岸見一郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ・やっぱこういう哲学書うざいかも、こっちが上手くいかない理由を愛し方に問題があるって決めつけてくんな、あと冒頭で言ってること大体「1+1=2」くらい当たり前のことしか言ってない
・愛の関係において起きる困難は基本的に他の対人関係に起きる困難と同じとか言ってるけど違うから、恋愛における困難は性欲っていう厄介なものが混じってくるからね?
・「そもそも、誰かと競争するために人を好きになったり、結婚したりするのではないはずですが、常に人と競争して生きてきた人は愛や結婚においても勝たなければならないと考えるため、勝算がなければ愛の関係に入っていこうとしないのです。」→しんだ
・ライフスタイル=自分や他人、世界についての信念体系、思考の癖、世界の見方って捉えるんだ、ふむふむ
・不倫や二股をする理由が、負ける理由を相手に押し付けられること、選択の責任を取らずに先延ばしにできることである→理解、共感
・「相手を支配するために、最初からなんらかの意味で自分よりも弱いパートナーを探す人もいます。そのような人は、自分よりも学歴が高い人や頭のいい人をパートナーに選びません。」→いるいる、そういうやつ、だせえよな
・彼氏のためにお弁当作るエピソード読んで、いつも尽くし過ぎちゃう友達に読んで欲しいと思った
・本書に書いてる試し行為、全部幼稚すぎて共感できないんだが、世の中の人間は大人になってからもこんなことやってるのか?
・「愛はもとより勝ち負けの問題ではありませんが、自信がある人であれば、嫉妬することはないでしょう」→本当に当たり前のことしか言わなくてイライラしちゃう
・アドラー「デートに遅れるのは相手にどう思われるかとか色々考えてたら遅れちゃう」
・著者「デートに遅れることをなんとも思ってない、自分にしか関心がないから」
⇒わろた、デート相手によるやろ
・「年収や社会的地位で相手を選び自分の欲求を達成するための手段として利用することは相手を犠牲にしているのです」→そう?お互いじゃない?その人と一緒にいることを決めてるのも相手の意志だしな。
・「どんなことでも、たとえ以前は長所だと思っていたことでも短所に見え、それを別れることの理由にするのです。」→ふぅ。
・「この人は私にとって有用な人なのかと考えるのは、先に見た甘やかされた子どもの特徴といえるでしょう」→え、これ考えない人いるの?私が甘やかされたからそうなの?
・著者もアドラーも綺麗事ばっかり言っててむかつく、ほんまに自分はそんな純愛してるつもりなんか、てか本当にそう思ってんなら、もはや意識的に作った人工的な純愛やろ
・フロム「幼稚な愛は『愛されているから愛する』という原則にしたがう。未成熟な愛は『あなたが必要だから、あなたを愛する。』と言い、成熟した愛は『あなたを愛しているから、あなたが必要だ』と言う」→この言葉いいね、これ徹底できたらしょうもない喧嘩起きない
・著者「失恋が苦しいのは、恋愛をギブ・アンド・テイクで考えているからです。自分の与えた愛に対して、それ相応の愛が与えられないなら苦しむのです。」→それはもう振られてる側の前提じゃん、そうじゃない場合もあるわ
・著者、甘やかされて育った子どもに対して厳しすぎておもろい
・自立とは、決して一人で生きること、自分のことを自分だけでできるようになることではありません。むしろ「私」のためだはなく、「私たち」のためを考え、私ではなく「私たち」の幸福を達成すると言う課題に向き合えるようになることなのです。→今はあまり理解できなかったので、メモ。
・相手に関心を持たなくなる理由の一つに相手のことを完全に理解しているという思い込みがある、その事実に目を向けない→思い当たるなぁ、長く付き合うとこういう人だしなって決めつけがち
・「しかし、一人で過ごす事ができふ、一人でいても不安にならない。そんな人だけが二人でいる時間を楽しむことができるのです。一人でいる時でも集中できる人であれば、二人でいる時にも、一人でいる時のように『今ここ』に集中できるからです。」→これ、めちゃくちゃしんどい時期に、しんどいながらもめっちゃ仕事とか自分磨きに奔走してる私に対して親友が掛けてくれた以下の言葉思い出した
「はなしちがうけど、何かと(ものでも人でも)良好な関係を維持できるのは、それを手放した状態も受容できるくらい自分の土台が安定してる人だと思うんだよね
アルコールを飲まなくてもちゃんと生活できる人だけが、アルコールのメリットを享受できるように、
あったらプラスだけど、なくても0に戻るだけ、マイナスになるわけじゃないっていう、そういうものこそ健やかに大切にできると思う
人間関係含め何かが「ない」状態を受容できるほどの強さを身につけた人だけ、プラスαのものとしてその何かを受け入れて、健全に付き合っていけるはずだから、
今自分磨きに精を出して、裸の自分をより安定したものにしようとしてることは
大事なものをさらに大切にできる強さにつながっていくのではないかと思いました!」
・「最初の頃の気持ちを忘れないためには、決して慣れてはいけないのです。いつもこの人と会うのは今日が初めてなのだと思って一日を始めてみましょう。」→むずすぎわろた、でも飽き性の人にとっては大事なマインドセットかもしれない(自戒
・「しかし、愛の関係は他の関係と基本的には同じたいじんかんかいではありますが、第一章で見たような、距離と持続性の点だけでなく、身体的に引きつけられるという点においても異なります。」→これ一番最初に指摘した違和感じゃん、伏線回収
・「セックスは狭義の性行為ではなく、例えば、一方が仕事から帰宅した際に『ただいま』といい、もう一方が『おかえり』というところから既に始まっているのです。」→そうだったんだwwwwww
【総論】
・イライラ8割スッキリ2割
┗イライラのうち5割が「そんなこと知っとるわ」3割が「そんなことないわ」。スッキリは「自分がなんとなく考えていたことが明確に言語化されたことへのスッキリ」or「自分が考えていたことの一歩先の見解を得られたことへのスッキリ」。
・哲学書向いてないなって思ったけど、読んで良かったこともあった。
┗向いてないなって思った点は、主語デカ決めつけ構文を許容できない、個別化されない著者の主観混じりの意見の押し付けに終始イライラしてた。ディスカッションしたい気持ちになった。
┗良かったなと思った点は、イライラしたけど「自分がなんでイライラするのか」ってことを考えると、自分の考え方が整理された。
・この本は私よりもっと読むべき人がいると思った。メインターゲット層じゃない。
┗いつもクズみたいな人と付き合っちゃうとか、付き合うと相手をダメにしちゃうとか、束縛しちゃう人とか、そういう人が読んだ方がいい。それか、ヤリ○ン。(読んでも理解できなさそうだけど)
・これは完全に私の問題なんだけど、なんで読みながらずっとイライラしてたんだろうって考えた時に、「おじさんが恋愛語ってる」ってことが生理的に無理なんだと思う、その前提のせいで言ってること全部を批判的に捉えちゃう、恋愛に悩んでる人たちに対して俯瞰して上からアドバイスしてくる感じも無理(まぁ哲学書ってそういうものなんだけど)
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Posted by ブクログ
嫌われる勇気を読むことで得た価値観を再確認できた。
怒りは相手との関係を(特に中長期的に)マイナスにするだけであり、自分が怒らないことと、相手の怒りや憎しみや侮蔑を感じても、言われている内容にだけ注意して正しいと思うことを取り込む材料にすれば良いだけで、感情で反応して疲弊しないこと。
あらゆる対人関係の問題は、一方が他方の課題に土足で踏み入ることによって生じる。友人でも、夫婦でも、親子ですらも、相手の人生の重大な決断に介入せず、大切な相手に対しては、頼まれれば援助する意思を明確に示しつつ、相手の人生の決断を応援するところまでを限度とすること。 -
Posted by ブクログ
人と繋がらなくてはいけないプレッシャーを感じている昨今。コロナが終わったからといってコロナ前に会っていた人と再会しようと思ってもどうしてもメールを打とうという気持ちにならない。本当に会いたい人とはコロナの波の間に会っていた。
本書では、人間関係をコロナ前に戻す必要はないと明言している。会わなければという気持ちは繋がりの強制ということになる。本当にその人と会いたいから会うのではなく、人と繋がることで安心感を得たいのだ。
自分に価値があると思えればそのような支配からも解放される。そして自分に価値があると思えるのは、自分が貢献している実感が持てた時と簡潔にまとめている。
支配から逃れ自由になるためには貢献すれば良い。それは仕事で成果を出すこととは少しちがう。他者と共鳴し、影響を与えることである。 -
Posted by ブクログ
フロイト、ユングと並ぶ心理学者・アドラー。近年、彼の心理学を世に知らしめたベストセラー『嫌われる勇気』の著者・岸見一郎さんによる、数々のアドラーの著作のポイントを解説する本です。
まず、「共同体感覚」というアドラーの重要ワードが出てきます。これ、誤解されやすいとのことで、本来どういった意味なのかの解説があります。家族、学校、職場、社会、国家、人類、過去・現在・未来すべての人類、さらには生物・非生物含めた宇宙全体を指し、自分は(そしてみんなは)それらに属しているという感覚らしいです。「共同体感覚」を持つことが、神経症から抜け出す重要なてがかりのひとつともなるのでした。
また、もうひとつ重要な考え方が出てきます。それは、「ライフスタイル」です。アドラーの使う「ライフスタイル」という言葉は、世界観や自他の人間観のことを言います。「他人は敵だ」という人間観、世界観ではいけないのです。「他人は仲間だ」と思えてこそ、神経症を克服していけます。神経症とは、自分の人生の課題に取り組まないでいる状態だとアドラーは考えていて、人生の課題には、人と関わり合うことがとても大切なのでした。ですから、「他人は敵だ」と捉えていては、神経症は治らないのです。
神経症者は、人を避け、人生の課題に取り組もうとしません。また、自分にだけ関心があり、他者が自分に何をしてくれるかのみに興味があって、ほんとうの意味で他者に何かをしてあげようという気持ちはありません。自分本位なのです。
さて、以下に引用です。
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虚栄心のある人は他者の価値と重要性を攻撃する。他者の価値を落とし、そのことによって相対的に優越感を得ようとするわけだが、アドラーがいうように、このような人には弱さの感情、あるいは劣等感が潜んでいるわけである。(p142)
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人生の課題を前にして神経症者はまったく動かないが、神経質者は、時にためらいの態度を取って立ち止まることはあってもまったく止まってしまうということはない。(p143)
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アドラーは「神経症はすべて虚栄心だ」と言ったことがあるとのことです。引用した「虚栄心の強い人」の傾向、人の価値を落として相対的に上がった自分の価値で優越に浸り、自分の人生の課題については無視をするという、こういった人はいったいどう扱えばいいのかって思っちゃいます。まず、本人が自分を見つめて、これじゃいけない、と思わないと始まりません。あと、本書に書かれてもいるのですが、虚栄心のない人はいません。多かれ少なかれ虚栄心はみんなが持っているものです。すごく多い人は神経症になるし、そこそこにある人は神経質的なところを持つとのことでした。
また、これはその通りだ、膝を打った箇所もありました。
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社会制度が個人のためにあるのであって、個人が社会制度のためにあるのではない。個人の救済は、事実、共同体感覚を持つことにある。しかし、それは、プロクルステスがしたように、人をいわば社会というベッドに無理やり寝かせるということを意味していない。(p60)
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個人が社会制度のためにある、と考えてしまうと、能力主義になったり障がい者排除になったりするのだと思います。2016年の相模原障害者施設殺傷事件って、そういった倒錯した世界観が源にあったのではないかなあと僕は考えています。
ちょっと横に逸れますが、「事前論理」と「事後論理」という、論理を分類したその見方を、本書で教えられました。これは議論の場面に限らず、日常の場面でも、相手の言い分や自分の考えを整理するときにうまく役立てることができるでしょう。
何かがあったとき、「仕組みとしてこうだから、そうやったらこうなるものだ」と現在の状態を肯定して考える「事後論理」は、社会に対してなにひとつ波風を立てません。「仕組み以前に、こうやったらこうなるのだから、そうしたらいいんじゃない」と理想を組み立てる「事前論理」は社会に働きかけるものです。偏見なのかもしれませんけれど(というか経験してきたデータの個数が少ないですから信頼度が低いのですけれど)、事後論理ってとくに女性が言う理屈に多かったりしませんか。それをひとまず合っているものと肯定してなぜかと考えてみると、ジェンダー差別がそうですが、社会的・慣習的な抑圧とそれに対する諦念に傾きやすいからじゃないかと思います。
と、ここまでは、本書の肯定できる面について書いてきました。アドラー心理学は、あれこれ歯に衣着せずにお互いの長所短所を指摘し合える仲間のようなところがあると僕は感じていて、つまり、ここから先は、アドラー心理学あてに「これは違うんじゃないか」と端緒に思える部分を批判していくことになります。
まずは第3章「遺伝や環境のせいにするな」。いやいや、環境は大事ですって、と言いたくなりました。たとえば止まらない暴力の最中という環境で、その暴力と向き合い傷つき、体力や精神力を削られながら細々したマストな雑事をこなして、それから本分の仕事へ向かうのは大変です。それを、「環境のせいにするな」は「厳しい」を超えているのでは。これ、ケアラーにも言えます。仕事ができないのを在宅介護環境のせいにするな、なんて言われても……って思うでしょう? 想定している「環境」がステレオタイプなんじゃないかと思ってしまいます。個別性があるんですよ。
個別性を見ることをせずに思い込みで決めつける、というのはよくあります。「こういう人って多いからこの件も同じだろう」と決めつけてしまう。そして、その決めつけがあてずっぽうなのに多数派ゆえ大方当たってしまうものだから、それに当てはまらない少数の人たちが被害を受けるのです。そして確実にそういった少数派は存在しているのです。
また、そういったステレオタイプを自分の都合よく使う人もいるんですよ。自分が環境を乱したがために家族の生産性が落ちているのに、外部の目をわかりやく多数派の「のび太」型ステレオタイプに誘導して、自分の悪い行動を目くらまししてしまう、というように。で、そう示された外部の人間たちもころっと騙されるものなんです。それだけ、個別性って未知なところがあるし、類型から外れているケースにはまず思いが及んでいないという位置から人間の思考はスタートするわけで、ほんとうはひとつひとつそのままを拾っていかないといけない。頼りない道を歩いていると、誘導されやすいんです。
次にこういった箇所があります。
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それにもかかわらず、あれやこれやの理由を持ち出しては課題から逃れようとする。持ち出される理由はいずれも、そういうことならやむをえないと自分も他者をも欺く「人生の噓」である。(p221)
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ここまで言い切るのは問題ではないでしょうか。そりゃあ、怪我を抱えながらでも打席には立つことになります。調子がよくなくても、なんとかヒットを打ちに行く。でも、そんなレベル以上の理由だってあるわけですよ。酷い骨折で離脱するのは人生の嘘ではないし、同様なレベルの目には見えにくいトラブルだってあります。たとえば原稿をやってて、隣室で家族が我を忘れて暴れる音が聞こえてきたら原稿をやってられないものです。そっちに行ってコミットしなきゃいけなくなります。それが続くと、自分の時間もなくなるし落ち着かないわけですが、「やむをえない理由にはならない」と判断するのは違うでしょう。これも個別性を見ないで類型で判断してしまう人間の習性を疑わないことで起こることだろうと思います。
こういうトピックもありました。他者評価なんて気にするな、と説くところです。アドラー心理学の難しいところは、現実の職場の多くで他者評価や競争を強いてがんじがらめにしてくることへの対処が見当たらないところです。また他に、みんなを敵と思わない、なんて説かれていますけれど、問題があるのはその人ひとりではなくて、周囲のみんなもそうなのが現実です。それも、自分よりも混み入っているような人がすぐ隣にいたりします。だから、自分だけよくなろうとしたって、うまくいかないんですよね。相互に影響を与え合っているのが実際の生活の場です。
特殊相対性理論と一般相対性理論を例にとると、限定的な範囲で機能する「特殊」にあたるのが、たとえば座学で学ぶ心理学だったりするのではないでしょうか。「一般」の範囲では論理が破れがちだったりするように思います。
と批判部分はこれで終わりとして、結びにアドラー心理学とアイデアを共創してみます。
アドラーは教育が社会のためにもっとも有効だと考えていたようです。社会を変えるためには政治よりも教育のほうが大事、と僕も考えたことがありますが、しかし、子どもは大人社会をみて真似たりしながら育つものですし社会環境から多大に影響を受けて、いわば「教育」されてしまうものです。とすると、教育のためには大人社会がまず変わらなければならないのではないか、となってきますよね? 教育も、子どもの教育と並行して、成人教育をしないと、となります。成人教育だなんて、字面からしてほぼ悪夢じゃないでしょうか。悪夢にならないために、やわらかく自発的に、話し合いをする感覚で学んでいけたらいいのですけど、……でもなかなかきれいには。
学ぶだけで生活していける社会だったら、話し合いメインの大人社会生活は可能かもしれません。しかし実際には「労働」があります。ですから、多種多様な職種に就いて、多様な現実に生きる人々が、「よき社会」というコンセンサスを形成して、つねに留意するっていう余裕は果たしてあるのかい、となります。
学ぶだけで生活していける社会に近い社会を作れれば、大人社会から影響を受ける子どものための教育にもなる「よりベターな社会」が創れて、なおかつその先の何十年か後にはそうやって育った新世代が社会の中核を担っていて社会を動かしていきます。ぶん投げではあるのですが、AIの進化で「学ぶだけで生活していける社会」に近づいた社会にまずならないでしょうか。AIで労働時間をぐっと減らせられるのなら、そのぶんを学び時間にしませんか。労働の義務、学びの義務の両輪で。さっきも書いたように、悪夢の成人教育ではないような学びの義務で。ソフトにソフトに。でも、誠実に。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ子育てのベースとなる考え方として、子どもが人生の課題を解決する力を身につける(またはその自信を持つ)手助けをする「勇気づけ」の大切さを説いている。具体的には、
・「叱る」のではなく「お願いをする」(〜してくれませんか?/〜だと嬉しい(助かる)のだけど)、「自分で失敗の責任を取らせる(失敗を繰り返さないように話し合う)」
・「褒める」のではなく「ありがとう」「助かった」と言葉をかける
であり、これらは親と子どもが縦関係ではなく、対等であるということ(子どもを尊重(リスペクト)すること)が前提となっている。子どもの課題に一方的に踏み込まない「課題の分離」も、この前提から考えればさもありなん(子どもが親の援助に同意して「共通の課題」となればその限りではない)。子どもに対する無条件の信頼も重要である。
こうした考え方は示唆に富むし、心に留めておきたいとも思うが、実践するにはそれなりに心の余裕や忍耐力が必要な気がする。 -
Posted by ブクログ
アドラー心理学の歴史と概要。
⚪︎アドラー心理学における育児の目標(行動面)
・自立する
・社会と調和して暮らせる
⚪︎アドラー心理学における育児の目標(心理面)
・私は能力がある
・人々は私の仲間である
⚪︎アドラー心理学ではある行動の理由は「原因」ではなく「目的」にある(例:怒るのはその方が相手が言う事を聞くから)
・子供が注目を引こうとする行動に注目すると、子供はますますその行動を続ける。適切な行動にだけ注目する。
・縦の人間関係は精神的な健康を損なう(叱る、褒めるは上から下に見ている縦の関係性)
・私たちは経験によって決定されるのではなく経験に与えた意味によって自分を決める
・嫌な人と付き合う時は、今日初めてこの人と会うと考え過去のことは考えない。