あらすじ
読めばハマる有吉佐和子。幻の名作長篇
無名の陶芸家が生んだ青磁の壺が売られ贈られ盗まれ、十余年後に作者と再会した時。人生の数奇な断面を描き出す名作、復刊!
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売り出し中の陶磁家がある時、偶然に名作ができ喜んでいたが、周囲がさほど気にかけないのに腹を立て、家を不在にしている間に妻がその名器を売りに出してしまうところから話が始まる。タイトルの「青い壺」はいろんな人の手に渡り、それぞれの家庭や環境の様子を映し出す。
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美しい青磁の壺が色んな人々の手に渡りながら、様々な人生模様を映し出していく物語。
50年前の作品ですが、人の悩みや考えることって今と変わらないのだなあと思えます。
おばあちゃんの同窓会の話とか面白くて笑っちゃった。
あと、美術品って難しいのだな、と。真偽のほどは誰にも分からない。
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刊行50年たっても、「嫁姑問題」「老い」「見栄」「人間の欲」は人間の変わらない普遍的なテーマだと感じた。
青い壺の色は、各話によってあたたかい色に感じられたり、凛とした色に感じられたりする。
うつくしさとは、その人の心持ちや置かれた環境によって変化するのではないだろうか。
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有吉佐和子さんは『紀ノ川』以来だが、今読んでも引き込まれる文章で上手いと思う。この本は青磁の壺が作家の手を離れ人から人へと渡っていく話で、読みながら幾つもの人生を垣間見るという新鮮な驚きがあった。
見事な青磁色の壺が焼き上がった。古色付けで生計を立ててきた省造の思いを知る妻は壺をデパートに売ってしまい…〈第一話〉
定年退職した寅三は、妻から渡された青い壺を持ち上司へ御礼に出向く。かつて自分がいた席に座り、書類に判子を押す寅三にやるせなさを覚えた〈第二話〉
持ち帰った青い壺は上司の妻の花器となり〈第三話〉
遺産相続話は身につまされた〈第四話〉
50年ぶりの同窓会に参加する70歳の弓香。仲間との珍道中が微笑ましくも滑稽だった。青い壺の値段が三千円というオチは流石〈第九話〉
第十三話でやっと省造と巡り会うが、青い壺の旅はこれからも続くのだろうか。
人生の悲喜こもごもが余すことなく描かれていて、本当の豊かさ、物の価値と人の幸せについて考えさせられる作品だった。
第十二話が心に残った。
還暦を過ぎたシメさんは大病院で清掃婦として仲間と働いている。患者に貰った凋れたバラの花を生き返らせ、乾燥させて花びらの入った枕を作る。甘い香りに包まれ眠るシメさん。今の自分に満足して生きる幸せな女性だなぁと思った。
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一昨年か、原田ひ香の帯文「こんな小説を書くのが私の夢です」がバズりブーム再燃とのうわさを聞きつけ。
壮年・老年期に入った市井の人々が織りなす群像劇。
決して爽やかではなく、ねちっこい嫌味や妬みが言葉の端々ににじみ出る。でもこれが人間らしさだよな、としみじみ思うのである。
劇的な展開はなくなんてことない日常の一部を切り取っているだけのはずなのに、ここまで人間心情の細部を浮き彫りにする描写は、嫌悪感と快楽を同時に与えてくれる。
時代性もあり戦争前後の体験が随所に語られる。
戦争による凄惨な生活と、それ以前の豪奢な生活のコントラスト。その延長線上になんとか留まれた人々が本作品では多く焦点を当てられている。そこに映る、現前されない醜悪さみたいな、なんかドロッといた気高さを感じる。
各短編における青い壺登場シーンが、恐ろしい。急に現れる。物語に大きく寄与するわけでもなく、平然とその場に存在する。不気味である。
青い壺の製作過程を知っている読者は、登場人物たちの滑稽さを俯瞰した視点で、くすっと笑える仕組み。でもちょっと待って、私も誰かからしたらその嘲笑の種になっているのかも。あぁ、恐ろしい。
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青い壺が色々な人に渡り、渡り着いた場所での様々な人間模様を、ゆったりした気持ちで読めた。昭和の前半の話であるが、令和でも変わってないなーという場面が数多くあり、これだけAIが発達し、情報社会になり、便利な世の中になったのに、人間の感情は変わらないんだなと思った。読み終わった後、どこか安心した気持ちになった。
牧田がデパートに売りわたした壺と骨董品鑑定家園田の邸で再会したのが1977年1月、巳年だった。
第12.話は前年、1976年終わり頃、園田は入院中、同じ病院のやはり特別室に第9話の京都旅行の主人公弓香が入院していた。
第9話の京都旅行は1974年または1975年、
9月の弘法市で弓香さんが壺を3000円で買って
新米栄養士の孫娘に、
そして孫娘の上司の修道女がスペインに一時帰国するときの餞別として贈られる。
海を渡った青い壺はどういう経緯でスペインの
骨董品店に並ぶのか?
また、第8話で空き巣に盗まれた壺が京都の弘法市に並ぶまでの経緯も興味がある、
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この本の帯にあった「こんな小説を書くのが私の夢です」という原田ひ香さんのひとことに強く惹かれて手に取りました。その言葉通り、読み終えた今では「なるほど、これは作家が憧れる小説だ」と素直にうなずけます。近年になって再評価され、半世紀前の作品とは思えない勢いで読まれ続けているのもわかります。
まことに恥ずかしながら、著者は有吉佐和子さんなのに、読み終えるまでずっと阿川佐和子さんの本だと思い込んでいました。読みながら「エッセイだけでなく、こんな巧みな小説まで書けるとはすごい!」などと感心していたのですから恥ずかしい限りです。私の年齢からして軽い認知症の始まりでも不思議ではないですが、知ったかぶりして家内にうんちくを垂れなくて本当に良かった...。
物語は、無名の陶芸家が偶然生み出した見事な青磁の壺が、人から人へと渡り歩き、そのたびに持ち主たちの人生に波紋を広げていく十三編の連作短編集です。昭和52年に刊行された作品でありながら、そこで描かれる人間の欲、見栄、寂しさ、そして小さな幸福は、令和の今読んでも少しも古びていません。むしろ時代が変わっても変わらない人間の本質が、青い壺を通してはっきり描かれています。
もし我が家にも、そんな不思議な魅力を持つ「青い何か」が巡ってきたら、その美しさに見とれる前に、まずは少し距離を置いて眺めることにしようと思います。
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青い壺が次々と人の手に渡っていく話です。
といっても、壺がメインの話ではなく
お話しのアクセントとして青い壺が出てきます。
でも、私ならいただきものをそんなに軽々しく他人へプレゼントはできないですね…
時代設定が戦後まもなく〜復興後のようなので、その頃は良い物は、いただき物でもプレゼントにする風潮があったのかな。
オーディブルで聞きました。
NHKの朝ドラのナレーションみたいな語り口で始まったので、えっ!と思いましたが
話が進んでくると普通の口調になってきて
よくわからない演出でした。
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昭和50年頃の話だと思うが、登場人物の話す言葉が美しい点が感慨深い。現在を舞台にする小説は、話し言葉、そして、SNSの投稿を表現に入れざるを得ないので、なんと言っても言葉が汚く刺々し区うんざりすることも多い。その点では、気持ちよく読めた。
連作短編で面白くは出来ているが、時代だろう、「女は〜」、「男は〜」なる表現が散見され、且つ、登場人物の行動もそれにあったものであることに少し反発を覚える。
中途半端に昔だから余計なのだろう。これが、明治や平安時代のものならば、反発も覚えずに、「ああ、そういう時代だもんね」と受け止められるのだろうが。昭和の最後というのは、そんな大昔でもな区、私が経験した時代でもあるので、「女は〜」と言われて当たり前だと思っていたけど、窮屈だったなぁと感じてしまうのだろう。
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有吉佐和子の凄まじい洞察力と表現力に驚かされた。
青い壺は、タイトルの通り「青い壺」を中心に物語が進んでいく連作短編である。
壺の持ち主が変わるたびに、その周りにいる人々の日常や人生が語られていく。話の内容や登場人物の会話から、おそらく戦後から昭和40年頃の日本が舞台だと思われるが、まるで自分がその時代を生きていたかのように情景が浮かんできた。
欲、見栄、嫉妬など、誰の中にもある感情を否定せず、「人間らしさ」として自然に受け容れて表現しているところに、この作品の魅力と温かみを感じた。
登場人物の心理描写がとても繊細で、自分こそが青い壺になり、登場人物たちを静かに観察しているような気持ちになった。また、その時代に日本で作られた壺であるのに、別の人の手に渡るたびに、これは唐物だの、大昔に作られたものだの、テキトーなことを言われる壺が滑稽に思えた。人は信じたいものを信じるし、誰しも、ものの見方に偏りがあることを改めて実感させられた。
読み進めるうちに、時代が変わっても変わらない人間の本質が浮かび上がってくる。夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介、太宰治……など、日本文学が見つめてきた人間の普遍性と通じるものを感じた。
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省造が焼いた青い壺が、流れ流れてスペインにまで行き、そしてまた戻ってくる。
その間、壺は人々の人生の一端を黙って見続ける。
ただ静かに。
思うのは骨董の真贋のあやふやさ。
骨董ではなくとも大切な贈り物として手から手へと渡った青い壺。
割れもせず良い古色が付いたのは、人の悲哀や笑い、諦めや老衰などをその壺は吸い取っていったからではなかろうか。
本物の浙江省の青磁を見たくなる。
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少し前に再評価されてブームになっていると聞き読んだ。
無名の陶芸家の焼いた青い壺にまつわる連作短編。
生み出した時の評価とは別の要素で価値が決まって行く価値観の変化がおもしろかった。
この作品が書かれた時代も現代も変わらず古さを感じさせないものでした。
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■はじめに
昭和の作家たちは、物語だけでなく“題名”に魂を込めた名人が多くいた。「斜陽」「点と線」「永すぎた春」「恍惚の人」─題名が時代を超えて一人歩きし、今となっては「それって元は小説の題名だったの?」って言われるほどに。
この『青い壺』もまた題名がすでに美しく、謎を醸す。著者 有吉佐和子が半世紀ほど前に発表したこの小説は、文藝春秋社の編集者の情熱によって文庫化され、ロングセラーとなった。
昨年読み、気になる箇所があり再読。鋭く辛辣な風刺の巧さに改めてしみじみと感じ入った。
■あらすじ
名もなき陶芸家の手で焼かれた、ひとつの美しい青い壺。その壺は、ふとしたきっかけで人から人へと渡り歩いていく。
目利きの骨董商、心ない持ち主、偶然手に入れた外国人、アートに惑う評論家…。あるときは粗大ごみのように捨てられ、またあるときは歴史的名品として崇められる。けれど、壺そのものは美しさをたたえたまま何も変わらず、ただただ静かにその身をさらしていく。
やがて、風のように巡り巡ったその壺は、ある日思いがけず“つくり手”のもとへ戻ってくる。そして、陶芸家が選んだ最後の行動は、名声よりもずっと深い“ものづくり”の本質を突きつけてくる…。
■内容
名もなき陶芸家が焼いたひとつの壺。青く静謐なその壺は、持ち主を変えながら旅をする。
そこに描かれるのは、人の欲深さ・名誉欲・見栄・無関心。そして、何よりも芸術に対する無知と盲信が、〈値打ち〉を株価のように乱高下させる。それは、芸術品にとっての祝福なのか…呪いなのか…
■感想
一言で言うなら…「ひとつの壺が語る、人間の欲と滑稽と、静かな誇りの物語」。
昭和の香気さを放つ軽妙な小説ながら、終始、読者に問いかけてくるのは、はたして「値打ち」とは何なのか?
この青い壺のように、ただ美しいだけのものを、「「いくらですか?」「本物ですか?」「将来、値上がりしますか?」と、誰かに測られるものではないと頭ではわかりつつも、人は「付けられた値段」に安堵し、「鑑定」に依存し、「評価」に踊らされてしまう。
そういう人間の愚かさを、有吉佐和子は淡々とした筆致の中に、皮肉をたっぷりまぶして描き切る。その視線は辛辣、でも冷酷ではない。
当時から半世紀経ち、値打ちに踊らされる人たちが巨大なマーケットを生んだのか「転売ヤー」なるものが跋扈し、みっともない人たちが大手振って歩く時代に突入しています、有吉さん。
Posted by ブクログ
言うほどよくないかな 出版社の意向と最近テレビで取り上げられて再燃しているこちらの本。ぶっちゃけストーリーは、最近の作家である青山美智子氏のエスキースの方が、似た展開で言うなら面白かった。
ストーリーが同時代に展開されていたのだが、全くそうとは捉えられづらかった。
Posted by ブクログ
登場人物が活き活きと描かれててよかった
青い壺を巡り巡って人間模様が描かれる群像劇が面白い
でもニクヨさんがなんでそんな推してたのかはわからなかった
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一つの壺にまつわる連作短編集。
前半は、壺と上手く絡みのあるエピソードの中で、各話ごとに様々な人々の心情が描かれていて面白かった。
後半は、壺が殆ど出てこない回もあったりして少し残念。全体的に何が起こる訳でもない、しっとりエッセイのような作風なので好みは分かれるかも
Posted by ブクログ
色んなところで紹介されていたので読んでみました。かなり古い作品なのですね。
青い壺の作成から、色々な人の手に渡り、最後に作者の目にふれることとなる連作短編。
当然のことながら時代背景が古く馴染めないところがあったがそれもまた良し。
Posted by ブクログ
すごく話題になってたので読んでみました。
正直な感想は
「私には刺激の少ないストーリー」でした。
青い壺が巡っていき、巡りながら関わっていく人のお話なのですが、スッと入ってこなくて...
この作品自体が昔の作品だからかな...と考えたりもしたのですが、読みにくい感じではなかったんですよね...
たんに私と合わなかっただけかも。
他の方の批評をまた読んで、
この作品の解像度を高めて、またいつか読んでみたいです。
こういった作品を面白く読める人になりたい...
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ながれていく時間のなか、変わらないものはないと思う一方で、生み出されたモノはこうして残って人々を見つめる。美術品て面白いなあと思えたけど、なんだか…評価されるだけある!に乗り切れなかった。
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一つの壺に絡む短編連作のヒューマンドラマ。
無名の陶芸家が焼き上げた青磁の壺が、売られたり、贈られたり、様々な人の手に渡りながら、それぞれ人生の1ページに刻まれていくというお話。
描かれているエピソードはいずれも何気ない人生模様なのですが、それだけに共感するところも多く、しみじみする作品でした。
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この本を面白いと言える人間でありたい、と思う。
今から50年近く前に書かれていながら、今なお不朽の名作として語り継がれる本書。
名もない陶芸家が作った素晴らしい青磁の壺が、色々な人の手を渡り旅をする中で、各人の姿やその感情を映していく、というあらすじになっている。
青磁の壺は決して物語の中心にはならず、人間ドラマを隅から眺めている、というような印象を受けた。
壺により、緩やかな紐帯を持った人々の人生が13章に渡って繰り広げられている。
▶ ︎変わりゆくもの、変わらないもの
物語は1970年代、戦争から高度経済成長期を経て人々が自分たちの生活を取り戻しつつあった時代に展開されている。私が若輩者だからなのか、時代の違いなのかはわからないが、日常生活に青磁の壺があることがまず今を生きる私との大きな違いであると感じた。
贈り物や花を生ける受け皿として、また、部屋を彩る家財として、美しい壺を扱う場面など
私の人生でこれまでもこれからもあるだろうか?
綺麗な花を飾ろうと思っても、きっと多くの現代人は青磁の壺を用いようと思わず、家具量販店の花瓶を用いるだろう。今、この物語を書こうすると、青磁の壺はどれだけ美しくとも人の手を渡ることなくコレクターの手元に留まり、青磁の旅物語は始まることなく終わったに違いない。ものが溢れておらず、多くの人のものに対する評価が等しかった時代だからこそ、この美しい青磁の壺は意味をなしたと感じる。
一方で、青磁の壺が映す人の営みはいつの世も変わらないと感じた。嫁姑問題や遺産相続、年老いた母の介護、夫との特別な外食を迎える妻の歓びなどが描かれており、それらそれぞれに「あるある」と頷きながら読み進めた。特にバーにおける章が印象に残っている。若者と中高年がそれぞれの価値観をむき出しにし、口論になるという場面で、論点は戦後ならではの価値観の相違ではあったものの、「今どきの若いもんは」というような吹っ掛け方とそれに対する若者の反論はこの時代から変わらずあるんだなと感じた。
また、それによりバー店員が萎縮し困りきるという構図も変わらない。いつの世であれ、人の感情やそこからの行動というものは簡単には変化しないだろう。
▶ ︎独立しつつも繋がる物語
各章がしっかりと独立して、単話として成立していながら、前章の主要人物が遠い関係者として描かれていたり、アフターストーリーとしてその人物のその後がわかったりするつくりになっていた。自然で濃すぎない繋がりを持って描かれており、点と点が繋がるアハ体験のようなものが何度もあった。この人あのとき出てきた人か!といったように。
一度壺が窃盗されたあとも、人と人の繋がりは微かながらにあり、最終的にまた壺の製作者の近くに戻ってきて話は終わるのもなかなかいい。そしてわずか10年間の話だということにも大変驚き、壺の見てきた世界の重層感がずっしりと伝わってきた。
不朽の名作と言われる意味がよくわかった。
ただ、この小説は特段なにか大きい事件が発生するでなく、人を変えて日常生活が続く様を淡々と描いたものだったので、こちらの感情が特別大きく動くこともなかった。
しかし伏線回収(物語の繋がりが後から判明する)という点に関してはかなり芸術点が高く、
そう繋げるか〜!と面白く思った。
これから先もこの作品は、青磁の壺を通じて不変的な人の営みを映した名作として愛され続けるだろう。
Posted by ブクログ
読むタイミングは今じゃなかったかな…。
流し読みをしてしまった。
青い壺が出来上がった経緯、歴代の持ち主の暮らし、そして青い壺の評価。
昭和も令和も変わらない人々の感情を楽しみ、様々な人の生活を垣間見てきて青い壺が深みを増してきたなんて考えながらじっくり読めたらもっとおもしろかっただろうな。
他人の生活や昔話に注力できないコンディションだったかな。
エッセイ以上、ミステリー未満の気分の時にもう一度読んでみよう。
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ある陶芸家が作製した経管という形の青磁
その壺を巡る短編小説集
舞台は戦後の日本
若い人はあまり出てこず、定年前後の人々が主人公、ご老人の愚痴が印象に残った
Posted by ブクログ
都立病院での65歳以上の老人の治療費や入院費が無料だったとは、今と比べると本当に良い時代でしたね。胃下垂という言葉も久しぶりに目にしました。読んでみて改めて思ったのは、50年前の人たちは現在の我々よりもはるかに生活に充実感を得て満足し過ごしていたということ。貧しく、手仕事も多く、交通や通信など今よりはるかに不便だったにもかかわらず、普通の人たちも幸せを実感できたのでしょう。翻って今の私たちはどうでしょう。カネだ権力だとか、勝った負けた、損だ得だという価値観って自分たちを貧しくしているだけだと思います。