岸見一郎のレビュー一覧
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嫌われる勇気と比べてしまうと物足りない。
寄せられた悩みを対し、アドラーでお馴染みの岸見が答えていく。
悩みは、似たような事を抱えている人もいるだろうなと思うものが結構多い。
読んでみて、自分もそうだと思えるものがあるのではないでしょうか。
その答えで新たな視点を持つことが出来たり、解決になれば良いかと思います。
一番印象に残ったのは、可能性の中に生きる事を止めるという話。
悩んでいるのは決断しないから。
決断しないのは、可能性の中に生きたいから。
可能性に生きるのをやめて、飛び込めば結果が見える。
結果が見えて力及ばない事があれば、努力して知識を身につければいい。
あー、本当に真っ当すぎて心が痛い。
そうなんだよな。
そろそろ決断しようか。 -
Posted by ブクログ
人生論ノート再読前テキストとして。
2017年が、三木清生誕120年にあたり、NHKで取り上げられたようです。その時解説された岸見さんの著書。ということは、後5年で130年ですねえ。
著者と同じく高校の時の何かの課題として手にしたことがあります。読みきれず、興味も持てずという思い出しかないような。
ネットなどなく、情報が少なかった当時、戦争中であるため、言論弾圧をさけ、発禁処分を受けないように、わざわざ晦渋な書き方をしているだけで、一般向けの作品なんだよって、誰か私に教えてくれたかなあ。知ってたら、もう少し読んだと思うのだけど。
それでも、やっぱり読みにくい「人生論ノート」これは、優しい語りで良きテキストです。
そして、岩波書店で編集顧問をしていた三木清様が、日本に文庫本スタイルを導入されたと知れば、それだけでも、尊敬に値する業績ではありますまいか。
本書は、三木の人生、人生論ノート各項目、そして死について解説し、特別章として、「孤独は知性である」が寄稿されています。最近では、斉藤孝さん等が孤独の力を書かれてます。一人でいることは孤独ではないけれど、孤独に近づく手段ではあると。
孤独は町にあり、人と人の間にあると。 -
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気になった部分の備忘録
自立の三つの条件
①自分で決められる
②自分の価値を決められる
③自己中心性からの脱却
子どもが失敗した時は子どもが責任を取る
子どもの人生に介入したくなるのは子どもを信頼も尊敬もしていないから
子どもに勉強を「させる」働きかけをすると…
親が忙しくなる。子どもが成功したことを自分の手柄、自分のおかげのように思うかもしれない。親に反発するために勉強しないということが起こるかもしれない。親の主導で入った学校を子どもが後悔した時に責任が取れない。
中学校を受験して合格したら子供の将来は約束されるわけではない。
勉強は子ども自身が取り組まなければならない課題であり、今している勉強がやがて人のために役立つ日がくるということを教えてほしい。
学ぶことの喜び、知らないことを知る楽しみを教えられてきてれば、強いられなくても勉強に取り組んでいたはず。
子どもが勉強しないことの責任が大人にあるとすれば、このような喜び、楽しみを子どもに教えてこなかったことにある。
子どもは、知識や経験は違っても、人間としては対等です。
どの子どもも叱られた時、叱った親のことを好きにはなりませんし、叱られたことを後で親に感謝するに違いないと思っている人がいれば、そんなことはないということを知って欲しい。
子どもの長所や適切な面に注目しましょう。 -
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古来さまざまな哲学者によって語られてきた孤独の受け止め方から、コロナ禍以降の現代の孤独をどう乗り越えていくか、そしていつか必ずやってくる絶対的な孤独・死をどう見つめるか…
日本のアドラー研究の第一人者であり、「嫌われる勇気」がベストセラーとなった岸見一郎さんの、2022年版アップデートされた孤独論です。三木清の著作から多く引用されています。
自分軸をもちながら、傷つくことを恐れず、仲間だと感じられる人と関係を気づいていくこと。未来も死も、「先のことはわからない」という点で同じであるならば、やはり今にスポットを当てて生きなければならないこと。好きでやりたいことがあり、やらなければ気が済まないことならば、他人の評価を気にせずやること等、あらためて大事だと感じられるメッセージがあります。
とくに頭にのこったのは、岸見さんと彼の父親とのエピソード。最初はうまくいってなかった関係が、介護を通じて向き合いながら、お互いに作用しあって信頼し合えるようになるまでの模様が淡々とリアルに描かれています。この岸見さんと父親との関係で一冊エッセイ書いてくれると嬉しいなあ。 -
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ネタバレ本書は私憤と公憤に関する本である。背景として「コロナ禍でオリンピックが強硬開催された」という事実に目を向けている。
他者に意見を合わせることを是としてはいけない。本書の趣旨はとても共感できる。全てを疑ったうえで最善を選択することは大事である。
一方気になることがあるので以降はどちらかというと本書に対するコメントとなる。
個人的に言えばオリンピックがあのカタチで開催されたことは良かったことだと思っている。あの時に判断されたこと、やったことはその後の人が集まるイベントの在り方を大きく変えることになった。それはより良い方向になっていると思っているからだ。とはいえそれに払ったコストは大きすぎるのだが。
話を戻す。歴史を考えると間違った判断というのは何度かなされてきた。紐解けば個別最適という善意が繰り返された結果である。
本書ではこれはおかしいと解く。仮に自分に不利益があったとしても異を唱えよということである。この問題意識はタフなものである。
極端な言い方をすれば、自身の生活を犠牲にしても自身の正義を為せ。そういっている訳だが本当にそうなのだろうか。
まず考えるべきは個人および集団のウェルビーイングだと思う。たしかに、不正を見ないことにすることは当人によっても辛い。だからといってそれを正面きって主張する必要もない。
まともな組織であれば企業内の不正を匿名で申告できる精度があるし公益通報者保護精度もある。それを活用すればよい。
個人的にはよろしからぬ風土があるならそれは変えることが大事だと思う。そんな組織はどのみち滅亡するからだ。自分を含め周りで認識していく。
それらの歩みは遅々として進まないという印象になるかもしれない。しかし、それをやっていく。全ての人がこの胆力を持つことの方が大事だと思う。これが集まって大きな流れになれば世界はより良く変わる。そう思う。