## ひとことまとめ
模範少年ハンスの苦しみと、美しい自然
## 感想
周りの大人の期待に翻弄されて、頑張りすぎて壊れてしまうハンス。
大人もハンスも含めて、こういう人は今も、むしろ今の方が増えているかもな、と思う。
競争はますます激しくなり、人は疲弊し、しかし世の中では争いは絶えない。
誰かに勝つこと、しかもそれが自分でなく自分の子どもを勝たせて悦に入ることが、どれだけの人を幸せにするのか。
少なからず、自分の子は幸せではないのではないか。
人には、その時々にしかできないことがある。
それをしっかり楽しみ味わうことを怠ると、後からは取り返せないことが多い。
自分の子どもには過度な期待を背負わせずに、のびのびと、自分の頭で考え、体で経験し、生きていってほしいと思う。
## 引用と感想
### プライドを守りたいこども
> ハンスが先生たちの誇りとなり、自分でもいくらか思い上がってきてから、フライク親方は彼をしばしばおかしそうにながめ、へこましてやろうと努めた。しかし、そのため少年の心は、せっかく好意をもって導いてやろうとする人から遠のいてしまった。それはハンスが少年らしいいじっぱりの盛んな年ごろで、自信を傷つけられることに対して敏感だったからである。いまも彼はおじさんの話を聞きながら歩いていたが、このおとなが自分をどんな心づかいと親切心とをもって見おろしていてくれるかを知らずにいた。(p14)
感想
多感な時期は、大人から正論を言われたりしても反発してしまうもの。
私自身、今思えば恥ずかしいくらい大人を恨んで憎んでいた。
大人になったいま、そんな風にして子どもに対して親切心のつもりで接することがあるが、受け取る子どもの側の気持ちを考えなければいけない。
### 額の小さなしわ
> あおざめた少年の顔はやせた肩の上に倒れ、細い両腕はぐったりとのばされた。彼は着物を着たまま寝入ってしまった。母親のようにやさしいまどろみの手が、たかぶった少年の心臓の微しい鼓動を静め、美しい額の小さいしわを消した。(p19)
感想
試験前の重圧からか、遊ぶ時間を削って勉学に明け暮れたこども時代を思い出したり、昔飼っていたウサギの小屋を壊したり、父に対してそっけない態度を取るハンス。
ハンスのように厳しい受験競争で戦うこどもたちは今もたくさんいるのだろう。
本当なら楽しく友だちと遊んでいたはずの時間を一人部屋で勉強に費やし、それでも望む結果が出るとは限らない。
受験前夜、そんなハンスが眠るときの「美しい小さな額のしわを消した」という、厳しい重圧からの苦しみを表すしわが消えることで眠りの世界に落ちていく描写が美しい。
### 失った美しい時を二倍にして取り戻す
> どんなに長いあいだこうしたいろいろのものを、彼は見ずにすごしたことだろう。彼はおおきく呼吸をした。失った美しい時をいま、二倍にして取り返し、なんの屈託も不安もなく、もう一度小さい少年に返ろうとするかのように。(p41)
感想
試験に受かり、束の間の休暇を楽しむハンス。
情景描写が素晴らしくて目に浮かぶ。
どれだけ試験勉強が辛かったのかと想像する。
### 教育について
> 自然に造られたままの人間は、計ることのできない、見通しのきかない、不穏なあるものである。それは、未知の山から流れ落ちて来る流であり、道も秩序もない原始林である。原始林が切り透かされ、整理され、力でもって制御されねばならないように、学校も生れたままの人間を打ち砕き打ち負かし、力でもって制御しなければならない。学校の使命は、お上によって是とされた原則に従って、自然のままの人間を、社会の有用な一員とし、やがて兵営の周到な訓練によってりっぱに最後の仕上げをされるはずのいろいろな性質を呼びさますことである。(p59)
感想
教育について熱く語られる。
「自然のままの人間を、社会の有用な一員とする」
今は多様性や個性を重んじると主張する学校が多いが、そうは言っても画一的な授業がいまだに行われているし、試験によって点数をつけて差を明確にしている。
結局は、社会に役立つ人間を育てることを是とする教育だ。
### 精神的な制服
> 人間というものはなんとまちまちなものであろう。また人間のおいたった環境や境遇もどんなにまちまちなことであろう。それを政府は生徒たちについて、一種の精神的な制服、あるいははっぴによって合法的に根本的に等しくしてしまう。(p70)
感想
人間はそれぞれ違うのに、教育などの仕組みによって画一的にされてしまうことを「精神的な制服」と言っている。
怖いけど、言い回しが面白い。
### 天才は浮いてしまう
> しかもいつもながら、ほかならぬ学校の先生に憎まれたもの、たびたび罰せられたもの、脱走したもの、追い出されたものが、のちにわれわれの国民の宝を富ますものとなるのである。しかし、内心の反抗のうちにみずからをすりへらして、破滅するものも少なくないーその数がどのくらいあるか、だれが知ろう?(p119)
感想
教育は生徒に対して画一的に知識を詰め込むやり方が多いが、一握りの天才は、そんな環境の中で浮いてしまう。
しかし、そんな世間から浮いてしまう天才が、世間を変えるような発明をするのもまた事実。
天才たちを殺さないように守ることは難しい。
### 友だちだから
> 「だって彼はぼくの友だちなんですから。簡単に見捨てることはできません」(p123)
感想
校長から「ハイルナーは天才だが悪影響を及ぼすから付き合うな」と言われたハンスの返しの言葉。
一度失った友人関係だからこそ、決意を感じる。
こういうのって、今も昔もドラマや映画で見るよなあと思った。
大人から見れば不合理なことも、こどもの世界では必死で切実な現実だ。
### 強いことを示したい
> とどのつまり、どこに行くかは問題でなかった。少なくとも今夜は憎らしい修道院を飛び出し、自分の意志は命令や禁止より強いことを校長に示してやったのだ。(p140)
感想
規則に縛られないことを示すために修道院を飛び出して野宿するハイルナー。
似たようなことを学生時代の友人がやったことがあり、共感した。
### もろい美しい少年の心を踏みにじる、大人の名誉心
> たぶん例の思いやりのある助教師を除いては、細い少年の顔に浮ぶとほうにくれた微笑の裏に、滅びゆく魂が悩みおぼれようとしておびえながら絶望的に周囲を見まわしているのを見る者はなかった。学校と父親や二、三の教師の残酷な名誉心とが、傷つきやすい子どものあどけなく彼らの前にひろげられた魂を、なんのいたわりもなく踏みにじることによって、このもろい美しい少年をここまで連れて来てしまったことを、だれも考えなかった。なぜ彼は最も感じやすい危険な少年時代に毎日夜中まで勉強しなければならなかったのか。なぜ彼から飼いウサギを取り上げてしまったのか。なぜラテン語学校で故意に彼を友だちから遠ざけてしまったのか。なぜ魚釣りをしたり、ぶらぶら遊んだりするのをとめたのか。なぜ心身をすりへらすようなくだらない名誉心の空虚な低級な理想をつぎこんだのか。なぜ試験のあとでさえも、当然休むべき休暇を彼に与えなかったのか。(p144)
感想
この本を通底する「教育」についての、何となく核となる部分と思える文章。
大人の名誉心を満たすために犠牲になる子どもがいる。
子どもには、そのときにしかできないことがある。
### 死に場所を定めたら
> いろいろな準備と大丈夫だという気持ちとは、彼の心によい影響を及ぼした。宿命の枝の下に腰をおろしていると、例の圧迫が去って、ほとんど喜ばしい快感に見舞われる時間をすごすことができた。父親も容態のよくなったのに気づいた。自分の最後がまもなく確実にやって来るということが原因になっている気分を、父親が喜んでいるのを、ハンスは皮肉な満足をもってながめた。(p152)
感想
森の中に死に場所を見つけるハンス。
するとハンスは「終わり」が決まったことで、少しずつ元気を取り戻していく。
人間が不安になるのは、「先行きの不透明さ」なのかもしれないなとここを読んで思う。
### 一本の木
> 一本の木は頭を摘まれると、根の近くに好んで新しい芽を出すものである。それと同様に、青春のころに病みそこなわれた魂は、その当初と夢多い幼い日の春らしい時代に帰ることがよくある。そこに新しい希望を発見し、断ち切られた生命の糸を新たにつなぐことができるかのように。根元にはえた芽は水分豊かに急速に成長はするけれど、それは外見にすぎず、それがふたたび木になることはない。(p156)
感想
勉強や競争を強いられた幼年時代を取り戻すような行動を取るハンス。
大人が無理に子ども時代に抑圧を加えて何かを強いたとしても、いつか別の形でそのとき抑えられたものが芽を出すことがあるということをヘッセは言いたいのかと思う。
しかし「それは再び木になることはない」とも言う。
子ども時代にできることは、その時に楽しんでおかないといけない。
### 世界の見え方が変わる
> なにもかも不思議に変って美しく心をはずませるようになった。絞りかすで太ったスズメがそうぞうしく空をかすめて飛んだ。空がこんなに高く美しくほれぼれと青かったことはまだなかった。川と水面がこんなに青く青緑色でたのしそうにしていたことはなかった。せきがこんなにまぶしいほど白くあわだっていたことはなかった。なにもかもが、新しく描かれたきれいな絵が透きとおる新しいガラスのうしろに立っているように見えた。なにもかもが大きな祝祭の始まりを待っているように見えた。(p177)
感想
エンマという女性と接して恋をして、世界の見え方がガラッと変わるハンス。
少し前まで死を覚悟していたのに、少しのきっかけで世界の見え方が大きく変わる。
人が世界をどう捉えるかは考え方次第だと思う。