あらすじ
人生を変える哲学が、ここにある――。
現代思想の真髄をかつてない仕方で書き尽くした、「入門書」の決定版。
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デリダ、ドゥルーズ、フーコー、ラカン、メイヤスー……
複雑な世界の現実を高解像度で捉え、人生をハックする、「現代思想」のパースペクティブ
□物事を二項対立で捉えない
□人生のリアリティはグレーゾーンに宿る
□秩序の強化を警戒し、逸脱する人間の多様性を泳がせておく
□権力は「下」からやってくる
□搾取されている自分の力を、より自律的に用いる方法を考える
□自分の成り立ちを偶然性に開き、状況を必然的なものと捉えない
□人間は過剰なエネルギーの解放と有限化の二重のドラマを生きている
□無限の反省から抜け出し、個別の問題に有限に取り組む
□大きな謎に悩むよりも、人生の世俗的な深さを生きる
「現代思想は、秩序を強化する動きへの警戒心を持ち、秩序からズレるもの、すなわち「差異」に注目する。それが今、人生の多様性を守るために必要だと思うのです。」 ――「はじめに 今なぜ現代思想か」より
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[本書の内容]
はじめに 今なぜ現代思想か
第一章 デリダーー概念の脱構築
第二章 ドゥルーズーー存在の脱構築
第三章 フーコーーー社会の脱構築
ここまでのまとめ
第四章 現代思想の源流ーーニーチェ、フロイト、マルクス
第五章 精神分析と現代思想ーーラカン、ルジャンドル
第六章 現代思想のつくり方
第七章 ポスト・ポスト構造主義
付録 現代思想の読み方
おわりに 秩序と逸脱
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Posted by ブクログ
思考の論理は「二項対立」で組み立てられ、その一方をプラス、他方をマイナスとする価値観があり、通常はプラス側を支持するように何かが主張される。その時に、二項対立のむしろマイナスの側、劣位の側に味方出来るようなロジックを考え、主張されている価値観に対抗する。そして対立の両側が、互いに依存し合う、言わば「宙づり」の状態に持ち込む。そういう論法がデリダの「二項対立の脱構築」である。
Posted by ブクログ
思想について何の予備知識もない自分には「入門のための入門」としてとても分かりやすく、けど新鮮なことが多くて良い。読み返したい。
構造主義(二項対立/物事には構造=パタン) → ポスト構造主義(デリダ/ドゥルーズ/フーコー) = フランス現代思想 → ポスト・ポスト構造主義(マラブー/メイヤスー)。ちょと遡って現代思想の源流(ニーチェ/フロイト/フーコー)の紹介。からの横道で精神分析のラカンとルシャンドル。最後は行き詰まってる(?)思想の作り方まで。
メインはポスト構造主義の話だが、横道の精神分析(世間ではちょっとオカルト扱い)の章が興味深かった。人間は過剰な生物で自由度がとても高い。一方で動物は単純に/本能の赴くまま/かなり自由度は低い。そこが境界がある(グラデーションはある)。人間は脳の発達により言語習得も相まって認知エネルギーが"過剰に"高い(余している)。本能に対して流動性の高い欲動に影響を受けながら、それを整流していく(教育とかで制限していく)のが成長の過程だと。その配線が変わり人間性が無意識に形成される...。その根本に近づける(かもしれない?)精神分析、受けてみたくなる。子と母と父の関係の話も面白い。
最後の付録で著者のような研究者がいかに原著(=著者曰く暗号文)を一般人向けに読みやすくしてくれているのが分かる。どんだけ人の思考と言語の解像度にgapがあるかを感じる。やっぱり訓練された人は凄い。
Posted by ブクログ
とてつもなく読み手(学び手)に配慮された書きぶり。文体は誠実そのもの。
筆者は今まで知性を壁として提示してきた「哲学者」とは異なる。近年、永井玲衣など、哲学を開く人々が活動しているが、そういう使うための哲学を伝わることを大前提として綴っておられる。パリで実際に学ばれたことも書かれている。あたまがスッキリします。
Posted by ブクログ
先月の「勉強の哲学」に続き、千葉雅也さんの本を読む。日本の現代哲学の本を読んでいると何かと登場するデリダやドゥルーズ、フーコーの面々。フランス現代思想の偉人たちを丁寧に解説してくれるこのような本があることは本当にありがたい。感謝。後半は少々難解で何度か読まないとわからない気がする。逸脱や差異を大切にするポスト構造主義の考え方は、ただ人と違っていれば良いということではなく、むしろ他者は自分と違うという意味で「差異」なのだから、他者に開いていく必要があるんだという視点は納得感がある。贈与論を当てはめると、受け取った後に差し出すということにも繋がる気がする。おすすめ。
Posted by ブクログ
著者は書き出しで、大胆にも「現代思想とはポスト構造主義である」と言い切っている。まさに私が一番に知りたかったことをズバリ最初に言ってしまう。
さらに、著者は「真面目な話の部分」と「雑談のような部分」を「飴とムチ」のように繰り返すので、難解なジャンルの本なのに不思議とページがスラスラ進んでしまう。他の哲学書のような「君たちに私の知恵を授けよう」感が無いのだ。
さらに、おまけとして国語の読解力の強化問題集のような付録まで設けてある、自分の読解手法を一般に公開したくなるほど、著者は語学エネルギーを余していると思った。
読み終わって、著者の言わんとする「現代思想」の全体像はわかった。しかし、これは「思想」という高尚なものなのだろうか?高尚な「人生訓」だったのではないだろうか。
この本で得た人生訓は「人生に正解などない、こだわりをすてて、思うまま生きよ」というものだった。
以上
Posted by ブクログ
脱構築的に物事を見ることで、偏った決断をしなくて済むようになるのではなく、我々は偏った決断をつねにせざるをえないのだけれど、そこにヴァーチャルなオーラのように他者性への未練が伴っているのだということに意識を向けよう、ということになる。(第一章デリダ、p52)
Posted by ブクログ
実生活で支えになるような学びが多く、文章も読みやすかった。
人間は過剰な動物であること。そして、ただそこに存在するだけ。何か意味があるわけではない。無限な謎に向かうのではなく、有限な行為をひとつひとつこなしていく。という点がいつも小難しく考えてしまう自分にとってハッとさせられる内容で非常に良かった。
Posted by ブクログ
この人の文はすごくわかりやすい。理解できるレベルまで書き下された内容だけでなく、何度もその話題を出して復習せよ圧をかけてくる構成に、現代思想の作り方・読み方まで書かれ、まさしく現代思想入門。内容はしっかりまとめ、何度も本を読み返し血肉にしていこうと思う。
Posted by ブクログ
これが聴き放題はすごい!自分的にはニーチェのデュオニソス的なものとフロイトのリビドーの対比で哲学と精神分析学のつながりを示したところ面白った。もちろん、デリダとかドゥルーズ+ガタリとかの言ってることの雰囲気も伝わってきた。
Posted by ブクログ
第4章あたりまでは、めちゃくちゃおもしろい!分かりやすく噛み砕いて説明してくれているんだろうなと感じたし、共感できる思想にも出会えた。ただ、5章以降は、正直難しくてついていけなかった。なぜ難しいと思うのだろう。なぜピンとこないのだろう。抽象的過ぎるから?概念の話で、自身の想像力が及ばないからなのか…。
個人的には、フロイトの汎性欲論や、デリダの二項対立の脱構築が特に好きだし、共感出来たし、自身の人生に取り入れたい思考だと感じた。
ドゥルーズの章で述べられていた、自己啓発的なアドバイスには、人間にある種の決めつけを提供する情報ことで安心させるものが多いのではないでしょうか。という、自己啓発の捉え方も好きだ。
実際、自身が社会に対してどこか正常を強いられている中で、非理性的なものを取り扱ったり、悪とされていることを排除するのでは無く、脱構築することで宙ぶらりんの状態に持っていく。という思考法も重要だと思う。生きにくい世の中ですが、哲学に浸りたいと思うきっかけをくれた本だ。
Posted by ブクログ
無駄なことを書いていない、読み応えのある本。二項対立を考える上で、具体と抽象の横断力が求められると感じる。以前から気になっていた「具体⇄抽象トレーニング(細谷功)」を読みたくなった。
ゼミでのディベートの総決算をしてる気持ちになる内容だった。本書は明確に哲学に寄せて考えるものだが、思考鍛錬として発想を広げられるよい機会になった。
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哲学用語は、日本語訳の仕方に問題があるように思う。脱構築論とかではなく、対立論や二分論などと表した方が幾分か理解されやすいように思う。現代はともかく、当時は排他的だなあと感じる。
同時に、筆者は哲学者は格調が求められた、としており、そもそも哲学書は文学として接するのが正解かもしれない。
123.子どもの生育から見るに、人は根源的にはマゾヒスティックということ?スリルに快を覚えているから、ホラーなどを見てしまうのかもしれない。
Posted by ブクログ
現代思想をわかりやすく概観してくれている一方で、その難しさも仄めかす本だと思った。
デリダやドゥルーズ、フーコーといった現代思想を代表する3人が書いた難解な文章が引用によりたびたび出てくるが、これを咀嚼し、読者にわかりやすく伝えていることを思うと、すごいとしか言いようがない(もちろん、千葉先生なりの理解の仕方・言い回しで、ではあるが)。
哲学書を読む際には、読む対象を定めて、それに向けた準備を程々に行い、挑むのが良いのだろうと思う。その際には、本書で紹介された現代思想の読み方も参考にしたい。
Posted by ブクログ
今年は読書と決めていて本を読んでいる。最近だと新書にも挑戦。哲学系の本も読んだりしてる。
時々もう一人の自分が「なぜ本を読むの?哲学なんて学んで何のためになるの?」と聞いてくる。
今のところの答えが2つ見つかった。
1つ目。俺は自分探しというか自問自答というかよく何かを考えている。何かを考えている自分に酔っているところもある。たまに「考えて、考えて、もうわけわかんなくなってんじゃないの?」という俺の中のGENが出てくることもある。でも俺は考えることが好き。
考えに答えを出すことはそう簡単ではないけど、本や哲学を学んでその悩みのヒントになることがある。だから俺は本を読んだり哲学を学びたいと思うのだろう。
すると「そんなことを認識して何が変わるんだ?」ともう一人の自分がまた聞いてくる。
考えて、考えて、本とかたくさんの引き出しからヒントを引っ張り出して答えを出そうとするうちに自分自身がいい方に変わっていくのだろう。
2つ目。俺はエンタメが好き。最近はいいなと思ったエンタメに対して自分の感想を残そうと決めている。でもその時にうまく自分の気持ちを言語化できないことがある。そんな時本や新書を読むと引き出しが増え、自分の気持ちを言語化しやすくなる。それが楽しくて気持ちいい。時間が経って作品と作品が繋がる時も気持ちいい。
例えば、2日前に映画「国宝」を見た。その感想として、歌舞伎界の異様な血筋文化、妻や娘など周りの人間よりも歌舞伎にすべてを捧げた喜久雄。一見異常に見え、気持ちが理解できないと感じるがそんな人やその世界にいる人たちだからこそできる表現があり、見るものを魅了させる。ということを感じた。
そして、さっき「現代思想入門」という本を読んでいた。そこに、ニーチェの話が出てきた。ニーチェは秩序的・合理的なのもの(アポロン的)よりも混沌的・非合理的なもの(ディオニュソス的)に注目した。簡単にいうと「ヤバいものこそクリエイティブ」という考え。でも、ディオニュソス的なものばかりではダメでアポロン的なものも必要。この2つの拮抗の中において何かが成立するとした。
そんな時さっき読んでいた「現代思想入門」がヒントを与えてくれる。フロイトの精神分析について、「精神分析の本当のところは、記憶の繋がりを何かの枠組みに当てはめることではなく、ありとあらゆることを芋づる式に引きずり出して、時間をかけて喋っていく過程を経て、徐々に、自分が総体として変わっていくことです。」と書いてあった。
そこで、「国宝」を振り返る。歌舞伎には理性や美、いわゆるアポロン的がある。そこに、血筋文化や喜久雄の狂気、いわゆるディオニュソス的なものが拮抗することで見るものを感動させた。
あとニーチェは「狂気なくして偉大な芸術は生まれない」とも言ってるんだって。
今の世の中、コンプラコンプラとクリーンなもの効率的なものへという流れがあるけどそういったアポロン的なものだけでは誰もが感動するものは生まれない。ディオニュソス的なものがなければ壮大なものは生まれない。「国宝」はそれを体現していた。自分も今後何かに打ち込む時このディオニュソス的を忘れないようにしたい。
Posted by ブクログ
主にフランスの現代思想、デリダ、ドゥルーズ、フーコーの「脱構築」について記された本。他にもラカン、フロイト、カント、ニーチェ、メイヤスーなども出てくる。
話し言葉のような平易な文体で、誰にでもわかるようなやさしい文章で説明することを心がけているのがよく伝わった。本書でも述べていたが、これは「入門書を読むための入門書」であり、ざっくりとそうした思想家の一部分的な理解をしようとする人にとってはちょうどいい。
しかし、付録の「現代思想の読み方」は少々蛇足的なものを感じた。いわゆる「本を読むための本」に近い胡散臭さを感じた。
また、この本で出てくる哲学者に興味を持った方に向けて、読書案内を丁寧にしており、非常に参考になる部分だと思った。
Posted by ブクログ
## 主なテーマ
### 1. 二項対立の脱構築
現代思想の核心は、物事を**「二項対立」**で捉える思考法を揺さぶることにあります。善悪、能動と受動、正常と異常といった対立構造の、**「マイナスの側」**に注目し、その価値観を問い直します。著者は、能動性だけでも受動性だけでもない、その間にある**「グレーゾーン」**にこそ人生のリアリティがあるとしています。この「脱構築」によって、物事を単純化せずに、より**「高い解像度」**で捉えることができるようになると説いています。
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### 2. リゾーム的思考と存在の生成変化
現代思想は、物事が階層的な秩序ではなく、横に広がる**「リゾーム(根茎)」**のように多方向につながり合っていると捉えます。インターネット社会は、このリゾーム的関係性を物理的に実現していると指摘しています。また、すべてのものは固定された**「同一性」**を持つのではなく、常に**「生成変化(ドゥヴニール)」**の途中にある**「出来事」**であると考えます。この発想は、仕事のプロセスにおいても、明確な始まりや終わりを定めず、**「ついでにやる」**ことで創造性が生まれるという新しい働き方を提唱しています。
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### 3. 権力と多様性
ミシェル・フーコーの思想を援用し、近現代社会における**「規律訓練」**や**「生政治」**といった権力のあり方を分析しています。これらの権力は、個人を「正常」な状態に管理し、逸脱を問題視する傾向があります。しかし、現代思想は、**「ちょっと変わっている」**「なんか個性的だ」といった曖昧な状態をそのまま**「泳がせておく」**ような倫理を尊重すべきだと訴えています。これは、人間が本来持つ「過剰さ」や**「逸脱」**を抑圧し、人間を**「再動物化」**させることへの警鐘でもあります。
これらのテーマを通じて、著者は、現代社会に蔓延する「きちんとする」ことを求める窮屈な風潮に対し、**秩序から逃れる**思考の重要性を説き、**「他者」**を尊重する**「多様でバラバラな生き方」**の可能性を探っています。
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デリダ、ドゥルーズ、フーコーのそれぞれの脱構築、その源流となっているニーチェ、フロイト、マルクスに触れ、ラカンの難解な精神分析、ポスト・ポスト構造主義の解説。付録の「現代思想の読み方」がありそうでなかったもので面白い。
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現代思想の代表格デリダ、ドゥルーズ、フーコーの概要と彼らの思想につながるニーチェ、フロイト、マルクス、また精神分析に密接なラカンとルシャンドル、さらに現在の構造主義のあとの思想について著者が解説する。加えて巻末では、現代思想の哲学書を挫折せずに読み切るコツ、たとえば二項対立を念頭に置く、固有名詞や豆知識もいったんは無視するなどを語る。
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青春時代にフランス現代思想に憧れた著者の、現代思想観を語り尽くした入門書。
大学の授業やシンポジウムでの講義内容が基になっており、現代思想のおおまかな掴み方がわかる。
新書として世に出されているためか、
「現代思想を学ぶメリットは、複雑なことを単純化しないで考えられるようになること!」
というように書かれているが、
「私達が普段使っている二項対立の思考方法に対して、
その思考の前提条件から取りこぼされている存在を探し出し、
その取りこぼされた存在を含めた前提を基に新たな思考を掲示する、
という現代思想的な方法を学べば、複雑なことを単純化しないで考えられる!」
…という風に私的に読み込めた。
いや、新書一冊でそこまで読み込めんよ!と思う。
なので、これは新書としての建前で、
本書の主眼は、一現代思想ファンとしての著者による、現代思想の読み方の解説だろう。
実際、ポスト構造主義の本とかもっと読んでみたい!と思ったので、著者の術中にまんまとハマってしまったといえる。
各思想家の入門書の紹介もあるため、とりあえず最初に読むにはうってつけ。
難しいことを、難しく考えることが好きな方にお勧めしたい。
Posted by ブクログ
ジャック・デリダ、ジル・ドゥルーズ、ミシェル・フーコーなどの現代思想(ポスト構造主義の哲学)を、毎日の仕事や私生活などの日常生活に取り入れるとどういった態度や実践になるのか?をとても分かりやすく説明してくれてすごいと思った。
すべての決断は何の未練もなく完了だということではなく、つねに未練を伴っている。そうした未練こそが、まさに他者性への配慮である。我々は決断を繰り返しながら、未練の泡立ちに別の機会にどう応えるかということを考え続ける必要があるのです。まさにそうした意識を持つ人には優しさがあるということ。
外から半ば強制的に与えられるモデルに身を預けるのではなく、多様な関係のなかでいろんなチャレンジをして自分で純安定状態を作り出していけというのがドゥルーズ+ガタリの思想。絵を描くのでもいいし、観葉植物を育てるのでもいいし、社会活動に取り組むのでもいい。新しい活動をさまざまに組織化することで人生を純安定化していけばよいのであって、「本当に自分のあり方」を探求する必要なんてない、だからいろんなことをやろうじゃないか。
Posted by ブクログ
現代思想=20世紀フランスのポストモダン思想の入門書。デリダ。フーコー、ドゥルーズ+ガダリの思想を中心に精神分析との関連を含めて極めて平易に判り易く解説した入門書。
自分はデリダやドゥルーズを背伸びして読んでいた30年前にこういう本があればなぁという印象。
昔読んだ、デリダやドゥルーズの内容はもうすっかり忘れてしまっていたけど、今、改めてポストモダン思想に触れてみると、意外にも今の自分の考え方、物の見方、認識などその多くの部分が「ポストモダン思想」の影響を強く受けていることに今更ながら気づく。
ポストモダンもとうの昔に過ぎ去りそれなりの批判もある現在において、改めて意識したその影響が良いものなのかそうでないのか自分では判らないが、そういう時代を過ごした自分にはそのようなものの捉え方や考えが身に染みついているし、気にも入っている。
それこそが老害であるという気もするが、実際、老人に近づいているのは事実であるから仕方なし。
付録の「現代思想の読み方」ぶっちゃけまくってて面白い。
Posted by ブクログ
私的な存在論が、新しい展開をするインスピレーションになった。ありがたい。
あまりにも簡単に読めて、理解できる内容と文体なので、拍子抜けする。
高名な学者が、飲茶の哲学解説書と同レベルまで、難解な現代思想を噛み砕いてくれた、ということに価値があるというのが、新書大賞&14万部という高い世評を生んだのだろうか。
⚫︎はじめに
現代思想の特徴・キーワード
複雑なことを単純化せず考える
二項対立の脱構築
秩序からズレるもの、差異に注目
秩序を仮固定とみなし、たえず逸脱が起きながらも諸要素が共存する状態を考察している
ただの相対主義に陥らない
私的例え
ロシア・ウクライナ戦争において、当然、プーチンを批判するが、問題は複雑なので、戦争終結のためには、ロシアの立場になって考えてみたりする。現在、テレビ報道などでもやっているスタンスであり、ポスト構造主義的な考え方が、一般にも広がった、ということか?
⚫︎第一章、デリダ、概念の脱構築
⚫︎第二章、ドゥルーズ、存在の脱構築
あたりまえの事を言っているように感じる。
p64「すべてが絡み合っているというのは、仏教の縁起説にも似ている…」
だから、東アジア人にはあたりまえに思えるのか?
このポスト構造主義の広がりによって、西洋は東洋思想を再発見し、驚き、憧れるようになったのか?
⚫︎第三章 フーコー 社会の脱構築
フーコーおもしろい。自分の関心の領域。
昔は同性愛行動はいくらでもあったが、同性愛「者」はいなかった。性の逸脱を排除する動きによって、同性愛「者」が区分された。良いアイデンティティと悪いアイデンティティという概念形成により、アイデンティティそのものが意識されるようになり、自己を自己として規定し、束縛するものが生まれた。
p85「むしろ、支配されることを積極的に望んでしまう」
熊代亨「人間はどこまで家畜か」とつながる。
⚫︎ここまでのまとめ
「二項対立ではなく、複雑に絡み合った関係性と無関係性」が、ポスト構造主義の主題だろう。
それは、自民党がなぜ勝つのかを例に挙げるとイメージをつかみやすいのではないか。
経団連と地方団体、日本会議・ネトウヨと統一教会、相反するはずのものがなぜか支援する「もつれ」が自民党であり、投票棄権者や無関心層こそが政権安定の支えになっている。
自民党が腐敗している!議員が悪い!と批判しても、それはほんの一面でしかなく、この構造を生んでいるのは、我々自身の社会の複雑さなのだ。その複雑さを認識し分析する試みが、ポスト構造主義なのではないか。
かつてのような、支配層vs非支配層のような牧歌的な構図では、現実をとらえられない。
⚫︎第四章 現代思想の源流 ニーチェ フロイト マルクス
ショーペンハウアーが気になる。欧州で初の仏教思想を念頭に置いた哲学者。厭世主義、ペシミスト。
世界は秩序だった表象に見えるが、本当は盲目的な意思。我々はそれに振り回される。
フロイトの項
p128 我々には意識の表側で必ず意味づけをし、物語化することで生きているわけですが、その裏側には、それ自体でしかない出来事の連鎖があるのです。
これ、カミュ「異邦人」のテーマにつながる。
Posted by ブクログ
私は本書の著者の千葉雅也さんと完全に同世代の人間である。哲学こそ専攻しなかったが、文化人類学の流れで相対主義や構造主義を学んだ。それ以前の時代ほどではないにせよ、ポスト・モダニズムについての議論は、当時まだとても盛んに交わされていたように思う。私は考古学で大学院に進んだが、文化人類学の院生から相対主義がいかにマズイかという議論を吹っかけられて閉口した記憶がある。
そんなわけで、少し懐かしく思いつつ、本書を読んだ。あらためて、現代思想の大まかなところが整理できて有用だった。とはいえ、わかりやすい語り口だが、やはり私が専門に学んだことがないので、所々理解できない箇所が出てくる。後半部分のフーコー以降の哲学者やその思想については、斜め読みである。
著者がちょいちょい本書で紹介する哲学的な概念を実生活に反映させたり、自身の在り方の根拠にしようとしているのを興味深く読んだ。哲学は実学なのだ。
Posted by ブクログ
勉強になった。
特に、脱構築、相対主義、仮固定、近代的有限性、メイヤスーによる世界の偶然性などは、日頃の考え方にまで影響を与え、僕が(稚拙ながらも)書いているエッセイにも影響を与えたと思う。
また千葉雅也の本を読もうと思う。
しかし、難しかったのは事実であり、哲学を専攻することは難しそうだと感じた。
Posted by ブクログ
内容ほんの少ししか理解できなかったけど、、、各まとめの章でなんとなく理解した気になってとりあえず通読はしてみた
でも、最後の1ページを読んでこの本を購入した当時の自分の助けを思い出せたから、読んでよかったということにする
『身内の根底的な偶然性を肯定すること、それは、無限の反省から抜け出し、個別の問題に有限に取り組むことである。』
Posted by ブクログ
「この本は現代思想に入門する本です。」
現代思想に入門してみようと軽い気持ちで手に取ったのが、間違いだった。
平易な言葉の文章なのだが、行きつ戻りつ読む。
分かったよう分からないような。
予備知識のない者が、読むとこうなってしまうのか。と打ちのめされてしまった。
二項対立、脱構築…
この本の帯に東大、京大1位 10万部突破のあるけど、みんなこのレベルの本をスイスイ読んでいるなんてほんと凄いね。
付録に、現代思想的な文章の読み方のコツが記載さらている。
「細かいところは読み飛ばす。一冊を最後まで通読しなくてもいい。」を読んで少し救われた気分になる。
Posted by ブクログ
「現代思想」とは、1960年代〜90年代を中心に主にフランスで展開された「ポスト構造主義」哲学の別名である。本書は、主にジャック・デリダ、ジル・ドゥルーズ、ミシェル・フーコーという3人の哲学者が打ち出した概念を振り返ることを通して、現代思想の潮流をざっくりと掴むことに主眼を置いている。全体的に読みやすい構成で、著者自身が本書を「入門のための入門」と位置付けている通り、この本を出発点として現代思想に関する様々な書籍に接続できる、そんな良書である。本文中におすすめの入門書を記載してくれている点も親切だ。
さて、少しだけ内容に触れておく。本書によると、現代思想を捉えるうえで最も重要なキーワードは「差異(difference)」である。これに対立する言葉は「同一性(identity)」だが、現代思想では、"差異を強調し、一つの定まった状態ではなく、ズレや変化が大事だと考える"。ここで押さえておくべき点は、現代思想は決して同一性を否定しているわけではないということだ。我々はつい物事を二項対立的に捉え、どちらか一方が"正しい"と結論付けがちだが、現代思想は差異と同一性という対立概念を"脱構築"することによって、我々の思考を次のステージへ連れて行ってくれる。私は本書を初めて読んだとき、現代思想は東洋的な思考の仕方に近いという印象を持った。東洋には古来より、二項対立に還元されない思考法がずっと根付いている。それを編集工学者の松岡正剛は、「別用の可能性(contingency)」や「デュアル・スタンダード」という概念で表現した。あるいは、西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」も近いニュアンスを持っているだろう。
このように、本書は我々自身について考えるうえでも重要な示唆をもたらしてくれる。今世界には、解決すべき重要な問題が山積しているが、現代思想的な思考法は、有効な解決策を見出す鍵になるのではないかと感じた。
Posted by ブクログ
難しかった〜。もう少し分かりやすいかと思いきや、なかなか手強くてあまりよく分からなかった。
とりあえず
デリダは概念の脱構築化、二項対立だけでなく、グレーゾーン、第三の視点がある。二項対立は常に他者を排除する。それを意識して、未練込みで倫理を諦めない判断をする。
ドゥルーズは存在の脱構築
固定された本当の私、というものはなく、関係性のなかで常にかわりゆくもの。気にせず色々やればいい。
フーコーは社会の脱構築
権力は下からくる。弱いものがむしろ支配されることを無意識に望んでしまうメカニズム(パノプティコン)を分析、権力の開始点は明確どなく、多方向の関係性から権力が展開している可能性。
だそう。