国内文学作品一覧
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 歴史の秘話や意外なこぼれ話を収めた、鎌倉時代成立の短篇物語集を全文収録。慶應義塾大学図書館蔵本を底本とし、平仮名まじりに書き下し。岩波新日本古典文学大系本とは異なる慶應本独特の訓みを積極的に紹介。主な登場人物には歴代天皇をはじめ、聖徳太子・弘法大師、藤原兼家・道長・伊周・道綱、小野小町・清少納言、信西入道・西行法師、仏師定朝・囲碁の名人碁聖法師など-付録として、主要参考文献・人名索引・類話一覧を収録。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 宮内庁書陵部蔵、文安二年(1445年)冬堯孝法印筆。堯孝は堯尋の子で、祖父は経賢、曽祖父は頓阿。本書は詠歌大概と百人一首から成る。この二書を堯孝は、定家の歌論の根本として重視したのかもしれない。本書は百人一首かるたの原型である。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 ファビアン口語訳天草版『平家物語』について、よく研究されてはいるが、わからない点も多い。たとえば当時の「天草学林」のことなど殆どわかっていない。特に、ファビアンの伝記についての従来の研究は全く不十分であった。編者の経歴を明らかにすることによりその作品にも迫ることができるのであり、これにより「平家」のことばを巨細にえがくことに成功したものである。なお、これにはシュッテ神父の労作によるところが大きい。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 あきぎり(あきぎり)福田百合子[校訂・訳注]荒れた三条邸に住む姫君と契りを結んだ三位中将だが、妻の母や乳母の祈祷によって訪れが絶えてしまう。両親とも亡くして流浪する三条の姫君は、密かに三位中将との間の姫君を出産。やがて東宮に入内し、即位に伴って中宮に上る。三位中将は失意の中に病死する。男女の明暗の対照を鮮やかに描き出す、新出の孤本の初の注釈書。浅茅が露(あさぢがつゆ)鈴木一雄 伊藤博 石埜敬子[校訂・訳注]日月の光にも譬えられる二位中将と三位中将。色好みの二位中将は、帝の姫君に失恋し、失意の中、面ざしの通う姫君と方違え先で契る。その姫君は義父の邪恋から逃れて身を隠し、密かに二位中将の男子を出産するが、息絶える。一方、道心あつい三位中将は、偶然、二人の形見の男子を見出だし、しかも蘇生した姫君とも出会う。多様な人間模様を謎解きふうの構想に織り込めた魅惑的な物語。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 現存、最善本の一つとされる三条西家旧蔵、日本大学図書館現蔵の青表紙系統本、いわゆる証本を原寸大に影印した各巻の完本。本書は青表紙証本に基づいて、三条西実隆がその子西室公順僧正、帥大納言公条と共にこれを厳密に書写し、実隆自ら最後の巻「夢浮橋」に奥書を加えた極めて由緒の正しい伝本。筆は室町時代の三条西家の優雅な書風を伝えて余すところがない。誤脱もほとんどなく、伝来、筆跡、内容などいずれの点から見ても同系統諸本中の白眉というべきもの。大学、短期大学の絶好のテキストとして、また、書家、古典愛好諸氏が拠るべき貴重な証本として、待望の書。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 新古今時代の典型的歌合三種、四本を影印。『水無瀬恋十五首歌合』(親長自筆本=日大図書館蔵、異本=編者蔵)建仁九月十三日、後鳥羽院が水無瀬殿に於て催され、俊成判とされている。『若宮撰哥合』(編者蔵本)「恋十五首歌合」より更に撰歌したもので、後鳥羽院の御自判、建仁二年九月二六日に成る。『桜宮十五番歌合』(書陵部蔵本)「恋十五首歌合」からの撰歌によるもので、俊成が追判して建仁二年九月は、新古今集撰修の最中であり、「十五首歌合」からは新古今集に十五首も入集されている。また、新古今歌風の頂点に立つ問題作が含まれている点でも注目される書。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 東京大学国語研究室蔵(高野辰之氏旧蔵)覚一本の写本を若干縮小して影印したもの。十二巻、十二冊より成り、第十二巻は灌頂巻を有する。覚一本は江戸時代に刊行されたいわゆる流布本の祖にして、研究上もっとも重要なテキストであるが、特にこの高野本は他の諸伝本に欠けている「祇王」「小宰相」を含む点で貴重。また、本文には章段の初めに朱の丸、その行の肩には章段名、その他朱の句読点、漢字の読みが片仮名で付されており、読み方を考える上で参考となる。加えて、校異・補正が試みられ、異文や補入が注記されている点も貴重。大学・短大の演習・講読テキストとしての待望の書。付・解説。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 堤中納言物語は、それぞれの物語の作者や成立が別だと見られる上に、鎌倉・室町時代古写本を欠くのが謎を深くしているが、そうした中で本来の形態とおぼしい十冊本のうち、まさに霊元天皇に溯る高松宮本の風格と気品。詳細な解説と書写関係が近接する桂宮本との厳密な校異付き。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 大学・短期大学・高等専門学校・高等学校・カルチャーセンター等の源氏物語の演習ならびに講読に、完本で最良の教科書を、可能な限り廉価で提供すべく企図した校註本。本文は「源氏物語大成」の底本の本文に拠る。若干の誤脱とおぼしき部分は大成所収の青表紙系諸本によって改めたが、すべてその由を頭注に記した。教科書としての性質上、本文には適宜段落を設け、仮名に漢字、あるいは漢字に仮名を宛て、仮名づかい・送り仮名を改め、句読点・濁点などを加えた。頭註は簡略を旨としたが、文法上注意すべき箇所や、特に本文の解釈に疑問がある箇所などについては、なるべくくわしく触れるようにした。なお各巻冒頭にその巻についての必要な解説を加え、登場人物系図を付す。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 『枕草子』、『源氏物語』をはじめ、平安の諸作品は、どのような時代情勢を基盤として生まれたのであろうか。つまり、王朝文学という大輪の花が開いたのは、作者というすぐれた種子が根をおろし、それをはぐくみ育てた社会という土壌があっての必然の結果と推察される。こうした意味から本書は、時代の情勢を出来る限り探り、その世相の上に諸作品を関連づけて考えてみた。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 北村季吟の源氏物語の注釈書「湖月抄」を巻毎に影印。延宝三年に上梓された本書は、三条西学統の流れを汲み、江戸時代を通じて最も広く流布し、源氏物語の普及・研究の促進に大きく寄与した重要な書。注釈は、頭注と傍注から成り、頭注に諸注を集成し、自らの注を加え、傍注では文中の人物や言葉の主を示す他、語意の解釈等を諸注および自説によって説く。全体に季吟自身の注解が控え目である点において、旧注の大体がうかがえる資料としても貴重。本文は比較的穏健な校訂によるもので、流布本としての価値を今でも失わない。演習、講読に絶好
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 醍醐天皇の勅命によって編まれた初めての勅撰和歌集。延喜五年(905年)頃成立。本書は昭和13年(1938年)国宝に指定されたもの。藤原定家、六十~七十歳のころの筆とされている書。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 文学を対象とする研究は、文学によって現実の状況と対峙し、現実の状況を超克する、そのことを自負し、かつわが特権とするものである――秋山虔。単行本未収録の論考を著者自身が厳選、構成した「論」に、昭和27年来、書き続けてきた書評を、笠間書院でピックアップし、その九割方を掲載。近年の王朝文学をめぐる論考に加え、膨大な書評群により、著者が向き合ってきた、王朝文学の研究史を辿ることができる書。「先鋭的な方法意識と独自で魅力的な文体で紡ぎ出されたそれぞれの論考は、学界の先端的な領域を開拓するものとなった」(小町谷照彦)
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 琉球文学の、その総体としての姿は、どのように明らかにできるか。季節によっては台湾の山陰を臨むことができるという与那国島から奄美大島以南までの、琉球孤の島々で話される言語(琉球語・琉球方言)によって表現された琉球文学を、『おもろさうし』を中心に論じていく。もうひとつの日本語による琉球文学を、これから日本文学の中にどのように定位していくのか。琉球文学の一方的な模索ではなく、本土日本文学からもその道を探らねばならない。これからの琉球文学研究の方向性を指し示す、希望に満ちあふれた書。ここからはじまる、琉球文学論。
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