特権的な時間、をみるのに対して、近代科学は特権的な時間を否定し、時間を細分化し、そこに運動をあてはめ、法則をみようとする。だが、どちらも「あらかじめ全てが与えられている」という観点からみれば共通なのである。これらの古代・近代の科学に映画的メカニズムをみたベルクソンは、存在の根本理解として、予見不可能な全てが全てに浸透している純粋持続を語るのである。古代の科学と近代の科学のちがいとして、実験をみるのは間違っているという指摘も面白い。実験は古代人もしていたのである。むしろケプラーの研究などは思弁の産物なのだ。彼の哲学は常識と「直感」を大事にしているが、とくに気になるのは、ベルクソン自身はいっていないが、中国思想との関わりである。王陽明の知行合一や、生命の流れとしての物質観は「易」とよく似ている。生命の哲学は東洋とつながるものだ。なかなか普遍的なテーマである。
Posted by ブクログ
アンリ・ベルクソンのレビューをもっと見る