ヘルマン・ヘッセのレビュー一覧
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ネタバレ精神を求め知に奉仕する神学者のナルチスと愛欲を求め美に奉仕する芸術家のゴルトムントの友情の物語。そうは言っても、ナルチスは元々始めからほとんど完成されており、ナルチスがゴルトムントの気質を見抜き芸術家としての道を示した後は、ゴルトムントが思いのままに放蕩し芸術とは何たるかを理解し芸術家に至る成長の物語がメインとなる。
ナルチスとゴルトムントの会話がお互いに下地となる思想と感情に根差したものになっており、それぞれの微妙に噛み合ってなさなどが表現されていて、議論のシーンは読んでいて楽しかった。また、心情描写がとても素晴らしく、ゴルトムントが自分の気質に気付くシーンやリディアとの交友のシーンなど、読んでいるこっちがいじらしくなるような気持ちになった。特にリディアとの仲を深めていって、少しずつ態度が変わっていく描写はこの物語で一番好きなところだった。後、最後にナルチスにとってのゴルトムントに対する思いが述べられたところも好きだった。
ただ、ゴルトムントは魔性だったので、リディアやレベッカといった一部の人を除いてだが恋愛無双していて共感がしにくかったり、年を取って古典の良さが分かるようになるといった芸術家としての成長はあるものの、ペストによる人々の変化の恐怖を味わった後でさえ自分の愛欲を求める態度のせいで捕まっても多少の反省もなく生き汚さを発揮していたりと人間的ないわゆる成熟さみたいなものを獲得することがなく、今の価値観とは違うところを感じた。それが真の芸術家というものなのかもしれないが。加えて、訳された時代のせいなのか、それとも元々の文章がそうなっているのかもしれないが、会話文にぎこちなさを感じ、特にゴルトムントが口説く会話に対し薄ら寒さを覚えてしまったのは残念だった。 -
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ネタバレ自分がいかに無知であり、ある意味で凡人であるかを思い知らされる。
「釈迦」の出家以前の名「シッダールタ」、悟りの境地に達するまでの苦悩、師、友、俗世、欲、自然、苦悩...数多の出会いと体験から学んだシッダールタが辿り着いた境地。
興味深く読み終えることが出来ました。
『車輪の下』『デミアン』等で知られるドイツの文豪・ヘッセが描いた、釈迦「悟りへの道」。
20年にわたりインド思想を研究していたヘッセが、第一次世界大戦後に発表した。
シッダールタとは、釈尊の出家以前の名である。生に苦しみ出離を求めたシッダールタは、苦行に苦行を重ねたあげく、川の流れから時間を超越することによってのみ幸福が得られることを学び、ついに一切をあるがままに愛する悟りの境地に達する。
――成道後の仏陀を讃美するのではなく、悟りに至るまでの求道者の体験の奥義を探ろうとしたこの作品は、ヘッセ芸術のひとつの頂点である。
【目次】
第一部
バラモンの子
沙門たちのもとで
ゴータマ
目ざめ
第二部
カマーラ
小児人たちのもとで
輪廻
川のほとり
で 渡し守
むすこ
オーム
ゴーヴィンダ
注解
解説 高橋健二
本文より
彼は初めて世界を見るかのように、あたりを見まわした。世界は美しかった! 世界は多彩だった! 世界は珍しくなそに満ちていた! ここには青が、黄が、緑があった。空と川が流れ、森と山々がじっとしていた。すべては美しくなぞに満ち、魔術的だった。そのただ中で、彼シッダールタ、目ざめたものは、自分自身への道を進んでいた。このすべてが、この黄と青が、川と森が初めて目を通ってシッダールタの中に入った。それは、もはやマーラ(魔羅)の魔法ではなかった。……(第一部「めざめ」)
※マーラ…修行の妨げとなるもの。悪魔。
ヘッセ Hesse, Hermann(1877-1962)
ドイツの抒情詩人・小説家。南独カルプの牧師の家庭に生れ、神学校に進むが、「詩人になるか、でなければ、何にもなりたくない」と脱走、職を転々の後、書店員となり、1904年の『郷愁』の成功で作家生活に入る。両大戦時には、非戦論者として苦境に立ったが、スイス国籍を得、在住、人間の精神の幸福を問う作品を著し続けた。1946年ノーベル文学賞受賞。
高橋健二(1902-1998)
東京生れ。東大独文科卒業。ドイツ文学者。第8代日本ペンクラブ会長、芸術院会員、文化功労者。1931(昭和6)年ドイツ留学中に、ヘルマン・ヘッセを識り、交流が始まる。『ヘッセ全集』の全翻訳と別巻『ヘッセ研究』で1957年、読売文学賞を、1968年、『グリム兄弟』で芸術選奨文部大臣賞を受賞する。『ヴァイマルのゲーテ』『ケストナーの生涯』などの著書の他に、訳書多数。
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ネタバレ自由奔放に生きてきたけれど自分は何者にもなれなかった、と嘆くクヌルプに、人々に愛され、ときに嫉妬心を呼び起こさせる、それこそがお前の存在意義だったじゃないかと言い放つ神様。
この本を人生の本としてあげていた某私の推しさん、アイドルとしての存在意義をクヌルプと重ねたのかしら?…と思ったらなんか切なくなっちゃった。
他の方の感想を見ていたら、クヌルプを「我が家にやってきた猫」に例えていた方がいて、みんなを魅了してきたクヌルプの人となりがストンと理解できた!人間がこういう性格だと「ただのワガママじゃん」て思ってしまうところが面白いね。
猫はそうやって生きても「なんのために生きているんだ」とは悩まないだろうけれど(笑) -
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「知」をもって「愛」を知るナルチス
「愛」をもって「知」を知るゴルトムント
読み終わって見ると素敵な言葉すぎる、、
慣れない文体に最初は読むのに苦労しましたが、自分なりに解釈し楽しく読めました。
こんな真逆の2人が語り合い、理解し合う姿に何度も心打たれました
「道の上の1匹の小さな虫が、図書室全体のすべての本よりはるかに多くを語り含んでいる」と言うゴルトムントに対し、
「存在するものを愛し、可能なものではなく、現実のものを愛する。自然にさからってだけ生きることができる」と言うナルチス
一見、型に収まった生活をするナルチスより、自由で愛欲のままに生きているゴルトムントの方が幸せなのでは無いかと感じるけど
結局どっちがいいかなんてわからない、、
少なくともこの2人の関係はお互いの人生にとって、強い刺激を与えたんだろうなと思う。
海外文学は読むのが初めてだったので、理解するのが難しかったです。
現代風に悪く読むのであれば、キリスト教神学を学ぶけど、女の子と遊ぶ楽しさを知って学校を出て放浪し、たくさんの女の子を見て愛を知り、彫刻を学び年月を経て学校に戻ってくる。
最初はこんな解釈をしてしまって、、
何回も読み直してもっと素敵な読み物にしたいです。
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ヘッセ処女作。
とある村では、右も左も前も後ろもカーメンチント姓だらけ。そんな村から、牧師になるべく村を出た主人公カーメンチントくん。
初めての世界や体験に、穏やかに身を焦がした彼の行末は…。
原題、ペーター・カーメンチントの名に恥じぬ、ペーター・カーメンチントっぷりが最高!
そしてヘッセの表現も好きだと再認識。
このストーリーもそうだけれど、ヘッセの文体って郷愁というか、牧歌的というか、無垢な心の時を思い出させる懐かしさと自然さがあるなぁ。
読む年代によって、この作品に抱く感想が変わりそうだけれど、これを書いた時のヘッセ20代なの信じられない。人生何回か経験してないと書けないよ。 -
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セリフシーンは少ないが、風景描写や感情表現が緻密で、主人公ハンス・ギーベンラートの心情や風景が想像しやすかったです。ただ、近代特有の言葉も使われるため、理解を深めるのであれば調べる必要もありますが、普通に読むだけなら問題になりませんでした。
ハンスへの車輪の轍をなぞるように仕向けられた教育への批判、ハンスに足りなかったもの、結末でのハンスの思いなど、現代にも通ずるような問題提起や考察の余地もあるため、読んだ後も記憶に残りやすい作品でした。
ただ、作者の人生を擬えた作品のためか、個人的には物語の起伏が少なく、平坦に進む印象があったため、星4とさせていただきました。読んで損はない作品だと思いますので是非お試しください。 -
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短編集でしかも本が薄いので、すぐに読み終わるかと思いきや、これがなかなか手強かった…
『苦しい道』
『夢から夢へ』
これはもう読んでて訳が分からなくて、頭がおかしくなりそうだった。
ニューエイジミュージックをイヤホンで聴きながら、なんとか読み切った感じ。
……
感想もいつもはすぐに記すのだけど(というか、読みながら感想を考えてる)メルヒェンから離れたいのと反芻したい葛藤があった。
訳された高橋健二さんの解説の中に、ヘッセが精神病を患っていたとあったので、『本当に苦しかったんだ、でも、逃げずに表現したのか…』という思いに今は至りました。
……
『アウグスツス』
『別な星の奇妙なたより』
不思議な、でも、忘れてはいけない、心に刻んで置かなくてはいけない作品。
言葉に簡単にできなくて、もどかしい。
「アウグスツス」でわかった事は、
充分に誰にでも愛されていれば幸せだとは思えなくなった。誰かの愛すべきところが、どんな状況であっても見出す事が出来たら、それこそ幸せなのかな?と。
「別な星の奇妙なたより」は、戦争の痛ましさで胸が苦しくなった。でも…いつか忘れてしまうものなんだな、と。 -
Posted by ブクログ
読書力読書、3冊目。
学生のころ、どの先生だったか忘れましたが、この本の内容を「受験の話」だとおっしゃっていました。しかしとくに興味を惹かれることなく数十年経過、人生半ばまできてようやく読みました。
シュワルツワルト地方の小さな町で唯一の秀才、ハンス・ギイベンラアトは、ほかの〈天分にめぐまれた少年たち〉と同様、州試験を通って神学校へ行き国のために働くというエリートコースを歩むべく、父親や町の人びとの期待を背負って州試験を受け、無事合格、マウルブロン神学校に入学します。友人もでき、勉学に励みますが、少年から青年へと成長するとともに、心身の調子を崩してゆきます。
主人公ハンスの苦悩は受験のときから続いているので、たしかに受験の話と言えなくもないのですが、物語全体を通して考えると、受験は通過点のひとつです。読後はもういろいろな思いが渦巻いて、この物語のテーマの深さに言葉を失い、しばらく動けませんでした。もし学生時代に読んでいたら、たぶんここまで複雑な気持ちにはならなかったと思います。
なんと重い車輪なのか。周囲からのプレッシャー、プライド、そして本心との闘い。ハイルナアとの友情、エンマとの恋、突如おそわれる不安、おそれ、頭痛。がんじがらめになった心の唯一の解放は、一人で流す涙でした。ただ一人、靴屋のフライク親方だけは、真実を見抜いていたようですが。
これは著者の自伝的小説です。本書の訳者解説が書かれたとき、ヘッセは80歳、ご存命だったそうです。
私が本書を買ったのは数十年前でした。名作だからとりあえず買っておいたのでしょうね。なのでカバーに書いてある定価は200円です。訳文にもやはり古臭さを感じるので、今ではさすがに新訳になっているかしらと、書店で現在(2021年5月)売っているものを見てみたら、なんと文字が大きくなってその分本の厚みが増しているだけで、訳文はまったく同じでした。これから買って読むなら、光文社古典新訳文庫の『車輪の下で』のほうが読みやすいかもしれません。が、私としては、これまで多くの人たちが読んできた文章で本作を味わえたことをうれしく思っています。