あらすじ
読めばハマる有吉佐和子。幻の名作長篇
無名の陶芸家が生んだ青磁の壺が売られ贈られ盗まれ、十余年後に作者と再会した時。人生の数奇な断面を描き出す名作、復刊!
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牧田がデパートに売りわたした壺と骨董品鑑定家園田の邸で再会したのが1977年1月、巳年だった。
第12.話は前年、1976年終わり頃、園田は入院中、同じ病院のやはり特別室に第9話の京都旅行の主人公弓香が入院していた。
第9話の京都旅行は1974年または1975年、
9月の弘法市で弓香さんが壺を3000円で買って
新米栄養士の孫娘に、
そして孫娘の上司の修道女がスペインに一時帰国するときの餞別として贈られる。
海を渡った青い壺はどういう経緯でスペインの
骨董品店に並ぶのか?
また、第8話で空き巣に盗まれた壺が京都の弘法市に並ぶまでの経緯も興味がある、
Posted by ブクログ
この本を面白いと言える人間でありたい、と思う。
今から50年近く前に書かれていながら、今なお不朽の名作として語り継がれる本書。
名もない陶芸家が作った素晴らしい青磁の壺が、色々な人の手を渡り旅をする中で、各人の姿やその感情を映していく、というあらすじになっている。
青磁の壺は決して物語の中心にはならず、人間ドラマを隅から眺めている、というような印象を受けた。
壺により、緩やかな紐帯を持った人々の人生が13章に渡って繰り広げられている。
▶ ︎変わりゆくもの、変わらないもの
物語は1970年代、戦争から高度経済成長期を経て人々が自分たちの生活を取り戻しつつあった時代に展開されている。私が若輩者だからなのか、時代の違いなのかはわからないが、日常生活に青磁の壺があることがまず今を生きる私との大きな違いであると感じた。
贈り物や花を生ける受け皿として、また、部屋を彩る家財として、美しい壺を扱う場面など
私の人生でこれまでもこれからもあるだろうか?
綺麗な花を飾ろうと思っても、きっと多くの現代人は青磁の壺を用いようと思わず、家具量販店の花瓶を用いるだろう。今、この物語を書こうすると、青磁の壺はどれだけ美しくとも人の手を渡ることなくコレクターの手元に留まり、青磁の旅物語は始まることなく終わったに違いない。ものが溢れておらず、多くの人のものに対する評価が等しかった時代だからこそ、この美しい青磁の壺は意味をなしたと感じる。
一方で、青磁の壺が映す人の営みはいつの世も変わらないと感じた。嫁姑問題や遺産相続、年老いた母の介護、夫との特別な外食を迎える妻の歓びなどが描かれており、それらそれぞれに「あるある」と頷きながら読み進めた。特にバーにおける章が印象に残っている。若者と中高年がそれぞれの価値観をむき出しにし、口論になるという場面で、論点は戦後ならではの価値観の相違ではあったものの、「今どきの若いもんは」というような吹っ掛け方とそれに対する若者の反論はこの時代から変わらずあるんだなと感じた。
また、それによりバー店員が萎縮し困りきるという構図も変わらない。いつの世であれ、人の感情やそこからの行動というものは簡単には変化しないだろう。
▶ ︎独立しつつも繋がる物語
各章がしっかりと独立して、単話として成立していながら、前章の主要人物が遠い関係者として描かれていたり、アフターストーリーとしてその人物のその後がわかったりするつくりになっていた。自然で濃すぎない繋がりを持って描かれており、点と点が繋がるアハ体験のようなものが何度もあった。この人あのとき出てきた人か!といったように。
一度壺が窃盗されたあとも、人と人の繋がりは微かながらにあり、最終的にまた壺の製作者の近くに戻ってきて話は終わるのもなかなかいい。そしてわずか10年間の話だということにも大変驚き、壺の見てきた世界の重層感がずっしりと伝わってきた。
不朽の名作と言われる意味がよくわかった。
ただ、この小説は特段なにか大きい事件が発生するでなく、人を変えて日常生活が続く様を淡々と描いたものだったので、こちらの感情が特別大きく動くこともなかった。
しかし伏線回収(物語の繋がりが後から判明する)という点に関してはかなり芸術点が高く、
そう繋げるか〜!と面白く思った。
これから先もこの作品は、青磁の壺を通じて不変的な人の営みを映した名作として愛され続けるだろう。