あらすじ
周囲の期待を一身に背負い猛勉強の末、神学校に合格したハンス。しかし、厳しい学校生活になじめず、次第に学業からも落ちこぼれていく。そして、友人のハイルナーが退校させられると、とうとうハンスは神経を病んでしまうのだった。療養のため故郷に戻り、そこで機械工として新たな人生を始めるが……。地方出身の優等生が、思春期の孤独と苦しみの果てに破滅へと至る姿を描いたヘッセの自伝的物語。【光文社古典新訳文庫】
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少年の繊細な心は、まるで剥き出しの心臓を見ているかのようでした。受験、宗教、学校教育に対する批判や、後半に描かれる労働や初々しい恋といった要素も含め、心理描写が非常に細やかで、ハンスの葛藤や孤独が強烈に伝わってきます。彼のプライドや挫折、苦悩にも大いに共感しました。結末は悲しいですが、それ故に深く考えさせられる作品だと思います。高校生の頃に読んだ際はハンスと同じく学校への批判的な視点を持ちましたが、30代の今、再読してみると、もう少し器用に生きられなかったのか、不合理や葛藤とうまく付き合えたのではないかと、異なる視点が得られました。読み直して本当に良かったと思います。
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バッドエンド、暗い話ウェルカムなので、最高なラストではあった。まぁ、夢オチ、とは言わないけど、ああいうラストはズルい感じもする。けど、わたしは、ああいう風に投げ出して解釈任せて想像させてくれるのも好きだから、良かった。
うーん、でも、ハンスは何一つ間違っていないからこそ、彼を死なせてしまうことにより、やっぱ変わらない世間の肯定になってしまう、彼が車輪の下に轢かれてしまったことを証明してしまうことになるので、それは悔しい。やっぱ絶対生きててほしかった。ハンスは死んではいけなかった。
全体も、試験前・試験後・神学校・地元に戻った後(過去の思い出・現在)、とにかくテンポが良くて、スラスラ読めた。
そのテンポで主人公の心持ちもコロコロ移り変わっていくけど、その様子もちゃんと一つずつ理解できて、1ページたりとも飽きることなく読み切れた感じでした。(学校に馴染めなかった時点で、この劣等感でずっと話続いていくのかな?と思いきや、ファルケン、女の子の話とハンスの気持ちもテーマも進行し続けてくれたおかげかな?あと読みやすさは翻訳の力もあるのかな?)
あの最後のお酒のシーンも、今まで友達とかのコミュニティーが自分の一番渇望していたものだからこそ、それに飲み込まれていってクラクラする感じ、自分にも共通する感覚で、本当に引き込まれた。
やっぱりわたしはハイルナーが大好きでした。
彼は元気にやっているだろうか…
名著と呼ばれる理由は理解できた、けど本当に名著かどうか、そして、ヘルマンヘッセが好きかどうかは、ちょっとまだ分からない。
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確固たる理由を持っている場合よりも、なんとなく衝動に任せて行動してしまうケースの方が遥かに多い。
主人公ハンスがなぜあのような最後を迎えたのか。私には明確な理由はないように見えた。精神を削られ、朦朧とした意識になっていたとはいえ、若さゆえになんとなく身を任せてしまったのだろうと。ただ、それが非常にリアルだなと思った。
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優等生の少年ハンスの苦悩と破滅が描かれた小説だが、本筋以外にも様々な楽しみ方ができる。一粒で何度も美味しいタイプの本。
第1,2章は神学校の試験に向けた勉強と受験本番、そして受験後の解放というハンスの心情の移り変わりが秀逸。情景や周辺人物の描写も、ともすれば必要以上なほどに詳細ですぐに作品世界に入り込めた。ぼく自身の受験時代を思い返し、これでもかと感情移入してしんどくなりつつ、それでも眩しかった。
そして第3,4章は青春小説。同じくドイツの『飛ぶ教室』のごとき、少年たちの若さと美しさに目が潰れそうになる。特にハイルナーとハンスの友情はもはやブロマンスの域を超えており、かといって同性愛でもなく、異性への興味に目覚める前の少年だけに許された尊い関係性としか言いようがない。
仲直りの際のハンスの言葉はグッと来た。「許してくれなきゃダメだよ、ハイルナー!こうやってきみの周りをうろうろするくらいなら、むしろ最下位になりたいんだ。きみさえよければまた友だちになろうよ。そして他の奴らに、他人はお呼びでないと見せつけてやろう」。名訳だと思う。
そして第5,6,7章で、ハンスの苦悩が最高潮に達する。その過程もリアルで、挫折の後しばらくの放心状態を経て絶望に陥り、そして一時の小康状態、更に深い絶望というのを繰り返す。
ここまで散々ハンスに感情移入してきた身としては救いのある終わり方を望んでしまうところだが、個人的には考えうる限り最悪のバッドエンドだった。それでいて悔しいほどに美しい。古代ギリシアやシェイクスピアにいう悲劇の魅力を垣間見たように思う。
枝葉の話にはなるが、既訳の多くはタイトルを『車輪の下』としている。そもそも「車輪の下」とはドイツ語の表現で落ちぶれる、といった意味らしいが、本作で描かれているのは車輪の下「で」どう振る舞うかであり、光文社古典新訳文庫版のタイトルの方が内容に適切な気がする。
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ノーベル賞作家ヘルマン・ヘッセの代表作のひとつ。大人たちの期待と詰め込み教育に押しつぶされる少年の軌跡。
悲痛な話だ。日本人に特に人気があるというのも、少年ハンスにはどこかしら共感するものが多いからだろう。繊細な感性と周囲の視線。友情と恋愛における齟齬。思春期における様々な問題のすべてが、何かをかけ違えたようにうまくいかなかったら、誰もが同じような苦悩に埋没してしまうかもしれない。そのリアリティと、教育のあり方に対する糾弾は、今の日本人にとっても他人事ではないと思えた。泣ける体力のあるときに読んでおきたい名作。
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日本語訳が非常にわかりやすく、文学初心者の私でも読み終えることができた。
主人公ハンスに性格や思考に共感できるところは少なからずあったので、飽きなく読めた。主人公の最終的な結末をみて、少なからず同情の念はわいた。本当の意味で主人公ハンスを理解し支えてくれる大人がいれば、こんなことにはならなかったのではないかと思う(母がまだ存命で、友人も退学したければ、こんなことにならなかった?)。
ドイツの田舎の美しい自然描写や街の暮らしなどが細かく表現されていて読んでて楽しかった
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主人公の苦悩 車輪の下という題の意味は落ちぶれるという意味合いを持つらしい。
日本の受験生なら感じたことのあるであろう苦悩、挫折、足掻きを少年は孤独に向き合っているように感じた。
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ヘッセの2作目。自伝的小説。
日本で第1作目の「ペーター・カーメンツィント」より売れている理由は、鬱屈した締め付け型の学校教育・競争受験社会への共感かららしい。
純粋で繊細で不器用な少年ハンスが周囲の期待=圧力からどんどん身のうちに虚栄心を育てていき、虚栄心が自分のエネルギーを食い尽くして、最後は干からびた身体と魂ですっと消えていく。ハンスを見守ってくれていた親方が埋葬時に父親に語る言葉でハンスが少しでも救われてほしい。「あそこに行く紳士方も」「ハンスが破滅するのに手を貸したんですよ」「いえ、これ以上はやめましょう。あなたとわたし、我々も、あの子に色々としてやれたことを怠ったのではありませんかな?」
豊かな森、素朴な生活の情景描写にうっとりする。
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ハンスが死を支えに生きるとき、そして冷たい水の中で帰らぬ人となったとき、安堵した。無慈悲に回る車輪の轟音のふもとで生きるには、彼の心は小鳥の雛のように柔らかくはかなすぎた。人生にピリオドをあっさりと打てる人もいるけれど、そうでない人もたくさんいる。小鳥の心の周りを頑丈な鎧で固めたり、小鳥の心に知らん顔して、新たな大人の理性をインストールしたりして生きてる人をたくさんしっている。私の中のハンスは、ぼんやり遠いうつろな目をして日曜日の終焉に絶望している。
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昔大学生のころだったと思いますが。。
そのころに付き合っていた人に紹介してもらった
と思う本。
そのころは読まなかったのですが。
その時にこの本を読んでいれば、どう思って
どうなっていたのか?
もういまとなっては、そんなに重くは受け止めることは
ないですが。
やはり、自分のことを考えてしまう内容だったと思います。
だれでもある感情だとは思いますが。
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ハンス。少年。繊細。秀才。小さな町で一番の神童。神学校に入り、自由奔放で怠け者の友人(ヘルマン)ができると、次第に勉学から遠ざかっていく。将来を期待され、ちやほやされてきたハンスだったが、徐々に周囲の態度は冷たくなる。ハンスはしだいに精神を病み、学校を退学。父親の紹介で機械工の仕事につく。ハンスは機械工の仲間と酒を飲んだ帰りに川に落ち、人知れず闇の中を流れていく。ヘルマン・ヘッセHesse『車輪の下』1906
〇ヘルマン・ハイルナー。ハンスの同級生。詩を作る。自由奔放。
〇エンマ。ハンスが想いを寄せる女の子。
〇フライク。靴屋の男。親方。信心深い。勉強ばかりするなとハンスをさとす。
2人の罪人のうち、1人は墓場の前で悔い改め、もう1人はそうしなかった。友人に選ぶなら、悔い改めなかった方だ。彼は自分の道を最後まで歩み、最後になって、それまで彼を助けて来た悪魔と手を切ったりしない▼ある人間を憎むとき、私たちは自分自身の中に巣くっている何かをその人間の像の中で憎んでいる。自分自身の中にないものは、私たちを興奮させはしない▼鳥は卵から無理に出ようとする。卵は世界だ。生まれようとする者は、ひとつの世界を破壊しなければならない。ヘルマン・ヘッセHesse『デミアン』1919
〇マックス・デミアン。救済者。善と悪の両極。アプラクサス(古代の神・神的なものと悪魔的なものの結合)。男性的であり女性的。
●フランツ・クローマー。悪。
〇ベアトリーチェ。清楚な乙女。
〇エヴァ。母性。
〇エミール・シンクレア。10歳。
マルテ。男。28歳。作家。病弱。神経過敏。孤独。パリの街での経験、幼少時代の回想を通じて、死と愛について考える▼パリでの経験。鉛筆を差し出す白髪の老女。神経疾患の老人。車を引き野菜を売る盲目の男。病んだ医学生。表情がない丸顔の娘。包帯ぐるぐるの人▼幼少時代。苦しんで死んだ祖父と父。机の下の赤鉛筆をおうとしゃがむと向かいの壁から痩せた大きな手がのびてくる。取れなくなった仮面▼愛されるとは亡びること、愛するとは亡びないこと。ライナー・リルケ『マルテの手記』1910 ※オーストリア
++++++++
トニオ。内気。詩が好き。夢見がち。芸術家になるべく、修行を積むが、卑俗なものへの憧れを捨てきれない。トマス・マンMann『トニオ・クレーゲル』1903
アシェンバハ。50代。男。作家。ドイツの田舎の別荘に閉じこもって仕事。人生に疲れ、仕事にも行き詰まったため、異国の地ヴェニスで過ごすことに。そこでタドゥツィオという美少年に出会う。ギリシア彫刻のように美しい少年に陶酔していく。やがてヴェニスにコレラが蔓延しはじめる。老いて醜いアシェンバハは若作りのために化粧。熱病に罹ったかのように美に囚われる。少年がヴェニスを去る日、アシェンバハは美しい少年を追い求めながら、ヴェニスの海辺で息絶える。トマス・マンMann『ヴェニスに死す』1912 ※ルキーノ・ヴィスコンティ映画(1971)
ハンス・カストルプ。23歳。大学を卒業したばかり。ハンブルク出身。病気の従弟(いとこ)を見舞いに、スイスの山にある療養所にやって来た。死と病気の空気が支配する「魔の山」。3週間後、ハンスは体調を崩し、肺浸潤と診断され、「魔の山」の客ではなく、住人になってしまう。時間のない生活、心配も希望もない生活、停滞していながら、うわべだけは活発に見える放縦な生活、死んだ生活。悪魔が権力を掌握して、支配権を宣言した。悪魔の名は鈍感だった。気づけば7年が過ぎていた。しかし、ある日、第1次大戦がはじまり、ハンスは目が覚め、熱狂に身を投じる。死は自由・冒険・無形式・快楽。理性は死の前に立つと滑稽に見える。死を克服するのは愛だけ。理性ではなく愛が善良な思想を生み出す。トマス・マンMann『魔の山』1924
※ベルクホーフ。スイスの山にある療養所(サナトリウム)の名前。保養地ダヴォス(毎年ダヴォス会議が開かれる場所)。
〇ヨアヒム。ハンスのいとこ。スイスの山の療養所で静養。生真面目。退所して軍人になるも、再び入所。病死。
〇クロコフスキー。医者。
〇セテムブリーニ。イタリアの文学者。人文主義。人間の尊厳。啓蒙。理性。真理。
〇ナフタ。教授。冷笑。共産主義。神秘主義。自然は人間のためにある。セテムブリーニと思想的に対立。セテムブリーニと決闘の末、自分の頭を銃で撃って自殺。
〇ショーシャ。女。妖艶。だらしない。ハンスが恋を打ち明ける。
〇ベーベルコーン。ショーシャの愛人。楽観。理想。富豪。豪快。本能。酒飲み。自殺。
◆死・病気への興味は、生への興味の一形態にほかならない。
◆馬鹿にも様々な種類があって、利口は馬鹿のうちのあまり感心しない一種である。
※シューベルト「菩提樹」
他人の感情生活に想像力を働かせる。察知する。トマス・マンMann『若いヨゼフ』
++++++++
グレーゴル・ザムザ。ある日、目が覚めると巨大な害虫に。父親は息子への態度を変え、リンゴを投げつけてくる。妹グレーテは初めのうちは兄の面倒をみるが、次第に態度を変え、兄を疎ましく思うように。家族の厄介者。グレゴール「自分は消えてなくならなくてはならない」。グレゴール、息を引き取る。グレゴールの死骸を見た家族は、ホッとした様子で、生気を取り戻し、将来に希望を抱く。フランツ・カフカKafka『変身』1915 ※チェコ
無実の罪で逮捕され、裁判にかけられ、死刑になる。フランツ・カフカKafka『審判』1925
フランツ・カフカKafka『城』1926
ピーチャム。男。ロンドンの裏町ソーホー区で、ホームレスたちを利用して商売をしている。ピーチャムの愛娘ポリーが、窃盗団の男メッキーと結婚してしまう。ピーチャムは怒り心頭、娘を奪った男メッキーを逮捕・処刑に追い込もうとするが、張りぼての馬に乗った女王の使者が現れ、メッキーに恩赦を与え、メッキーを貴族に列する。ベルトルト・ブレヒトBrecht『三文オペラ』1928 ※ジョン・ゲイ「乞食オペラ」(1728)が元。
※銀行の設立に比べれば、銀行強盗なんぞ大したことはない▼街角に立ってる腕のない人を見ると、えらく心を動かされて、10ペンスを恵んでやる気持ちになる。しかし、二度目に見ると、5ペンスに減り、三度目には警察に引き渡してしまう。
アンドレア「英雄のいない国は不幸だ」、ガリレオ「英雄を必要とする国が不幸なのだ」。ベルトルト・ブレヒトBrecht『ガリレイの生涯』1939
純粋な信念の人、宗教に夢中になる人、世界を変革・改善しようとする人。高い志にもかかわらず、自分でも嫌っている殺戮と惨禍を引き起こすのはこういう人たちである。シュテファン・ツヴァイクZweig『ジョゼフ・フーシェ―ある政治的人間の肖像』1930
ヨーゼフ・ロートRoth『聖なる酔っぱらいの伝説』1939
第二次世界大戦の前夜。ナチスからパリへと逃れてきた避難民たちの生活。エーリッヒ・レマルク『凱旋門』1946
オスカル。3歳のとき転落事故を起こして成長を止める。言葉を一切しゃべらず、ブリキの太鼓をたたくのが日課。特技はかん高い声で声でガラスを粉砕すること。第二次大戦では、小人の前線慰問団の一員として戦地をまわる。父がソ連兵に射殺され、再び成長することを決意。その後、殺人事件の容疑者として逮捕され、精神病院に収容されるが、2年後、真犯人が見つかり釈放。ギュンター・グラスGrass『ブリキの太鼓』1959
灰色の紳士。時間貯蓄銀行の外交員。人々に時間の無駄になることを止めさせ、時間を貯蓄するよう勧める。行きつけの飲み屋に行くのは時間の無駄。インコを世話するのも時間の無駄。本を読むのも無駄。友人に会ったり、母親とおしゃべりしたり、恋人に会いに行くのも時間の無駄。時間を1分でも節約。ただ節約・貯蓄した時間はその人の手元には残らず、奪われてしまう。時間を節約をしているつもりで、時間を失っている。時間どろぼう▼時間の節約に取り憑かれた人々はあくせく生きるようになり、人間らしさを失っていく。くたびれて、不機嫌、怒りっぽく、落ち着きがない。とげとげしい目つき。生活は画一的で冷たい▼モモは時間が貯蔵されている倉庫を見つけ出し、時間どろぼうを退治。人々に心豊かな生活が戻る。ミヒャエル・エンデEnde『モモ』1973
〇モモ。女の子。黒髪。巻き毛。特技は人の話を聞くこと。犬や猫、コオロギ、ヒキガエルにも耳を傾ける。木々のざわめく風にも耳をかたむける。自然体。廃墟になった小さな円形劇場に住んでいる。
〇カシオペイア。カメ。歩みが遅い。せかせかしない。灰色の男たちからモモを助ける。予知能力。
〇マイスター・ホラ。時をつかさどる。時間の国。
※現代社会と人間
ミヒャエル。15歳。少年。36歳の女ハンナと恋仲。文盲のハンナはミヒャエルに会うたびに「本を朗読してほしい」と言う。朗読し、シャワーを浴び、愛し合う。しかし、ある日、ハンナは突然、姿を消す▼数年後、大学(法学部)に進学したミヒャエル。大学の授業でアウシュヴィッツ強制収容所の裁判を聴講。なんと、そこには被告人として法廷に立つハンナの姿。ハンナは強制収容所の看守をしていた過去があり、罪に問われていた。ハンナに無期懲役の判決が下り、刑務所に収監される▼ミヒャエルは文盲のハンナのために文学作品を朗読した声をカセットテープに録音し、ハンナに送り続ける。18年が経過、ハンナは恩赦が認められ、出所することに。ミヒャエルは出所後に住む家などを準備。出所日の前日、刑務所を訪問して、ハンナに再会。ハンナは老人のような外見で、老人のような匂いがする。声は若いときのままだ。出所日の朝、ハンナは首を吊って死ぬ。ベルンハルト・シュリンク『朗読者』1995
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思いやりのない少年ハイルナーに出会ったことが、ハンスの不幸の始まりだった。ハンスの取り柄は優等生であることだ。それは周りから褒められる美点であり、自尊心と成長心を持たせて、ハンスの思春期の芯となる大事なものだった。しかし、それをハイルナーはずかずかとハンスの心に入り込み、思わせぶりな態度でハンスに友達として依存させる。そして、勉強の邪魔までしてくる。人を見下し、迷惑をかけるハイルナーは友達ではない。もし友達であれば、当然、持つべき友達への興味や思いやりを持っているはずだ。だが、ハイルナーにはそれがない。周りの大人たちも、優等生であるハンスが優等生でなくなったことに対して辛辣だ。機械工としての仕事もできそうだったのに、新しい物事に触れる喜びをわかる、良い子だったのに。周りの無理解と過剰な期待によって、少年の人生は終わってしまった。「どんな生命にも若さにも価値があり、それを再び取り戻すことはできない」という文を思い出す。
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繊細すぎる主人公に寄せる共感は、残念ながら持ち合わせないが、俗物の大人たちには自分を含め思い当たる節だらけだ。自然世界を描く描写力の見事さと、俗物を淡々と理解して言葉にする能力の高さに圧倒された。
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要所要所での人間に対する分析が非常に鋭く、登場人物それぞれの人生もどこか見過ごせないような感じがして、とても面白かった。ハッピーエンドと捉えるか、バッドエンドと捉えるかは人によりそう。主人公のような人生を歩む人は多いと思う。
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ヘッセが若い頃に書いたようだけど教育機関、細い一本道の進路の閉塞感に反発しまくり。批判的な自伝的小説。ロックンロール。
生真面目に頑張ったけど落ちぶれて川に落ちて死んだハンスと、詩人で自由人で周囲から疎まれ退学してそれなりにいい人生を送ったらしいハイルナー、親友同士のこの二人が、実はヘッセ自身の分身的存在であると解説で知り、面白い。
レールに敷かれた人生を真面目に生きても周囲の重圧に揉まれ運もよくなくて病んで落ちぶれダメになったハンス、これは割と「あるある」なのだろうけど、そういう人たちへの哀れみ、鎮魂歌、或いは祈りのように感じる。そうさせた社会への怒りも。十代で読むか大人の側に立って読むかで感触が変わるだろうな。
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思春期の少年の、細かな心の動きをしつこく客観的に描いた作品。
10代の頃に出会っていたら、すごく救われるか図星すぎて直視できなかったか。
思春期って命がけなことを思い出した。
それとは別に季節と風景の捉え方が秀逸。
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小学生の時、母親から、読むようにと無理やり押し付けられた本の中に「車輪の下」があった。たしかポプラ社から出てた小学生用に易しく翻訳された「車輪の下」である。当時、どうしてもその本を読む気になれず、そのまま年月は過ぎてたんだが、今回、新訳という事で「車輪の下」に初挑戦してみた。
読んでみる気になったのは、あるラジオ番組で、新訳で出された本書のことを褒めていたからだ。非常に読みやすい訳って聞いて、読んでみようと思ったわけだ。もっとも本書を購入してから半年近く積読状態だったんだが・・・。
ヘッセの自伝的小説とも言われる本書。おおまかな流れは、ドイツのある田舎町。町で一番の優等生ハンスは、神学校に入学するため友だちとの交流や遊びも犠牲にして勉強に打ち込む。ハンスは、まわりの同級生や労働者を見下していた。自分は彼らとは違うんだ、と・・・。
やがて2番の成績で合格したハンスは、神学校で型破りな少年ハイルナーと出会う。彼との友情を育みながら、ハンスは勉強以外にも楽しみを見つけるのだが、ハイルナーが退校処分になった後から、精神を病みはじめ、とうとう授業中に倒れてしまう。
故郷に戻ってたハンスは、エンマに恋愛感情を抱くが、その感情をコントロールする術もわからず、悶々とするうちにエンマは町から姿をけしてしまう。
職人の見習いとして働き始めたハンスは、それまで自分が見下していた人たちの生活の中にも、確かな喜びが存在することを知る・・・。
この本のテーマは、教育制度や子供を理解しようとしない大人への批判なのかなぁ。ただ、それだけでもないような気もする。読む人によって、それぞれの受け止め方が分かれるような作品だと思う。
神学校でのハイルナーとの口づけのシーンは、BL要素が満点だな。不安定な思春期の心の揺れをうまく表現してるんじゃないか?エンマとのシーンもなかなかエロティックである。自分の感情と欲望を上手くコントロール出来ない思春期特有のもどかしさ・・・。
また、全編を通して自然の描写が多い(くどいほどだ)だが、ドイツの風景が目の前に広がるようだった。
神学校の校長の言葉で、
「手を抜いちゃいかんよ、さもないと車輪の下敷きになってしまうからね」
と述べられている部分があるのだが、運命という車輪の下敷きになったハンスの人生を読んで、自分のこれまでの人生も想い返していた。
最後の場面、フライク親方の台詞が印象的だ。
「あそこに行く紳士方も」と彼は小声で言った。「ハンスが破滅するのに手を貸したんですよ」
「あなたとわたし、我々も、あの子にいろいろとしてやれたことを怠ったのではありませんかな?」
この話を小学生に読ませるのは無理だろ!いくら易しく書き直してるとはいえ、この本の持つ批判精神までは理解できないだろうな。と、自分の母親に呆れた・・・。
背表紙~
周囲の期待を一身に背負い猛勉強の末、神学校に合格したハンス。しかし厳しい学校生活になじめず、学業からも落ちこぼれ、故郷で機械工として新たな人生を始める……。地方出身の一人の優等生が、思春期の孤独と苦しみの果てに破滅へと至る姿を描いたヘッセの自伝的物語。
訳者のあとがきで触れられているのだが、この「車輪の下」、本国のドイツよりも日本の方が、毎年10倍売れているそうだ。わかる気がする・・・。
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ヘッセが1905年に発表した自身の学生時代を描いた自伝的な長編小説。初めて読んだのは、中学生の頃に新潮文庫から出ている高橋健二訳でしたが、今回は新訳で。しかし、100年以上前の作品が、今も読む度に新しい感動を生みだすという持っている力に本当に驚かされる。ハンスの周りにいた大人たちがもっと色々なサインに気づいていれば、彼は死なずに済んだんだろうと思うとやるせない気持ちになる。新訳はかなり読みやすいので多くの人に読まれると良いな。とは言うものの、四苦八苦しながら、あえて旧訳で読むという選択肢も面白いと思う。
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高校の時に、「俺本読むわ、でも何から始めていいかわからんし」って言った時に母が買ってきてくれた本がこれ。積み本にしてそのまま捨てて、買ってくれた母は今は亡き。
思い出して大いに猛省し、再度読む機会を得た。
これはヘルマンヘッセの自伝でもあるという事だったけど、ええ!?主人公最後....オイ
これは今でいう鬱になっちゃった時期があったんだろうか、神学校から戻ってきてからの話がぶっとぎ過ぎて学生時代こんなむつかしい本理解できんやろうって思いながらも、でもやっぱりこれは学生時代に読んでおきたかったなぁとつくづく思った。
タイトルの車輪の下って意味が文中に登場し、ああ、そういうことなんだぁって納得した。もとは”車輪の下”だったのを、この新訳時に”車輪の下で”と接続助詞を付けることでよりその意味を分かりやすくしたとあとがきに書かれている。この光文社古典新訳文庫シリーズは全体的に読みやすく書かれているので敬遠しがちなトルストイなどの文学書などもとっつきやすい。また今後もお世話になるシリーズ文庫だ。
Posted by ブクログ
そうなのよ
なんで『車輪の下で』ってタイトルにしたの?って気になるよね
はい、ヘルマン・ヘッセの代表作『車輪の下で』です
みなさんご存知の通り、これまでの翻訳本のタイトルは圧倒的に『車輪の下』なのよ
なんで「で」をくっつけたのか?って気になるよね
ならいない?いや、わいはなるの!
でね、そもそも『車輪の下』ってなんなのよ?って話ですよ
「車輪」って言われるとさ、なんかものすごいでかいのが思い浮かぶのはわいだけ?馬車に付いてるやつ
馬車にひかれてんのよ
しかも「下」にいるってことはひかれた状態キープですからね
腹の上に馬車乗った状態で小一時間です
でもって馬車にひかれたってことはその前に馬にも踏まれてますからね
ギューってされてますからね
ギューのドーンのムギューですからね
『車輪の下』ってそういうことですからね
あ、なんか『車輪の下』ってドイツ語で「落ちぶれた」「落ちこぼれた」って意味があるみたい
それを最初に言いなさいよ
馬車とか言っちゃって、いらん恥じかいたやないか
でもって「車輪」には色んな意味が込められているみたいなんよね
「運命」とか「社会」とか
で訳者の松永さんは「で」という助詞を付けることで、現在進行中のイメージを持たせたかったみたい(直球な理由)
「社会」に押し潰される中でもがく主人公
でもなー
こういう悲しい物語はやっぱあんまり好きじゃないんよなー
色んな教訓を込めたかったんやろうけどさ
ギューのドーンのムギューな物語でした
そんなところで小一時間も考える前に救急車呼びなさいよっていう物語でした(だから馬車じゃないって)
Posted by ブクログ
タイトルから内容が想像できない本だったが、
読み進めてみるのと読後の解説と合わせて意味を考えてみると
神学校という神(天)に近しい存在へ向かう場所から様々なズレによりエスケープせざるを得なくなり、
最後は死という車輪の下敷きにたどり着いてしまった、という解釈なのかな
ちょっとしたイベントの積み重ねで人生は動いていくという事は、自分の年齢になると身に沁みて感じる
Posted by ブクログ
おとなは、子どもに過度の期待をすることでつぶしてしまうこともある。
教育とはかならずしも人間を幸せにはしない、という感じの小説。
名作と呼ばれるだけあって、説得力がある。
Posted by ブクログ
有名な本なので読んでみた
事前に他の方のレビューを見ないで良かった
(読んでいたら、多分最後までたどり着けなかった)
秀才タイプならではの悩み?
教える側(教育体制)への問題提起でしょうか
文章としては主人公の悩みをひたすら追いかけていくので
読んでる方がノイローゼになりそう
ただドイツ?の地方風景の描写が素晴らしいので、
なにげない釣りや収穫したリンゴをジュースにするシーンは目に浮かぶよう
Posted by ブクログ
ハンスがもう少し生きて大人になっていたら気持ちの整理ができたり、現実と折り合いをつけて生きられたのかなとも思ったりする。
少年愛とも思われるシーンもあり、少女漫画界に影響を与えたらしい。
学生時代に別の訳で既読だが、この訳はとても読みやすかったです。
Posted by ブクログ
どこまでも美しい言葉のリズム
美しい中に痛みを感じる表現
1905年に書かれた作品を今わたしは読んでいる…
100年以上前の言葉に 今の私の心が震えている…
“車輪”という言葉に 絶望と希望が込められているのだろうか…
少年の心の成長の繊細な描写が描き出されている
時に車輪を追い抜き 追い越され 下敷きになりながらも
ヘッセ自身の人生を体現させてくれる
ラストはまるで映画を観終わったかのように
すーっと私の前から物語が消えていく…
心に残る映画を観たあとの
少しずつこちら側の世界に戻ってくるような感じがした…
もしも この作品を読みなおす機会があるならば…
間接照明がほんのり灯る中で ウイスキーを飲みながら
ヘッセの世界を堪能してみたいかもしれない…
Posted by ブクログ
中学生の頃に母親がこの本を買い与えてくれ(訳者が異なりヘッセ翻訳者として高名な高橋氏であったが)、読んだのが初めての記憶。しかし読んでいる途中は主人公のハンスがかわいそうでならなかった。その感想は今も変わっていない。
好き嫌い関係なく、そしてなんの疑問も持たない(持てない)子供に勉強をさせるのが本当に正しい教育の姿なのだろうか…
私自身も親からの期待を裏切れずに過ごした塾漬けの毎日に嫌気がさし、勉強嫌いになってしまった人間だからそう思うのかもしれない。
やはり今でも読んでいて辛い物語で、結果的にヘルマン・ヘッセという素晴らしい作家を10年以上も遠ざけてしまうことになったのは残念でならない。少なくとも本書はヘッセ諸作の中で、中学生に読ませる本ではないのではないか。親が子供に与える本の大切さはもっと認知されてしかるべき問題だと思う。
Posted by ブクログ
‹内密紹介より›
周囲の期待を一身に背負い猛勉強の末、神学校に合格したハンス。しかし厳しい学校生活になじめず、学業からも落ちこぼれ、故郷で機械工として新たな人生を始める……。地方出身の一人の優等生が、思春期の孤独と苦しみの果てに破滅へと至る姿を描いたヘッセの自伝的物語。
ーーーー
受験に耐え抜き、エリート学校に進学したハンス。
そして神学校での勉強についていくために必死で勉強をつづけましたが、次第に無理がたたって精神的な不調をきたすようになります。
現在で言えば「学校不適応」ということになるのでしょうか。
時代が時代であったためか、学校側の支援も保護者の理解も得られず、追い込まれてゆくハンスはついに学校を退学して「機械工」として社会復帰を目指します。
ホワイトカラーとして社会のトップ層として人生を送るつもりだったのに、今までの努力(余暇、青春を犠牲にしてきたのに)が水の泡となったことを感じつつ、新たな環境に適応しようと努力してきましたが、そこでも「今までの価値観」との差に悩み続けるハンス。
進学校の中学生・高校生には少し「厳しい」小説になるかもしれません。
推薦する生徒を選ぶ作品では、とも思います。
教職員としては読んでおいてよかった作品だと感じます。
Posted by ブクログ
いたって普通、という感想しか持てなかった。
緩慢に人が壊れていく話。
人といっても、10代の真ん中位の少年だけれど。
共感も何もなかったのは、年を取りすぎたからか、元々心がないからか。
150717