【感想・ネタバレ】非色のレビュー

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Posted by ブクログ

ネタバレ

笑子の思考を追体験し、差別とは何かを考えながら読み進めた。
差別を受けている旦那のトムが、自分たちよりもさらに社会的に低いプエルトリコ人を忌み嫌って差別しているのが印象に残った。

3人の弟妹を育てなければならなかった長女メアリイが子供らしい子供時代を送れていないのが不憫だなと思った。

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2024年04月15日

Posted by ブクログ

メロドラマになりそうなところを流されることなく、綺麗事ではない、人の見たくない本質部分を冷静に描写している。

物語に引き込まれていきました。
ぜひご一読を!

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2024年04月02日

Posted by ブクログ

ネタバレ

女2人のニューギニアが有吉さんの初めて読む本だったので、物語としてはこれが初めて。
エッセイからは想像ができひんほど、人のえぐみ?本当の思いをたんたんと書く人やと思った。でも共感できることばかりで、友達の話を聞くようにずんずんと読み進めてしまった。
また戦後の生き方は、想像を絶する世界で
今より外国人と触れ合う機会を多く持てたのかもしれないと思うと不思議やった。
またニューヨークにいってからも、人種差別を気にしてないという態度をとりながらも、自分も差別したりしなかったり、、、その気持ちの揺れ具合も本当に人の心情を丁寧に書いてあった。角田さんのツリーハウスが時代も近く心情が丁寧にかかれている点で似てた。たんたんと物語は進むけど、気になって読み進めてしまう感じも同じで面白ろかった。

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2024年03月07日

Posted by ブクログ

時々考えることなのだけど「人が人を差別する意識はどこから生まれるのだろう」ということを、この本を読み終えてまた考えた。
歴史や時代に刷り込まれる場合もあるだろうし、生まれ育った環境(親や友人など)を通して意識に根付く場合もあると思う。
自分自身「差別なんてしたことありません」はんて到底言えないのだけど、果たしてその意識はいつ根付いたのだろう。

初版は1964年。2021年に復刊を果たした本作。
第二次世界大戦後、日本で生まれ育った笑子は、仕事の関係で知り合ったアメリカ系黒人のトムと結婚することになる。
作中では今は差別用語として使われなくなった「ニグロ」という言葉が多用されているが、変更はされず復刊されている。
数年後笑子は娘のメアリィを出産する。
トムはアメリカに戻り、離れた生活をしている間に笑子は一度離婚を考えるが、日本にいてはメアリィを育てるのにも支障があると実感して渡米することを決意する。

ここまでが序盤。
序盤から差別の描写は山のように出てくる。
今は日本と黒人のハーフも珍しくないけれど、当時はそれだけで周りから忌避されることもあったということ。

笑子が渡米してからが物語の本筋なのだけど、さまざまな人種差別が渦巻きまくっていて、だけどその理由を語れる人はいない。
なぜ黒人が差別されるのか。白人の中でも、プエルトリコやイタリアの人間はなぜ差別されていたのか。

ハーレムにある半地下の穴倉のような住まいで、それでも笑子はたくましく生きる。
渡米してからも子どもが生まれ(当時のアメリカの多くの州では堕胎は罪になるという背景もあり)笑子と似たような境遇にある日本人の女たちの奮闘ぶりも描かれる。
読んでいて、思案する時間、理不尽さ、痛快さなど、色んな要素を味わえる。
そして笑子は、とある金持ちの家の家政婦として働いている期間に、ひとつの答えを出す。

「非色」とは「色に非ず」ということ。
それは分かっているのに、今も差別が完全に無くならないのはなぜなのか。
今でも時々話題になる事件を見ていて、1964年に有吉佐和子さんが表現したものは、今も変わっていないのだと痛感する。
日本人に限定しても、色での差別は無いにしても、差別自体はたくさんある。
意識に根付くもので無意識に行動する人の恐ろしさを描いている小説なので、復刊したことはきっと大正解なのだと思う。

社会派をエンタメに落とし込むという意味でもすごい小説だと思った。考えてしまうけど、とても面白かったので。

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2023年12月24日

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っかーーーー!身をつまされる思い…

まさに、こんな傑作をわたしは知らなかったのかーーー!しかも重版未定になった歴史があるなんて信じられん!の嵐でした…

この1967年に書かれた作品(なのに全くの色褪せがないのもすごい)が2020年に復刊されるのが、素晴らしいタイミングというか、すごい意味ありと言うか…

この作品の肝である人種差別はもちろんのこと、女性の立場、堕胎のあり方、アメリカ社会(特に人種のるつぼ・ニューヨーク)のリアルがテーマ。逞しく反骨精神のある笑子が、日本と移住先のアメリカで自分を除く家族がたくさんの差別に遭う。そしてそんな家族も、差別をしている。自分より下を見つけて上機嫌になる、という人間の弱い部分がありありと描かれていて、読んでて痛い思いがした。

ザクザクと物語が進み、考えるポイントには主人公・笑子が立ち止まるのに、現代の小説にありがちな緻密すぎる描写がないのが気持ち良い。

p.175 「いちどに直そうだって無理ですよ。言葉遣いはその人の生活程度の反映なんだからね。とりあえず言葉の最後にサー(敬語)をつけるようにさせるんだね」言葉遣いは生活の繁栄だと言う女主人の意見に、しばらく私は拘泥していた。ニグロ訛りと言うのは、例えば大阪弁や九州弁などと言う具合に、ニグロと言う人種特有のなまりだろうかと思っていたのに、それが礼節のない暮らしの反映だったのだとしたら、私は私たち親子の穴蔵暮らしを思うと、ぎくりとするものがある。

p.370 ユダヤ人。日本人。吐き捨てるようにいて、ナンシーの言葉が耳朶(じだ)に張り付いたように残っている。しかし、私の論旨には論理の飛躍が、なければすりかえがあったようである。私の見るところでは、レイドン氏はナンシーに対して必要以上の好意を示したと思われないし、それで奥さんも嫉妬したなどとは考えられなかった。ただ私が驚いたのは、あの温厚ないかにも学者タイプのレイドン氏を、ナンシーが一言の元にユダヤ人と決めつけたことである。確かにナンシーは前から見ても、あの金髪から見てもユダヤ人では無いようだったが、彼女はどういう理由からユダヤ人であると言うことだけで、レイドン子を軽蔑したのだろう。無論私はユダヤ人がどういう人種であるかについて一応の知識が持っていたけれど、白人だけの世界にもこういう差別意識があることには驚かされていた。志満子の夫もイタリア人として、ニグロの妻たちの憫笑を買っていた。プエルトリコチンの中にもほとんどスペイン人と見分けのつかないものがある。やはりそうなのだ、皮膚の色では無いのだと、私は改めて会得していた。スパゲッティーと聞いただけで、竹子に襲いかかった志満子。自殺した麗子とスパニッシュハーレムのプエルトリコ人たち。私自身にしてからが志満子や井村からプエルトリコと同列に扱われて狂い立ったことがあったのではないかと、私は様々な出来事を1度に思い出して混乱していた。日本人。ナンシーは興奮の余りにか私が日本人であることも忘れて、日本人を罵倒して退けたけれども、日本人もやはりニューヨークではマイノリティーに属しているのだろうか。ニグロのように、プエルトリコ人のように。あるいはまたイタリア人や、アイルランド人や、ユダヤ人のように。

私が混乱したのは、つい先刻まで、この世の中には使う人間と使われる人間と言う2つの人種があるだけだと考えていたのが、またぐらぐらと揺れ動かされて出したからである。ナンシイは使われる側の人間だったが、彼女自身の意識では、ユダヤ人にも日本人にも優越していた。一体、これはなんだろう。

p.375 私は私が直接この家を飛び出す動機になったものも、やはりシモンであったことを思い出していた。シモンを追い出そうとし、シモンを家から出そうとしたのは、私ばかりで、トムがさっぱりそれに協力しなかった時、私は最後に、ニグルはやっぱりニグロだと結論した。無教養で魯鈍(ろどん)な黒ン坊ー彼らが白人の社会から阻害されるのは当たり前だと言う考えも固めたのではなかったか。家を出る時、私はシモンの喉首を押さえるようにして、若しシモンがサムのミルクに手をつけたら殺すと宣言したのを思い出さないわけにはいかなかった。メアリーがやっているのは、私と同じことをしているだけなのだ。家の中でともかく規律を建てるためには、支配するものがなければならない。無気力なトムにはそれができなかったし、家を空ける私にもそれができない。だから、私たちの家ではメアリーが支配者なのだった。しかも彼女は彼女の父よりも母よりも強く振る舞うことができた。なぜだろう?日本の国には昔「長幼序列」というものがあって、その考え方は日本を飛び出してきた。私にさえも強く残っている。私は指紋に露骨な顔を見せることができたのは、兄嫁と言う彼より上の立場にいたからである。メアリーが私と同じ態度を取るのは、姪して叔父に対しては非礼であった。そんな大げさなことを言うまでもなく、私はやはり親としてメアリーの居丈高(いたけだか)な振る舞いをたしなめるべきであった。だが、私にはそれができなかったのだ。なぜなら?私はメアリーに対して夢は持っていたから。仮にメアリーが私に対して親不孝な言動を弄(ろう)したとしても、私は彼女を怒ることができなかった。私は親としての資格には欠けるところがあると。メアリーに対しては反省を持っていたから。私は一家を養うと言う口実のもとに親としてバーバラ、ベティ、サムになすべき仕事を全部メアリーに押し付けていた。ニューヨークで産んだバーバラ以下の子供たちには、そうした負い目も反省も薄いものであったのに、メアリーには私は全く頭の上がらぬ思いがある。本当に、この子には苦労をさせてきた。何と言う健康な娘だろうかと、私はときには舌を巻いて踊ることすらあったのだ。それにしても、娘が統治している家は、必ずしも私にとって居具合の良い家ではなかった。メアリーがシモンを叱り飛ばすたびに、その必要は無いのに、私はビクビクしていた。

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2023年12月07日

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面白くて一気読み。
日々の生活に活力すら与えられて、読書の意義をひしひし感じることができた。

でもそれはこの中に書かれた生活を「これよりは自分はマシだ。頑張ろう」と思えたからであって、この小説の主題をまさに体現しながらの読書体験でもあった。

人間は業が深い。それは許容しつつ、なるべく自らのその部分は見せないように生きていくしかないのだろうけれど、そう心がけるほど、身勝手な他人の行動が目につくのだろうなあ。

折に触れて読み返したい1冊だった。

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2023年12月07日

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有吉佐和子さんの本は初めて読んだけど、テンポ感が良くて、リアルで面白かった。
50年以上前の話で時代も感じるけど、人が人を差別してしまう意識は今でも変わっていない事は分かる。
差別されているもの同士でもお互いを差別し、罵り合う。
人種同士の差別もだけど、この時代は今よりももっと女性の地位も低い。女性蔑視も描かれている。
誰と結婚したかで女性の立場が変わってくる。
この時代の女性が置かれている状況を読むのは辛かったけど、主人公の逞しさで最後まで読めた。

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2023年11月26日

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差別とは何か。差別は表に出さないだけで、私の心にも巣くっている。人は、心の中で優劣をつけたいからだ。自分が誰かより優っているところを見つけたい。誇りを持ちたい気持ちが増大したときに差別は生まれるのではないか。ごく単純なところから始まって大きくなったのが差別なのではないか。

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2023年10月29日

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マティス展に行ったら飾られていたので何気なく手に取ったが、本当に読んで良かったと思える一作になった。1967年に刊行された作品なのに、まるで色褪せていない。今でこそ皆に読んで欲しい。他の有吉佐和子作品も読んでみたい。

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2023年10月28日

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敗戦直後の日本、米兵トムと結婚し娘メアリー を産んだ笑子は、黒い我が子に向けられる冷ややかな視線に苦しみ、幸せな暮らしを夢見て夫の元へ渡米する。ところが、待っていたのは、もっと激しい人種差別と貧しいハーレムでの半地下生活だった。

逆境の中、気丈で逞しく生きる笑子の姿が潔い。時々、逆上し、突飛ない行動に出るのも気持ちいい。
船で乗り合わせ渡米した笑子と同じ境遇の竹子、志摩子、麗子。笑子を軸に4人の対比が描かれる。夫の人種によって住む場所が決められ、ハーレムよりもさらに下の過酷な暮らしがある。

同じ黒人でも、アフリカの国から派遣された黒人は優秀で母国に戻れば要職が約束されており、ハーレムに住む黒人を蔑む。
白人は白人でもプエルトリコ人やアイルランド人、ユダヤ人は、蔑視される。
同じ肌の色でも、金持ちは貧乏人を蔑み、頭のいい者は悪い人間を馬鹿にし、家系の良い者は成り上がりを罵倒する。自分より何らかの形で下の者を設定し、自分は優れていると思いたい。
人種差別は、色ではない。色に非らず。階級闘争である。

本作は有吉佐和子氏が留学経験から1964年に33歳で書いた作品との事。差別を通して人間の嫌な部分を見事に暴き出している。
その若さでここまでアメリカの暗部に迫るとは凄い。
でも過去のアメリカの話ではなく、現代の日本でも通じ、そして、自分の心の中にもあるなぁ、と気づかされ、戒められた。

娘メアリーの賢明さに希望を抱く。彼女を強くしているのは、学びである。色や階級で決まるのではなく、意志と努力で人生を切り開く事ができるそんな社会でありますようにと、願わずにはいられない。

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2023年09月09日

Posted by ブクログ

人種差別の話と一言で言ってしまうにはもったいない本だと思う。 発表から半世紀を過ぎているが有吉佐和子さんの文章には本当に心をつかまれる。
本文中にこんな一節がある。「人間は誰でも自分よりなんらかの形で以下のものを設定し、それによって自分をより優れていると思いたいのではないか。それでなければ落着かない、それでなければ生きて行けないのではないか。」
真理だなぁと思う。

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2023年09月06日

Posted by ブクログ

戦後間もない頃の話ながら、今に通じるものが多々あり、差別について改めて考えさせられました。
『人間は誰でも自分よりなんらかの形で以下のものを設定し、それによって自分を優れていると思いたいのではないか。それでなければ落ち着かない、それでなければ生きて行けないのではないか。』
主人公の笑子が問いかける言葉が、胸に刺さります。

それにしても、笑子はよく働く!
厳しい環境に置かれているにも関わらず、前向きで正直で、読みながら沢山の勇気をもらいました。

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2023年03月05日

Posted by ブクログ

マティスの絵に惹かれて手に取った本。
知らなかったけど1967年に刊行された本と知り驚いた。
というのもほとんど違和感なく読めたから。(私は)
現代の人が昔の話書いてるのかと思ってた。
アメリカの中でも、いろんな国の人によって扱いや暮らしが違ったりって言うのを知れたし、全然飽きなかったし、ちまちましか読む時間なかったから時間かかったけどまだまだ読みたいぐらい面白かった。

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2023年01月29日

Posted by ブクログ

「差別意識」について深く考えさせてくれる素晴らしい小説だった。
1967年に刊行された作品だけれども、けっして色あせていない。差別は相変わらずあり、というより、以前より細かく差別は存在する。これからも読まれ続けなければならない作品だと思う。主人公の笑子が娘メアリーの態度から、「こんな小さな穴倉の中でさえ人間は使う者と使われる者とに別れるのだろうか!」と心の中で叫ぶシーンが忘れられない。テーマは重いけれど、主人公の明るいたくましさとユーモアに引き込まれて、ぐいぐい読める。
斎藤美奈子さんの解説もよかった。

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2023年01月26日

Posted by ブクログ

差別の根底にあるものが見えてくる。
戦後、黒人兵と結婚した笑子は、戦争花嫁としてアメリカに渡り差別される側であったが、自分の中にも差別意識があることに気づいていく。
アメリカの人種問題だけではないだろう。現代も同じだ。いじめも根っこは同じなのか。

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2023年01月24日

Posted by ブクログ

ネタバレ

読書会 課題図書

ずっと昔、読んで衝撃を受けたことを思いだした
あの時よりも「非色」の意味が胸に迫る
復刊されてよかった
今も新しい

ニグロに対する日本でのそしてアメリカでの差別
しかもまだ下層とされる人々がうごめいている
「戦争花嫁」と言われた女性を描くことによって
まざまざと映し出す現実
子の前に進む力に救いを求めて読み進める
そして、ラストの決意

文壇では「大衆的」だとあまり評価されなかった有吉佐和子 すごい作家だと改めて思う

世界で日本で 私の中に
この差別
一体何ものなんだろう

カバーのイラストの赤い心臓が胸をつく

≪ 色でない 差別の現実 それはなぜ ≫

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2022年12月23日

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日本とニューヨークへと舞台を移し、色んな人種がいる中で起こる差別構造について赤裸々に、ユーモラスにも描かれていて、読む手が止まらなかった。

「肌の色ではない、階級闘争なのだ」
人間は自分より下の存在を作らなければ、自分の尊厳を保てない生き物なのだと、改めてゾッとしました。
もちろん自分の事も例外ではなく…。

これが50年以上も前に書かれた作品だなんてと驚くと同時に、未だギャップを感じられない現代の状況。
人間ってなんて残酷で逞しい生き物なんだろうと考えさせられました。

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2022年11月28日

Posted by ブクログ

思索の途中

日本(家柄と家柄)
日本(男と女)
敗戦国と戦勝国
アメリカ人と日本人
アメリカ人と黒人
黒人とニグロ
ニグロと日本人
ニグロとイタリア系
日本人とイタリア系
イタリア系とプエルトリコ
色ではないのだ
*山田家と佐藤家の男女が結婚すると、どちらの家もが、あっちの家よりもうちの家の方が格が上なんだから、、、、と。
よくある家と家の確執。
基本的には上記のグループ間の確執は本質的にこれと同じではないのか?
山田家のダレダレは頭が悪くグウタラだからロクに大学も行けずまともに働いてもいない。だから山田家は出自が悪い、もしかしたら部落なのかも、縁組する前によく調べればよかった。まったくどうしようもないな山田家は。だから山田家の人達のことを好きになれないんだ、嫌いなんだ。
みたいなのがもっと規模が大きくなったものが民族や人種や国家間の差別ではないのか。
そうすると当然戦勝側支配者側に立つグループの方が正義となり、敗者側被支配階級を蔑む論理がまかり正義として通るようになるだろう。
そして被支配階級が支配者に政治的にとって変わろうとすると階級闘争になる。

階級闘争
*そんなふうに考えてくると階級闘争の大前提は差別ではないか。

私はニグロなのだ
*私はニグロなのだ。ニグロとはアメリカのニグロ。アフリカ本国のニグロから蔑まれているニグロ。本来同じニグロのはずなのに。
その蔑まれているアメリカのニグロなのだ、と自覚した途端、笑子の人生がぱっと明るく拓けてゆく描写が、それまでの先が見えそうにない薄暗い印象と対照的に描かれている。
これは集団間の差別ではなく「違い」を認めたところから、やっと地に足をつけて生きていけるという意味なのではないか。
差別と立場の違い、属する集団の違い、が峻別できたからこそ「差別」されているという卑屈な意識から開放されたのではないか。

どの集団に属しているか
自国民と外国人
*国家権力や行政が国民に差別的な取り扱いをすることは憲法で禁止されている。基本的人権は保証されている。しかし自国民と外国人を比べたとき、様々な制約から自国民を外国人に優先させることは憲法上禁止されない。
もちろん個人の信条、山田家のあの人はキライだ、そんなのは自由だ。
違いから差別へ拡大し、非論理的非科学的レッテル、あいつは皮膚が黒いから愚鈍だ、あいつは山田家の血だから犯罪を犯しやすい性質だ、などと愚かな迷信を信じるようになってしまうのが困るのだ。


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2022年11月19日

Posted by ブクログ

有吉佐和子さんの作品は初めて。戦後、働き口を求め、米兵が通うキャバレーでクロークを手伝う笑子。黒人兵と結婚し、妊娠、出産。夫は除隊してNYに帰るのだが笑子は子供とともに日本に残る。その後、渡米、夫と共に暮らしながら、NYでの人種差別のなかで暮らしていく。恵美子が見た差別は、同じ白人でも米英系は優性でイタリア人は劣性、さらにアフリカン・アメリカンは奴隷の子孫なので劣性。ただし、アフリカから留学してきた黒人は奴隷出身ではないので劣性ではない。黒人のさらに下に見られているのが南米・エスニックの人々。ネズミ以下という表現も。この小説は作者のNY留学中の体験をもとに書かれたもので、作者は、差別は肌の色ではなく、優越感を感じたいグループの意識が作り出すものだと喝破している。そして、この本が描かれてから60年以上が経過しているが、まだまだ差別は無くならないということに気付かされる。

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2022年09月17日

Posted by ブクログ

書店でマチスのイカロスのカバーを見て、古い版を手にしました。1967年に33歳で書いたとは。国連関係のアフリカ人エリートが笑子に言った言葉、はっきり記憶でてないけど、もう色を超えた、だったか、。有吉佐和子さんの他の本も読んで、記念館に行こうと思いました。

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2024年03月07日

Posted by ブクログ

非色、色に非らず
そのタイトルの意味が、物語の後半にかけて徐々にわかってくる展開にゾクゾクした。人種差別やその歴史については、百科事典や論文、日々のニュースでも学ぶことができる。しかし、この小説を読んでいると、「差別」とは何か、何故生まれるのか、そういったより本質的なことを考えさせられる。また、人種差別によって人生が大きく左右されるさまざまな登場人物と彼らの感情の変化に、読んでいて思わず心がえぐられる瞬間があった。心がえぐられてこそ初めて、このような問題を自分ごととして考えることができる気がした。

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2024年01月10日

Posted by ブクログ

久しぶりの再読。
人種、性差が複雑に絡みながら、終戦直後の日本から物語がはじまる。
一番、強く感じたのは「人は、自分より下の存在がないと安心できないものなのか」ということ。
黒人であっても何代か遡れば白人の血が入ってるからとか
プエルトリコ人よりは上とか。
主人公•笑子も戦争花嫁の中でも相手によって互いを見定めあってること。
いまも戦争が絶えず続くのは自国ファースト、下の存在を身近に置かずには済まない部分もあるのではないか(無論、これだけが原因ではないけど)
女性の置かれた状況も一進一退、良くなってるところもあればまだまだのところもある。これからも読みつがれるべき傑作だと思う。

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2023年12月03日

Posted by ブクログ

有吉佐和子文学忌 1931.1.20〜1984.8.30
有吉忌 佐和子忌

“色に非ず” 1964年発表の作品です。
「戦争花嫁」と呼ばれた日本人女性の視点から、日本での差別、アメリカへ渡ってからの当時の人種差別と偏見を問いながら戸惑いながら、自分の生き方を探し求めていく骨太の小説です。

敗戦後の日本、東京。家族を養う為米兵相手の店で多くの日本人女性が働いていました。主人公の笑子もそのひとりで、そこで積極的にアプローチしてきた米兵と結婚します。彼の肌の色は黒かったのですが、優しく当時としては、恵まれた生活でした。
彼がアメリカに帰国して、娘と共に後を追ってニューヨークに渡ります。そこからハーレムでの極貧生活が始まります。
それでも笑子は仕事を探して、生活を支え続けます。そこで知る肌の色だけでない差別。彼女は人種差別というより、階級差別として捉えていきます。日本の 生まれが違う、育ちが違うというところです。
有吉さんの小説に描く女性は自分の意思をしっかりと持っていて、非色に出てくる女性たちも 差別に苦しみながらも生きていきます。当時、アメリカでの人種差別を臆する事なく小説にされた有吉さんも骨太です。

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2023年08月30日

Posted by ブクログ

産まれた瞬間決定づけられた差別と逃れられない宿命は、確かにあるのだろう。そこに知らず知らずにハマってしまった日本人妻の物語。リアリティがあり絶望感に陥るが、そのうえで力強さも感じた。
人生は色ニアラズ。戦争での勝者と敗者、持つ者と持たざる者、支配する側とされる側、考えることをやめた者と考え動き続ける者。しがみついてでも生きる者と死んでいく者。
自分で選択し自分を肯定することで、さだめや運命以上の人生を送ろう、と踏み出す過程の物語に思えた。

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2023年08月22日

Posted by ブクログ

太平洋戦争後の日本人が黒人と結婚し、後にアメリカへ渡り重ねていく様々な苦労や経験が主に述べられていますが、今読んでも全く古びていない事に驚きます。生きていく上で、誰もが誰かを下に見なければ駄目なのか、分かり易い、白人が黒人を差別する、だけではない、大きな問題を投げかけています。そして主人公の女性の最後の気づき お勧めです

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2023年08月03日

Posted by ブクログ

私が生まれる半世紀ほども前に書かれた本なのに、確かに今ではタブーと思われるような表現が多々あるが、根本的な人間の価値観には共感する部分が多かった。
平等とか多様性とかこんなに叫ばれている時代なのに、こんなに共感してしまう部分が多いのは、この本で差別の原因を”色”と決めつけていたのと同じように、目に見える表面的な違いを不自然なまでに許容しようとしているだけに過ぎないからなのではと思った。まさに色に非ず。

この本を読めば、多様性を受け入れること、平等社会を目指すこと、の問題の深さをより一層感じられるのではと思う

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2023年02月11日

Posted by ブクログ

いやぁ、これは興奮して読みました。ルッキズム、レイシスト…最近そういう言葉について、私はこう思うみたいな発信よくあると思うけど。いやぁ、この本は「いろんな考えが世の中にはあるよね」っていう発信があちこちから出るよりもちろん、ずっと前に、人の肌の色について、差別について、すごく子どもみたいに純粋に向かい合ってて、おもしろかった。

周囲の反対を受ければ受けるだけそれを英雄的な行為と思って誇らかな気分で結婚する

私は私の愛の証を見ているような気でいた

腐心

愚かな頭脳に付属している口はもっと愚か

鋭利な頭脳の持ち主

母が私の心をぴたりと言い当てたからである。まるで母は、私の舌のような役目を果たしていた。

私はその場で即死したように思う。メアリイを抱きしめて無事に青山のアパートに戻ったのは、私でなくて私の亡骸だった。

慟哭 どうこく

何が悲しいのか分からなかったし、どうして涙が出るのかも分からなかった。ただ明らかに強い衝撃を受けた後なのだということだけがはっきりしていた。

バイレイシャル

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2022年11月21日

Posted by ブクログ

ざっくり人種差別の話、となんとなく知っていたので難しい話かもしれないと思っていたけど、すごく読みやすくて面白かった。

人種は見た目で判断しやすかっただけで、そもそも人は何事においても他人を差別して自分の優位性を確認しないのでは生きていけないのかもしれない。

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2022年09月24日

Posted by ブクログ

読み終わって正直どうかなぁと思いました。
小説として主張しすぎる感がありどんなものかと思ってましたが、偶然のタイミングで見た某テレビ番組を通して少し感覚が変わりました。
当事者たちにとっては苦難であり、この作品もその一端を垣間見せるに過ぎないのだろう、と当たり前と言えばそれまでの陳腐な感想に変わりました。
でも作品としてもう少し抑制を効かせた方がより効果的という感想は変わりませんかね。

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2023年08月16日

Posted by ブクログ

差別とは結局自分の中の優位性を顕示するもの。自己肯定感が低いと余計に自分の優位性を誇示したくなるのかもしれない。主人公が自分もニグロだと認めることができたところから、自分の人生を生きれるようになるのだろう。

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2023年04月26日

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