ヘルマン・ヘッセのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ久方ぶりにヘッセをば。
で読んだのだけど、読み終わった後泥のように眠った。
読む力衰えてるのかもしれない。
知と愛。
原題はNarziss und Goldmund。
修道院長になるナルチス(宗教家としてではなく、自らをあくまでも学者・思索家として定義しているのがこの人物の造形の肝ではないかと思う)、
放浪の日々を経て芸術家になるゴルトムント(ナルチスから見るゴルトムントは常に少年らしさを失わず・・・何か少年漫画の主人公みたいね。)
その二人の応酬が軸になっている。
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前5編、後ろ5編、ナルチスとゴルトムントの会話が繰り広げられる修道院の中の場面は、設定も含めてヘッセらしく理屈っぽい。
ナルチスと同じく学者(修道僧)を目指そうとしたゴルトムントが、
ナルチスとの応酬から適性を悟っていき最終的には修道院を抜け出す。
トラウマものと言ってしまえばそれまでだけれど、
過去からの抑制、母の記憶の喪失と復活、天性の見極めといったドラマがテンポよく繰り広げられて、ここまでで一つの小説として成り立っているように思う。
中10章については読み解きかねる・・・
これを「愛」の象徴的な生活と読むのだろうか・・?
血の通った人間としてのやりとりを読み解くのが正直私には難しかった。
むしろ冷徹に形象としての女性を観察していることが描かれていて、そこに愛着が生まれることはない。
更にペストのくだりにおけるゴルトムントの冷徹さは芸術家としての目で死を観察するというもので、地獄変を連想すると、このくだりであるのは「愛」ではないよなぁ、と。
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やっぱりシッダールダが群を抜いていたように思われ、
そしてしばらくまたヘッセはいいかな、と思った。
(むしろいまはもっと直近の作品を読むか、または少年漫画とか読みたい) -
Posted by ブクログ
あえて言いたい。
青春は美わしくない、と。
この本は初恋を軸にした小説が2篇収められおり、分量も少ないのであっさり読み切れると思う。
ただヘッセの作品群においてそんなに重要ではないかと。
初恋とかもうね・・・下らないでしょう。
いや、男はそう思うしかないの。
実際振り返ると美しいという感情よりも下らない思い出のヤツが多いはず。
統計取ったわけじゃないけど。
特にいい歳になってから初恋らしいことをするとロクな目に遭わないような気がする。
正直ヘッセには初恋を書くならもっと毒性を強くしろ、と言いたい。
なんでわざわざ美わしくしようとしたのか。
自分にはあまり面白いとは思えなかった。
もっとドロッとした救いのない初恋が読みたかったというのが本音。
個人的には表題作よりも「ラテン語学校生」の方を評価したい。 -
Posted by ブクログ
-幸福を体験するためには、何よりも、時間に支配されないこと、同時に恐怖や希望に支配されないこと-
ノーベル文学賞受賞者、ヘルマン・ヘッセの晩年の随想・小品をヘッセと親交のあった訳者、高橋健二氏が「人生の意味をふかく具体性ゆたかにとらえているものを選んで訳出」した名冊。引用は本書タイトルにもなった「幸福論」という随想の一節。たった7枚の何気ないような話(文章)のなかに、ハッと自分の日常生活や思いと繋がる瞬間がある。
核家族化が進む中で、深く人生について語り合うことができる"おじいちゃん"を持つことは難しい・・・。ちょっと難しくても、卒業・入学祝いに、子供たちにプレゼントしたい本。 -
Posted by ブクログ
幸福とは相対化する対象があって初めて機能する感覚なのだろうか。
今、幸福だと感じている人はそれそのものに対して幸福を感じているのか、それとも誰かとあるいは過去の自分と比較して幸福であると感じているのだろうか。
幸福を定義づけられるほどの哲学も持ち合わせていないので、そんなものは場合によるし人それぞれですよと言ってお茶を濁すけれど、私にとって幸福とはと考えると何かと比べてみないと感じ取れないほど遠くにあるモノのように思う・・・。残念なことに・・・。
ある一瞬の状況でさえも(感動して泣いたにせよ、楽しくて笑ったにせよ)素直に幸福だと感じ取れる人間でありたいなとふと思った。 -
Posted by ブクログ
【本書より】人間が生活の苦難や危険のただ中にあってもそういうものを楽しむことができるかぎり、つまり、自然や絵画の中の色彩の戯れや、あらしや海の声の中の呼びかけや、人間の作った音楽などをたのしむことができるかぎり、また、利害や困難などの表面の奥で、世界を全体として見たり感じたりすることができるかぎり、つまり、たわむれる若いねこの頭が描く曲線から、奏鳴曲の変奏演奏にいたるまで、犬の感動的なまなざしから、詩人の悲劇にいたるまで、連関があり、無数に豊富なつながり、相応、類似、反映が存在していて、絶えず流れるそのことばから、聞くものに喜びと知恵、冗談と感動の与えられる、そういう全体
として世界を見たり感じたりすることができるかぎり、────それができるかぎり、人
間は、自分というものにまつわる疑問を繰返し処理して、自分の存在に繰返し意味を認めることができるだろう。(「幸福論」)