あらすじ
待望の名著復刊!戦後黒人兵と結婚し、幼い子を連れNYに渡った笑子。人種差別と偏見にあいながらも、逞しく生き方を模索する。アメリカの人種問題と人権を描き切った渾身の感動傑作!
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Posted by ブクログ
島国、日本。
それを思い知らされる一冊だった。
偏見をできる限り手放して皆を平等に映す目を持ちたいという思いは常々持ってきたけれど、この本と、初めての長期海外生活で差別とは、を人生で1番考えているかもしれない。
それは、自分が差別を受けているとかでは全くなくて(移民国家オーストラリアにおいて、過去の旅行からの予想通り住み始めてもやはり明らかな差別は今のところ受けていない)、自分の中にある差別意識に向き合うこと。
世界のニュース、時事に日本人が疎い傾向にあるのはやはり物理的に世界と切り離されている島国だからというのは大きな原因だと思う。
日常に支障のある他国との衝突も実質的な影響が少なくて、なかなか考える機会も知る必要もなく生きている"超平和"な国。
メルボルンに住んでいると、口々に日本は"super safe"だと言われ、日本は別世界のように言われるけれどそれは単純に喜べるものでもないと感じ始めている。
イタリア、プエルトリコ、インド、ニグロ
自分の中の無意識差別
知らないということ
見分けがつかない理由
見た目の事実ではなく歴史の事実に基づく差別、目に見えない原因による差別が1番根深い。
人間が人間であるが故の差別。
ボルネオで感じたこと。
知らないという幸せ、知らないからこそ生まれない差別意識の重要性はあるのではないか。
正直、こっちにきてオーストラリアでコロンビアは差別されていて、その理由は移民としての数が多いことと現地人が仕事を奪われるからだという意見を耳にしてビックリした。その理由もばかばかしいと私は思うが、それ以降コロンビアの人を差別されている人なのだという意識を持っているのは事実。
でも、知らない上で平等だと正義感振りかざして近づくことが傷付けるのも現実。
色や歴史が差別を産むのではない。
教養こそが差別と戦う剣となり盾となる。
少しでも多くの教養を身に付けること。
教養のある人間は皮がどんなものであってもその目といい纏うオーラといい、真に見下されることはない。例え見下されたとしても、見下す人間自身の教養のなさゆえ。
それが今私の考える差別との闘い方。
日本の中でさえ、同程度の教育を受けてきたかどうかが関係性に多大な影響力を持つ。
生まれながらに施された教育の差があり、そこに派生して成人後に教養の差のある人間同士の場合何がその関係を救うのか?
本や映画といった文化教養材こそが救いとなる。
だからこそ、近しい人の中である部分の欠落を認めた場合にそれを補う力のある本を勧めてしまうのかもしれない。
かなり偉そうな物言いになっているけれど、私も知識不足の分野が多々あってそれらを読むには根気がいり、中々手を出せていない。
変わることには根気がいる、、
皮膚の色などといった外見的差別の次に生まれてくるのが階級差別であると著者は伝えてくる。この人とは違うから分かり合えない、断絶する、ではなく同じものを探して共有することが心の豊かさに繋がる。
世界は少しずつ変わっているし、5年の歳月があれば大きく変わる。
これまでもこれからも、人々は差別の問題に個々で向き合いながら時に悩み時に闘って生きている。そんな個々の存在の素晴らしさを体感できた一冊。
また、異国に住んで初めて間違った日本文化を好む人々に本物の日本文化を訴えるようになった。私は日本文化の持つ静寂な儚さが一番の魅力だと思う。
何であれ、一度染まってみることの大切さ。
芯だけを持って付属品は手放して、真っ白な状態になって染まっては手放して、染まった中から芯としたいものだけを手元に残す。
その作業の繰り返しで人は出来上がるし、その芯が太くなるほどに手元に残せるものは少なくなっていく。
笑子は最後には大事なもののためにそこに染まりきり家族全員が仲間、ニグロとなることを選んだ。
何より驚いたのはこの作品が1964年に書き下ろされていたこと。この事実の凄みについてはあとがきで綴られていることがすべてだった。
Posted by ブクログ
残酷な人種差別の現実が容赦なく描かれている。
日本に駐留していた米軍兵も、米国に帰国すると元の立場に戻ってしまい、笑子(主人公)の夫はニグロとしての生活に。笑子のみならず、戦争花嫁のほとんどは現状を何も知らずに渡米したのであろう。読んでいて最も辛かったのは、麗子のこと。ニグロにも蔑まされるプエルトリコ人の妻となり、笑子に比べても相当ひどい生活ぶりを送ることとなったが、日本にいる家族や親戚には高価な毛皮や装飾品で飾った自分の写真を送り取り繕う。最後は自死。
笑子は、途中、夫らと同様に自分を保つためにプエルトリコ人を蔑んだりもするが、最後はニグロとしての自分を受け入れる。そこから初めて前向きな生き方がスタートし、最後は明るく結ばれているのが救いだ。
Posted by ブクログ
戦後の女性が異国の地で精一杯生きる中で、人種差別について考える物語。
主人公・笑子が「色ではなく、使う側と使われる側だ」ということに気がつき、最後は「自分はニグロだ」というセリフでこれからの未来に進んでいく様子で終わる。
この差別的な考えは今もあると感じたし、笑子は差別してないと思いながらも、心のどこかではしていて、それで自尊心を保っていたりと、とても人間的であると感じた。
今とは違う時代背景なのが新鮮であっという間に読み進められたし、笑子の力強く生きる姿がかっこよく見えた。
Posted by ブクログ
とても面白かった! 戦後の混乱期に黒人兵と結婚した女性が日本でも渡米後も体験し見聞した様々な差別。次々に困難に出会っては戦うように泳いでいく主人公の人生が面白く、読むスピードがどんどん上がってしまった。
戦争花嫁である女性の人生を軸にしているが、本作のテーマはタイトルにあるように、差別だ。主人公は差別は肌の色のせいなのか、何なのかを常に考えてしまう。
しかし、観念的な話にならず、常に具体的な事件と行動によってスピード感ある展開をするので飽きずに読んだ。
本作の初の出版は1967年で、アメリカでは公民権運動たけなわの頃だ。また、戦争花嫁を取り上げた本も他に見当たらず、いろんな意味で先進的な作品だそうだ。
時代のせいでNGワード満載なのだが、差別の意図がないことははっきりと読み取れ、現在読んでも古さを感じない良い作品だと思う。
Posted by ブクログ
人間は誰でも自分よりなんらかの形で以下のものを設定し、それによって自分をより優れていると思いたいのではないか。それでなければ落着かない。それでなければ生きて行けないのではないか。
本書の中の一節。私もきっと無意識のうちに何かを差別し、何かから差別されている、ということを忘れずに生きていこうと思った
Posted by ブクログ
かなりひさしぶりに手にした有吉佐和子の小説はやはり素晴らしかった。
非色というタイトルも内容も文章も何もかも圧倒的な才能を感じた。ここ数年の新刊として読んだの小説と心への響き方が違う。
世間や自分自身と葛藤しながらも、黒人と結婚し子供を産み、豊かな生活を夢見てニューヨークへ渡った笑子。貧しいハアレム暮らしに困惑しながらも生き抜く姿が人間的であり、悲しく優しく逞しい。
目や髪や肌の色に一喜一憂し、碧い目と金の髪を頂点とし、その中でも見下して良い人種をつくり、アメリカとアフリカの黒人間でも優劣をつけあう。
人種の偏見や差別の問題の深く掘り下げ、日本でもアメリカでもアフリカでも、どこでも差別があることを改めて知る