以前、千葉雅也氏の『現代思想入門』を読み、現代社会に対する現代思想的解釈やそのアプローチ法などが分かりやすく述べられていたため、著者の"勉強"に対する哲学的解釈がどのようなものなのか興味を抱き購入。
著者はまず、新しい知識やスキルが付け加わるという一般的な勉強のイメージを捨て、これまでの自分の破壊
...続きを読むこそが勉強であると断言してから持論を展開し読者を引き込んでいく。
これまでの自分とは、自身の身を置く環境の"ノリ"に「こうするもんだ」と疑いなく合わせて保守的に生きてきた自分を指し、その状態を断ち、新たな環境のノリに入ることこそが勉強なのだと論じる。
勉強法の類も含め、勉強論は世に数多存在するが、本書は勉強に対する論考を始めるにあたり、教育的アプローチでも経験的アプローチでもなく、言語論的アプローチを出発点としているところが特徴である。
勉強によって拓かれた新たな環境における言語体系の違いに違和感を感じながらも、それを玩具的に言葉遊びをするように使用することがあらゆる勉強における根本(ラディカル・ラーニング)であり、自由になるための思考スキルだというのである。
哲学関連のベストセラーを出版している著者による具体的な勉強法について述べられていることを期待した読者の多くは、この出だしの展開に違和感を感じたのではないだろうか。
しかし読み進めていくと、環境のノリに合わせて保守的に生きるということは、その環境の言語体系に何の違和感も持たずに染まっていることを意味し、勉強すること(=自己破壊すること)によって新たな言語体系を有する新たな環境へ移行することができるということを説明したいがための論点であったことが理解できる(そして勉強すると、どうしても元の環境では「ノリが悪くなりキモく」なってしまうということも)。
さらに、勉強(=環境のノリから自由になること)に対する向き合い方を考察するにあたり、ツッコミ(=アイロニー)とボケ(=ユーモア)の2軸で論じている点も、本書の大きな特徴といえよう。
とかく勉強を進めるというと、物事の本質や真理に向かって(アイロニカルな批判を伴いながら)深めていくと考えられがちだが、著者は絶対的な根拠や真理には絶対に到達することは不可能であることから、結果的にはどこかで「エイヤッ」と何かを無理やり結論付ける決断主義(言語の破棄)に陥るという。
これを回避するためには、ユーモアによる見方の多様化への転換によって勉強を"有限化"することが肝要としている。
ただ、多様化といっても見方は無限に存在するので、最終的に勉強を有限化するための条件は、自らの個性(=特異性)としての「享楽的こだわり」であるという。
本書では、この自らの「享楽的こだわり」による自分に特異的な勉強のやり方やテーマを見つけるための具体的な自己分析手法として、自分がこれまでの人生で何を欲望してしたかを記述する「欲望年表」の作成を提案している。
これは、時代背景も含めて自分の欲望の足跡を、その欲望に至った理由やエピソード等も含めて書き出していき、半ば無理やりにでも書き出した欲望について抽象化していくことで作成するものである。
年表に自分の欲望史を接続することで、自分のこだわりの本質やコアな部分をメタ的に炙り出していくことができるということだが、このような自己分析法は聞いたことがなく、非常に興味深いアプローチであると感じた。
この欲望年表の作成方法から本書の後半は、勉強を有限化する技術として、より具体的なリーディングとライティングの方法が述べられている。
リーディングに関しては、いかに信頼のおける書物を読むか、そしてそれらに記述されているテクストについて、(自分なりに解釈するのではなく)いかに"文字通り"に理解するかということに重点が置かれている。
特に、「〇〇代のビジネスパーソンはこうあるべき」的な、著者の価値観や経験に基づいた押しつけや決めつけは、どんなに有名でカリスマ的に人気がある人のものでも勉強の足場にすべきではないと切り捨てている点は耳が痛い。
ライティングに関しては、自由連想的にフリーライティングを勧めつつ、あえて箇条書きやアウトライン・プロセッサを利用することで、思考や勉強を有限化できるとしており、この視点は目から鱗であった。
本書は"ノリ"、"ボケ"、"ツッコミ"など、現代口語的表現を用いることで読みやすく書かれているものの、結論後の付記にも記載されているように、著者の経験だけでなく、ドゥルーズ&ガタリによるフランス哲学やラカン派の精神分析学などの学問的な裏付けに基づいた考察であることも、一般的な勉強ノウハウ本や自己啓発本とは一線を画す点であるといえる。
また、國分功一郎氏の『暇と退屈の倫理学』における「暇」と「退屈」、「消費」と「浪費」などの使われ方でもそうであったように、本書においても「ツッコミ(アイロニー)」と「ボケ(ユーモア)」といった、本書を貫く対概念となるキーワードについては、言葉の定義とその用法に細心の注意が払われており、それゆえに説得力があり腹落ちもする。
よって、ある事柄やテーマについての哲学的な分析や考察には、適切な言葉の選択と厳密な運用が不可欠であるということを改めて学ぶことができた。
本書は文庫版にして二百数十ページ程度のポリュームでありながら、勉強に対する原理的な考察から具体的な方法論までをカバーしており、いわば『現代版 (勉強の)方法序説』『現代版 知的生産の技術』といっても過言ではないであろう。
特に欲望年表の作成による自己分析は、これまでの自分の人生を振り返る意味でも、そしてこれからの勉強や研究活動を深めていくためにも、ぜひ実践したい。
自らの思考や行動を変革するきっかけとなる一冊との、久々の出会いであった。