【感想・ネタバレ】ソクラテスの弁明のレビュー

あらすじ

ソクラテスの生と死は、今でも強烈な個性をもって私たちに迫ってくる。しかし、彼は特別な人間ではない。ただ、真に人間であった。彼が示したのは、「知を愛し求める」あり方、つまり哲学者(フィロソフォス)であることが、人間として生きることだ、ということであった。(「訳者あとがき」より)。ソクラテスの裁判とは何だったのか?プラトン対話篇の最高傑作、ついに新訳で登場!

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Posted by ブクログ

 プラトンの『ソクラテスの弁明』にはいくつもの翻訳がある。評者が最初に読んだのは中公クラシックス版の田中美知太郎訳であったが、クリトンとゴルギアスとともに強烈な印象を残したのを覚えている。ただ、いま読み返してみると手放しに誰にでも勧めることができるわけではないなと思う部分が多少ある。すでに他の著作で哲学に対する関心が呼び起こされた読者にとってはどうしても読みたくなる本であろうから、その心配は杞憂であるかもしれない。しかし、光文社古典新訳文庫の納富信留訳の『ソクラテスの弁明』は哲学入門として誰にでも勧めたくなる一冊である。
 哲学の始まりは『ソクラテスの弁明』にあるといわれる。哲学という営みを決定づけたのが、プラトンにとってのソクラテスの死という出来事にあるという意味でのことである。そのまさにソクラテスの死という出来事をプラトンがどのように受け留めたのかをありありと感じさせてくれるのが納富訳なのである。納富訳は、しつこく吟味をして、時に挑発さえするソクラテスの姿を生き生きと再現してくれる。それは500人の聴衆を前に饒舌に語り、空しくも虚空に響きわたるソクラテスの弁明を、そしてそれを聞いていたメレトスが押し黙っているその沈黙をも響かせるものである。
 本書には古典新訳文庫ではお馴染みの訳注が付されている。とはいえアリストテレスの翻訳のように言葉のニュアンスや語義の説明というよりも、本文には述べられていない背景についてのものであり、疑問の余地のない明瞭な訳文と相まって弁明という作品そのものに没頭させてくれるものである。訳注の内容は、最新の研究や解釈の広さを示すもので、巻末の解説とともにプラトン研究の現在を知らせてくれるものである。本文の分量に匹敵する解説は「ソクラテスの弁明」の内容を丁寧に紐解き、議論の要所を明示し、ソクラテスとプラトンにとって哲学が如何なるものであるかを明らかにしている。そして最後に付されたプラトン著作の執筆年代と梗概はプラトンに初めて触れる人にとっても、そうでない人にとっても、頼りになる見取り図を与えてくれるものである。
 プラトンがなぜ「ソクラテスの弁明」を書いたのかをも伺わせる本書は、哲学入門としても、手堅いプラトン入門としても、広く勧めたい一冊である。

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2025年12月08日

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「息のつづく限り、可能な限り、私は知を愛し求めることをやめません」
「毎日議論をすること、これはまさに人間にとって最大の善きことなのです。」
最後のところはソクラテスの呪詛のように感じた。今も我々がソクラテスの呪い、哲学の中にいるように。
でもある意味、ソクラテスがあそこで死刑となったからこそ我々が今も哲学しているとも言える。終わらなかったからこそ。
ソクラテスの子らよ。

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2025年09月15日

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初めはこのような裁判形式の話だと思わず、斬新で何より語り口調だったのは読みやすいと感じる大きな点だった。語り口調だとはいえ内容や語彙は難しく、新しく学ぶことができた。無知を知っているのではなく無知であることを分かっているというのが正しいニュアンスだったことは驚いた。哲学書は初めてだったので他の本も読みたいと感じた。

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2025年09月14日

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ソクラテスが語る「無知」とは、単に知らないことではなく、私益や欲にとらわれ、自ら進んで見ようとしない態度。

人は欲望や立場に飲み込まれると、あえて真実から目をそらし、無知を選んでしまう。だからこそソクラテスは「自分が無知であることを自覚する」ことの重要性を説いたのだと思う。

現代でも、自分の利益や欲ばかりを優先する場面は多い。その中で「知らないことを知らない」と認める姿勢を持つことが、人として誠実に生きるために大切だと感じつつ、バカを演じる方が得をするのは現代でも同じだなと感じた。

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2025年08月18日

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ソクラテスが「不敬神」の罪で裁判にかけられ、弁明をしていく。非常に読みやすく解説も丁寧なので古典という感覚を感じることなくスラスラ読めた。

「アテナイの皆さん、今まで述べてきたことが真実であり、皆さんにすこしも隠し立てせず、ためらうことなくお話ししています。しかしながら私は、まさにこのこと、つまり、真実を話すということで憎まれているのだということを、よく知っています。そして私が憎まれているのというまさにそのことが、私が真実を語っていることの証拠でもあり、そして、私への中傷とはまはにこういうもので、これが告発の原因であるという証拠でもあるのです。」p24

この一文が私は特に印象深い。
真実を語ることは自らを危険に晒すことにつながる。真実を語る「勇気」と言われるが、なんだそれは。そんな勇気を賞賛する世の中ではなく、当たり前になったらそれはそれでどうなんだろうと考えてしまった。

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2025年05月18日

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自分の死(死刑判決)をもって自らの哲学を体現するという哲学者としての生き方がまさに「徳」と感じた。この作品から感じること、考えることを発信することは野暮な気はするが、言葉一つでここまで心を動かせることに感銘を受けた。 同世代の友達はこれを読んで何を思うだろうか。

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2024年02月09日

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死についてや、「無知」について考えることができた。
自分がはっきり「知らない」という自覚を持つ場合にだけ、その知らない対象を「知ろう」とする動きが始まる。
「知らないこと」を自覚していない状態こそが、最悪の恥ずべきあり方であった。

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2025年12月09日

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ソクラテスだよと思ってたらソクラテスについてプラトンが書いたなんと創作物みたいなやつだった!だからこれは実質プラトンかも!!!

濡れ衣着せられたソクラテスですが結局死刑になっちまったよ〜な話 書いてるのは弟子のプラトンね。ソクラテスを陥れた奴は結局何かを得れたのかな。

自分はそんなことしてないけど、あれこれ言い訳すんのもアレだし、己を貫き通して死にすら殉じるぜ!みたいなのよくこの界隈で見る気がする。己の矜持や誇りがすごくて、かっこいい生き様ってこういうのを言うんだろうな〜と思ったりした。私もこうなりたい!

あとびっくりしたんだけどプラトンとソクラテスってめちゃ歳が離れてるんだね。
プラトンが20代の時にソクラテスは70歳で死刑になっちゃうし。でもプラトンが12歳の時にソクラテスと知り合ったらしいから、そこから素晴らし教えや影響を受けていたのかな〜と思う。

私も色々読んで哲学を味方につけたいなと思う。

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2025年09月16日

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この本を読んでいるあいだ、私はまるで紀元前のアテナイにいて、法廷の片隅からソクラテスの言葉を傍聴しているような気持ちになった。論理や言葉の力で彼が人々に語りかける姿に引き込まれ、ページをめくる手が止まらなかった。

解説を読みながらでなければ理解できない部分もあったが、それでも彼の思想の核は強く響いてきた。とくに印象に残ったのは、「知らないことを恐れる必要があるのか?」という問い。人は死を恐れるが、それは“死”を知らないからであって、本当に恐れるべきことなのか? もしかしたら、死は良きものかもしれない――そんな風に、未知を恐れずに、自らの信念に従って生き抜く姿勢に心を揺さぶられた。

ただの哲学者の言葉というよりも、「命を賭けて真理を語る人間」の言葉を目の前で聞いたような、そんな読書体験だった。

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2025年07月18日

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有名すぎる本作、ようやく手に取って読破。
無知と不知の違いについては目から鱗だった。日常において、知らないことを知らないと自覚する事は、実は現代人の私たちも大多数が出来ていないように感じる。
インターネットが普及し簡単に事物を調べられるからこそ、この本の価値が増しているように思う。

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2025年07月15日

Posted by ブクログ

別の書籍で取り上げられており、以前から読みたかった本。少し背伸びして読みましたが、解説も丁寧になされているので、思っていたよりは読みやすい。知を追求することの本質が書かれていて、もう少し理解を深めたいと感じた。

プラトンの別作品も読んでみようと思っています。

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2025年04月17日

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ソクラテスが口語っていうのもあるし、注と解説が潤沢だから疑問をすぐに解決できる
本の話をすると、ソクラテスがただ負け惜しみ言ってるだけなのかなーって思ったらサラッと大切な考え方言ってきたり、その考えが今でも通用することがすごいと思った

結局は知ったかぶりをするなということなんだと思う
死に対する恐れにせよ、それが「人間的な知恵」に反するものとして論駁するところとかは感動した

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2025年02月22日

Posted by ブクログ

自分はインドのOSHO(ラジニーシ)が語るように、哲学とは思考の中をぐるぐる回るだけで真理に到達することはないようなスタンスでいたのですが、この本を読んで感銘を受けました。ブッダの生き様や教えに出会って受けた刺激のように、ソクラテスも超クールでかっこいいですし、彼は哲学という範疇では語れないほどの人物なのではないでしょうか。

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2024年11月28日

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難しそう、と言う理由だけで読んでいなかったのを後悔しました。講談社文庫、岩波文庫からも出版されていますが、最も現代語に近いとおもわれる光文社バージョンをまず読んでみました。(…実は講談社バージョンを最初に買ったのですが、引越しの際実家に持って帰ってどこに行ったかわからなくなってしまいました…)

しいと思わずに、青年にこそ読んでほしい。ソクラテスほどの哲学者でありながら、知識、知恵に対して何と謙虚な姿勢であることか!!

まずは自分の態度知識に対して恥いるばかりです…。

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2024年09月22日

Posted by ブクログ

哲学書の古典だと身構えていたが、法廷を舞台にしたエンタメ小説かと思うくらいの読みやすさ。
特にメレトスの告発を鮮やかに論破する「新しい告発への弁明」は、日曜劇場のような爽快感。
加えてソクラテスは、彼が死刑に抗わなかった理由にまで一本の筋を通していて、さながら少年漫画の主人公のなのだ。

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2024年05月26日

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2000年前に生きた哲学者の言葉に時代を超えて感銘を受ける。自分の死をもって裁判員の愚かさを指摘するソクラテスはまさに偉人。そして健気に彼の言葉を書き残したプラトンのお陰で私たちが彼の考えを知ることができる。感謝。
無知の知はよく知られているが、人を裁こうとすると、より一層人から裁かれることになるというのはまずもって現代でもその通り。人を呪わば穴二つということだろう。
また彼の死に対する考え方も新鮮だった。死をまだ経験したことがないのに恐れるということは知らないことを知っていると考えている証拠だと。死はあらゆる善のなかで最上のものかもしれないのに。
確かにそうだ。だけど自分が殺される直前になってもそのように信念を貫き通せる人がどれくらいいるかということだ。

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2024年05月08日

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 ソクラテスは、「徳」について、様々な人と対話する生活を送っていた。しかし、70歳頃、「不敬神」で告発され、裁判にかけられる。神への不信で訴えられたが、実際は、対話によって生まれた中傷や妬みが原因だとソクラテスは主張する。私たちは物事を知っていると思う市営に強い批判をぶつけている。

 「不知」と「非知」の区別を主著氏、多くの人が分かったつもりになっているという発言は、個人的に耳が痛くなる忠告だった。アテナイの人も現代の私たちも何事も分かったつもりで日々を過ごしていることが多いのではないだろうか。現代でいえば、ソクラテスは曖昧に日々を過ごしている人からは嫌われる人物だったのであろう。しかし、本書が語り継がれている事実がある限り、「知ること」の重要性は変わらない。

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2023年10月21日

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ギリシアで誕生した人類初の哲学者と言われるソクラテスに関する本。知を愛し求めるという哲学について学び始めるきっかけとして良い本だと思う。
無知の知という言葉だけは知っていたが、その日本語表現自体が適切ではないということが驚きであった。
自分は知らないことを知らないと思っている、自覚している、ということが、少なくとも知ったかぶりをしている人よりは知恵がある、という解釈から、知らないことを認知する、メタ認知は大事だと感じる。そういう認知があるからこそ、知ろうとする行動につながる。知っているということはそれを明確に証明できてこそである。知っている、と、思っている、では違う。無知の知、ではなく、不知の自覚、という表現が相応しい。

死を知らないからこそ、死を恐れない、また正しいことをして死を恐れない、むしろ間違ったことをして生き続けるよりは死を貫くというところにソクラテスがデルフォイで受けた神託を契機とした哲学の探求があるのだと思った。

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2023年09月10日

Posted by ブクログ

「人間たちよ、ソクラテスのように、知恵という点では本当はなににも値しないと認識している者が、お前たちのうちでもっとも知恵ある者なのだ。」

というわけで『ソクラテスの弁明』です
ソクラテスですよ!「哲学」ですよ!
なんか思えば遠くに来たもんだなどと思っておりましたが、あれ?これたぶん読んだことあるかも?w

そりゃあそう!
そりゃあそうですよ
私なんかあれです
もう気付いてると思いますけどまんま哲学者ですもん
むしろソクラテスの生まれ変わ( ゚∀゚)・∵. グハッ!!


大変失礼しました

ソクラテスは言っています「知らないこと」を自覚していない状態こそが、最悪の恥ずべき状態だと(うん、お前だな)
ソクラテスのように自分がはっきりと「知らない」という自覚をもつ場合にだけ、その知らない対象を「知ろう」とする動きが始まるからである

すごいのはこれ2400年前ですからね
2400年前にこんなことを言ってた人がいるすごいなって意味じゃありませんよ
2400年たっても人間は同じところをぐるぐる回ってるってことがすごいなってことです
2400年前の人の言葉になるほどそうだよな〜って思ってる場合じゃないだろってことです
もうとっくにそんなことは当たり前になってて然るべきでしょ2400年も経ってるんだから
2400年もの間なにしてたんだよ!っていうね

だめじゃん人類

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2023年05月21日

Posted by ブクログ

最初の方はソクラテスの捻くれ者っぷり頑固者っぷりに少しイライラしていましたが、死刑になるかもしれない場面でも捻くれ者を貫き通せるのは凄いと最後には感じていました。
有名な不知の自覚についての考え方もなんとなく分かる(分かるという言葉をこの本の感想で使いたくはないですが)し、もはやソクラテスの頑固っぷりがほとんどコメディのようになっていて、お話としてもとても楽しめました。

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2023年06月16日

Posted by ブクログ

おそらくとても大切なことが書いてあるのだろうが、今のレベルでは深く理解できていない気がする。
またいつの日か読み返したい。

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2025年11月16日

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 プラトンはなぜ「ソクラテスの弁明」を書いたのか?
 ソクラテスの無実を訴えたいのだとすると、普通にソクラテスの無実を訴えればよい。つまりいかに嫌疑が誤っていたか、裁判員がなぜ判断を誤ったかについて書けばいい。
 プラトンの選択は異なる。訳者によると「ソクラテスが裁判で実際に語った内容の記録ではなく、また、その言葉の忠実な再現でもない。ソクラテスの裁判とは何だったのか、ソクラテスの生と死とは何だったのかの真実を、「哲学」として弁明するプラトンの創作」だという。
 プラトンはソクラテスの弁明によってというより、その死から哲学的な刺激を受けたのだ。ソクラテスが無罪放免になっていたら、プラトンはこの本を書いていなかったかもしれない。生・成功・無罪放免は、死・失敗・死刑と比べれば哲学的な深みが皆無だからだ。プラトンはソクラテスの発言自体以上に、死に対して哲学的に欲情し、哲学のオカズにしたのである。
 なんか私はこの姿勢に関心してしまった。多分ソクラテス界隈では許されていた態度なのだと思う。どんなことも主観やしがらみから切り離して哲学することが、哲学者として求められた態度だっただろう。だからソクラテス本人はプラトンの哲学的欲情を知っても怒らなかっただろうし、逆の立場だったら今度はソクラテスが「プラトンの弁明」を書いただろう。しかしソクラテスが殺されたのは、ソクラテスにもこういう不謹慎さがあったかなと思った。
 この本を存在させ、ソクラテスの死を以降2000年に渡り哲学的オカズにし続けたという意味で、プラトンは歴史に残る変態である。

 弁明の有効性自体は「お前何余計なこと言っとんじゃい」というところもあれば、かなり強い議論を展開していたところもあったが、普通の感覚からすれば原告の主張の有効性が完全に棄却されたのだから、ソクラテスは無罪になったはずだ。有罪になった理由は何だったのだろう。この主題は多分古今東西、色んな人の創作意欲を掻き立てたはずなので、今後読んでみたい。

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2025年08月24日

Posted by ブクログ

背景を知っていると楽しいかも。
でも、背景がわからないから、難しかった。
「無知の知」ではなく、「知らないと思っている」は大事な考え方。

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2025年07月12日

Posted by ブクログ

昔から聞いた事があり、気にはなっていたけど読んでいなかった本。とうとう読破。読み始めれば、すぐ読めるページ数なのに、かなり時間を要した。
内容もさることながら、読んだ事に感動。

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2025年06月26日

Posted by ブクログ

ネタバレ

3人のソフィストたちによって告発されたソクラテス。
弁論に長けたソフィストたちを対話によってその矛盾を突き、自身や社会、あるいはこの世の全てを知らないと思うソクラテスの営みこそ彼自身が裁判にかけられることとなった理由である。

もちろん、「弁明」とはその裁判におけるソクラテスの主張のことであり、ソクラテスは当然これらの容疑について善きものであると捉え、憎まれていることこそが真実を語っている理由であるとしている。

古典的名著である作品は多くの分析がなされ、その重要点についてあらゆる箇所で論じらている。私は自身が印象に残った点を取り上げたい。

ソクラテスがいかに論じることでその矛盾をついたのか

ソクラテスは裁判の告発者の1人であるメレトスが、
「ソクラテスこそが若者を堕落させた」、その容疑として告発を行ったという旨の主張に対して、このように弁明、論駁するのである。

以下引用、
「馬の場合でもこういうことがあると思うだろうか。馬をより善くしているのがすべての人間なのに駄目にしているのは一人だけだ、ということか。それとも、まったく逆で、馬をより善くできるのは一人か、あるいはごく少数の者、つまり馬の調教師だけであり、他方で、多くの人々は馬と一緒に過ごして取り扱っていてもそれを駄目にしてしまうのではないか。」


ソクラテスの死生観は決して主題ではないが、魂の善い悪いという思考の軸に基づいた死生観は合理的であり、「私は何も知らないと思っている」(俗にいう「無知の知」、著者はこの表現を否定)からこそ生まれる希望的観測が興味深い。

以下引用、
"死が善いものだという大いなるに希望があることを考えてみましょう。死んでいる状態とは、次の2つのどちらかなのです。無のような状態で、死んでいるものはなんについても何一つ感覚を持っていないか、あるいは、言い伝えにあるように、魂がこの場所から別の場所へ向かう移動や移住であるか、このどちらかなのです"

"もし夢さえ見ないような深い眠りに就いているそんな夜を選び出して、自分の人生で過ごしてきた夜や昼と比べてみて、この夜よりも善く快い昼と夜を自分の人生においていくつ過ごしてきたかを考えて言わなければならないとしたら、どうでしょう"


また弁明の最終盤、判決後のコメントにおいては自らの息子(実際の息子を指すものか、あるいは弟子たち(プラトンら)を指しているかは不明、著者解説より)たちが金銭やその他のものに執着をしたり、自らを大層な人物だと勘違いしていた時には、ソクラテス自身がアテナイの市民、皆さんに論駁をしていたと同様に仕返しをしてほしいと願っている。
これは私たちが哲学という営みと付き合い続けている以上、私たちに課せられ、同時に私たちが吟味されるということではないだろうか。(著者解説にも同様の記述あり。)
肉体のうちに秘められた魂に私たち自身も反省をして、見つめ直すことで自らや現代の社会がどう映るだろうか。その営みを体験できるのは、ソクラテスではなく私たち自身である。

ただし、いささか疑問点も残る。無知であることを自覚する、無知であると思っているとするソクラテス。何もしらないということはすなわち善いことであるのだろうか。仮にソクラテスが何も知らなかったとするならば、神という存在をなぜ認識できたのだろうか。なぜ「弁明」においていわば客観的に自らが恨まれていることは真実を語っているかであると述べることができるであろうか。知らないということを知ろうとするための営みは、一見ソクラテスの主張を顧みれば反比例のグラフを描くのではなかろうか。何かを知ろうとする営みが増えれば増えるほど、知らないという認識度や解像度が増していく。しかし、知らないという認識を増やすということは知らないことを知ることの蓄積でもある。「知らない」というスタンスは何かを生み出すのだろうか。

現代日本に生きる我々は強く、そして根底に当たり前のように資本主義経済のもとで生活をしている。我々が当たり前のように受ける義務教育も資本主義を否定するものなど当然ない。私も決して資本主義を否定するつもりはない。しかし、ソクラテスの主張はいわば資本主義を否定するものではなかろうか。
自らの息子たちが、大層な人物であったり、私利私欲にまみれ自らの財産を求めるようになった際には、自身が行ったように論駁を行なってもらいたい、と願ったソクラテス。

我々が当たり前に生きる社会でこれを否定、論駁することは難しいだろう。民主主義と資本主義は相容れるものであろうか。

またソクラテスの主張は、のちにマズローが提唱した欲求階層説との矛盾を孕む。どちらが正しいといった議論を図りたいのではなく、その差異を示したい。近年、自己承認欲求といった言葉ばかりが若者を指す言葉として一人歩きしているようにも思えるが、この階層は生理的欲求、安全と安定の欲求、所属と愛の欲求、自尊と承認の欲求、自己実現の欲求と続いていく。ソクラテスが選んだ選択はこれに反しているのではなかろうか。

そして、私はソクラテスとメレトスのやり取りにもはや感銘を受けるほどである。それは真っ当な議論が成立しているからである。国会における答弁は今に始まった事ではないが、問いに対して正面から回答しているのだろうか。国会だけではない、我々自身もである。都合が悪い時、議論において劣勢になった際に、関係のない過去のことを掘り下げる、議論をすり替える、またとにかく論破こそが議論における勝利であるといった風潮。議論というようなものは自身を磨く行為でもあるはずである。ディベートといったものは、どちらを説得できるのかといったビジネス的要素もあるが、他人を人格否定したり、根底を覆して議論から逸脱を図った上で勝利を目指すものではないはずである。

我々はなぜソクラテスを最初の哲学者として扱うのか。受け身ではなく、能動的に捉えてはいけないだろうか。

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2025年03月29日

Posted by ブクログ

ソクラテスが語りかけるという形になっているので、非常に読みやすい。

頑固なお爺さんだなという印象も受けた。特にメレトスを詰めていく所は、心がキュンとなった。

しかし、偉大な哲学者と言われているだっけあって、善き生に向けた、教訓を話してくれている。

この本の中で一番のお気に入りは、人間の誰もが死を知らないのに恐れているが、これこそまさに無知であり、恥ずべきことだという主張である。死に対して、異常なまでに恐れることなく、善き生の為に徳を積んでいきたい。

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2025年03月21日

Posted by ブクログ



まだ全てを理解することはできませんが、ようやく古典を読めるようになってきました。

何か行動する時には、正しいことを行うのか、それとも不正を行うのか、良い人間のなす行為か、それとも悪い人間のなすことなのか、それを考慮すべきです。

自問自答してみます。

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2025年01月24日

Posted by ブクログ

いまいちピンと来ない。
でも引っかかる言葉はあった。
死を恐れることは死を知った気になってるのであって、死は誰にも分からないのだから恐れる事は間違いだ、というのがなるほどど思った。
紀元前のギリシャ時代の言葉が読めるなんて改めてすごいと思った。

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2025年01月11日

Posted by ブクログ

前に読んだ倫理学の本(の中の登場人物)がプラトンの「国家」を絶賛してきたので、じゃあ読んでみようかと思ったら、とんでもない大作だったので、もう少しライトなものからにしようと、「饗宴」と本作を手にとった。

以前、岩波かなんかで読もうとして、たったの100ページちょっとなのに挫折したことがあるが、いつものように光文社古典新訳文庫だととても読みやすくて助かった。

東大総長が卒業式で「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」と言ったとか言わなかったとか諸説あるが(JSミルの言葉を不正確に引用した式辞原稿のこの箇所は結局は本番では読まれなかったが原稿を紙で貰っていたマスコミが本番発言と照合もせずに誤報を飛ばした、というのが真実であるらしい、閑話休題)、その有名なソクラテスが自分の死刑裁判で最後に何を語ったか、と言う点、興味があったのだが、高名な「無知の知」はここで語られていた。

ポリスを馬に自分をアブに喩えていたのが面白い。

相手が怒っている事実そのものが、自分が真実を語っている証拠だ、という主張は、論理学的真実は無いけれど、人間心理的には高い確率で当たっているよなあ、と思った。

P59
死というものを誰一人知らないわけですし、死が人間にとってあらゆる善いことのうちで最大のものかもしれないのに、そうかどうかも知らないのですから。人々はかえって、最大の悪だとよく知っているつもりで恐れているのです。実際、これが、あの恥ずべき無知、つまり、知らないものを知っていると思っている状態でなくて、何でしょう。

P65
その大きさゆえにちょっとノロマで、アブのような存在に目を覚ませてもらう必要がある馬、そんなこのポリスに、神は私をくっ付けられたのだと思うのです。

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2025年01月11日

Posted by ブクログ

古典を読むのは大変だった。
紀元前の人たちが、このような論理的思考が出来ることが意外だし、もう少し自分も頑張りたい

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2025年01月03日

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