納富信留のレビュー一覧
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ソクラテスは、「徳」について、様々な人と対話する生活を送っていた。しかし、70歳頃、「不敬神」で告発され、裁判にかけられる。神への不信で訴えられたが、実際は、対話によって生まれた中傷や妬みが原因だとソクラテスは主張する。私たちは物事を知っていると思う市営に強い批判をぶつけている。
「不知」と「非知」の区別を主著氏、多くの人が分かったつもりになっているという発言は、個人的に耳が痛くなる忠告だった。アテナイの人も現代の私たちも何事も分かったつもりで日々を過ごしていることが多いのではないだろうか。現代でいえば、ソクラテスは曖昧に日々を過ごしている人からは嫌われる人物だったのであろう。しかし、本 -
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ギリシアで誕生した人類初の哲学者と言われるソクラテスに関する本。知を愛し求めるという哲学について学び始めるきっかけとして良い本だと思う。
無知の知という言葉だけは知っていたが、その日本語表現自体が適切ではないということが驚きであった。
自分は知らないことを知らないと思っている、自覚している、ということが、少なくとも知ったかぶりをしている人よりは知恵がある、という解釈から、知らないことを認知する、メタ認知は大事だと感じる。そういう認知があるからこそ、知ろうとする行動につながる。知っているということはそれを明確に証明できてこそである。知っている、と、思っている、では違う。無知の知、ではなく、不知の -
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プラトンなら何と言うか、何とこたえるか?と言う観点からプラトンとソクラテスの哲学を論じる。ディアロゴスのプラトンにぴったりのアプローチではないだろうか。
現代の思想や哲学はプラトンの哲学の上に層をなして積み上げられており、プラトンなどを今更引き合いにしても意味がないように思う人もいるかも知れないが、「プラントンなら今の世界について、自分の考えについて何て批判するんだろう?」と仮想プラトンと対話することでむしろ逆に新鮮な答えを得られるような気がしてきた。
プラトンの本は実は『ソクラテスの弁明』くらいしかちゃんと読んでなかったけれど、他も読んでおくべきだと思った。この世界はプラトンの上にできている -
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哲学史の教科書でプラトンの教説とされているイデア論。
それをもっともまとまった形で示している著作。
ソクラテス最期の日、肉体と魂とが切り離される死の直前という舞台設定にふさわしく、
魂が対話の主題として扱われる。
「魂と肉体」という対比を軸として、思考と感覚、不変と変転、絶対と相対、イデアと事物、真の原因と自然学的な原因など、さまざまな対比が重ねられて語られる。
この対比によって、いわゆるイデア論が図式的に提示されている。
魂についての論証は、当時の自然学の知見を意識して行われているので、今日の我々にとっては説得的ではない。
また、対話相手の提示する話も、それを承けたソクラテスとのやり -
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筆者と読者が、「旅人」としてプラトン『饗宴』の世界へトリップするという体で書かれた、非常に挑戦的な作品。
語り口調の文体で読みやすく、『饗宴』のあらすじや各話者ごとの大まかな主張を掴むには持ってこいの本。
中盤まではサクサク読めたものの、ディオティマの章あたりからは、内容の抽象度が高まったことと、どこまでが著者の創作なのかがわかりづらくなり、あまり理解できなかった。
しかしそこを乗り越えた後のイデア論・洞窟の比喩の箇所は白眉。映画を観ているようで、パロディの強みがいかんなく発揮されていた。未読ゆえ比較はできないが、おそらくは『饗宴』それ自体よりもスペクタクルを感じられる語り口だったのではない -
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大学入試改革で「論理国語」と「文学国語」を分けていることから、文学は論理的ではないと国や経済界は思っているのではないかと感じる。
しかし、文学(小説)を解するためには徹底的に論理的に読む必要があり、文学に論理性がないとは到底いえない。また論理国語とされる試験問題からは、文章の意味は一義的に定まるという考えが読み取れるが、そもそも人間の用いる「ことば」というものは複雑で、文脈や時代の情勢を織り込まないことには意味が正確に取れず、また受け手側のスタンスによっても意味の取り方が変化しうる。
そのため、文学を取り出して囲い込むことは幾重にも間違った政策判断であるように思える。
以上が本書を読んだ感想で -
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「プラトンとの哲学」と題された独特なプラトン哲学の概説書。もとより、内容は『ソフィストとは何か』などでも扱われたテーマと重なるところも多く、専門書といって差し支えない。このようなタイトルになっている理由は、冒頭12頁から16頁にかけて説明されている。すなわち、著者プラトンが不在であり、そのため提示される対話から何事かを読みとかなくてはいけないという対話篇の特徴からして、「プラトンの哲学」ではなく「プラトンとの哲学」が相応しいというのである。そのような前提のもと、著者がしばしばプラトンに対して語りかけるという独特のスタイルが取られている。つまり、「プラトンとの哲学」がこの本の中でも上演されている