ジークムント・フロイトの一覧
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ユーザーレビュー
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コロナの自粛期間で読んだ。そういう時でもないと、こういう難解な本を読むのは難しい。『夢判断』の原著の初版は1899年に刊行。100年以上前の名著だ。それほど昔の本なのに、訳者は「この道で最も優れた本」とまで書いている。
夢は誰もが見る身近なものだ。でも、誰もがその正体が掴めずにいる。意味不明な夢を
...続きを読む見て、戸惑ったりする。しかし、無意味な夢は存在しないと本書にはある。無意識から湧き上がった願望が"夢の仕事"によって歪められ、夢として顕在化する。この"夢の仕事"、歪曲といったあたりがポイントだ。夢には願望が表現されるはずなのに、なぜ苦痛な夢や意味不明な夢が存在するのか。夢はどのように作られるのか。そういったことが明らかになる。
フロイトは自由連想法によって、夢から潜在的な心理に迫ろうとした。本書ではフロイト自身の夢の他、患者たちの治療の過程で得られた夢やフロイトの子供たちの夢なんかが出てくるが、同じ方法で誰もが自分の夢を分析することができる。そういうのも面白いかもしれない。
朝起きて、見た夢をノートにとる。夢の内容から連想するものを書き出していく。そうして、この夢の源泉はなんだったのか?自分はなぜこの夢を見たのか?といったことを考える。そうしていくことで、潜在的な思考に迫れるという。
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・夢も自分の思考のはずなのに、なぜ理解不能な夢があるのか?
この疑問に関して、”夢の仕事"について説明される。夢は自我によって検閲・歪曲され、それをくぐり抜けたものが、夢として顕在化する。意識下の自分の願望が夢に表現されるというだけの簡単な話ではなく、無意識下の自分の願望が歪曲された形で夢に表現されている。だから、意味不明だったり、意識下の自分の願望と反する夢が存在するようだ。
無意識下の自分と意識下の自分。自分の中には、複数の自分がいて、それらがせめぎあっているようだ。
・夢の材料には、夢を見る前日の日中の出来事・経験が使われる。何かしら夢を見たとき、直近で自分に起こった出来事を思い返す。そうすると、思いも掛けない気付きがあるかもしれない。
・本書では、フロイト自身の夢、患者の夢、フロイトの子供から聞いた夢がいくつも出てくる。夢の内容だけだとわけがわからないが、夢の分析の過程が生々しく書かれている。特に、フロイト自身の夢の分析から、自身の(そのままでは受け入れ難かった)願望が明らかになるのは興味深かった。人間の願望は、そんなに清らかではない。しかし、それらを認識し受け入れることで、新たな道が開けるのかもしれない。
・誰もが見るような典型的な夢がいくつか説明されている。「裸で恥ずかしい夢」、「愛する者が死ぬ夢」、「試験に失敗する夢」。自分も見た覚えのあるものがあって、フロイトの解釈を見ると、なるほどあの頃の自分はもしかして・・・と不思議な気分になった。
・夢は誰もが見る身近なもの。でも、それを人と共有することは難しい。だから研究するのも難しい。とても身近なのに、誰もが理解できていない。これほど不思議なことはないな、と今更ながら感じた。
・「夢占い」なんかのキーワードでネット検索すると、XXXが出てくる夢はXXXの意味があるというようなことを説明したサイトが出てくる。それらは全くの的外れではないのかもしれないけど、そんな簡単なものではないんだろうなと思った。
・自分の夢を人に話すと、思いも掛けない・知られたくない自分の願望を人に知られてしまうのかもしれない。フロイトは学問のために自分のプライバシーを犠牲にして、この本を書いている。『さすがにこれ以上は自分をさらけ出したくない』といった記述があったりと、葛藤が読み取れる。本書はフロイトの内面を描いた、とても生々しい物語としても楽しめる。
Posted by ブクログ
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本書は、精神分析学の創始者と言われるジークムント・フロイト(1856~1939年)が、死の直前に発表した作品である。
松岡正剛氏は、「千夜千冊895夜」(2003年11月)で本書を取り上げ、「これは恐ろしい本である。引き裂かれた書である。しかも、これはフロイトの遺書なのだ。人生の最後にフロイトが全身
...続きを読む全霊をかけて立ち向かった著作だった。」と述べているが、ユダヤ教をはじめとするアブラハムの宗教に関わる人びとにとっては、衝撃の書であろう。
モーセは、アブラハムの宗教において、最重要な預言者の一人とされ、伝統的には旧約聖書のモーセ五書(トーラー)の著者であるとされている。その中の一つ『出エジプト記』によれば、モーセはエジプトにいる“ヘブライ人”家族の子として生まれたが、ファラオがヘブライ人の新生児を殺すことを命じたので、それから逃れるためにナイル川に流され、王女に拾われて育てられたという。長じて、神の命令によって奴隷状態のヘブライ人をエジプトから連れ出す使命を受け、エジプトからヘブライ人を連れて脱出し、40年に亘り荒野を彷徨った末、「約束の地」にたどり着いた(モーセは約束の地に入れずに死んだ)とされる。そして、そこでユダヤ教が生まれた。。。聖書の伝承はこうである。
ところが、フロイトは本書で、モーセはエジプトの高貴な家(王家?)に生まれた“エジプト人”であり、モーセがヘブライ人に伝えた宗教は、紀元前14世紀にエジプト第18王朝のアメンホーテプ4世(イクナートンと改名)が、エジプト古来の多神教を全面否定して作った、世界史上最初の一神教と言われるイクナートンの宗教(アートン教)であるとする、恐るべき仮説を提起するのである。
そして、「モーセ」という名前がエジプト語由来のものであること、世の神話の大多数に登場する英雄は極めて高貴な家の出身である(そして、夢・神託で危険を告げられた父親がその息子を棄てるが、息子は身分の卑しい人に救われ、成人するに至って父親に復讐を遂げ、他方真の素性を認められて、権力と栄光を得るのである)こと、ユダヤ教が、当時はエジプト以外では見られなかった割礼という掟を取り入れていること、エジプトでは、イクナートンの死後、守旧派により多神教が復活し、イクナートンの側近がイクナートンの一神教を携えてエジプト外へ脱出する動機があったこと、モーセは口下手だったとされるが、それはモーセがエジプト人で(少なくとも当初は)ヘブライ人の言語を解さなかったからと考えられることなど、その根拠を次々と挙げる。
モーセが祖国を去るにあたって連れ出したユダヤ人は、祖国に残してきたエジプト人の、より優れた代理人でなくてはならず、ひとつの「聖化された民」をこそ、モーセはユダヤ人から創り出そうと欲したのであり、これは聖書の文章にもはっきり表現されているのだ!
しかし、なぜ“精神分析学者”のフロイトがこのような奇抜とも言える発想をし、文書に残したのか。。。?それは、フロイトが更に進める大胆な仮説が答となる。フロイトは言うまでもなくユダヤ人である。そして、自らの民族・宗教・歴史が持つ特性を明らかにしようとし、辿り着いたのが、モーセは(はじめは)厳格な一神教を受け入れられなかったユダヤ人に殺され、それがユダヤ人の「エディプス・コンプレックス」(ユダヤ民族にとっての父殺し)となったとする説なのだ。
精神分析学に興味がないと後半は少々読み難いが、前半の仮説部分だけでも極めてスリリングである。アブラハムの宗教に「if」を突き付ける、興味深い書。
(2019年11月了)
Posted by ブクログ
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古典なれど最新。
フロイトの理論は、フロイトの物語として読んでいく視点も必要なのだろうと思われた。しかしそれでいて学ぶことは多い。
3人の女性のイメージは非常に興味深い。
Posted by ブクログ
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フロイトとアインシュタインの手紙のやりとり。
フロイトからの返答。
戦争はなくならせることはできないのか?
という疑問に対して。
利害が対立した際に話し合いをして解決する動物というのはちょっと想像できない。
人間の場合には、動物の本性としてある暴力が、知性によって優劣が決められるように取って代わ
...続きを読むっていく。
暴力から知性の時代へ。
Posted by ブクログ
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アインシュタインの問題提起に対して、フロイトが回答したという名著。2人の天才がどのような対話を行ったか、非常に興味深い。
Posted by ブクログ
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