あらすじ
ソクラテスを中心に、数々の登場人物がことばを交わし、思索を深めていくプラトンの対話篇。「君はこの問いにどう答えるか?」作品の背後から、プラトンがそう語りかけてくる。『ソクラテスの弁明』『ポリテイア』『饗宴』などの代表作品を読み考えながら、プラトンの問いと対峙する。二千年の時を超え、今も息づく哲学の世界へ。
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Posted by ブクログ
本書は数あるプラトン入門の中でも異色の本である。まず特筆すべきはその文体にあろう。著者は私たち読者とプラトンとの間に立って、私たちに、あるいはプラトンに語りかける。この本を手に取ってその語り口にある種の抵抗を感じる人もいるかもしれない。しかしこの語り口こそが本書を異色のプラトン入門にしているのである。
本書はプラトンの主要な対話篇の場面と取り組まれる問いを読者に提示することを通して、プラトン対話篇の世界へと読者を招く。語り口の柔らかさとは裏腹に学術的なプラトン入門にふさわしい内容が詳しく紹介され、本書を通読することでプラトン対話篇の全体像をつかめるようになっている。このことはR.S.ブラックやミヒャエル・エルラーの入門書を除いては日本語の著者の本では案外カバーされていなかった部分ではある。プラトンの書き残した対話篇の一つ一つがプラトン著作群の中で相互にどのような関係にあるのかが最新の研究に基づいて紹介されているのである。
プラトン研究の全体像を提示するかと思いきや、プラトンが一つ一つの対話篇で取り上げた問いはむしろ端的な仕方で読者に提示されているのが印象的である。対話篇の対話の道行きそのものではなく、対話篇と取り組むことで著者自身が抱いた当惑が読者に語られ、むしろ読者はプラトンが提示する数々のアポリアそのものへと案内される。その難問の数々を読者に突き付けることによって著者はプラトンの対話篇を読者が自ら読むことを促しているのであろう。
上記のこと以上に本書を特徴づけるのは著者のプラトン「への」語りかけである。中でも印象的なのは田中美知太郎が戦争に向かっていく状況下で如何にプラトン論を発表していったのかが語られていたことである。そしてその章の参考文献には井筒俊彦の『神秘哲学』が取り上げられている。著者のここでのプラトンへの語りかけは「語り」であるからこその律動を湛えており、読者にもまたプラトンを読むことの意味を問いかけている。著者の生き生きとした読解の痕跡として、著者がプラトンと四つに組んだ末に見いだされたであろう洞察の一つをパルメニデス読解に見出すことができる。随所にちりばめられたこうした洞察は単に現行の研究紹介にとどまらずに著者自身が到達したプラトン研究の最前線を垣間見させてくれるものとなっている。読者はプラトンとの対話のみならず、プラトン研究の深い森の中へとも案内されるのである。
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プラトンの哲学はなく
プラトンとの哲学のみがあると納富さんは説く。
プラトン自身は対話篇には登場せず、
もっぱらソクラテスとその他の人達によって対話は進む。
プラトンはこういったニュアンスのことをソクラテスのセリフとして伝えている。
「私の言うことを全て鵜呑みにするな」と。
自分の頭で考えることの重要性、
そこにこそ哲学の真価があるということをプラトンは伝えたかったのではないだろうか。
たしかに、
プラトンの本を読むと中期作品以降には答えが出てくる。
だが、だからと言ってそれが正しいという答えをプラトンは伝えたかったわけではない。
対話を通して、
絶えず探究していくというこの「哲学」するという姿勢を伝えたかったのではなかろうか。
ゆえに、
弟子アリストテレスもイデア論を否定し形而上学を打ち出し、
ニーチェも神や哲学を否定し超人を打ち出す。
まさに
アリストテレスやそれに続くものたちは、
プラトンを批判しながらプラトンの教えに真の意味で忠実だったのではないか。
そこような所感。
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プラトンとの哲学 納富信留 岩波新書
対話篇を読む
プラトンもソクラテスも答えを用意して臨むわけでなく
問い掛けによって自問自答を引き出そうとしていることに
強く共感を覚える
答え在りきの質問か一つの確かな答えを求めようとする
数学的な学問と違い
哲学や倫理学あるいは文学や音楽などには対話と
自問自答のプロセスしかないということだ
多分物理学や数学も現象面から距離を置くと
具象的な枠を超えて抽象的な形のぼやけた答えに近づくのだろう
究極の全体で見ればどの学問からスタートしたとしても
この世の真理を目指している同じ方向に辿り着くはずだ
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プラトンの代表作を幾つか取り上げ、そのものよりもそこに根付くプラトンの意識というものを掘り出して対話するというスタイル。
プラトンは、真の哲学者であったはずのソクラテスの刑死に対して生涯どうして起きたのかという不条理に対する疑問を持っていたと思われる。正義や真実に対して真摯に生きるということの価値を追求してこその人生だという結論に至るまでの対話を、著者とプラトン(仮想)と読者で行う。
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プラトンなら何と言うか、何とこたえるか?と言う観点からプラトンとソクラテスの哲学を論じる。ディアロゴスのプラトンにぴったりのアプローチではないだろうか。
現代の思想や哲学はプラトンの哲学の上に層をなして積み上げられており、プラトンなどを今更引き合いにしても意味がないように思う人もいるかも知れないが、「プラントンなら今の世界について、自分の考えについて何て批判するんだろう?」と仮想プラトンと対話することでむしろ逆に新鮮な答えを得られるような気がしてきた。
プラトンの本は実は『ソクラテスの弁明』くらいしかちゃんと読んでなかったけれど、他も読んでおくべきだと思った。この世界はプラトンの上にできているのだから。
ところで、岩波新書は最後のページに『岩波新書新赤版1000点に際して』という文章が載っている。読んでいない人も多いと思うがぜひ一度は読んでほしい。学ぶことの大切さを身に染みて知らされると思う。本文を読まなくてもいいけれどここだけでも読んでほしいと思う文が書かれている。あと、岩波文庫の最後のページも熱いです。
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この本はプラトンの哲学ではなく、プラトンとの哲学である。プラトンからの問いかけにどのように答えるか。それを考えることで、その時哲学が始まる(らしい)。スーッと読めるけど、真摯に「善いとは」、「美とは」、「善き生きる」とは、と思考するのはなかなか骨である。対話篇が家の本棚でほこりを被っているので、また取り出してみよう。
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「プラトンとの哲学」と題された独特なプラトン哲学の概説書。もとより、内容は『ソフィストとは何か』などでも扱われたテーマと重なるところも多く、専門書といって差し支えない。このようなタイトルになっている理由は、冒頭12頁から16頁にかけて説明されている。すなわち、著者プラトンが不在であり、そのため提示される対話から何事かを読みとかなくてはいけないという対話篇の特徴からして、「プラトンの哲学」ではなく「プラトンとの哲学」が相応しいというのである。そのような前提のもと、著者がしばしばプラトンに対して語りかけるという独特のスタイルが取られている。つまり、「プラトンとの哲学」がこの本の中でも上演されている。
主として取り上げられる対話篇は『ゴルギアス』、『弁明』、『パイドン』、『饗宴』、『国家』、『ティマイオス』、『ソフィスト』であり、「いかに生きるべきか」という根本的問題から、プラトン的宇宙論まで、大きなテーマが次々と扱われている。プラトンのテキストにこれからあたろうとしている人にとって、道標として非常に役に立つのではないだろうか。
Posted by ブクログ
6章宇宙の想像力で頭がこんがらがって挫折してしまった。
著者が読者の方を向かずにプラトンさんと対話しているので、あまりプラトンさんのことをわかっていない読者である私は置いてけぼりをくらって寂しかったのも挫折要因の一つ。自分の考える能力、読解能力の低さに気づけたのでもう少し哲学の世界に慣れてから出直したい。