無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで201万冊以上配信中!
あなたのセンスが良くなる本!
哲学三部作のラストを飾る一冊がついに誕生
服選びや食事の店選び、インテリアのレイアウトや仕事の筋まで、さまざまなジャンルについて言われる「センスがいい」「悪い」という言葉。あるいは、「あの人はアートがわかる」「音楽がわかる」という芸術的センスを捉えた発言。
何か自分の体質について言われているようで、どうにもできない部分に関わっているようで、気になって仕方がない。このいわく言い難い、因数分解の難しい「センス」とは何か? 果たしてセンスの良さは変えられるのか?
音楽、絵画、小説、映画……芸術的諸ジャンルを横断しながら考える「センスの哲学」にして、芸術入門の書。
フォーマリスト的に形を捉え、そのリズムを楽しむために。
哲学・思想と小説・美術の両輪で活躍する著者による哲学三部作(『勉強の哲学』『現代思想入門』)の最終作、満を持していよいよ誕生!
――――――
さて、実は、この本は「センスが良くなる本」です。
と言うと、そんなバカな、「お前にセンスがわかるのか」と非難が飛んでくるんじゃないかと思うんですが……ひとまず、そう言ってみましょう。
「センスが良くなる」というのは、まあ、ハッタリだと思ってください。この本によって、皆さんが期待されている意味で「センスが良くなる」かどうかは、わかりません。ただ、ものを見るときの「ある感覚」が伝わってほしいと希望しています(「はじめに」より)。
――――――
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
読めばただちにセンスがよくなる!という単純な話ではないのだけれど、「哲学」の視点で物事を捉えるとこうなるのか、というところがとても新鮮だった。
千葉さん曰く「センスとはリズムだ。餃子が美味しいと感じることも、口の中でリズムとハーモニーが生まれるから」だと、思いもよらない例を出して説明する、
一旦表面上の意味というフレームを取り外し、「リズム」に注目すればその響きにこそセンスが宿っているのだと気づける。
フランス映画の意味深で芸術的なカットが続くさまも「リズム」?
純文学の一見して意味の捉えようのない不可解で抽象的な描写もリズム?
お笑いの「リズムネタ」は意味のない動きや言葉を独自のテンポと演技と声色でエンターテイメントに昇華させる、あれはまさしく「センス」ありきのもの?
言葉の意味だけを捉えれば何のことなのか理解し難い抽象的な歌詞がメロディとオケにのせられて歌われた時、感情の波に揺さぶられるのはそこに用意されたリズムが見事に働いているから?
哲学者とは常人には追いつくことのできない視点で物事を捉え、それを決して難解ではない言葉で見事に「リズム」にのせてスルスルと読ませるように翻訳できる技術の持ち主なのだろうか、ということに唸らされた。
自分が心を動かされたもののどこに「リズム」が潜んでいるのか、どうすれば心地よいと感じさせるリズムを整えた表現を生み出せるのか考えてみたくなった。
Posted by ブクログ
美的判断に関するあれこれを「センス」という言葉をあらためて定義するところから始めて、展開していく感じ。そこに最後、そのセンスを構造的に支える概念としてのアンチセンスなるものが提出される。
これはもう千葉先生の真骨頂(!)とも言えるような。イデアルな命題に対するプラティカルなどうしようもなさ、ジレンマ(、当てはまる言葉なら如何様にでも)を、あいまいでグラデーションな緩衝地帯の中で一旦受け止めて仮固定する、<想像力>=やさしさで包み込むような千葉先生の言葉に僕は救われてばかりだ。
この本で言われていた「センスが良い」状態は自分がよく言ってる「ヒキがイイ」(即ち、技術としての偶然性)ってのに近い気もした。う〜〜ん。
論理的な文章を組み立てるはずなのに、あんなにも詩的で、やさしくて、何より溢れるセンスをヒシヒシと感じるような文章。僕もいつかあんな文章が書けるようになりたいなあ、と思いながらページをめくっていた。
ーーー
以下、喰らったパンチライン。
『何か風景を見るとする。形や色などのリズムがある。そこでは、ごくニュートラルに、非人間的に、安定と刺激の行き来が展開している。と同時に、そこに人間は、誰かわからない誰かの不在/存在をかすかに重ねてしまう。
人間の気持ちに応えたりせず、ただ展開していくだけの物質世界の「無情」がある一方で、そこに、誰かがいないという寂しさを透かし見る。この「無情と寂しさ」の行き来が「エモさ」なのないか、とも考えられるかもしれません。』
Posted by ブクログ
人間は安定を求めている。
想定通りに進むことを期待し、そこに安らぎを感じる。
その一方で反復だけではつまらない側面もあり、一定の予想外・サプライズを求めるのである。
わざわざお化け屋敷やジェットコースターに乗り意図的なストレスを楽しむのが人間なのである。
サプライズは楽しみに繋がるもの、そうじゃ無いものの両方がある。
その違いは安全が確保出来ている、かつ、そのパターンを一定認識できているもの、であるかどうかだと考えられる。
つまり予想を裏切る特定のパターンを作り出すことで、相手に楽しい/面白い、と感じてもらえるのである。
会話の中でギャグを言う/茶化し合う、という行動も、互いに一定の信頼関係がある前提で「普通とは異なること」を言う/行うことで楽しさを感じている行動であると言える。
人間は信頼を基盤にストレス・刺激を感じることで楽しむ生き物であると言える。
Posted by ブクログ
日頃から漠然と感じていたことを見事に言語化してくれている名著。
人は生まれ育つ過程で、特定の、少ないものに固着して視野が狭くなる=あまり他のものに興味を広げず、ある範囲内で満足するようになってしまう。そこから脱するために(つまりは逆張り)自分はジャンルフリーに音楽を聞き、映画を観て、時にこうして本を読んでいることにふと気がついた。(逆張り、と安易に書いたものの、ただわけもなく「逆」だからそうしているわけではなく、そうするのが好きなだけであるが。)
以前、サークルの後輩と「未知の音楽を聞くのって、なんでこんなに面白いのにそうしない人が多いのだろう」という話をしたが、その答えはこの本の中にあった。不安なのだ。「文化資本の形成とは、多様なものに触れるときの不安を緩和し、不安を面白さに変換する回路を作ることである」。自分にそれを教えてくれたのは椎名林檎だったな。「不快を快に変換するマゾヒズム」。現代美術だとか、アンビエントだとか、はっきり言ってしまえば意味不明で、退屈とすらいえそうなものを好むのは「痛気持ちよさ」を求めてしまうゆえらしい。
とかく、ここにすべてを書こうとすると卒論くらい長くなってしまいそうだから、ぼちぼちにする。僕は海が嫌いだ。例えば、電車の窓から海が見える。ゾッとする。それはあまりにも大きい。人間のフレーム=秩序には収まりきらないエネルギーをもっている。怖い。だから嫌い。でも同時に、黒黒しいあの塊に惹かれてしまう自分もいる(=「死への欲動」)。そういう秩序からの「逸脱」ってのは、どうしてこうも魅力的なのか。「足るを知る」より「不足を知る」=「引き算」をする=「諦める」ということを、この本は教えてくれる。シュールをシュールのまま受け止めてくれるのがカルチャーなんだ。僕はいつもそう思う。
Posted by ブクログ
センスとは、「直観的にわかる」ことで、いろんなことにまたがる総合的な判断力である。直観的で総合的な判断力。そして、感覚と思考をつないだようなものである。
モデルの再現から降りることが、センスの目覚めである。
センスの良し悪しはしばしば文化資本に左右されると思われている、と「はじめに」で述べました。文化資本が多いとは、いろんなものを鑑賞したり読んだりしてビッグデータを蓄積していることですが、それは、モデルが非常に多いために、特定のモデルに執着しなくなる、ということでもあります。非常に多くのデータがあり、なおかつ十分にこなれていると、再現志向から降りやすくなる。
「モデルに合わせようとして合わせきれない」というのが悪い意味でのズレで、それがセンスが悪いと見なされる。だったら、そもそもモデルを目指すことから降りてしまい、自分の積極性を肯定する「ヘタウマ」でいいじゃないか。
餃子のリズムは複雑で、多層的に絡み合って展開していきます。音楽ですね。餃子は音楽なんですよ。
・音楽であれ美術であれ、インテリアの配置であれ、料理であれ、その「リズムの多次元的な=マルチトラックでの配置」が意識できることがセンスである。そしてその配置の面白さが、センスがいいということになる。
・より正確に意味を実現しようとして競うことから降りて、ものごとをリズムとして捉える。このことが、最小限のセンスの良さである。
センスとは、ものごとのリズムを、生成変化のうねりとして、なおかつ存在/不在のビートとして、という二つの感覚で捉えることである。
・ハラハラドキドキ→ビート:はっきりした対立関係、存在/不在
・微妙な面白さ→ うねり:生成変化の多様性
反復されるものとしてのリズムは、人間が安定的に生きていくために必要なのです。リズムを形成することで人は「主体」となる。リズムとは、反復と差異です。まず反復がある。それは生きるために必要な反復としてある。
丁寧にコーヒーを淹れることは、コーヒーを淹れる時間をサスペンスにしている。
人間関係の小意味を、一方では0→1でも捉えられるが、それより、うねりとして捉えてみようという方向に向かっています。
旅の初日にはこんな冗談を言ったとか、二日目のお昼を食べたときにはこんなことを感じたとか、旅の断片を思い出しながら、そのひとつひとつに輝きを見る。それは複雑にカットされたダイヤモンドをいろんな角度から見て、輝きを楽しむのと同じことです。
人生の出来事というのは、そのように多面的に楽しむことができる。
・センスとは、喜怒哀楽を中心とする大まかな感動を半分に抑え、いろいろな部分の面白さに注目する構造的感動ができることである。
・センスとは、ものごとを意味や目的でまとめようとせず、ただそれを、いろんな要素のデコボコ=リズムとして楽しむことである。
・そしてセンスとは、リズムを捉えるときに、如を埋めてはまた矢如し、というビート、(もっと複雑にいろんな側面が絡み合ったうねり、という両面に乗ることである。
・さらにセンスとは、意味を捉えるときに、それを「距離のデコボコ=リズム」として捉え、そこにやはり、うねりとビートを感じ取ることである。
・偶然性にどう向き合うかが人によって異なることがリズムの多様性となり、それが個性的なセンスとして表現される。
おそらく重要なのは、反復の「必然性」ではないかと思います。生きることと結びついた必然性です。生物として、刺澈の嵐のなかで、おのれの主体性を仮固定するためにその反復が必要だった、そうするしかなかった、という必然性です。
どうしてもそうならざるをえない問題的なものが芸術と生活にまたがって反復され、変形されていく。人が持つ問題とは、そうならざるをえなかったからこそ、「そうでなくてもよかった」という側然性の表現でもある。問題が繰り返され、何かひとつの塊に見えてくるほどにそこから、果てしない広がりとして得然性がまばゆく作裂する。
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。