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Posted by ブクログ
スピン創刊号で絶版本書店で取り上げられていた
壮絶で愉快
マラリア恐ろしーー
外国へ行くときはワクチン、虫、動物に注意
ニューギニア、すごいところ、人文学者の研究もすごい。言葉を知るためにすごい労力が必要。
「文明」が価値観を変えていきつつある土地と人々を冷静に観察している
現地に行かないとわからないことがたくさん書かれている
果たして文明開花はその土地に住む人にとって良いことなのか??と投げかけている
パンツとシャツを与えられて温厚なテアテアがどんどん偉そうになっていく描写、現地の人には上下関係をちゃんとしておかないと〜という描写、猫?犬?と似てる?と思った
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これは死ぬほどおもろかった。文句なしの5★!人類学者の畑中幸子氏に「あんたもおいでよ、歓迎するで~」と言われてほいほいとニューギニアの奥地に行ってしまい、大変な目に遭うという話し。1968年頃のニューギニアって、こんなんやったんやぁって思うけど、今のニューギニアも知らんけど。そう言えば1973年くらいに「ニューギニア高地人」って読んだ記憶がある。ペニスカップが衝撃的やったけど、有吉さんもそんな人たちとしばらく泣き泣き暮らしたんや(^^ )
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和歌山市の記念館を訪れて以来、有吉さんの作品を少しずつ読んでいる。
今回は紀行文で、知った時には旅行エッセイ好きの血が騒いだ。文化人類学者のご友人 畑中幸子氏に誘われニューギニアの奥地ヨリアピに足を踏み入れるというもので、ハラハラ引き込まれること間違いなしだ。
有吉さんたちの文字通りに歩んだ旅路自体には正直そこまで驚かなかった。辺境作家 高野秀行氏によるハイレベルな珍道中に慣れてしまっているせいで、驚き飽きていたのである。
(意外と合理主義な)高野氏のことだから移動手段はもう少し楽な方法を模索するだろうけど、有吉さんが戦慄したシシミン族への密着取材なんかは絶対「いいじゃないですか〜」と目を輝かせるだろう。
でも体力的に厳しい有吉さんからすればたまったもんじゃないし、高野氏目線から外れるとやっぱり普通にしんどい。現に、2日かけて山々を越えたせいで足にダメージを受け、1週間の滞在予定が1ヶ月になっている…。ゆるい表紙絵からは想像がつかない武者修行っぷりである。
しっかりしたイメージの方が参っている様子は、それはそれで面白かったけど笑
「ニューギニアだなんて、あんなところは、私たちは戦争だから[中略]いやいやながら行ったところですよ。[中略]私が知ってたら、絶対お止めしましたね。私はまた外国とばかり思っていたものだから」
早速ネタバレに入ってしまうが、ニューギニアからの帰国後有吉さんはマラリアに罹病してしまう。上記は贔屓にされていた呉服屋さんが入院中の彼女にかけた言葉である。
ヨリアピにはさすがに旧日本軍も踏み込まなかったが、やはり海側ではまだその当時の記憶が色濃く残っているという。
「外国」という点においても、数学者 藤原正彦氏が「戦後しばらくは『外国』といえばほぼアメリカを指していた。皆何かとアメリカに憧れていた」と述べられていたのを思い出す。
そう考えると有吉さんのニューギニア行きは、新しい時代の象徴のように映って見えた。
「私らの国、あれ、ちょっと狭すぎるな、そう思わへん?」
6−10歳まで、父親の転勤に伴いインドネシアで暮らしていた有吉さん。
戦後も世界各国を歴訪されていて、ニューギニア行きも海外観光の延長線みたいに捉えられていた節がある。(下調べを疎かにされたのは少々!?いただけなかったが…)
紀行文も写真も残さない代わりに食への好奇心は旺盛で、ヨリアピでもしきりに大蛇を食べたがっていた。参っていながらも、人間その気になれば住めば都になるのだな…。
それは現地の通訳やポリス、シシミン族にも臆さない女傑 畑中氏に対しても言える。男性優位のシシミン社会に圧倒されないよう、決して自分を見失わなかった。
夫婦漫才みたくコミカルなやり取りもあった共同生活。
しかし東京で縮こまっていた「女二人」が、あの時代(1960年代後半)にジャングルの奥深くへ乗り込み見事に生き抜いていたことは、もっと語り継がれるべきではないだろうか。
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1985年に刊行されて一度は絶版した本。女二人の破格なニューギニアの冒険が、どれも想像を絶する。またまたと呆れて笑いながら聞いてしまいそうな武勇伝は、まじめに誇大なしの実際の体験だ。文明化された潔癖すぎる社会とはかけ離れた世界。今はどうなってしまったんだろう。文明化されない変わらないでいてほしい気持ちは、関わりのないところから無責任に考えるエゴだ。それにしても作者ともう一人の方の女、人類学者の畑中さんの強さには惚れ惚れする。おもしろい本です。
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ニューギニアの大自然と文明とは隔絶された民族とに出会う大冒険のエッセイ。
民族たちの力強さを感じるとともに、文明に生きる我々との隔絶も感じる。その隔絶の中で、コミュニケートして共に生きるには上下の別を厳しく言わないといけない面もあると思われる場面も多々描写されてる。安易に平等に、情をかけると、舐められてあちらの論理で豚三匹と交換されてしまうかもしれない。異文化と接するには、異なることを主張することも必要かと気付かされる。
されど彼らの生き方、文化に対して、我々の文化文明が優れているとは言えないし、文明人気取りする我々の価値観で彼らを測ることができないのも事実だ。それは余計なお世話だし、ほっといてくれと思う。けど、文明と接触することで彼ら自身も毒されていく(変容せざるを得ない)し、また、資源を巡って経済的に、資本主義により蹂躙されることも生じてしまう。
所謂西洋先進諸国の人権基準とは異なる価値体系にある人達の権利を守ることはできるのか。押し付けることなく、異なる価値体系の中でも接触しない距離感を保ち共存することができるのか。その課題へのアプローチは、自然保護の考え方に繋がる気がする。
距離を置き手付かずのままおく保全
介入して手を入れて支援する保護
利用しながらいい距離で付き合うこと 里山
利用全面で取り込むこと
そして一方的な収奪
どの距離を拒み、どの距離を選ぶのか。適切な関係性を維持できるかが課題になりそうだ。
Posted by ブクログ
スピン創刊号にて中島京子さんが手に入りくい絶版本で
紹介していた時から気になっていた本。
河出文庫から復刊していたので購入した。
私が生まれるより昔の話で、そんな時代にニューギニアの奥地にお友達の人類学者の畑中さんに誘われて
軽い気持ちで行った有吉さん。
それが行くだけでバーガラップ(私は壊れた)状態になってしまった、凄まじいジャングルの強行軍。
そんな有吉さんと畑中さんのニューギニアでの日常が面白い。
この機会に読めて良かった。
Posted by ブクログ
1968年未開の地ニューギニア。
文化人類学者の畑中さんが逗留している、発見されたばかりの部族の村に呼ばれ、
都会の小説家の有吉さんが何の覚悟もなく軽い気持ちで遊びに行ったら、とんでもない目に遭ったお話です。
とにかく畑中さんがすごすぎる・・・
キャラが濃すぎてフィクションの人物なのかと思うほど
強烈な個性をお持ちの方です。
でも、このくらい自分の感情を素直に表に出せるからこそ
屈強な男性ですら尻込みする環境の中で
生活することができるんだなぁと思いました。
傑物と言わざるを得ません。
対する有吉さん(著者)はお嬢様然とした都会のおしゃれな作家さん
言葉の端々にお上品さが拭えません。
単身海外に行くだけあって、人一倍強い行動力や好奇心をお持ちです。
有吉さんも只のお嬢様ではないのですが
空港に着いた時から来たことを後悔しています。
というか、畑中さんよくここに人を呼んだな・・・
そして著者の有吉さん、よく行ったな・・・
有吉さんすごく頑張ったと思います!
そしてまたすごいのが、
この本が出版されたのが1985年ということ
今から約半世紀前なのに全く時代を感じさせないことです。
当時は職業婦人なんて言葉がある時代に、このようなタイプの女性はかなり珍しかったのではないかと思います。
半世紀後の現在、
お話に出てくる土地をGoogle Earthで調べてみました。
オクサプミンは見つけることができたのですが
ヨリアピは見つけられませんでした。
この辺は2023年現在でもGoogle Earthで見ると緑しかありません。
シシミンという部族も検索で引っかからないので
その後、どうなったんだろうと気になってます。
今でも当時のような生活をしているのでしょうか?
この本は一度絶版になり、最近復刊されました。
とても面白かったです。
Posted by ブクログ
有吉佐和子さんは、
女の情念たっぷりの重々しい世界を描く作家さんと思いきや、冒険譚的な笑いたっぷり発見たっぷりの旅紀行まで描く。
ニューギニアで単身調査している友人の人類学者さん(畑中幸子先生)に誘われて軽い気持ちで遊びに行ったら大変な未開の地だった…。
2日かけて山を越えたり、布からパンツを作ってみたり、なけなしの野豚でカレーを作ったり、出産後の女性の家になんとか調査をねじこんだり、なんとか生活し調査していく様子が、とてもワクワクした!
(材料が少ないところでモノづくりや生活を組み立てていくストーリー大好き)
紀行本をもっと読みたくなった。
あと畑中先生の本も読んでみたい。
Posted by ブクログ
海外で文化人類学の研究をしている友人の家に遊びに行く。ただしそこは1968年のニューギニア、研究対象はほんの数年前に「発見」された部族、家はセスナ到着地から3日歩く必要があり、その3日の行程の大半は富士山クラスの山を複数越えるものだった…
とぼけた有吉さんと女王然とした学究の徒、畑中女史の暮らしは辛そうだけど笑っちゃう。
Posted by ブクログ
のほほんとしたお気楽な雰囲気の文章ですが、書かれている状況は壮絶。
女二人の、半世紀昔の、「文明社会」と出会って間もないニューギニアです。そこに住まう現地の皆さんを思い浮かべると、今なら使うのを躊躇っちゃうような言葉が自然と脳裏に浮かんでくるワンダーランドです。
そんなところでフィールドワークをやっているお友達(私はこの人を密林の王者と呼びたい。)の文化人類学者、畑中さんに誘われて、うかうかと出かけて行った有吉さんの、これは自発的遭難体験と、奇跡の生還の記録です。
笑い事じゃないけど、抱腹絶倒。
…ヘリコプターも道に迷うんだ。
Posted by ブクログ
1985年に朝日文庫から刊行された『女二人のニューギニア』の再文庫化になります。
著者の有吉佐和子さん(1931-1984)が、
ご友人で文化人類学者の畑中幸子さん(1930-)(当時、東京大学院文化人類学在籍、現在は中部大学 名誉教授)のフィールドワークを訪れた際の、壮絶だけども笑えてしまう滞在記になっています。
「ニューギニアは、ほんまにええとこやで、有吉さん」という畑中さんのお誘いに「じぁあ、行くわ。案内してくれる?」と大層気楽な気持ちでスタートしてしまったこの旅は、大変なものになります。
悲惨な状況が続くんですが、文章が面白すぎて何度も何度も笑ってしまいます。
のっけから、ニューギニア行きを止めてくれなかった周囲への不満がたらたらと。笑
道中・滞在記では、お二人のやりとりが生き生きとして伝わってきて、本当に面白いです。
とにかく大変極まりないんですが。
現地に行くため二日間ジャングルを歩き、疲れて三日目に「こわれてしまった」有吉さんを、迎えにきてくれたシシミン族の人たちが運んでくれる描写など、最高に笑ってしまいますよ。
考えさせられることもしばしばです。
戦地だった傷跡も描写の中に出てきます。
また、白人はネイティブをバカにし、その白人から文明を取り入れた者が、また新たなヒエラルキーの頂点に立つようなところは、植民地時代から繰り返されているであろう人のエゴが感じられます。
「山野を自由自在に駆け巡っていた彼らが、文明という眼鏡をかけ、文化という靴をはき、贅沢というシャツやパンツを身につけるようになるのが、幸福といえるかどうか、難しいところだ。」と記されています。(ケン・リュウ氏の「紙の動物園」に収められた「結縄」にも感じた想いです。)
色々ありますが、たくましいに尽きます。
仕事などで疲れている時に読むと「まだ頑張れる!」という気持ちになれるかもです!笑
Posted by ブクログ
ウチのおばあちゃんが私と同年代の頃??
という時代のものであるが、なんて読みやすくおもしろいんだ。
壮絶すぎるのに軽快な読み口で、ついにやにやしてしまう。
いやもう、有吉さんよく帰ってこられたな。
そして畑中さんのパワフルさというかもう強くなければこんな凄いことはできないわ。
凄まじいもの読んだ。パワーもらった。
Posted by ブクログ
女二人のニューギニア滞在期
想像を絶する過酷さに最初は驚きの連続だったが、徐々になにが起こっても「まぁニューギニアの奥地だしな…」という思考になっていった
40年前に書かれた文章とは思えない程、いきいきとしていて、読んでいて本当に楽しかった!
これを読んでニューギニアに行きたいとは思わなかったけど、有吉さんがヨリアピを訪れたのが今から55年前だし、今現在この地がどうなってるのかは気になる
調べてみても出てこないから、もうなくなってしまったのかなぁ
Posted by ブクログ
有吉佐和子もこれまで未読の作家であった。人に勧められて読み始めたこの旅行記で、有吉は1960年代の活力にあふれた時代を体現する人物だったんだと認識した。文化人類学者の畑中幸子の「ニューギニアまでおいで」の一声でまだ未開の地であったニューギニアまで行ってしまう有吉のパワーは底知れない。帰ってきてから何で止めてくれなかったのだと友人知人に訴えたそうだが、きっと行く前なら引き留めても「大丈夫」と受け入れなかっただろう。また事前に現地の様子を調べておかなかったことを帰ってから悔やんでいたようだが、きっとこの人はインターネットで簡単に調べられる現在でも、どんな土地か下調べしないで突入していたように思わせる。「華岡青洲の妻」のドラマをテレビで見て有吉佐和子に関心を持てなくなっていたが、いやいやどうして自身と畑中さんを物語として描き出したこの1冊で、傑出した筆力をもつ作家であったんだと思い知った。
Posted by ブクログ
有吉佐和子は人としても「持っていた」のだなと唸ってしまう。特に日本に帰る顛末は映画のようだし、帰国後の後日談もすごくて、まさに事実は小説より奇なり(ここで改めて筆者の呑気さが分かってびっくりする)。
「専門家ではないからシシミン族のことより畑中さん(筆者を招いた人類学者)とのことを書いた」と書かれてる通り、女2人の友情ものとしても読める良い本。
Posted by ブクログ
いや、面白かった。
今でいうアラサー?アラフォー?30台後半だからアラフォーなのかな?に3日かけて道なきジャングルを踏破して文化人類学者のフィールドワーク最前地に行くとか。無謀にもほどがあるだろう(笑)としょっぱなから笑ってしまいました。
「悠揚迫らざる」という表現も知らなかったので勉強になりました。
現地の人が昔から繰り返してきた暮らしを、今の自分の文化や人道的観点から批判したり差別することはたやすいけれども、ありのままの現状を調査して知る、という事が文化人類学という学問なんだろうなぁとしみじみ思いました。そして畑中先生の和歌山弁での命令や叱咤には実感がこもっていて笑ってしまいました。日本のペラマダムという言い方も面白い。それにしてもマラリアって怖い病気ですねぇ…
それにしても半世紀以上前にまさに未開の土地へ、今のような通信手段もネットワークもなく単身飛び込んだ畑中さんはすごいなって思いました。今度著書を読んでみよう。
Posted by ブクログ
ニューギニアという日本とまったく異なる文化、環境のなかで逞しく生きる畑中さんと、それに衝撃を受けながらニューギニア生活を堪能?する有吉さんのお話。
自然も人も圧倒的に強くて過酷!!!こんな世界が同じ地球上にあって、今も存在し続けていると思うと不思議な感じ…
有吉さんの書きっぷりがコミカルで軽やかで、未知の世界について気軽に楽しく、だけど臨場感をもって知ることができて、有吉さん本当にありがとうと思いました。笑
Posted by ブクログ
今の生活を考えると、ここまでの体験は到底できそうもないが、もしも体験することできたら自分の常識が全て覆されるのだろうなと想像し、羨望の心持ちもある。でも過酷すぎる自然や苛烈なウイルスによる攻撃は遠慮申し上げたいな。まずは少なくとも異文化や異質なものに関心をもち、触れていくことで、自分の幅を広げていきたいと思う。
Posted by ブクログ
作家の方のエッセイって、もっときっちり記録をとっていて、時系列で書かれてるのでは?と思い込んで読みはじめたら・・・
1968年の3月頃から5月頃までの約3ヶ月のニューギニアでの生活を綴っている。有吉佐和子の友人である、文化人類学者畑中幸子さんのもとで暮らすのだが、何しろ、ニューギニアの人たちが白人と出会ってまだ9年とか、そのくらいなので、文明が到達していない! ニューギニアでも、小さな空港からセスナで飛んで、さらに3日間いくつもの山を越えていく、その先に、畑中邸がある。畑中さんが研究してるのは、シシミン族の暮らし。もう、何しろ1978年。仮に舞台が日本でも現在とはかなり違ううえに、文明の影響を受けていないニューギニアの僻地。私の想像ではおっつかない!
南の国は、虫がでかいし、夜になったらいっぱい家のなかに出てくるらしい。無理だー。
食べ物は備蓄できる缶詰め。でも今みたいにバリエーションがない。野菜を植えても、トマトばかりできる。シシミン族の人たちに、畑中さんや有吉さんの「常識」なんて通じないので、1度トマトをあげると、次の日も「くれー」と集まってくる。ただでもらえると思われると、それも厄介。
ただ、色んな出来事が、有吉さんがニューギニアに行って何日目で起こったことなのか、ざっくりとしか書いてないし、時系列になってないから、よく分からんというのは、ある。
でも、有吉さんと畑中さんのやり取りがおかしかったり、とにかく、畑中さんが未開拓の土地で、女1人で研究してるってことがすごいことやと思う! こういう地道な努力を重ねられた多くの研究者の方の存在のおかげで、色んな国の文化や言語や慣習とかが分かっていってるんやね。
文庫本だつたので、カバンに入れて2ヶ月ほどちびちび読んでたので、途中で「早く日本に戻りたい」と思ってしまった。笑。
早く読みきるのが良いでしょう。
ちなみに、有吉さんの帰国はあっという間だった。ただ、帰国後マラリアに感染してることが分かり、入院。当時はまだ、出国前にワクチンが必須とかいう時代じゃないもんねぇ。そう思うと、1968年って、やっぱり昔だなぁーと思いました。
(有吉さんが38歳の頃)
※最初の投稿時に、1978年と記載していましたが、正しくは1968年です。9月1日に修正しました。
Posted by ブクログ
面白かったけど、、、
抱腹絶倒のエッセイという口コミで読んだけど、そのようなシーンは無かったかなぁと思います。
著者の表現力には脱帽も、他の本に比べて読み進めるのは遅くなってしまいました。
(そもそも私が海外旅行とかあまり行かない人間というのもあるかと思います)