加藤諦三のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
「こころの休ませ方」と銘打っているが、どちらかというと、どうして心を病んでいるか、を書いてある本。
抑圧された憎しみのことが執拗に書いてあるので、前半部はとばしとばしに…ここまでしつこく書かなくていいのでは…
でも自分によく当てはまるなあとは思った。そういう意味で自分がなんで辛いのかちょっとわかったし、癒しになった。
なるほどなあと思ったこと。
・親子の役割が逆転する
・周囲の人に迎合するようになる
・自分の本性を否定するとエネルギーを失う
・同じ体験の解釈が健康な人と違う
・憎しみを気付かれまいとする緊張感で消耗する
・心に憎しみがあると他人に心を開けない
・幼児的願望を満たしてくれなかった親
・人間の基礎づくりの時期に土台がつくれなかった
・大脳新皮質と扁桃核の回路に損傷がある
・うつ病者の脳は年寄りと同じ
・惨めな人間関係の牢獄から逃れよう
・面白さを感じる心の能力が欠けている -
Posted by ブクログ
この本は、「うつ」になりやすい人の考え方や価値観や人間関係の在り方などについて、その特徴を述べているものです。筆者は、東京大学および東京大学大学院を修了し、ハーバード大学で準研究員をされ、現在、早稲田大学名誉教授であられる方です。
この本の中核になっている理論は、下田光造の「執着性格」とテレンバッハの「メランコリー親和型」がベースになっています。これらの理論はどの本にもよく紹介されていますが、うつ病になりやすい病前性格として「几帳面で、完全主義で、徹底的で、義務感・責任感が強く、競争心をもって目的を達成しようとする」とまとめられます。
このように、これらの性格を見てみると、日本では古く昔から社会的には良いとされてきた性格特徴であると言えます。ただし、この本では、こうした性格が問題ではなく、その背景にある動機に焦点を当てています。すなわち、「皆から嫌われたくない」「他者から認められたい」などのように、こうした動機がうつの問題に関わってくると論じられています。
また、筆者はこの本の中で、筆者が若い頃は本当に生きるのが苦しかったと述べています。その当時のことを振り返ると、普通の人よりもはるかに苦しんだと筆者は述懐しています。こういう筆者の背景もあり、この本は、筆者が若い頃の自分に叱咤激励しているように感じる部分があります。
そういう意味では、うつの傾向がある人がこの本を読むと、非常にストレートに表現されているために、その言葉の一つ一つが突き刺さってくるように感じられると思います。はっきりと断定的に述べられており、筆者にとっては非常に真実性を帯びているものになっています。わたしが読み終わった後は、何となく叱咤激励されている気持ちになりました。 -
Posted by ブクログ
直接間接問わず、自分が関わった仕事やプロジェクトがうまくいかない、もしくは失敗すると、自分にその非が無いにも関わらず、自分の所為にしてしまう。必要以上に、あるいは人から『余計なこと』『何でそこまで?』と言われるくらいに自分を責める。
自分がしっかりしなかったから。ちゃんとしたフォロー体制を自分が敷いていなかったから。そこまで自分を責め立てると、かえって周囲の人間は自分で自分を責め続けるその状況に、うんざりしてしまう。かえってひかせてしまう。
そんな、自分の悪癖とも言うべきところを冷静に見つめ、直したい気持ちもあり、本書を手にしたのですが、予想していた内容とはかなり違っていたみたい…
本書は、第三者にそのような意図が無いにも関わらず、その第三者の一言一言、一挙一投足が、即座に「自分を責めている」と思いこんでしまう。それが積りに積って、はけ口をどこに見つけたらいいかを彷徨っていても見つかるわけもなく、結局は、漏れ出した暗黒の部分が残酷な結果へと引き金を引く。
「殺すのは、誰でもよかった」と。
文体は読みやすかったのですが、如何せんくどい。
「『被責妄想』となった人は、子供のころから、『弱者への攻撃』という名目で親(ほとんどの場合)から陰湿で粘着質な攻撃を受けていたこと」「責められることに対するストレスのはけ口を見いだせないまま大人になり、責められることが日常化すると、他者の言動全てにおいて自分を責めているように感じること」「他者のいかなる言動にも素直になりきれず、歪んだ解釈をした結果、良好な人間関係構築が出来ず、しまいには物質的暴力に及んでしまうこと」。
非常に簡単にザックリとまとめてしまうと上記のようになりますが、この内容だけで書籍の半分を占めているように見えまして。まるで催眠術をかけられているかのように、繰り返し繰り返し記述されているのです。
もしかしたら、本書を購読している、正に本当に『被責妄想』の症状にかかっている人に対し、これでもかというくらい自覚を促すことをしなければ、本当の意味で、自分の症状を理解できないのではないか、とも思いました。神経系ないし肉体への作用・症状に関することはほとんど触れられず、小難しい理論や単語も使用せず、精神的な作用が淡々と述べられているのみ。
そして最終章は、『被責妄想』だと思った人は、一旦立ち止り、己の今の状態と周囲の状態をよく観察し見極め、本当に自分は責められているのか、という自覚を促すこと。これが非常に難しく、人によっては数カ月から数年もかかる、ということ。それはそうかもしれません。子供の頃から『被責妄想』の火種を植え付けられ、そのまま成長してしまったのですから、簡単に鎖が断ち切れるわけではない。何しろ、自覚すらしていないことも考えられるのですから。
これまで起きた痛ましい事件の数々。その根幹となるのが、加害者の中で積りに積った『被責妄想』の塵の山。しかし、たとえ加害者がそれまでどのような人生を送っていたとはいえ、被害者にとっては大切な人を奪われたという事実には変わりなく、加害者に恨みを抱いてしまうことは吝かではありません。
しかし、実際に被害を被っていないその他大勢の人は、傍観者よろしく安易に加害者を責めるのにはちょっと待ったをかけます。勿論、安易に同情の余地を挟むこともしませんが。
被害・加害の関係から一線を画した人間であればこそ、冷静に、何故そのような事件が引き起こってしまったのか、その背景は何なのかを、きちんと見極める必要があるように思うのです。
だって、これから先、私たちが彼らと『同じこと』を全くしない、という保障はどこにも無いのですから。 -
Posted by ブクログ
筆者は、他人との人間関係を自ら進んでぶち壊しにする人の心理と自分からぶち壊しにすることはしないが孤独になっていく人の心理との共通性を、「被責妄想」というものに求める。筆者の言う「被責妄想」とは、常に他人が自分を責めているという感じ方であり、そのような感じ方をするように仕向けられた境遇で育った者は、そうでない者からすると何の変哲のないことでも、神経を研ぎ澄まして不安と闘いながら生きてしまう。そのような状況にある者が出来上がる仕組み、その者がその状況を打破する方法などが書かれている。
言われてみれば、そうかも知れないという気になることを延々と書いている。文章自体はつながりが曖昧で読みにくい。 -
Posted by ブクログ
人がマイナスの発想をするのは認めてもらいたいから。愛情飢餓感。
プラスの発想をすべきだいえば相手は不愉快になるだけ。
惨めさを訴えることで憎しみを表現してる。
直接相手を糾弾するようなことはいえないからね。
なぜ、不幸な状況にしがみつくのか。
私は幸せと思ってしまえばいままでの苦しみの意味がなくなるくと感じるから。
不幸を訴えることで周囲の人を責めているから。心の憎しみが消えていないから。
自分が幸せとと認めたらもう周囲の人を責められないから。
周囲の人に責任をとってもらいたい。
憎しみの行動に出られない人は不幸にしがみつく。
私は不幸だ=私を愛して
自分の人生が辛いかぎり愛を求める正当な根拠があると思える。
不幸せの中にいることで癒されている。
幸せになるためには憎しみの感情が取り除かれなければいけない。
憎しみを人に気づかれまいとする緊張感で消耗する。
まじめな人はまじめであれば幸せが手に入ると勘違い。
自分を出すこと。
人は自分を出してしまったほうが愛される。
憎しみのうえ、さらに自分の人生を生きていこなかったという悔しさ、虚しさ孤独感がある。
人のためだけに生きてきたというやりきれなさ。
自分の自身の目的を持て。
イライラするのは長いこと自己実現していないから。
自分はこう生きようと考えることなく、人に認めてもらいたいということばかりに気をとられて生きてきたから。
搾取される人間関係
人はどんな不利益なことでも長くそれに従っているとそれが当たり前となり、それがないと自分が不確かになる。
自分を搾取している人をその人なしにいきることはできないと錯覚してしまう。
そういう人に執着してはいけない。切れ!
過去にこだわる理由。
過去の失敗をいつまでも悔い続けているとき、悔やむことで失敗の免罪を得られると思っていいるから。
憎しみの感情の吐露。
今を生きる。今に焦点。
人にこうしてほしいという願望を捨てれば幸運がくる。
自分の城をつくれ。
居場所。会社の役職だけではない。