ヘルマン・ヘッセのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ数あるヘッセの著作の中で『知と愛』に続く、かなり上位の作品となった。
主要なテーマの一つとして、「青春と老い」があったと認識しているが、かつての青春の暗さもやがては心の内に定まるところを見つけ、私は今のところ否定的な言い方しか出来ないのだが、つまり人間は青春に限らず全ての過去を美化することしか出来なくなってしまうのか、という結末だった。その点で青春のうちに、愉しいうちに死ぬことを選んだムオトは私にとって最も美しく真実味を帯びている人物だったのかもしれない。しかし、私がもう少し年齢を重ねて再読した時は、この本は私にとって過去を掬いあげてくれる、綺麗にまとめられたものとなるのだろう。
私は主人公・クーンと感情の波や自分についての考え方(劣等感への遇し方など)が似ていると感じることがあったので、久しぶりに登場人物と自分を重ね合わせて、読後心が洗われたと思うような一冊だった。
美や音楽が作品の通奏低音となっていた。私には登場人物が音楽をやっているということ自体が興味深く感じられた。かなりてんこ盛りな作品と言えるのだろう。 -
Posted by ブクログ
ネタバレバッドエンド、暗い話ウェルカムなので、最高なラストではあった。まぁ、夢オチ、とは言わないけど、ああいうラストはズルい感じもする。けど、わたしは、ああいう風に投げ出して解釈任せて想像させてくれるのも好きだから、良かった。
うーん、でも、ハンスは何一つ間違っていないからこそ、彼を死なせてしまうことにより、やっぱ変わらない世間の肯定になってしまう、彼が車輪の下に轢かれてしまったことを証明してしまうことになるので、それは悔しい。やっぱ絶対生きててほしかった。ハンスは死んではいけなかった。
全体も、試験前・試験後・神学校・地元に戻った後(過去の思い出・現在)、とにかくテンポが良くて、スラスラ読めた。
そのテンポで主人公の心持ちもコロコロ移り変わっていくけど、その様子もちゃんと一つずつ理解できて、1ページたりとも飽きることなく読み切れた感じでした。(学校に馴染めなかった時点で、この劣等感でずっと話続いていくのかな?と思いきや、ファルケン、女の子の話とハンスの気持ちもテーマも進行し続けてくれたおかげかな?あと読みやすさは翻訳の力もあるのかな?)
あの最後のお酒のシーンも、今まで友達とかのコミュニティーが自分の一番渇望していたものだからこそ、それに飲み込まれていってクラクラする感じ、自分にも共通する感覚で、本当に引き込まれた。
やっぱりわたしはハイルナーが大好きでした。
彼は元気にやっているだろうか…
名著と呼ばれる理由は理解できた、けど本当に名著かどうか、そして、ヘルマンヘッセが好きかどうかは、ちょっとまだ分からない。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ聡明な、でも生きることに疑問を抱いている主人公が、さまざまなな体験を通して、ついには悟りを得る話。
主人公の名はシッダールタで舞台はインドだけど、あの仏教の開祖仏陀の話ではありません。仏陀は別人としてシッダールタの前に現れます。自分にはなかなか難しくて、読むペースもゆっくりになったけど、読んで本当に良かった。めっちゃいろいろ考えた。メモまで書きながら読んだ。
シッダールタは仏陀に教えを乞いながら、彼の元を離れる。それは「仏陀の教えは素晴らしいけれども、言葉ではそのすべてを伝えることは不可能=じゃあ自分で悟らなきゃダメじゃん」という理由だと読んだ。んで悟りを得るために?俗世に戻るも、元が聡明なシッダールタはそれでもダメだと絶望しかける。でも川のほとりで渡し守と暮らすうち、何事にも完全なピュアなものなどなく、さまざまな面を持ってるんだ、悪あってこその善なのだと気づき、悟りを得るために自分の人生はこれでよかったと最後救われて終わる。
話自体は短いのに、めっちゃいろいろ考えて、あー読んでよかったと心に残る一冊になった。
そしてこの感想も、言葉にした途端なんか陳腐になってしまい、でも書かずにはいられない、そんな切なさも感じた。
いいですね、ここまで考える読書。純粋に楽しむ話は大好きだけど、こういうのもこれからも読んでいきたいです。 -
Posted by ブクログ
優等生の少年ハンスの苦悩と破滅が描かれた小説だが、本筋以外にも様々な楽しみ方ができる。一粒で何度も美味しいタイプの本。
第1,2章は神学校の試験に向けた勉強と受験本番、そして受験後の解放というハンスの心情の移り変わりが秀逸。情景や周辺人物の描写も、ともすれば必要以上なほどに詳細ですぐに作品世界に入り込めた。ぼく自身の受験時代を思い返し、これでもかと感情移入してしんどくなりつつ、それでも眩しかった。
そして第3,4章は青春小説。同じくドイツの『飛ぶ教室』のごとき、少年たちの若さと美しさに目が潰れそうになる。特にハイルナーとハンスの友情はもはやブロマンスの域を超えており、かといって同性愛でもなく、異性への興味に目覚める前の少年だけに許された尊い関係性としか言いようがない。
仲直りの際のハンスの言葉はグッと来た。「許してくれなきゃダメだよ、ハイルナー!こうやってきみの周りをうろうろするくらいなら、むしろ最下位になりたいんだ。きみさえよければまた友だちになろうよ。そして他の奴らに、他人はお呼びでないと見せつけてやろう」。名訳だと思う。
そして第5,6,7章で、ハンスの苦悩が最高潮に達する。その過程もリアルで、挫折の後しばらくの放心状態を経て絶望に陥り、そして一時の小康状態、更に深い絶望というのを繰り返す。
ここまで散々ハンスに感情移入してきた身としては救いのある終わり方を望んでしまうところだが、個人的には考えうる限り最悪のバッドエンドだった。それでいて悔しいほどに美しい。古代ギリシアやシェイクスピアにいう悲劇の魅力を垣間見たように思う。
枝葉の話にはなるが、既訳の多くはタイトルを『車輪の下』としている。そもそも「車輪の下」とはドイツ語の表現で落ちぶれる、といった意味らしいが、本作で描かれているのは車輪の下「で」どう振る舞うかであり、光文社古典新訳文庫版のタイトルの方が内容に適切な気がする。 -
Posted by ブクログ
人が苦しみの中にあるとき、救いというものは、それほど多くあるわけではない。家族や友人の励まし。信じる教え。あるいは、大好きな景色や音楽。そして、大切にしてきた言葉。私たちは、苦しみをどう抱え、向き合い、乗り越えていくのか。
もし一冊の本が、苦しむ誰かを支え、乗り越える助けとなるなら、本は、信頼する友人一人に匹敵する。その言葉は、自分の中で声となって響く。それは、ただの知識や語彙ではなく、人間の言葉として残り、私たちが生きることを肯定する。小説が、随筆が、詩集が、格言集が、私たちの中に感触となって残り、私たちは自分の人生をその感触に重ね合わせて生きる。
この小説のタイトルは、ブッダの出家以前の名前。そしてこの小説の中身は、ブッダが悟りに至るまでの、求道者としての体験を書いたものである。悟りへの手段である禁欲を目的化せず、自身の快楽への深い欲を見つめながら、一歩ずつ清澄な境地へ至るさまは、それが高い次元のことにもかかわらず、世俗に生きる私たちに共感を与える。それは私たちが、現実を生きながらも、内面では、澄み切った境地へ至りたいと願っているからかもしれない。とすれば、この小説は、私たちに寄り添う「友人」になり得るだろう。私たち自身の中にはシッダールタがいるのだ。(K)
紫雲国語塾通信〈紫のゆかり〉2011年4月号掲載。 -
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ネタバレヘッセの2作目。自伝的小説。
日本で第1作目の「ペーター・カーメンツィント」より売れている理由は、鬱屈した締め付け型の学校教育・競争受験社会への共感かららしい。
純粋で繊細で不器用な少年ハンスが周囲の期待=圧力からどんどん身のうちに虚栄心を育てていき、虚栄心が自分のエネルギーを食い尽くして、最後は干からびた身体と魂ですっと消えていく。ハンスを見守ってくれていた親方が埋葬時に父親に語る言葉でハンスが少しでも救われてほしい。「あそこに行く紳士方も」「ハンスが破滅するのに手を貸したんですよ」「いえ、これ以上はやめましょう。あなたとわたし、我々も、あの子に色々としてやれたことを怠ったのではありませんかな?」
豊かな森、素朴な生活の情景描写にうっとりする。