あらすじ
生きづらさは卒業できる
自分を責めるのはもうやめよう
ありのままの自分で生きるための心理学
手に入らない成功、不本意な評価、漠然とした生きづらさ――「自分は生き方をどう間違えたのか?」と悩む人は多いだろう。その原因は、実は、不安や怒りにまかせて他人を責めてしまう「外化」という心理メカニズムにある。
それによって、あなたは自分をごまかし、人間関係を歪め、自分で不幸を引き寄せているのだ。
「外化」の罠から抜け出せれば、ほんとうの自分を取り戻し、もっと楽に生きるための道筋が見えてくる。
人生相談のカリスマが贈る、満足のいく人生を送るための心理学。
(目次)
自分の不幸の身代わりを探すな
・外化とは、自分が感じていることを他人を通して感じること
・他人の善意をそのまま受け取れないひねくれ者
・自分が一番嫌いな人に、あなたは似ているかもしれない
・他人を責めるのは、自分自身に失望しているから
・お金を持っているのにノイローゼになる人たち
・スキャンダルやデマを信じたいという心理
・他人の何気ないひとことは気にしなくていい
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
テレホン人生相談の加藤諦三先生、もう何冊読んでいるか…それなのに自分は変われているんだろうか…?
他人を認められないのは自分に原因があると、頭では理解出来るんだけど生活の中で起きた出来事だと渦中になってしまって俯瞰して対処できない。
愛情不足、自己蔑視、みんな認めてステップアップできたらいい…。
Posted by ブクログ
<ポイント>
・まずは、ありのままを受け入れることから始める。
・「理想の自分」と「実際の自分」に乖離が生じるということは、自分の願望と現実の自分との乖離であり、また自分が自分自身を受け入れられていないということである。他人に対する怒りは、自分の欲求が妨害され、心の傷を負ったときに生じる。
・他人の評価に依存しなくていい。心理的に不健康な人は、「自分がどうあるか」よりも「他人が自分をどう見るか」のほうが重要になる。
・「べき」論は捨てたほうが楽。
・自分に対する自分自身への怒りは、第一にイライラとなって表れる。第二に怯えであり、第三が身体の不調である。
・理想の自分への執着も手放す。
・相手に期待に沿おうとして頑張ることが、いかに愚かか。
<ピックアップ>
〇亀が自分が固い甲羅にもあるし、長生きもできるし、水の中で生きることもできるのに、ウサギと陸で競走するから幸せになれない。人間は自分の持っている「これ」をおいておいて「あれ」も欲しいと言う。なぜ自分は「これ」があるのに「あれ」も欲しがるのかと考えた時に自分が見えてくる。自分が「毎日生きている意味」を感じていれば、「これ」があるのに「あれ」も欲しいとは思わない。モグラは空を飛びたいとは思わない。モグラにとって空を飛ぶことは自由ではない。だから、モグラは生き方を間違えない。人間は色々な心理から生き方を間違える。中でもこの外化(自分が自由に空を飛びたいという願望を鷲に外化しただけ。大空を飛べる鳥は実は自由ではない。生きるために飛ばなければならい。人間は、鷲を通じて自分の願望を見ているだけである。私たち人間は世界を勝手に解釈して、勝手に世界を見ている)という心理は重大である。
〇自分を認めることができない人は、他人を認めることができない。認めてもらいたい、でも認めてもらえないて、自分が自分自身に不満である。時には、「認めてもらいたい」という欲求から「認めてもらわなければならない」という必要性にまでなる。認めてもらえなければ、焦る。思うようにならない自分を自分が憎む。自分はよく働く人間ではない。そのことを認められない。
〇自分は業績を上げられないとその証拠を出さなければならない。そのため、部下などを見つけ、自分の心の中のものを外化する。自分の中の気持ちを部下に外化し、部下を批判する。つまり、業績を上げられない自分を憎んでいるが、できない部下がいるから自分は業績を上げられないとなる。
〇自分の失敗を認めることから始める。非難する他人がいなければ、心のバランスを回復できない。自省を拒み、自分の心を全面的に外界のせいだと考える。「人が自分を助けてくれないから私は幸せになれな」と言いながら、他人を憎んでいる。
〇自分の心の葛藤から目を背けない。心の底には劣等感がある。心の底では、実際の自分は、自分がそうでであると主張している素晴らしい自己像とは違うことを知っている。
〇望むようにことが運んでいない。イライラする。その原因は「あいつだ」と非難することで、自分の心のバランスを回復する。
〇欲求不満な人、憎しみの塊のような人、そういう人は憎しみを外化して、他人を歪めて解釈する。他人をあるがままにみられる人は、心理的に健康な人である。
〇例えば「あのブドウは酸っぱい」という人が自己嫌悪な人である。本当はそのブドウが欲しくて、心の底ではそのブドウが甘いことを知っている。しかし、それを認めることができない。これは合理的であり、現実否認の結果。本当は社会的に成功したいと願っているが、成功できない。だから、「社会的に成功することなんてくだらない」と言い出す。社会的に成功できない自分を憎むのである。
〇まずは、ありのままを受け入れることから始める。自分が理想の自我像に達していないから、人と自分を比較する。優れた人に劣等感を抱く。実は深刻な劣等感のある人は、他人と自分を比較しているのではなく、心の中で理想の自画像と「現実の自分」を比較して劣等感に苦しんでいる。それを他人に外化して、他人を通じて感じているだけである。外化は相手の現実を認めない。自分の現実も認めない。それは自分にとって重要な他者が、自分の現実を認めてくれなかったからである。
〇心の葛藤の解決が優先順位一位。
〇失敗を許せないという感情は、自己嫌悪からきていることが多い。自己嫌悪を外化するために、他者を責める行為が繰り返されることがある。
〇「あいつが悪い」という言葉は、不快心理的な背景があり、その言葉が意味するのは、「助けてほしい」という心の叫びである。
〇いつまでもいつまでも、しつこく相手を責め苛むのは、相手に問題があるのではなく自分の心の葛藤が問題だから。
〇感情的になる人は何か不都合なことを抱えている。
〇執着する人は、その執着するものがなくなれば、自分が自分ではなくなってしまう。だから執着するのである。名誉に執着する者は、名誉がなければ自分を感じることができない。お金に執着する者は、お金がなければ自分を感じることがない。
〇自分が自分自身を憎んでしまった人には、当然の理由がある。しかし、人が幸せになるためには、それを乗り越えなければならない。
〇誰もその人に「偉くなってほしい」と期待していないのに、自分が偉くならないと気が済まない。それが内的強制。そうしないではいられないという強迫性が、内的強制である。それは自分の心が「『べき』の暴君」の支配にゆだねられている状態である。
〇不満な人ほど相手を悪く解釈する。空腹時には相手を悪く思う。人は自分が満足していなければ、なかなか人にやさしくなれない。
〇自分に満足している人は、それほど人を悪くは言わないし、社会に対してそれほど不満を言わない。自分が自分自身を憎んでいるのに、他人が自分を憎んでいると思う。
〇「理想の自分」と「実際の自分」に乖離が生じるということは、自分の願望と現実の自分との乖離であり、また自分が自分自身を受け入れられていないということである。他人に対する怒りは、自分の欲求が妨害され、心の傷を負ったときに生じる。
〇他人の善意をそのまま受け取れないひねくれ者。例えば、私が病気で休校の連絡を大学にする。それが本当でも、きっとみんなは自分が怠けて休校にしたと思うだろうと推測してしまう。あるいは、自分が自分を蔑視していると、自分のしたことを相手は感謝していないのではないかと不安になる。そこで、「自分がこんなにしているのに、その態度は何だ」と相手に不安を感じる。実際、相手はこちらに感謝している。しかし、感謝していないと感じてしまう。自分が自分を馬鹿にしていることを外化すると、相手が自分をバカにしているのではないかと感じてしまう。自己蔑視を外化すると、相手の感謝の気持ちを感じ取れなくなる。
〇他人を叩く行為は、それでしか自分の人格を保てない証拠である。自分が間違っていることを心の底では知っている。しかし、その自己憎悪を外化して「お前は間違っている」と叫ぶ。相手の人格を否定することでしか、自分の人格を保てない。男として自信のない男が女を軽蔑するのと同じである。男として自信の名男は、男尊女卑でなければ男としての自分を維持できない。自己嫌悪に苦しむ人は、自己嫌悪を外化して相手の価値を全否定することで、何とか自分の心の平衡をいじしようとする。
〇他人の言葉で自分の人生を決めるな。自分を尊敬しない人間は、他人に自分を尊敬するように仕向ける。そうすると、引き受ける必要のない役割まで引き受ける。他人が不当に重要になる。自分の人生がより変わるかまで他人によって決められるようになる。これは自己消滅である。
〇人間はある感情を抑圧すると、その感情に生き方、感じ方を支配されてしまう。敵意を抑圧すると、その敵意に自分の人生を支配される。怒りの処置を誤るということは、生き方を誤ることにもつながる。
〇自分は気が小さいことを認められない人が、「あいつは気が小さい」という。気が小さくない人を、気が小さいとしつこく批判することで、自分の心の葛藤を解決しようとしている。
〇自分が一番嫌いな人に、あなたは似ているかもしれない。悪口ばかり言っている人からは幸運が逃げていく。
〇他人の評価に依存しなくていい。心理的に不健康な人は、「自分がどうあるか」よりも「他人が自分をどう見るか」のほうが重要になる。自己蔑視している人は、感情的恐喝に弱い。つまり、「え、これをしてくれないの?友達なのに」といわれると、どんなに不当な要求でも呑んでしまう。自分が自分自身を見下げていると、他人からの虐待を許してしまう。
〇外化とは、自分の思うようにならない自分自身に対する怒りがまずある。実際の自分と理想の自分との耐え難いギャップがまずある。その実際の自分に対する怒りを、外にぶつけるのである。投影とは、まず外の対する怒りがある。その怒りを意識から抑圧する。それを他者に投影する。
〇他人を責めるのは、自分自身に失望しているから。
〇自己嫌悪を外化すると、現実の問題から目をそらし、自分の苦しみの原因を他人に求めるようになる。
〇自己蔑視している人は、心に壁を作りながらも、ずるい人に無防備になる。そこまでへりくだる必要もないのに、へりくだってしまう。
〇「べき」論は捨てたほうが楽。もっと活躍しなければという気持ちと実際に活躍できていない自分んを考えると面白くなく、不満を感じ、自分に対する怒りを感じる。このイライラは、内的強制という、心の「『べき』の暴君」に支配されている心理状態である。なんとなく責められているような気がするのは、自分の生き方に自信がないからである。どこかに、自分をごまかしながら生きてきたというやましさがある。立派に生きている人に会うと、自分の弱点を無意識に感じる。その結果、心が「『べき』の暴君」に支配されてしまう。
〇自己嫌悪の根底には、自己に対する深い嫌悪感がある。自分を憎んでいるからこそ、他者の目を通じて自己を評価してしまう。自分を愛せない、許せない感情が他者への攻撃や反応につながる。
〇自己受容できないので、自己憎悪が生まれる。自己受容できないということは、自分を取り巻く現実を自分が受け入れられないということである。
〇例えば、「この会社でもっと活躍したい」と思っているが、思っているほど活躍できない。そのため、現実の自分を受け入れられない。活躍できないのは、「妬み深い上司がいるから」と考える。「かくあるべき」の自分に執着することは、実際には現実の自分に対する深い憎しみからきている。この「なりたい自分」を実現できない現実に苦しみ、自己嫌悪が生じる。自己嫌悪を外化することで、様々なトラブルが発生し、最終的に人間関係に悪影響を及ぼす。
〇自己嫌悪に苦しむ人は、自己嫌悪を外化して相手の価値を全否定することで、何とか自分の心の平衡を維持しようとしている。
〇怒りっぽい人は、実際の自分と理想の自分とのギャップに苦しみ、実際の自分に起こっている。不満も同様。会社で不愉快な思いをしている。会社の仕事が面白くない。自分は世の中の脚光を浴びr仕事がしたい。そういう自分であるべき。しかし、実際はそうではない。実際の自分に不満がある。
〇あの人はすぐにかっとなるのか、それは、自分に対する怒りが外化しているかもしれない。
〇怒りを外に向けても何も生まれない。体調を崩すときには、頑張っているのに思ったように事が運んでいないときである。
〇愛情飢饉感が強いというのは、現実の自分と理想の自分が乖離している心理状態でもある。十分に愛されたということは、そのふたつの「自分」が乖離していないということである。この人は「家族のものが私の思い通りにならないととても腹立つのです」といっているが、そうではない。自分が自分自身に「とても腹が立っている」のである。
〇人は自分を受け入れる程度にしか他人を受け入られない。人は理想の自我像と現実の自分とのギャップに苦しみ、その結果、自己蔑視や怒り、内的強迫性が生まれる。これが他者へのプレッシャーとして外化され、他人を軽蔑したりいかったりする原因となる。自己へのプレッシャーを解決するために、外的プレッシャーをかけることになる。理想の自我像を実現しようとするあまり、子供は「もっと、もっと」と焦り続ける。どんなに努力しても終わることのない「もっと」が続き、理想に近づいても、その距離はさらに開いていく。これは強迫性であり、親の劣等感が外化された結果である。親は自分の理想の自画像を実現できなかったため、その劣等感を子供に押し付ける。
〇自分が自分に不満な時に、学校に不満になる、社会に不満になる。自分に対する不満を、外側のものを通じて感じる。自分に対する不満の外化である。
〇その人が幸せだから「生きていればよいことがある」という。良いことがあったから幸せなのではない。
〇「こうなりたい」という願望があまりにも強くて、「理想の自分」への執着を捨てられない。どうしても「実際の自分」を受け入れることができない。もっと集中しなければ、もっと成果を上げなければと焦る。どうにかならないかと焦る。自分でも「焦っていても、どうにかなるものではない」と頭でわかっている。しかし、気持ちは焦っていよいよ手が付かなくなり、強迫感がある。その強迫感が、不安な緊張といわれる。リラックスできないのは、この強迫感があるからである。「リラックスしよう、リラックスしよう」としても内的に脅迫されているからどうしてもリラックスできない。
〇おそらくそこまで「こうなりたい」という願望が強いのは、小さいころに深く心が傷ついているからである。その小さいころからの心の傷を、名声や権力で癒したいのである。
〇自己嫌悪をしている人はよく人の悪口を言う。何かいい計画があっても、全て自分をえらくみせるために反対をしているに過ぎない。
〇自分が自分自身の欠点に怒っているのに、他人が自分の欠点を怒っていると思う。だから他人を恐れる。それが、自分の弱点に対する自分自身の怒りである。この自分の弱点が相手を怒らせないかと恐れている。つまり、自分に対する自分自身の怒りは、自分に対する神経症的要求が通らないときに生じるものである。それは完全に理想的でない自分に対する自分自身の怒りである。自分が自分自身の欠点に怒っているように、他人も自分の欠点を怒っていると思う。自分が自分自身に課した基準を、他人も自分に課していると思う。
〇自分に対する自分自身への怒りは、第一にイライラとなって表れる。第二に怯えであり、第三が身体の不調である。外では第二の特徴の「怯え」が表れ、従順になる。家では、第一の特徴の「イライラ」が表れている。外では、自分の弱点が相手を怒らせているのではないかと恐れて、いつもビクビクして、相手の言うことに、迎合していく。
〇いつもイライラしている人は、実は現実の自分に対する自分の怒りだからである。人が少しでも自分の思うように動かないとすぐにイライラする。それはそれの人にイライラしているようであるが、実はその他者にイライラしているわけではない。現実の自分に対する怒りを、他者のふるまいを通じて感じているに過ぎない。だから、世の中の動き一つ一つにいつもイライラしている人がいる。
〇自分自身に対する怒りであれ、他人に対する怒りであれ、怒りを抑えていると様々な肉体的な不調となって表れる。
〇人は欲求不満な時ほど、相手を悪く解釈する。
〇人は、もともと我々自身の中にある恐れや怒りや煩悩を他人の中に見る。自分の不幸を自分のせいではなくて、他人がその責めを負うべきだというのだる。要するに、自分の不幸の身代わりを探す。身代わりを探すことはノイローゼの特徴。
〇「お前はうそつきだ」と非難する人は、その人自身が嘘つきということが多い。
〇穏やかな人は、欲求不満な人ではない。よほど情緒的に成熟した人でない限り、普通の人は欲求不満になればどうしても攻撃的になる。相手の幸せが許せなくなる。幸せな人を妬む。
〇なぜ他人を決めつけるのか、それは、自分はいつも正しくなければ、気が済まない人だからである。自分がみんなから称賛されたい、いや称賛される心理的必要性がある。その時に、ある人が自分を非難する。そこで、「あいつは酷な人だ」と決めつける。つまり、自分の神経症的自尊心を満足させるためには、「あの人は酷な人」と決めつける。
〇相手に期待に沿おうとして頑張ることが、いかに愚かか。相手に期待に応える生き方をしない。自己嫌悪や自己不満を外化すると、「○○さえなければ」という言い訳から始まる。「あの妬み深い上司さえいなければ私はもっと働くのに」ということ、「あの上司さえいなければ」と思ってしまうということは、自分が望むように社会的に成功できていない、その現実を受け入れられないことが、自己受容できない。その現実をもたらした理由として、「相手が悪い」と考えたくなる。そこで、「あいつさえいなければ」と結論に至る。そのため、自己憎悪している人は現状に不満を抱くことが多い。一方、現状に不満を持ちながら自己嫌悪していない人は、「さえなければ」と考える前に、自らを変える努力をしている場合が多い。
〇怒りを手放して、心のゆとりを得よう。怒りとは、「自己蔑視」と「自分に対する怒り」に起因するところが大きい。理想の自分を内面化しなかった人は心のゆとりがあり、副交感神経が活発である。自分が満足するためには、自分はみんなに沿うん刑されなければいけない。でも尊敬されていない。そこで、「現実の自分」に対する怒りが常時ある。
〇内面化されてしまった「かくあるべき」自分への執着は、現実の自分に対する自分の憎しみである。どうしても「なりたい自分」がいる。しかし、現実にはそういう自分になれない。そこで自己憎悪になる。その自己憎悪を外化する。そこで様々なトラブルが発生する。「かくあるべき」自分に執着することは、人間関係に影響を及ぼす。
〇自分が自分自身に批判的な時に、他人が自分に批判的と感じる。良い人間関係を通るためにはまず相手を理解しなければならない。自分の感情を外化する人は、相手を理解できない。外化する人は相手を正しく理解する能力を完全に失っている。
〇理想の自分への執着も手放す。
〇ありのままが嫌ならば、死ぬしかない。そのくらい現実を受け入れることはつらいこと。
〇理想と現実の乖離をなくせば不安も消える。自分の自分に対しる態度を変えることである。自分が実際の自分より立派であるという「ふり」を止めることである。
〇自己蔑視を外化すると、他人が自分を軽蔑していると思ってします。
〇自分が変われば他人も変わる。
〇自分が自分自身の欠点に怒っているのに、「他人が自分の欠点を怒っている」と考える。だから他人を恐れる。
〇他人の何気ない一言は気にしなくていい。
〇深刻な自己蔑視に苦しんでいる人は、その深刻な自己蔑視の苦しみから逃れるために、他人が軽蔑すべき人間であることを必要とする。苦しみから逃れるために自分が他人に優越する必要性がある。
〇心理的に強い人間は決して理想の自我像に国執しない。自分が理想の自我像に達していないと感じた時、人は他人と自分を比較する。その結果、優れた人に対して劣等感を抱く。理想の自分に執着しすぎると、強迫感を感じる。その結果、もっと集中しなければ、もっと成果を上げなければと焦り、強迫感が、不安や緊張を生む。
〇自分が自分自身と良い関係になれば、外側の環境が同じでも、その人はしばしば満足する。自分が自分自身と良い関係になるということは、自分が自分自身を受け入れているということ。
〇他人は、こちらの欠点を見つけようと身構えているわけではない。他人は自分を批判しに来ているわけではない。