ヘルマン・ヘッセのレビュー一覧
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ネタバレ「トーマの心臓」からの流れで読んでみた。
前半は読むのが結構苦しかった。
町からたった一人神学校を受験するということで、その合否はもちろん、一挙手一投足が周りの人に監視されてるような状況が辛すぎる。
神学校時代もハイルナーぐらいしか親しい友達ができなくて、勉強に押し潰されるような毎日は苦しそうだった。
ただ、もっと生徒間での足の引っ張り合いみたいのがあると思っていたらそういうのはほとんどなかったので、それはよかった。
自分はどちらかと言うと高学歴に入る部類だけど、もちろん町一番の天才でもなかったし、親をはじめとする大人たちからそんなに重いプレッシャーを受けたとは感じていないので、それが本当に幸福なことだと思った。
つい最近子どもの教育について実生活で話題に上がったのでいろいろと考えさせられることがあった。
大人として一回は本作を読んでおくべきですねぇ。
個人的には神学校を脱出してから、第6章からが面白かったかな。
学校から解放されてからの方が、自然とか周りのものの美しさを思う存分噛み締めているように感じた。
特にりんごを絞る場面は臨場感があって、すぐにでもりんごジュースを飲みたいと思わせる魔力があった。
読んだ日にすぐ買った。もちろん果汁100%。
恋模様もよかった。
挫折して、当初の計画通りの人生じゃなくなってもいいじゃん、これも幸せじゃないか、と思い始めた矢先に、そんな…!!
結末は知らなかったのでびっくりしてしまった。
でもなんか不思議と後味悪い感じではなかったな。 -
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ネタバレ青少年の危うさ。地元の田園風景や学校の周りの自然描写はみずみずしくて、牧歌的で、読んでいてヨーロッパの田舎に憧れる気持ちになった。
けど中身はなかなか沈鬱な感じ。自叙伝っぽい要素も多いとのことで、ヘッセさんかなり根に持ってらっしゃるんだろうなと想いを馳せながら読んだ。
地元の時点で、そもそも事件後の休暇中は魚釣りやりたいって本人が言ってるのに、休暇を勉強に費やさせるなよ...。牧師さんや校長のようなタイプの人たちは、それが本当に本人のためだと盲信してるからタチが悪い。
進学後については、これまでの無理や我慢がたたったのもあるだろうし、自身の能力の限界にぶちあたったのもあるだろうし、これまでの禁欲的な努力によって築き上げてきた価値観に対して、ハイルナーの叙情的な世界の一端に触れたことで根底からひっくり返されたこともあるのだろう。
いずれ、自分の子供に対しては、能力を伸ばしてやりたい気持ちは持ちつつも、本人のピュアなこころに無理強いをさせないようにしたいと思う。けど本人の気持ちは本人にしかわからない。対話していこう。 -
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友達の教え子(高校生)からの推薦図書です
なるほど、高校生に刺さりそうな内容ではあったけれど、
自分が高校生の頃はヘッセなんてちっとも知らなかったな…と反省
大人と子供のあわいに生じるもやもやした気持ちを
すごく丁寧に描写されていて、これは学生時代に読みたかったな、と感じました
「学校の教師は自分の組に、ひとりの天才を持つより、住人の折り紙つきのとんまを持ちたがるものである」なんて斜に構えた高校生時代の自分なら大歓喜するような一文でしょう笑
また、自然の描写も素晴らしく、ヨーロッパの田舎の生活なんて一ミリも知らないのに、どこか懐かしく、匂いまで感じるような文章がよかったです
リンゴジュース絞りの場面は、ページの向こうからりんごのさわやかなにおいが立ち上ってくるかのようでした
ヘッセ自身も自殺願望があったことを別の本で知っており、今回この作品を読んで、主人公ハンスにはそうしたヘッセの人生の多くが投影されているのだろうな、とも感じました。鬱屈した気持ち、憂鬱な気持ちの描写がうますぎます笑
大人になってから読むのもいいけれど、学生にこそ読んでほしいと思います!(明るい気持ちには全くならないけれど) -
Posted by ブクログ
再読/ヘルマンヘッセは1946年ノーベル文学賞受賞。20世紀前半のドイツ文学を代表する作家である。1962年85歳没。1906年『車輪の下』は日本で最も有名なヘッセ作品であり、周囲の期待を一身に背負った少年の希望と挫折を描いた小説である。このお話しのラストが予想の斜め上をいく、突然の幕引きに驚いた。
受験戦争で精神的に疲弊した若者たちが世にあふれ、状況を改善しようと2002年度から「ゆとり教育」が実施された。結果は学力低下と学校外での学習格差が問題視されることになり、2010年度で終了する運びとなる。受験戦争を勝ち抜くことは手段にすぎず、目的を見失えば人生は味気ない。 -
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ネタバレ老齢と青春の対比を不具の主人公クーンと名望な音楽家ムオトがゲルトルートを愛し合う構図で友情を育みながら表している。
しかしクーンも心底老齢のような性格をしている訳ではなく、もともとはムオトのような傲慢で自信家なエゴイストだったが不具になったことで自信を失い内省的で控えめにならざるを得なかっただけなため、ゲルトルートの幸福を思い引き下がるも内心は自害を試みるなど外面と内面の乖離がおこってておもしろい。結局、女性をぶつようなムオトにゲルトルートは惹かれてしまい結婚した。クーンに自己投影してたので急に寝盗られて脳破壊された。しかしムオトとゲルトルートは熱狂的になった時だけ合うのであり、通常の落ち着いた老齢らしき愛を育むことはできなかった。ゲルトルートはノイローゼになり、それを受けてムオトも女とゲルトルートを禁止されてその分をお酒に依存していた。そして最後にムオトとクーンのゲルトルートに対する愛情と二者間の友情を確かめ合って、2人でゲルトルートの肖像画を見たあとに死ぬ。
誠実な人間の目の元に置かれていたら何も悪いことはできないだろう、相反する性格は最初は惹かれ合うが長くは続かないだろう、青春時代に熱狂的だった人が老齢になった時自分の命が消えることを察し後世に何かを残すべく緩慢な幸福を楽しめる。
情景描写、心情描写、人物描写、読んでるだけで幸福を感じる。
ヘッセ、車輪の下も、デミアンも、荒野のおおかみも、死にオチ多いし比較的真面目な人間が大胆で情熱的な人間に連れられて感情を揺らされる構図が多いな。でも今まで読んだこの3つは、導く役は神格化されて安定していた。なのに春の嵐だけは不安定だった。それに、デミアンと荒野のおおかみは幻想的な世界観と現実が入り交じったマジックリアリズムのようになるが、春の嵐ではその幻惑が音楽という現実で表されてたな -
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20世紀ドイツの作家ヘルマン・ヘッセ(1877-1962)の小説。1915年。
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主人公クヌルプが昔の友人知人から尋ねられたように、私も「かつてのあなたがなぜいまは」と不躾な糾問に答えを濁して振り払ったことが何度もある。もちろんクヌルプのように落魄するほど振り切った生き方ができるわけもなく、傍から見れば私の生活もそこそこの形にはなっているのかもしれないが、それでも「ここは本当に自分の場所だろうか」「自分にはどこか別の場所があるのではないか」という「ここではない」不全感にずっと憑きまとわれて今日まで来ている。そしてそれを、臆病さだとか完璧主義だとか不寛容だとか、自分のパーソナリティに帰責させてしまっている。クヌルプは出会った人々に彼への親愛の感情を惹き起こしたが、クヌルプの「神」に代わって、何によって、いかにして、私は肯定されるのか。そもそも、何かによって肯定されなければならないのか。いまは否定されているのか。なぜ? 何によって?
「神」は「あるがままのおまえ」(p151)と言うが、無際限の自問自答の中でそんな核のようなものは残りそうにないし、「神」もいない。「神」がいない以上、自分で自分を肯定するしかないのだろうが、そもそもそれは一体どういうことなのか。生の肯定とはなんだろうか。生の否定とはなんだろうか。
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「神さまの声はだんだんかすかになり、あるときは母の声のように、あるときはヘンリエッテの声のように、あるときはリーザベトのやさしいおだやかな声のようにひびいた。」(p153)
この一節に触れて、自分の臆病さがこれまで犯してきた過ち、傷つけてきた人たちのことが、その人たちが示した悲しさや嬉しさが、日々の怠惰ゆえに眼を逸らしてきたせいでもうそのほとんどが朧な記憶でしかない顔たちが、呼び起こされてくる。そして呼び起こされるいままさに、零れ落ちていく。欠けていくばかりの記憶の中で、それらをこれからどんなふうに束ねて生きていけばいいのか。記憶がその場限りのものになっていくと、芯の通った生き方も何もあったものではないのではないか。
「ふたりの人間のあいだには、たとえどんなに密接に結ばれていても、いつも深淵が口を開いていること、それを越えうるのは愛だけで、その愛もたえず急場しのぎの橋をかけることによってかろうじてそれを越えうるのだということ」(p76)
せめてこのことは肝に銘じておく。 -
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ヘルマン・ヘッセの代表作。街一番の秀才・ハンス=ギーベンラート(14)は、難関試験に2番の成績で合格するほどの実力者だった。周囲の期待に推され、親元を離れて勉強に励むが、 進学先で出会った友との交流、同級生の死などを通して、彼は徐々に少年から大人へと変化していく。特に、親友ハイルナーとの出会いは、彼の運命を大きく変えた。ハイルナーは詩が好きで自由奔放な少年であり、教員たちの間では問題児として有名であった。ハイルナーと交際する中で、ハンスは徐々に今までの勉強に興味を失っていく。ハイルナーの退学を機に、彼と親交の深かったハンスは教員たちから疎まれるようになる。そしてハンスは心身のバランスを崩し、故郷へ帰ることとなった。精神虚弱の症状は治らず、ハンスは自死への思いを強くする。手工業の見習として働きに出るが、虚しく欠けた心は戻らない。自死か事故か、ハンスは川で溺死体となって発見される。
青年期の心の変動を本当によく表現している。ハンスは勉強も好きだし、賢い子だから、周囲の期待も分かっている。けど本当は釣りが好きで、散歩が好きで、友達と笑うのが好きな、ごくごく普通の少年だった。彼の柔らかい心を、期待という重機で押し潰したのは、他でもない大人たちである。自分を轢き潰そうと迫ってくる無機質な車輪を、轍の上にいる彼はどんな思いで眺めていたのだろう。最後の、川面に惹かれてしまう描写はあまりにも美しく哀しい。酒に酔ってどろんとした頭で、涙に滲んだ目で、星あかりに揺れる水面はどれほど美しかったことだろう。
ハンスが神学校に入る前から気にかけてくれたフランツ親方。「試験がダメだったからって、お前自身がダメという訳ではないんだぞ」と言ってくれた親方。その言葉をかけてくれる大人が、ハンス自身を見てくれる大人が、他にもいてくれたなら。何か違う結末があったのではないかな…。 -
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ハンス。少年。繊細。秀才。小さな町で一番の神童。神学校に入り、自由奔放で怠け者の友人(ヘルマン)ができると、次第に勉学から遠ざかっていく。将来を期待され、ちやほやされてきたハンスだったが、徐々に周囲の態度は冷たくなる。ハンスはしだいに精神を病み、学校を退学。父親の紹介で機械工の仕事につく。ハンスは機械工の仲間と酒を飲んだ帰りに川に落ち、人知れず闇の中を流れていく。ヘルマン・ヘッセHesse『車輪の下』1906
〇ヘルマン・ハイルナー。ハンスの同級生。詩を作る。自由奔放。
〇エンマ。ハンスが想いを寄せる女の子。
〇フライク。靴屋の男。親方。信心深い。勉強ばかりするなとハンスをさとす。
2人の罪人のうち、1人は墓場の前で悔い改め、もう1人はそうしなかった。友人に選ぶなら、悔い改めなかった方だ。彼は自分の道を最後まで歩み、最後になって、それまで彼を助けて来た悪魔と手を切ったりしない▼ある人間を憎むとき、私たちは自分自身の中に巣くっている何かをその人間の像の中で憎んでいる。自分自身の中にないものは、私たちを興奮させはしない▼鳥は卵から無理に出ようとする。卵は世界だ。生まれようとする者は、ひとつの世界を破壊しなければならない。ヘルマン・ヘッセHesse『デミアン』1919
〇マックス・デミアン。救済者。善と悪の両極。アプラクサス(古代の神・神的なものと悪魔的なものの結合)。男性的であり女性的。
●フランツ・クローマー。悪。
〇ベアトリーチェ。清楚な乙女。
〇エヴァ。母性。
〇エミール・シンクレア。10歳。
マルテ。男。28歳。作家。病弱。神経過敏。孤独。パリの街での経験、幼少時代の回想を通じて、死と愛について考える▼パリでの経験。鉛筆を差し出す白髪の老女。神経疾患の老人。車を引き野菜を売る盲目の男。病んだ医学生。表情がない丸顔の娘。包帯ぐるぐるの人▼幼少時代。苦しんで死んだ祖父と父。机の下の赤鉛筆をおうとしゃがむと向かいの壁から痩せた大きな手がのびてくる。取れなくなった仮面▼愛されるとは亡びること、愛するとは亡びないこと。ライナー・リルケ『マルテの手記』1910 ※オーストリア
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トニオ。内気。詩が好き。夢見がち。芸術家になるべく、修行を積むが、卑俗なものへの憧れを捨てきれない。トマス・マンMann『トニオ・クレーゲル』1903
アシェンバッハ。男。50代。理性と禁欲を重んずる芸術家。ドイツの田舎の別荘に閉じこもって仕事。人生に疲れ、仕事にも行き詰まったため、異国の地ヴェネツィアで過ごすことに。そこでタドゥツィオ(=タッジオ)という少年(14歳)に出会い、ギリシア彫刻のように美しい少年の姿に陶酔していく。少年の美しい姿を精神的なものに移し替えたいと願う▼ヴェネツィアにコレラが蔓延しはじめる。アシェンバッハは酒池肉林の夢を見る。老いて醜いの自らの姿(肉体)に吐き気を催す。アシェンバッハは少年に気に入られようと若作りの化粧をする。空気は湿って重く、腐敗の臭いに満ちている。アシェンバッハは美しい少年を追い求めながら海辺で息絶える。トマス・マンMann『ヴェニスに死す』1912
※プラトン「パイドロス」。美は魂が真実の世界(イデア界)を思い出すきっかけになる。
※理性と衝動の緊張関係が人間
ハンス・カストルプ。23歳。ハンブルク出身。大学を卒業したばかり。病気のいとこを見舞いに、スイスの山にある療養所にやって来た。死と病気の空気が支配する「魔の山」。3週間後、ハンスは体調を崩し、肺浸潤と診断され、「魔の山」の客ではなく、住人になってしまう。時間のない生活、心配も希望もない生活、停滞していながら、うわべだけは活発に見える放縦な生活、死んだ生活。「悪魔が権力を掌握して、支配権を宣言した、悪魔の名は鈍感だった」。気づけば7年が過ぎている。しかし、ある日、第1次大戦がはじまり、ハンスは目が覚め、熱狂に身を投じる。「死は自由・冒険・無形式・快楽、理性は死の前に立つと滑稽に見える、死を克服するのは愛だけ、理性ではなく愛が善良な思想を生み出す」。トマス・マンMann『魔の山』1924
※ベルクホーフ。スイスの山にある療養所(サナトリウム)の名前。保養地ダヴォス(毎年ダヴォス会議が開かれる場所)。
〇ヨアヒム。ハンスのいとこ。スイスの山の療養所で静養。生真面目。退所して軍人になるも、再び入所。病死。
〇クロコフスキー。医者。
〇セテムブリーニ。イタリアの文学者。人文主義。人間の尊厳。啓蒙。理性。真理。
〇ナフタ。教授。冷笑。共産主義。神秘主義。自然は人間のためにある。セテムブリーニと思想的に対立。セテムブリーニと決闘の末、自分の頭を銃で撃って自殺。
〇ショーシャ。女。妖艶。だらしない。ハンスが恋を打ち明ける。
〇ベーベルコーン。ショーシャの愛人。楽観。理想。富豪。豪快。本能。酒飲み。自殺。
◆死・病気への興味は、生への興味の一形態にほかならない。
◆馬鹿にも様々な種類があって、利口は馬鹿のうちのあまり感心しない一種である。
※シューベルト「菩提樹」
他人の感情生活に想像力を働かせる。察知する。トマス・マンMann『若いヨゼフ』
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ピーチャム。男。ロンドンの裏町ソーホー区で、ホームレスたちを利用して商売をしている。ピーチャムの愛娘ポリーが、窃盗団の男メッキーと結婚してしまう。ピーチャムは怒り心頭、娘を奪った男メッキーを逮捕・処刑に追い込もうとするが、張りぼての馬に乗った女王の使者が現れ、メッキーに恩赦を与え、メッキーを貴族に列する。ベルトルト・ブレヒトBrecht『三文オペラ』1928 ※ジョン・ゲイ「乞食オペラ」(1728)が元。
※銀行の設立に比べれば、銀行強盗なんぞ大したことはない▼街角に立ってる腕のない人を見ると、えらく心を動かされて、10ペンスを恵んでやる気持ちになる。しかし、二度目に見ると、5ペンスに減り、三度目には警察に引き渡してしまう。
アンドレア「英雄のいない国は不幸だ」、ガリレオ「英雄を必要とする国が不幸なのだ」。ベルトルト・ブレヒトBrecht『ガリレイの生涯』1939
純粋な信念の人、宗教に夢中になる人、世界を変革・改善しようとする人。高い志にもかかわらず、自分でも嫌っている殺戮と惨禍を引き起こすのはこういう人たちである。シュテファン・ツヴァイクZweig『ジョゼフ・フーシェ―ある政治的人間の肖像』1930
ヨーゼフ・ロートRoth『聖なる酔っぱらいの伝説』1939
第二次世界大戦の前夜。ナチスからパリへと逃れてきた避難民たちの生活。エーリッヒ・レマルク『凱旋門』1946
オスカル。3歳のとき転落事故を起こして成長を止める。言葉を一切しゃべらず、ブリキの太鼓をたたくのが日課。特技はかん高い声で声でガラスを粉砕すること。第二次大戦では、小人の前線慰問団の一員として戦地をまわる。父がソ連兵に射殺され、再び成長することを決意。その後、殺人事件の容疑者として逮捕され、精神病院に収容されるが、2年後、真犯人が見つかり釈放。ギュンター・グラスGrass『ブリキの太鼓』1959
灰色の紳士。時間貯蓄銀行の外交員。人々に時間の無駄になることを止めさせ、時間を貯蓄するよう勧める。行きつけの飲み屋に行くのは時間の無駄。インコを世話するのも時間の無駄。本を読むのも無駄。友人に会ったり、母親とおしゃべりしたり、恋人に会いに行くのも時間の無駄。時間を1分でも節約。ただ節約・貯蓄した時間はその人の手元には残らず、奪われてしまう。時間を節約をしているつもりで、時間を失っている。時間どろぼう▼時間の節約に取り憑かれた人々はあくせく生きるようになり、人間らしさを失っていく。くたびれて、不機嫌、怒りっぽく、落ち着きがない。とげとげしい目つき。生活は画一的で冷たい▼モモは時間が貯蔵されている倉庫を見つけ出し、時間どろぼうを退治。人々に心豊かな生活が戻る。ミヒャエル・エンデEnde『モモ』1973
〇モモ。女の子。黒髪。巻き毛。特技は人の話を聞くこと。犬や猫、コオロギ、ヒキガエルにも耳を傾ける。木々のざわめく風にも耳をかたむける。自然体。廃墟になった小さな円形劇場に住んでいる。
〇カシオペイア。カメ。歩みが遅い。せかせかしない。灰色の男たちからモモを助ける。予知能力。
〇マイスター・ホラ。時をつかさどる。時間の国。
※現代社会と人間
ミヒャエル。15歳。少年。36歳の女ハンナと恋仲。文盲のハンナはミヒャエルに会うたびに「本を朗読してほしい」と言う。朗読し、シャワーを浴び、愛し合う。しかし、ある日、ハンナは突然、姿を消す▼数年後、大学(法学部)に進学したミヒャエル。大学の授業でアウシュヴィッツ強制収容所の裁判を聴講。なんと、そこには被告人として法廷に立つハンナの姿。ハンナは強制収容所の看守をしていた過去があり、罪に問われていた。ハンナに無期懲役の判決が下り、刑務所に収監される▼ミヒャエルは文盲のハンナのために文学作品を朗読した声をカセットテープに録音し、ハンナに送り続ける。18年が経過、ハンナは恩赦が認められ、出所することに。ミヒャエルは出所後に住む家などを準備。出所日の前日、刑務所を訪問して、ハンナに再会。ハンナは老人のような外見で、老人のような匂いがする。声は若いときのままだ。出所日の朝、ハンナは首を吊って死ぬ。ベルンハルト・シュリンク『朗読者』1995 -
Posted by ブクログ
シッダールタ=ゴータマだと思っていたら、そんなことはなかった。全時代のシッダールタさん失礼しました。
本作はどこかで、ヘッセによる東方の神秘を描いた作品、というような謳い文句で紹介されていた。
さて実際はいかがか、と楽しみに読んでいくと、そのエロティシズムと聖人とは程遠そうなシッダールタの所業に、結局ヘッセもヨーロッパ人か…といくらか落胆する。
しかし終盤に差し掛かり、シッダールタが川の声を深く聞く頃から、話に深みが増し面白くなる。
それは作中にもあるように、初めから読んできたからであり、そしてこの私が感じた面白さを真に言葉に表すことはできないのだと思う。
さて、ここまで書いてこの感じ方を馬鹿らしいと思って忘れられる展開が私には面白いのだが、本作は残念ながら馬鹿らしいことを上回る名状しがたい事によって馬鹿では終わってはくれない。そこが残念だ。
そこを、なんと馬鹿らしい!と思われるのが、エブエブなんじゃないかな、と思った。