加藤諦三のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
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人間は安心感が無ければ甘えることができない
手のかからない子、良くお手伝いをする良い子は見捨てられる不安を、親のご機嫌をいつも恐れていたのである
生真面目になる
表面的な付き合いでは、好意を持たれるが、
深い付き合いにならない
問題は甘えの欲求があるにもかかわらず、抑圧してる
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正義や道徳の仮面をかぶった他者への攻撃
今朝、エンジンのかかりが悪かったのと奥さんは事実を言っただけなのに
それを自分に対する不満と夫は受け取る
相手の中に自分に対する不満を見出すが、それは実在してないことが多い
外面のいい夫に多い
幼児的な甘えの欲求は親子関係で解消されているべきものだが、
一人前の社会人になって、幼児的な欲求を直接表現できない
63
自己評価は、小さい頃自分の実際の存在がどれだけ許されたかどうか
どんなに社会的に高い評価を与えられても、自己評価が高くなることはない
73
自分には依存の欲求があることを認めなければならない
「安心感というのはどこからでてくるのであろうか。ひとつには他人に干渉されることのない自分の世界を持つところからうまれてくるのであろう。」
(出展:自分に気づく心理学/著:加藤三/PHP研究所/p58
「自信というのは、決して他人の評価から生まれてくるものではない。他人がそれほど高く評価していなくても、生きることを楽しみ、いつも気持ちの安定している人もいる。」
(出展:自分に気づく心理学/著:加藤諦三/PHP研究所/p43)
「自分がやりたいことをやらないでおいて不満になる人は、周囲の人に気にいられるだろうというようなことをする。」
(出展:自分に気づく心理学/著:加藤三/PHP研究所/p1 4
「相手が動かなければ相手を責める。相手が常に自分の期待通り動くということを求めているのが甘えである。」
山に・自分に気づく心理学/著:加藤諦三/PHP研究所/p20)
「事実は人によって重みが違う。自分を傷つけた言葉は、相手にとってどうでもいいことかも知れない。」
(出展:自分に気づく心理学/著:加藤諦三/PHP研究所/p10)
馬を水辺に連れて行くことはできるけど水を飲むかどうかはその馬次第
* 自分だけの時間を作り出すようにする
* 他人からの評価をあまり気にしない
* 自分が無理をして他の人を喜ばす必要はない
* 自分の不満は自分自身で解決する
* 伝え方には細心の注意を払う
* 自分の悩みを明確にする
* 自分と相手の問題を切り離す
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Posted by ブクログ
あなたの目をいつも過程に向けていなさい。
自分は中学生から勉強の競争社会に晒されていたこともあるが、何か結果のみ追い求めている風潮があった。この言葉は過去の自身を認める上で、そしてこれから自分の自己肯定感を高める上で大切な言葉。
「私には私の生きた方がある」
ここ最近自分がテーマにしていることであり、その背中を強く押してくれる。人と比べない、自分の人生の使命を見つける。
自分に思いやりがないと人を思いやれないし、自分を愛せないと人を愛せない。自分を信頼できないと人を信頼できない。
欲の反対は情熱であり、内なる情熱を頼りに自己実現を目指していく。そこにシフトするためには最初は莫大なエネルギーが必要だが、必ずやらなければならない。
自己実現の心構えについて説いている一方で具体的な手法が書いてない点がやや残念ではあるが、自分を見失った時にまた読み直したい1冊。
誰もが幸せになれるわけではない。そこにはどうしようもない力が働いている。しかし、誰もが偉大な人間にはなれる。
「人は幸せになるために生まれてきたのではない。自らの運命を成就するために生まれてきたのだ」 -
Posted by ブクログ
テーマはとても興味深く、まさに自分が長く悩んでいることだ、と期待値が高すぎたのかもしれない。
全体的に痒いところに手が届かない印象だった。
前半を読んで、なるほど、自分にも当てはまる節があるなと感じていた。しかしそういう人がどうしたらいいのかという具体的なハウツーはなかった。
方法ではなく、もっとふわりとした意識上の話で終わっていた。
意識を変えることが大切なのだとは思うが、何をしたらいいのかまではなく指南書という感じではない。それを期待して読んだため、私自身とのギャップが生まれた。
ただ根本的な考えは自分自身に付与することができたので、どう動くかは自分で考えてみることにする。 -
購入済み
アプリ
知り合いがこちらを読んで、よかったと言っていたので、本で探しましたが見つからず、こちらで購入。
ですが、アプリでのみの閲覧で、プラウザで読む事が出来ない事を知らず購入。
まだ読まずにいます。残念です。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ甘えることはみっともないことと、生真面目な人は思っている。甘えの欲求が激しいにもかかわらず、甘えを自らに禁じて生真面目に振舞っている人間には、人間としての魅力が無いのである。
相手が常に自分の期待通り動くということを求めているのが甘えである。
日常生活で単純な事実を言うと、それを自分に対する攻撃と受け取る人は多い。単純な事実に触れること、あるいは単純な希望を述べること、それらのことがその人には文句と感じられる。
人は自分の自然の感情で生きることができれば、そう心の空虚さに苦しむこともないであろう。自然の感情で生きられず、作られた感情で生きるから、生きていることに意味を感じられなくなるのである。自分がどこで自然の感情を見失ってしまったか、反省してみることである。あなたは自分の自然な感情に罪悪感を持っている。だからつくられた感情を脱することができないのである。いろいろな領域で次々に何かを達成することで生きようとするよりも、自分の自然の感情と、何とか接触しようと心がけることであろう。
私は白昼夢によって自分の満たされない甘えの欲求を間接的に満たしているのだ、ということを理解した。私の心の底にある満たされない愛情欲求が、私をあのような白昼夢にひたらせているのだと分かってから、白昼夢に浸ることもなくなった。食欲や性欲がどうしようもなく肉体にあるように、心理的にはどうしようもなく甘えの欲求がある。
そこにいるがゆえに不満なのではなく、その人の心の中に問題があるがゆえに、どこにいたとしても不満になっている人はほっておくほうがよいと書いたが、困ったことに気持ちのうえではほっておけないというのが幼児性を残した大人である。自分の気持ちがそのようにして近くの他人に絡んでいってしまう人は、まず自らの幼児性を反省することである。自分の気持ちが相手に絡んでいってしまうことを思いやりというような言葉で正当化していると、いつになっても思いやりのある人間にはなれない。思いやりを持つためにはまず相手を理解しなければならないであろう。しかし自分の気持ちが相手に絡んでいくときは、決して相手を理解しようというのではなく、自分の思うように相手の気持ちを支配しようということにしか過ぎない。
怒ったら罰せられる、この感じ方によって生きることが地獄になってしまった神経症の人のなんと多いことか。
心に葛藤のある人は他人の心を理解できないということは大切な点である。心の葛藤のない素直な人は、他人の心を理解できるということでもある。他人の心を理解できるということが心の健康な証拠でもある。
他人があなたを好きになった時、あなたは欠点まで好きになったということではない。その他人にとって好きなあなたの嫌いな点にしかすぎない。
自分が心の底で自分に満足していないということに気がつき、自分が自分に満足できるようになれば、他人もまた欠点のある自分に満足しているということが自然と感じられるようになる。
たとえば子供をきれいな景色を見せにどこかへ連れて行ってあげる。これは子供に表現された直接の愛である。しかしこのとき子供は別にきれいな景色を見に行きたくないかもしれない。いや行きたくないというより、おもちゃで遊んでいたいかもしれないし、友達とピンポンをしていたいのかもしれない。そんな子供の心を無視して、連れて行ってやることもできる。そして自分は子供のことを考えてやる良い親だと思うこともできる。しかし、例えば子供が欲しがっているノートがあったとする。そのノートはなかなか普通の文房具店ではみつからない。もうメーカーで生産をやめてしまっている。でもたまたま子供がそれを欲しがっている。その時、そのノートをさがすことに、陰でどれだけ努力をするかということが間接的な愛の表現である。あそこの店にいったらあるかもしれない。もしかしたらあの人に聞いたらどこにあるかわかるかもしれない等、いろいろさがすことである
それを忙しい中でも忘れないということが間接的な愛情表現である。
他人に対する自分の態度、他人に対する自分の感じ方、自分に対する自分の感じ方を変えることができてはじめて、心理的離乳は完成したといえるのではなかろうか。そうなって初めて本当の自分になれたと言える。
いつも自分を守ることを考えていないと不安になってしまうので、ついつい防衛的になってしまうが、他人のことを考えれば、他人がそれほど自分にとって脅威にはなっていないことがよく分かるであろう。他人を自分にとって脅威にしてしまうのは、ほかならぬ自分の防衛的な心の姿勢なのである。他人に対する思いやりができてくれば、他人はそれほど自分を傷つけはしないし、他人は自分を傷つけるだけの力を持っていないということもわかってくる。他人は他人でしかないのである。他人に心を開くと、そのことが分かってくる。他人の行為を感じることができるというのは要求ではない。他人が他人の自発性において自分に好意を持っているということが感じられるということである。
心理的に成長するには好意が必要なのに、好意の必要な人が、他人の好意を感じることが難しいのである。心理的に成長した人は他人の好意を感じることができる。それだけにある人々にとっては大変難しい心理的成長が、別の人々にとっては気付かないうちに達成できてしまう事なのである。
愛情欲求が満たされていれば、他人から良く思ってもらうなどということはそれほど重要なことではない。よく思ってもらえればもらえたで、それはありがとうということであって、それ以上の価値は自分にはない。
まず自分を大切にすることを心掛けることである。自分を大切にするということは、自分にやさしくするということである。自分が自分に対してやさしい母親のようになることである。自分が自分の理解者であり、自分の保護者になろうとすることである。決して自分に対して批判的になってはいけない。
他人の期待にこたえられないのが怖くてあなたは勤勉に頑張っている。それが何よりもあなたが愛情欲求不満である証拠だ。愛情欲求不満でない人も、他人の期待に応えようと勤勉に頑張る時がある。しかしそれは期待に応えられないことが怖いからではない。それはあくまで他人への愛情である。
情緒的に成熟した人は、ある人が自分に優しくするという行動をとった時それを許す(ここ一番重要!)
救ってくれと叫んでいる者は、どう生きてよいかわからないのである。「これ」で生きていけるという何かを求めているのである。心の満たされた者にとっては、「これ」で生きていけるというような「これ」を必要とはしない。
この本を読んで、自分の何が満たされていなかったのかということに気付いてくれればそれは十分である。