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本来官能の子でありながら精神の人になろうとして修道院に入った美少年ゴルトムントは、若く美しい師ナルチスの存在によって、自分は精神よりもむしろ芸術に奉仕すべき人間であることを教えられ、知を断念して愛に生きるべく、愛欲と放浪の生活にはいる――。二つの最も人間的な欲求である知と愛とが、反撥し合いながら互いに引かれ合う姿を描いた多彩な恋愛変奏曲。一九三○年作。
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Posted by ブクログ
『知と愛』 ヘルマン・ヘッセ著 『ナルチスとグルトムント』グルトムントの10代半ばで神学校に入りそこでギリシャ語の教師をしている若きナルチスと知り合う。グルトムントは神学校を抜け出してシャバの空気のなかで女に遊び愛し、彫刻家になる。領主の城に捕まり、殺されそうになるが、牧師に助けられる。その牧...続きを読む師こそ、教会の神学校の院長になったナルチスであった。全20章の17章から19章はナルチスとゴルトムントとの人生の過ごし方を知で行くか、愛で生き抜くかの修辞学的な対話である。若くしてであった2人はお互い理解しあえる深い友情で結ばれた友である。最後年老いてナルチスに看取られでゴルトムントはなくなるが、人生を生老病死を美しく描いた物語であった。
16年来の友人と、池袋のジュンク堂に行った時、「お互いおすすめの本を紹介しあおうや」という僕のわがままで、気付けば2時間が経っていた。 そこでは、新しい本との出会いもあれば、16年来の友人の新たな一面とも出会うことができた。(なので、ぜひ友人とのデートプランにおすすめしたい) 「俺、ヘルマン・ヘ...続きを読むッセの本好きなんだよね」という、まったく持って知らなかった情報と共に、『知と愛』を買うことになった。そして、僕はまんまと"ヘルマン・ヘッセ"に魅了されることになる。 『知と愛』、原題は『ナルチスとゴルトムント』というこの本。読んでいくと、同じ修道院で出会ったナルチスとゴルトムントの二人の物語であり、本当に馬鹿みたいに要約すると、 『童貞のゴルトムントが、セックスを覚えて、修道院を抜け出し流浪人となり、様々な女性と出会い、ヤリチンになっていく中で芸術に目覚め、生涯を終える物語』 といえるのだけれども、実際には『知と愛』という二元論における差異を、これでもかというほど哲学を持って細かく表していく作品だ。 『知と愛』(原題:『ナルチスとゴルトムント』)という題名から分かるように、 『知:ナルチス』 『愛:ゴルトムント』 と二人のキャラクターが、はっきりと二元的に描かれていく。 前半の章で、ナルチスがこんなことを言う。 > 学問は、君の言葉を引用すれば、『差別を発見しようと熱中する』ことにほかならない。これよりよく学問の本質を言い表すことはできないだろう。我々学問の人間にとっては、差異の確認より重要なことはない。学問とは差別の術である。 この文章からも、この本のテーマがナルチスとゴルトムントの差異を表していくことが分かる。さらに、個人的に好きな表現であったのは、ゴルトムントがナルチスに憧れすぎて、ナルチスのようになりたいという意思を伝えた時のナルチスの詩的な言葉。 > 太陽と月とが、海と陸とが、近づき合うことのないように、たがいに近づき合わないのが、われわれに課せられたことだ、われわれふたりは、ねえ、君、太陽と月、海と陸なのだ。我々の目標は、たがいに溶けあうことではなくて、たがいに認識しあい、相手の中にその人のあるところのもの、つまり相手の反対物と補足とを見、それを尊び合う修練をすることにあるのだ これこそ、まさに、『愛』を大切にナルチスとの関係性を大切にするゴルトムントに対し、『知』をもって相手のためを思って突き放すシーンであった。 そこからは、ゴルトムントは、ひょんなことからジプシーの女性とキスをし、修道院の外に出ることを決める。そして、そこからゴルトムントはたくさんの人妻や娘と体の関係を持つことになるのだけれども、そこでも、差異を大切にしている。 > 短い間に多くの愛し方や愛の技巧を学び、多くの愛人から経験を摂取したばかりでなく、女を多方面にわたって見、感じ、さわり、においをかぐことを学んだ。頭が首の上にどんなふうにすわっているか、額の毛の生え際がどんなふうになっているか、膝の皿がどんなふうに動くか おいおい。そんなところまで、差異を見出すのかい。ゴルトムント。なんて変態的なんだ。首の据わり方? 額の毛の生え際? 膝の皿の可動域? そんなところまで差異を見出す必要はあるのか、ゴルトムント。 と思わず、突っ込みを入れたくなるも、あまりに芸術的な表現に、『愛』についての探求が自分は足りないのではないかと、無力さすら覚えることになる。 そこから、様々な事件や、死、そして芸術との出会いを乗り越えて、どんどん変化をしていくゴルトムントが描かれている。ただ、ゴルトムントの中には、常にナルチスと亡き母の姿が存在する。 最終章が近づいたタイミングで、また、差異についての表記がしばしば現れる。なかでも、芸術家となったゴルトムント。家庭を築きたいゴルトムント。この二元対立について描かれるシーンは、個人的に一番刺さったのだ。 > 生活を犠牲にしない創作! 創造の高貴さを放棄しない生活! それはいったい不可能だったろうか。それが可能であるような人間は恐らく存在しただろう。れっきとした夫であり、家庭の父であって、忠実であるために官能の享楽を失わなかったような人がいただろうか。(中略) そういう人を彼はまだひとりも見たことはなかった。 ここは、恐らく現代風に言えば、結婚後に夢を追いかけたり、官能が満たされることは無理じゃん。みたいな話なのだと受け取った。(これは、読み手の自由) ヘルマン・ヘッセの時代から、悩ませているこの二元論で、今でも議論されているのだから、一生解決されることのないテーマなのではないかとある種の開き直りにも似た感情になる。 では、『知と愛』これはどっちが大切なのだろうか。 もちろん二元論に正解などない。まず、知と愛の定義が、最後にナルチスが挙げる。 **知とは**、絶えざる抽象。感覚的なものの無視。精神的な世界の建設の試み。世界を神から引き放すことによって、神に近づこうとつとめる。 **愛とは**、最も変わりやすく生命のはかないものを抱きとって、無情なものの中に存在する世界の意味を告げ知らす。無情なものを無視しない。むしろ心に打ち込む。神の創造物を愛し、再創造することによって、神に近づく。 これを体現してきた、ナルチスとゴルトムント。 あなたは、どっち派? なんて、簡単な二元論ではない。ただ、ナルチスとゴルトムントの物語を見た時、自分の中にある『知』と『愛』の間を行き来する葛藤が、スッキリさせられることは約束できる。
原題は『ナルチスとゴルトムント』。知と精神の世界に生きる師ナルチストと、愛と芸術の世界に生きるゴルトムントを描く。ゴルトムントは修道院に入って神に帰依するはずだったが、ナルチスの影響により、愛や芸術の世界に目覚め放浪の旅に出る。清く正しい世界を目指した者が愛欲に溺れ廃退していく姿に、正直戸惑いはあっ...続きを読むた。しかし、自らの意のままに強欲に生きる姿に不思議と羨望も感じる。人生とはなんなのか、人間の本来あるべき姿とはなんなのか、そのようなことをゴルトムントの姿に重ねながらじっくり味わえた作品である。
これまで読んだヘッセの作品中最も刺激的。精神世界と肉体の交差点。ストーリーテラーとしてヘッセは退屈だと思っていたがこの本は緩急、静動あり、全く退屈しなかった。
すごく苦しく醜く深く美しいお話。 デミアンやおおかみはとっ散らかっているけれど、こちらはドイツらしく整っている。 腐女子さんやゴスロリさんにも読んでほしい。
たぶん高校生くらいのときに読んで、いま再読。 ナルスチ(知)とゴルトムント(愛)という対称関係は、ほかに「霊と肉」「理論と芸術」という対比にもなっていて、もともとけっこうヘッセの小説ってこういう対比がキッパリしていると思うのだけれど、本作においてはよりキッパリして実に小説らしい。 修道院にはいっ...続きを読むたゴルトムントは高い精神と信仰心をあわせもつナルチスに惹かれ、彼をめざして勉強にはげむ。しかしナルチスはゴルトムントとの間の埋められぬ境界に気付き、むしろお互い正反対の性質を持つがゆえに重大な存在であることを説く。 まだ若くたびたび混乱をおこし強情を張るゴルトムントと、彼に対し忍耐をもって理解を促すナルチス。ふたりの道を分かつことになると知りながら、ゴルトムントへの愛ゆえに彼の進むべき道を説くナルチス。そしてもたらされるふたりの和解――こういう友情を、ヘッセはほんとうに美しく描く。 ゴルトムントは母なる道を歩む。母とは彼のうちにある幼少の記憶であり、官能と感性であり、また生と死がはげしく相剋するこの広い世界である。 ここまでがだいたい第一部。 ゴルトムントは旅に出る。そこで出会う女たちと浮気な愛を重ね、そして彼が決して手に入れることのできない騎士の娘リディアと出会う。 後に出会うユダヤ娘レベッカとともに、彼はこのリディアを想起する。彼女たちは彼が本当に求めて手に入れられなかった愛を体現しており、それは秩序や信仰が支配する世界―同時にナルチスの住まうところでもある―であり、ゴルトムントが彼の道を歩みつづけるかぎり交わることのないもう一方の確かな道だ。 (書きながら。こういうところ、深いなあ…) ゴルトムントはヴィクトルという旅人を打ち殺し、立ち寄った教会でそのことを懺悔する。彼は教会のマリア像に感動して、それを作ったニクラウス親方に師事する。 そこで彼は彼の人生にひとつの意味を持たせるもの、すなわち芸術を発見するに至る。 ナルチスを象ったヨハネ像を作り終え、ゴルトムントが明朗に芸術について語る場面はぼくにとって心地いい。この小説にとっての「春」がこの場面だろうと思う。 第二部の終盤が「春」ならば、ペストの村々を放浪する第三部の序盤はさながら「冬」だろう。そしてぼくには、ここから物語の勢いが急に失速するように思える。その印象はラストのナルチスとの再会と対話の場面をもってしても盛り返せてない、とぼくには感じられる。 その決定的な別れ道がどこにあったかといえば難しいが、第二部の終盤でふたたび旅に出ることに決める内的独白がどうもくさいと思う。 p.275「彼が従わなければならないのは、芸術ではなくて、母の呼び声であった」「指をなおいっそう器用にすることが、何の役にたちえたろう?(略)名誉と名声、金と安定した生活とには達するが、同時に、あの神秘を開く唯一のよすがである内的な感覚を枯渇させ萎縮させるに至る」 たしかにゴルトムントは感性の人であり同時に放浪癖を生れもっているように描かれているけれど、ここの論理はどうにも甘い気がする。その証拠に、というわけではなが、ゴルトムントは第三部の旅にすっかり飽いてるようにぼくには思えるのだ。もっといえば作者のむら気が出てきてしまったというか。 ゴルトムントとナルチスの再会後の対話だっていまいちだよなあ。熱がないというか、比較するのはおかしいけどドストエフスキー並のドライブ感を期待してしまって裏切られたような感じではある。 よって☆ひとつ減じよう…かとおもったけど、移り気な愛、より堅固な愛、そして官能や芸術についてなど、やはり考えさせられる文章がとても多かったので満点つけたろ。
(メモ) ・構成がしっかりしていて話の展開も整っている ・ただ、デミアンや荒野のおおかみが好きな自分にとっては、やや整い過ぎている気もした ・「知と愛」という題名が好きだ。訳者が邦題としてつけたという。 ・二元論 ・厚い ・後半の一部は哲学語りそのもの
読んでいる間の身の震えるような感動は言葉にできない。心のいろんな所を揺すぶられた。近いうちにまた読みたい。
神に奉仕する学者ナルチスと、美に奉仕する芸術家ゴルトムント。 そんな二人の友情の物語で″知と愛″という邦題は見事。 対照的な生涯を送った二人が、最後に芸術を通して互いを認め、精神世界と思想を語る姿に感動しました。 清廉と官能が織り成す精神性の美しさに心が洗われるようで。 哲学的な作品でまだ理解しきれ...続きを読むてない部分もあるので、大人になったらまた読み返したい。
レビューというのは自分から距離が離れていればこそ、気軽にホイホイ書けたのだ。ヘッセのレビューを書こうとすると、思い知らされる。 苦しみを宿命づけられた生のなかで、人がその生と死を渡り仰せるだけの光ー平穏ー意味など、何かしらの確かさを見いだそうとする不断の努力。ヘッセという人の根底のテーマは一貫して...続きを読むいる。そして、そのような凄惨さの中に、美しく優しく人や世界が描かれる点も変わらない。 「シッダールタ」や「荒野のおおかみ」の変奏として「知と愛」を捉えることが適切かは分からない。けれど「シッダールタ」では主人公シッダールタが1人でくぐり抜けた聖者の修行と俗人の生活という2つのアプローチを、ここではナルチスとゴルトムントという2人の主人公に分けている。そのことで得た成果は大きい。キャラクターはより一般的、具体的になって、2人が同時に生き、対話することが可能になった。追求の形はいわゆる宗教的な「求道」一つではないこと、異なる手段を選んだ他者から受けとるものがあること、そしてそこにこそ「愛」があること。。求道と恋愛のストーリーに垣根はなくなり、より複雑で生き生きした普遍性が生まれた。 この「知」と「愛」の対話の構図は、多くの人にとって覚えのあるものなのではないかと思う。相手次第で時に自分はナルチスであり、またある時はゴルトムントであるような。
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