有吉佐和子のレビュー一覧
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敗戦後、なかなか立ち上がれなかった女性が、びっこをひきながら、立ち上がり強く生きていこう、と思うまで。
清子にとったら大事だと思っていたことが全て敗戦後崩れ落ち、そればかりか自らを攻撃してくる事態にまでなってしまう。
それらを全て捨てて、自分の脚をびっこにした針だけを頼りに生きる。
その決意は結婚して日本から出る世津子と対照的だけど、どちらも勇敢でかっこいい。
それにしても戦争は惨めで酷いものだったけれど、戦争がお幸や弘一を醜くしたのではない。
お幸も弘一も、本質的にそういう人だっただけ。
弘一は戦争の被害者だったんだろうとは思うけど、少なくとも出征前から誠実だったことは一度もなかったと思う。
お幸は嫉妬で狂った。世津子が清子に嫉妬するくらい美しいと言っていたが、びっこや野暮ったいみなりなど関係ないくらい美しかったんだろう。 -
Posted by ブクログ
ネタバレすごく興味深くて、面白い作品だった。
謎の転落死を遂げた40歳の女実業家・富小路公子について、27人の知り合いが彼女の人柄を語る構成になっているのだけれど、「あの人は潔白だ」「素敵な人」「あんな女のことは思い出したくない」など、語る人によって公子の人物像がまったく違う。読みながら年表や相関図を書きたくなるくらい人間関係が複雑で、公子がいかにうまく人間関係を欺いていたのかがよくわかる。
2人の息子のくだりでは、「ああ、あの2人のどちらかの子どもなのね」と思ったところで、さらにもう一人の候補が出てくる。本当にこの人、何人と同時に関係を持っていたんだろう、と驚かされた。産院にこんなにたくさんの男性が出入りしていたとは思わなかった。
そして、当然のことではあるのだけれど、それぞれが自分の主観で公子について語るため、「ネグリジェで死んだ」とか「殺された」とか、証言の内容もばらばら。27人いれば27通りの公子像があるのは当然なのだけれど、それぞれが自分の目に映った公子を語っているからこそ、同じ人物についてこんなにも違う話になるんだと思った。噂というものも、こうやってそれぞれの解釈や思い込みが混ざって、尾ひれがつきながら変わっていくんだろうな、とも感じた。
公子の言葉には、綺麗で感動するような、励まされるようなものがあったのも事実だった。男関係だけを見れば悪女だし、偽物の宝石を売るのは詐欺だし、勝手に籍を入れることだって悪いこと。それなのに、あの人の言葉には人を動かす力が確かにある。その言葉が一体どこから生まれていたのかは、最後までよくわからなかった。
最後に、血圧が低く体調を崩していたという描写があるけれど、いろいろな顔を使い分けることによる心労が、そうした身体的な不調にも出ていたのかなとも思った。
ただ、知り合いには巧みに嘘をつきながらいろいろなことをしてきた公子が、長男に対してだけは強い執着を見せるのはなぜなんだろうと思った。そこだけは、公子にとって何か特別な意味があったのだろうか。 -
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紹介文に抱腹絶倒とあったけれど、抱腹はしなかったかなあ…。小さな子を残して考え無しにニューギニアに行ってしまう有吉氏には驚いたし、私の想像を大きく上回るほどの発展途上ぶりに有吉氏(と畑中氏)は本当に大丈夫だったのだろうかと少し怖くなりながら読んだ。いくらこの時代と現代で様々な価値観が異なっているとしても!
有吉氏と畑中氏の丁々発止なやりとりは面白かったけど。
およそ60年前の作品と知りさらに驚く。事細かに記され、情熱を持った文章から想像できる鮮明な景色が、古さをまったく感じさせない。
ニューギニアってどこ?というくらいこの国のことを知らなかったけれど、この本を読み終えたら今一体どんな国になっているのか気になるようになった。(お恥ずかしながら…パプア・ニューギニアの前身がニューギニアで合っているのだろうか…)
この本が書かれた当時は戦後20年くらい。作中、まだ戦争の跡を感じさせる場面もあり、今わたしが生きているこの時代は決してパラレルなんかでもなく、こうして未開の地を侵しながらも闘い、時に理不尽に命を落としていった方達の犠牲のうえに成り立っているのだなと感じた。
逆の立場のことも考える。なんの正当な理由もなく、住む場所をある日突然戦場にされてしまった人たちがいたという事実を私たちは忘れてはならない。
この作品のニューギニアのように、発展途上国の奥地の部族がどのように現代文明に接し、彼らの生活に取り入れていったのか気になるところ。その良し悪しについても簡単には語れないだろうな。
60年前の作品がこうして50年以上も経って改めて文庫化されて若い世代にも届いているということは大きな意味があると思う。 -
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8/30は有吉佐和子さんの命日、有吉忌。
『青い壺』は昭和51年(1976年)1月号から昭和52年(1977年)2月号まで、『文藝春秋』に連載された全13話の連作短編集。
単行本となり、文庫化され、2011年に新装版となり、私が購入したものは2025年の新装版、44刷。
半世紀前に書かれた、見事な連作短編集です。
今でこそ多種多様な連作短編が創作されていますが、一つの青い壺が、さまざまな家庭を巡りながら、それぞれの人間関係に緊張感を加えていくという仕掛けが鮮やかです。
雑誌連載ですから、各話限られたページ数の中に、それぞれの家庭の事情、家族の心情、そしてその時代の日本の世情までが収められています。
どの一話をとっても、それだけで一作品になりそうなほどの潤沢さ。それを13話。
そして、ラストとなる第13話での
青い壺を生み出した陶芸家の言葉、〜作品への刻印は、やめよう〜 には 作家・有吉佐和子さん自身が 創作への何かしらの思いがあったのではないかと思ってしまいます。
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ネタバレこれが60年前の小説ってどういうこと!??ってくらい時代錯誤感というか、あ〜昔の人、小説だもんね感がなくて、マジでどういうこと!??って感じだった。
最後の、私もニグロなんだ!ってハッとするところと、日本人のもとで働くのやめよう&トムの瞳から失われた輝きをサムに取り戻させるって決意するところカッコよすぎて痺れた!!!やっぱり腹括って覚悟を決めた女はかっこいいよな
黒いから差別されるんだ!辛い!ってなってたけど、しまこさんたけこさんの件でイタリア人も差別対象、、、?ってなって、
プエルトリコ人になると私よりも下ってこと、、?ってなって、そこから自分もそう思ってることに気づいて自分の中で葛藤があって、
最後にレイドン夫人の一件で自分が普通にトム達を差別していたことに気づいて、、、っていう話の流れで私の感情も揺さぶられた。
私たちの普段の会話とかでも、最近これに気づいたとかこんなことがあってびっくり!!みたいな会話に対して、純粋に驚いたり相手に共感するんじゃなくて、そりゃそうだよとか知ってたとか返しちゃうことがあることに気づいて、それって自分が相手より色々なことを知ってる経験してるって心の中で思ってるからそういう返答が出ちゃうのかなって反省してたところだったから、こういう感情が差別を生むんだなって思った。みんながそれぞれ自分以外の人を見下して自分を保ってるのは悪いことなのかもしれないけど、私は疲れてるとネガティブになってそう考えないと自分が保てなくなる時もあって、本当に難しいなあと思った