ヘルマン・ヘッセのレビュー一覧
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ネタバレ学問と理性と秩序を象徴するナルチスと、芸術と感情と自由を象徴するゴルトムントを主に進んでいく。修道院で出会った2人は、ナルチスが憧れられる指導者として、ゴルトムントが憧れる生徒として関係を深めていく。ゴルトムントはある日ナルチスに母を忘れていることを目覚めさせられ、芸術に向いていることを諭され、旅に出ることになった。
自由で快活な好青年ゴルトムントは、森の冷たさや恐ろしさや飢えと情欲と女とを知り徐々に大人になっていく。女の元を転々として愛を学んでいたゴルトムントは、ある日翻訳家として騎士に雇われそこ姉妹の姉と愛を育む。妹にバレ、妹も参戦したその日に騎士に追放された。次に同じお気楽で打算的な放 -
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依存から自立へ向かう過程があまりにも生々しくて、読んでいて正直しんどかった。
シンクレールの思春期は、友人関係に揺れ、両親との距離にも違和感を抱えながら、デミアンという存在に救われていく。でも読み進めるうちに気づくのは、デミアンは「外から与えられる導き」ではなく、自分の中に取り込まれていくものだったということ。
特に強く残ったのは、「善だけでなく、悪や衝動も自分の一部として認める」という感覚。言葉にするとシンプルだけど、実際には逃げ場のない重さがある。
自立するというのは、綺麗な自分だけで生きることじゃなくて、そういう矛盾や衝動ごと引き受けて、自分で自分を導いていくことなのかもしれない。 -
Posted by ブクログ
感想 ネタバレなし
タイトルからして不穏な雰囲気が漂っていたので、読む前から嫌だな...という心境でしたが、とても面白かったです。辛い場面は多いですが、少年時代の痛々しくも、楽しく、美しい思い出を回顧できる作品でもあります。
本作品を通じて、ヘッセの少年・青年時代の心情を描き出す手腕には、驚嘆させられました。大学以降の心情描写に優れた作品はいくらでもありますが、それ以前の心情をここまで瑞々しく描ける作者は中々いないと思いました。国や時代は違えど、どんな人であっても自分の子供時代にあったキラキラしたドロドロした何かに、出会い直せる作品です。
あとは、本作品が1904年刊行ということで、この時 -
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昔、学校の推薦図書で度々見かけた気がするが、学校がこの本を生徒に読ませようとしたあたりに、少し滑稽さを感じる。
最後の顛末は、ちょっと不自然に片づけたな、という感じもする。
ありえるけれど、強引だ、と感じた。
私にとっては、別に面白い作品ではない。
才能に恵まれてはいたけれど、弱い子ども。
才能を上手に開花させ、育む能力が周りの大人たちになかった。
周りの大人につぶされた。
そういう話なのだけれど、まあ、そういうことっていっぱいあるよな。と思ってしまう。
個々の才能を開花させることのできる教育って、それはとても贅沢で難しいものだろう、と少し考えただけで思い至る。
今でこそ選択肢は多くなってき -
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ヘッセの作品は「車輪の下」「デミアン」「知と愛」以来だと思う。かなり前に読んだ記憶。
この作品は正直、個人的には読みやすくはなかった。「人間」と「荒野のおおかみ」に自己分裂した中年男の、現代社会での苦悩が続く。市民的に生きられないと言うものの市井に住み、社会に呪詛を投げかけるも社会からも逃れられない。とある女性と出会い変化していくのだが、ラストのある種の幻想的なシーンの連続は難解に感じた。
さて、文庫のあとがきで訳者が、この書が「ヒッピーの聖書」に祭り上げられた、と書いていて驚いた。確かにヘッセが時代を先取りしていた部分は、この作品を読めばよく分かる。しかし、私の生まれるかなり前に存在して -
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ネタバレ高校の時に、「俺本読むわ、でも何から始めていいかわからんし」って言った時に母が買ってきてくれた本がこれ。積み本にしてそのまま捨てて、買ってくれた母は今は亡き。
思い出して大いに猛省し、再度読む機会を得た。
これはヘルマンヘッセの自伝でもあるという事だったけど、ええ!?主人公最後....オイ
これは今でいう鬱になっちゃった時期があったんだろうか、神学校から戻ってきてからの話がぶっとぎ過ぎて学生時代こんなむつかしい本理解できんやろうって思いながらも、でもやっぱりこれは学生時代に読んでおきたかったなぁとつくづく思った。
タイトルの車輪の下って意味が文中に登場し、ああ、そういうことなんだぁって納得した -
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主人公のクヌルプは、とても魅力的な青年に感じました。
作中に出てくる登場人物たちも、彼を慕っていて、彼が来ると食事やお酒を与え、寝床まで提供します。
しかし、彼はどこにも定住しません。人生に悩んでいるのです。
なぜ、彼にこんなに魅力を感じるのかは、理屈ではなかなか説明できませんが、最後の神様との対話で、その理由が少しわかった気がします。
それは彼が自分の生き様に対して、本気で悩む人だったからです。
最初の頃は、どちらかというと、物事を斜めから見るような印象が強いクヌルプですが、それは彼なりの物事に対する「真摯な態度」の表れだったのかもしれません。