ヘルマン・ヘッセのレビュー一覧
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ネタバレ師弟関係のような緊密な人間関係に注目するヘッセではなく、1人の人間の変遷に注目するヘッセだった
粗野な家系に生まれた自然を愛する田舎者の主人公が、変わり者の叔父に勧められて学問の道へ進むことになる
しかし中高では周りに馴染めず、1人屋根裏部屋で本を読んで詩を書いて過ごしていた
大学に進学してからは音楽と芸術を愛する快活な友人ができ、そこを経由して芸術家である想い人もできた
そんな友人は卒業旅行の数日後に川で溺れ死に、想い人は別の人が好きだった
学生生活で唯一得られたものは友情だとも言っていた主人公は打ちひしがれて
酒に溺れるようになった
それでも歴史批評と詩作とを続け仕事にしながら、学者友人の会に出かけたりもする
その中で生意気な少女と打ち解けるが、やはり少女も婚約者がいた
田舎者の旦那の家に通い詰め、そこで疎ましがられている繊細な障害者と仲良くなり
彼が死ぬまで共に暮らす
最後に故郷に帰り、父と叔父と自然との変化のなさや理想との折り合いをつけて物語は終わる
僕がヘッセに求めているのはプラトニックで緊密な上下関係であるため、人間関係が目まぐるしく変わっていく今回の作品はあまり刺さらなかった
しかし、青年が学問と両親と劣情とに理想を持って自立しながら現実と折り合いをつけていくある種の冒険譚的要素や、知識人の精神的で空虚な見栄に見える生活の批判と市民の物質的で健康な生活への賞賛(本によっては逆の立場も)、そして主人公の学問への憧れと愛情は、自然の描写と共に、どのヘッセ作品でも心を浄化してくれるので相変わらず好きだ -
Posted by ブクログ
シッダールタとゴーヴィンダの修行の話かと思ったら、要はヘッセ自身の宗教的体験の告白、とはいえ実際にインドへ行ったとかではなく、心の内面の修行
だから第一部と第二部では書かれた時期が異なるとの事、
欲のまま生きる人間らしさを通り抜け、川からの語りを、自身の言葉を遮る事なく聞き続けてくれる川渡しのヴァーズデーヴァとの出会い、再会、悟りを開くとは、ことば、とは、なかなか深い
短い文章だが時間がかかる、そして再読必須かと
今はまだ星3つ、本当に理解するには時間が必要
「きのう私は、考えること、待つこと、断食することができる、とあなたに言いましたが、そんなことは何の役にも立たない、とあなたは思いました。だが、それがなかなか役に立ちます、カマーラよ……
さぐり求めるとは、目標を持つことである。これに反し、見いだすとは、自由であること、心を開いていること、目標を持たぬことである。おん身はたぶん実際さぐり求める人であろう。おん身は目標を追い求めて、目の前にあるいろいろなものを見ないのだから」
知識は伝えることができるが、知恵は伝えることができない。知恵を見いだすことはできる。知恵を生きることはできる。知恵に支えられることはできる。知恵で奇跡を行うことはできる。が、知恵を語り教えることはできない。これこそ私がすでに青年のころほのかに感じたこと、私を師から遠ざけたものだ。私は一つの思想を見いだした。
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ネタバレ学問と理性と秩序を象徴するナルチスと、芸術と感情と自由を象徴するゴルトムントを主に進んでいく。修道院で出会った2人は、ナルチスが憧れられる指導者として、ゴルトムントが憧れる生徒として関係を深めていく。ゴルトムントはある日ナルチスに母を忘れていることを目覚めさせられ、芸術に向いていることを諭され、旅に出ることになった。
自由で快活な好青年ゴルトムントは、森の冷たさや恐ろしさや飢えと情欲と女とを知り徐々に大人になっていく。女の元を転々として愛を学んでいたゴルトムントは、ある日翻訳家として騎士に雇われそこ姉妹の姉と愛を育む。妹にバレ、妹も参戦したその日に騎士に追放された。次に同じお気楽で打算的な放浪者に出会い行動を共にすることになった。軽蔑しながらもある所で尊敬していたが、夜に富裕層の姉に貰った金貨を盗まれそうになった為目を覚ますと、放浪者はゴルとムントの首を絞めてきた。ゴルトムントはナイフで反撃し殺してしまった。教会で聖マリア像に出会い感激し、その作者の元へ弟子入りし、ナルチスを象徴した像を完成させる。師弟関係とそこの娘とある種の愛情を築いていたが、自由を愛すゴルとムントはまた旅に出る。道すがらで純粋な巡礼中の青年に出会い、行動を共にすることになったがそのころペストが流行っていた。ペストの醸し出す死の匂いに好奇心を誘惑されたゴルトムントは、車に載せられ穴に放り出される大量の死体や腐った犬の死体や閑散とした町など感染を顧みずペストの街を探検する。その中である娘と出会い、しばらく3人でペストから逃れるためにも行動を共にすることになった。ある廃墟を改造して3人でつましく暮らしていたが、ペストの男に娘が噛まれてしまい感染する。ゴルとムントは娘が死ぬところを見届けたらまた1人旅にでる。途中で父をおって死にたがるユダヤ人の美しい娘に出会った。死の匂いに疲れ、またたびで培った観念を死から逃れた存在物として表現したくなったゴルトムントは親方の住まう町を目指すが、親方はペストにかかった娘を看病して死んでいた。最後の女、その町の公爵貴にゴルトムントは恋をし、最後公爵に見つかってしまい死刑になるところをナルチスに救われた。修道院への帰途でお互い成長を実感して軽く今までの事を話し合う。修道院に帰ってからは院長となったナルチスが工房を手配してくれて、ゴルトムントは芸術作品をふたつ作り上げる。たまの外出時の女の反応で自分の老いを感じたゴルトムントは若さを取り戻すべくまた旅に出るが、公爵夫人は今の彼には振り向かなかった。それでも諦めず旅を続けようとするも、小川で馬と共に足を滑らせ肋骨を折ってしまった。それでもまだ帰らずに旅を続け、やっと帰ってきたゴルとムントはもう治療が不可能だった。ナルチスはゴルとムントの死を看取る。
デミアンや荒野の狼や車輪の下ではヘッセ作品に共通する同性愛的な導くものと導かれるものという上下関係は揺らがなかったが、知と愛では最後にナルチスが認めているように同等になることが出来た。
ナルチスから始まりナルチスで終わるゴルトムントの人生観は、もちろんこの2人が主人公ではあったんだろうけど、旅のターンが長くあまりヘッセ作品で求める緊密な友情を感じることが出来なかった。
感情も愛情も若さも全て続くことは無い、だから論理に落とし込み記録するか芸術作品として昇華するかをしなければならない。秩序と学問は結ばれていて、自由と芸術もまた結ばれている。
ゴルトムントが躁鬱患者のように秩序から自由へ
移行する時や、ペストの時、殺害後の時、などなど過渡期の思考が今まで許容していた自由から神経質なものへ変わるのが、自分の浮き沈みしやすい神経と一致していて共感出来た。
正直ヘッセみがあまり無かったなあ -
Posted by ブクログ
依存から自立へ向かう過程があまりにも生々しくて、読んでいて正直しんどかった。
シンクレールの思春期は、友人関係に揺れ、両親との距離にも違和感を抱えながら、デミアンという存在に救われていく。でも読み進めるうちに気づくのは、デミアンは「外から与えられる導き」ではなく、自分の中に取り込まれていくものだったということ。
特に強く残ったのは、「善だけでなく、悪や衝動も自分の一部として認める」という感覚。言葉にするとシンプルだけど、実際には逃げ場のない重さがある。
自立するというのは、綺麗な自分だけで生きることじゃなくて、そういう矛盾や衝動ごと引き受けて、自分で自分を導いていくことなのかもしれない。 -
Posted by ブクログ
感想 ネタバレなし
タイトルからして不穏な雰囲気が漂っていたので、読む前から嫌だな...という心境でしたが、とても面白かったです。辛い場面は多いですが、少年時代の痛々しくも、楽しく、美しい思い出を回顧できる作品でもあります。
本作品を通じて、ヘッセの少年・青年時代の心情を描き出す手腕には、驚嘆させられました。大学以降の心情描写に優れた作品はいくらでもありますが、それ以前の心情をここまで瑞々しく描ける作者は中々いないと思いました。国や時代は違えど、どんな人であっても自分の子供時代にあったキラキラしたドロドロした何かに、出会い直せる作品です。
あとは、本作品が1904年刊行ということで、この時代のドイツの資本主義や商売のあり方、徒弟制度を窺い知れたのもよかったです。
感想 ネタバレあり
1.主人公が亡くなった場面の表現の巧みさ
まず、主人公が亡くなったことが判明する文章の表現がとにかく素晴らしい。ただ死んだとするのではなく、主人公の死体が流れる様子が描写されると、死が現実として感じられて、絶望感が一気に押し寄せました。これは、本当にとんでもない表現です。
2.画一的な教育の暴力性と日独の共通性
また、本作品のテーマである教育についても考えさせられました。読んでいる中で、きっとこの筆者はギフテッドか何かで、画一的な規範を押し付ける教育への個人的な恨みがあるんだろうな、と思っていました。読み終わった後に調べてみると、筆者はいろんな学校を辞めたり、職場を逃げ出したりしていて、自伝的な側面も強かったと知り、納得しました。教育に殺されかかった筆者だからこそ、教育に潜む悪牙を表現できたのでしょう。
本書で問題視されているドイツの教育は、日本と共通している点が多いように感じました。例えば、受験への過度なプレッシャー、封建制度の名残なのか、目上が言うことは絶対という教職員・校長の態度や従順で規律正しい国民の育成を目的とした教育。これらは、ドイツだけでなく、日本でも見られる特徴で、本書の問題意識は日本人が共感しやすいと思います。
3.青年期の快い美化と美しいものに「出会い直せる」感覚
ヘッセの描き出す青年期は、美しい場面が多く含まれています。これは郷愁や憧憬の思いが大いに含まれた美化されたものであり、あくまでも大人が振り返った時のイメージなのだと思います。振り返ってはじめて、過ぎた時代の美しさや価値に気づけるし、何なら美化しすぎるのもよくありません。人生は常にうっすら辛いものであって、常に安楽なものではないと思います。過去の過度な美化は、それと比較した時の現実の辛さを増幅させて、「今」に向き合うことを難しくしてしまいます。
ただ、過去を美化することの弊害は分かりつつ、ヘッセの描写は本当に美しいことは認めざるを得ません。私は学生時代はどちらかというとネガティブな思い出が多いので、わざわざ思い出すことは少ないです。(環境や周囲の人間関係には恵まれていたが、自分がダメだったので、思い出すと嫌になるため。)そんな私でも、ヘッセに過ごした日々の美しさや価値を再発見してもらったような思いがしました。ありがとうございます! -
Posted by ブクログ
昔、学校の推薦図書で度々見かけた気がするが、学校がこの本を生徒に読ませようとしたあたりに、少し滑稽さを感じる。
最後の顛末は、ちょっと不自然に片づけたな、という感じもする。
ありえるけれど、強引だ、と感じた。
私にとっては、別に面白い作品ではない。
才能に恵まれてはいたけれど、弱い子ども。
才能を上手に開花させ、育む能力が周りの大人たちになかった。
周りの大人につぶされた。
そういう話なのだけれど、まあ、そういうことっていっぱいあるよな。と思ってしまう。
個々の才能を開花させることのできる教育って、それはとても贅沢で難しいものだろう、と少し考えただけで思い至る。
今でこそ選択肢は多くなってきたかもしれないが、ヘッセの時代にはどうだったのだろう。
彼の時代にこの本が書かれたことに意義があるのかもしれない。と思った。 -
Posted by ブクログ
ヘッセの作品は「車輪の下」「デミアン」「知と愛」以来だと思う。かなり前に読んだ記憶。
この作品は正直、個人的には読みやすくはなかった。「人間」と「荒野のおおかみ」に自己分裂した中年男の、現代社会での苦悩が続く。市民的に生きられないと言うものの市井に住み、社会に呪詛を投げかけるも社会からも逃れられない。とある女性と出会い変化していくのだが、ラストのある種の幻想的なシーンの連続は難解に感じた。
さて、文庫のあとがきで訳者が、この書が「ヒッピーの聖書」に祭り上げられた、と書いていて驚いた。確かにヘッセが時代を先取りしていた部分は、この作品を読めばよく分かる。しかし、私の生まれるかなり前に存在していたらしきヒッピーへの印象と、この作品の根底にあるものは全く繋がらない印象を受けた。
この作品では体制を批判し、戦争に反対し、資本家や機械文明を嘲笑している。知識までも。それでも現代から抜け出せない苦悩の中、徹底的に自己批判し、その批判した自己すらどうにもならない精神、魂の問題を前半で描き、新たな体験によって後半克服したかに思えるが、どうもそう単純ではないように作品を読んだ。
表層ではヒッピーのイメージと繋がる。しかし……どこか繋がらない。どこまで行っても繋がりそうにない。そんなモヤモヤした気持ちを持ってしまった。むしろ今を生きる現代人、そしてこれから先の人間の方がこの作品を読んで、響くのではなかろうか。