あらすじ
本来官能の子でありながら精神の人になろうとして修道院に入った美少年ゴルトムントは、若く美しい師ナルチスの存在によって、自分は精神よりもむしろ芸術に奉仕すべき人間であることを教えられ、知を断念して愛に生きるべく、愛欲と放浪の生活にはいる――。二つの最も人間的な欲求である知と愛とが、反撥し合いながら互いに引かれ合う姿を描いた多彩な恋愛変奏曲。一九三○年作。
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『知と愛』
ヘルマン・ヘッセ著
『ナルチスとグルトムント』グルトムントの10代半ばで神学校に入りそこでギリシャ語の教師をしている若きナルチスと知り合う。グルトムントは神学校を抜け出してシャバの空気のなかで女に遊び愛し、彫刻家になる。領主の城に捕まり、殺されそうになるが、牧師に助けられる。その牧師こそ、教会の神学校の院長になったナルチスであった。全20章の17章から19章はナルチスとゴルトムントとの人生の過ごし方を知で行くか、愛で生き抜くかの修辞学的な対話である。若くしてであった2人はお互い理解しあえる深い友情で結ばれた友である。最後年老いてナルチスに看取られでゴルトムントはなくなるが、人生を生老病死を美しく描いた物語であった。
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この作品ほど、芸術とは何か、芸術家とはどのように生きる存在なのかを深く描いた小説を、私はこれまで読んだことがない。芸術が生まれるまでの長い修練や、人生の経験がどのように創造へと昇華されるのかが、非常に崇高なかたちで描かれている。
同時に、この物語には強くユング的な心理の視点を感じた。理性と精神の世界に生きるナルチスと、感覚と生命の世界を放浪するゴルトムント。二人はそれぞれ Geist(精神)とSeele(魂) を体現している存在のように思える。若い頃は互いに相手の中に自分にないものを見て憧れ、同時にどこか劣等感を抱いている。しかし長い人生を経て、二人は互いの影響を自分の中に取り込みながら、それぞれの天性を完成させていく。
ゴルトムントが修道院を離れ、放浪の人生を選んだのも印象的だった。職人として安定した生活を送る道もあったはずだが、彼はそれを拒む。おそらく彼にとってそれは魂を売ることに近かったのだろう。真実を求めなければ、人は闘うことすらない。彼の放浪は享楽のためというより、生命や母なるものの根源を探し続ける旅だったのではないかと思う。
若い頃ゴルトムントがナルチスに強く憧れたのも、母の不在と関係しているように感じた。自分の感性や創造性を十分に肯定されずに育った彼は、本来の天性とは異なる理性の人ナルチスを理想としてしまったのではないだろうか。
そして物語の終盤、死を前にしたゴルトムントに対して、ナルチスが初めて友情と愛を告白する場面には胸を打たれた。ナルチスはそこで、ゴルトムントの生き方と芸術が自分の人生をどれほど豊かにしたかを率直に語る。
その瞬間、二人はようやく気づく。
学問にもゴルトムントのような魂が必要であり、芸術にもナルチスのような精神が必要なのだということに。
理性で生きる者も、衝動の中で生きる者も、それぞれの方法で人生と闘っている。互いの存在を通して自分の欠けた部分を理解し、受け入れていく――この作品は、人間の内面的成長と個性化の過程を描いた物語なのだと感じた。
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原題は『ナルチスとゴルトムント』。知と精神の世界に生きる師ナルチストと、愛と芸術の世界に生きるゴルトムントを描く。ゴルトムントは修道院に入って神に帰依するはずだったが、ナルチスの影響により、愛や芸術の世界に目覚め放浪の旅に出る。清く正しい世界を目指した者が愛欲に溺れ廃退していく姿に、正直戸惑いはあった。しかし、自らの意のままに強欲に生きる姿に不思議と羨望も感じる。人生とはなんなのか、人間の本来あるべき姿とはなんなのか、そのようなことをゴルトムントの姿に重ねながらじっくり味わえた作品である。
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これまで読んだヘッセの作品中最も刺激的。精神世界と肉体の交差点。ストーリーテラーとしてヘッセは退屈だと思っていたがこの本は緩急、静動あり、全く退屈しなかった。
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すごく苦しく醜く深く美しいお話。
デミアンやおおかみはとっ散らかっているけれど、こちらはドイツらしく整っている。
腐女子さんやゴスロリさんにも読んでほしい。
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たぶん高校生くらいのときに読んで、いま再読。
ナルスチ(知)とゴルトムント(愛)という対称関係は、ほかに「霊と肉」「理論と芸術」という対比にもなっていて、もともとけっこうヘッセの小説ってこういう対比がキッパリしていると思うのだけれど、本作においてはよりキッパリして実に小説らしい。
修道院にはいったゴルトムントは高い精神と信仰心をあわせもつナルチスに惹かれ、彼をめざして勉強にはげむ。しかしナルチスはゴルトムントとの間の埋められぬ境界に気付き、むしろお互い正反対の性質を持つがゆえに重大な存在であることを説く。
まだ若くたびたび混乱をおこし強情を張るゴルトムントと、彼に対し忍耐をもって理解を促すナルチス。ふたりの道を分かつことになると知りながら、ゴルトムントへの愛ゆえに彼の進むべき道を説くナルチス。そしてもたらされるふたりの和解――こういう友情を、ヘッセはほんとうに美しく描く。
ゴルトムントは母なる道を歩む。母とは彼のうちにある幼少の記憶であり、官能と感性であり、また生と死がはげしく相剋するこの広い世界である。
ここまでがだいたい第一部。
ゴルトムントは旅に出る。そこで出会う女たちと浮気な愛を重ね、そして彼が決して手に入れることのできない騎士の娘リディアと出会う。
後に出会うユダヤ娘レベッカとともに、彼はこのリディアを想起する。彼女たちは彼が本当に求めて手に入れられなかった愛を体現しており、それは秩序や信仰が支配する世界―同時にナルチスの住まうところでもある―であり、ゴルトムントが彼の道を歩みつづけるかぎり交わることのないもう一方の確かな道だ。
(書きながら。こういうところ、深いなあ…)
ゴルトムントはヴィクトルという旅人を打ち殺し、立ち寄った教会でそのことを懺悔する。彼は教会のマリア像に感動して、それを作ったニクラウス親方に師事する。
そこで彼は彼の人生にひとつの意味を持たせるもの、すなわち芸術を発見するに至る。
ナルチスを象ったヨハネ像を作り終え、ゴルトムントが明朗に芸術について語る場面はぼくにとって心地いい。この小説にとっての「春」がこの場面だろうと思う。
第二部の終盤が「春」ならば、ペストの村々を放浪する第三部の序盤はさながら「冬」だろう。そしてぼくには、ここから物語の勢いが急に失速するように思える。その印象はラストのナルチスとの再会と対話の場面をもってしても盛り返せてない、とぼくには感じられる。
その決定的な別れ道がどこにあったかといえば難しいが、第二部の終盤でふたたび旅に出ることに決める内的独白がどうもくさいと思う。
p.275「彼が従わなければならないのは、芸術ではなくて、母の呼び声であった」「指をなおいっそう器用にすることが、何の役にたちえたろう?(略)名誉と名声、金と安定した生活とには達するが、同時に、あの神秘を開く唯一のよすがである内的な感覚を枯渇させ萎縮させるに至る」
たしかにゴルトムントは感性の人であり同時に放浪癖を生れもっているように描かれているけれど、ここの論理はどうにも甘い気がする。その証拠に、というわけではなが、ゴルトムントは第三部の旅にすっかり飽いてるようにぼくには思えるのだ。もっといえば作者のむら気が出てきてしまったというか。
ゴルトムントとナルチスの再会後の対話だっていまいちだよなあ。熱がないというか、比較するのはおかしいけどドストエフスキー並のドライブ感を期待してしまって裏切られたような感じではある。
よって☆ひとつ減じよう…かとおもったけど、移り気な愛、より堅固な愛、そして官能や芸術についてなど、やはり考えさせられる文章がとても多かったので満点つけたろ。
Posted by ブクログ
(メモ)
・構成がしっかりしていて話の展開も整っている
・ただ、デミアンや荒野のおおかみが好きな自分にとっては、やや整い過ぎている気もした
・「知と愛」という題名が好きだ。訳者が邦題としてつけたという。
・二元論
・厚い
・後半の一部は哲学語りそのもの
Posted by ブクログ
神に奉仕する学者ナルチスと、美に奉仕する芸術家ゴルトムント。
そんな二人の友情の物語で″知と愛″という邦題は見事。
対照的な生涯を送った二人が、最後に芸術を通して互いを認め、精神世界と思想を語る姿に感動しました。
清廉と官能が織り成す精神性の美しさに心が洗われるようで。
哲学的な作品でまだ理解しきれてない部分もあるので、大人になったらまた読み返したい。
Posted by ブクログ
レビューというのは自分から距離が離れていればこそ、気軽にホイホイ書けたのだ。ヘッセのレビューを書こうとすると、思い知らされる。
苦しみを宿命づけられた生のなかで、人がその生と死を渡り仰せるだけの光ー平穏ー意味など、何かしらの確かさを見いだそうとする不断の努力。ヘッセという人の根底のテーマは一貫している。そして、そのような凄惨さの中に、美しく優しく人や世界が描かれる点も変わらない。
「シッダールタ」や「荒野のおおかみ」の変奏として「知と愛」を捉えることが適切かは分からない。けれど「シッダールタ」では主人公シッダールタが1人でくぐり抜けた聖者の修行と俗人の生活という2つのアプローチを、ここではナルチスとゴルトムントという2人の主人公に分けている。そのことで得た成果は大きい。キャラクターはより一般的、具体的になって、2人が同時に生き、対話することが可能になった。追求の形はいわゆる宗教的な「求道」一つではないこと、異なる手段を選んだ他者から受けとるものがあること、そしてそこにこそ「愛」があること。。求道と恋愛のストーリーに垣根はなくなり、より複雑で生き生きした普遍性が生まれた。
この「知」と「愛」の対話の構図は、多くの人にとって覚えのあるものなのではないかと思う。相手次第で時に自分はナルチスであり、またある時はゴルトムントであるような。
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自分にとってはこの本を読まずに死んでいたら後悔するような本.ホントは★★★★★★つけたい.ヘルマン・ヘッセは大好きでずいぶん読んだが,自分の中ではこれがベストの著作だと思う(シッダールタも良かったが)
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これまでに読んだ本の中でもかなり印象に残っている本。構成も、内容も、ほんとに完成されてる。ゴルトムントが、彼の少年時代を鮮やかに彩ったナルチスと絶妙なタイミングで再会するそのシーンでは感動で鳥肌立ちそうでした。住む世界は違っても、ほんとうの友というのはずっと友であり続けることができるんだ。
人生において哀しいとき、つらいとき、また幸せなときにも、これから幾度となく読み返す本になるだろうと思う。
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素晴らしい物語です。
理性と本能、それぞれの権化のようなナルチスとゴルトムントの友情とも愛ともいえない魂の巡礼のお話です。
僕はゴルトムントの放浪生活には妙に影響を受けてしまいました。
現在お遍路をしているのも原点はこの辺りにあるかもしれません。
ヘッセを読むなら是非とも高橋健二訳をお勧めします。
山村のはずれでひっそりと流れる小川のような語りは、
静かに、深く僕らを物語に引き込んでくれます。
主人公二人の対比は日本人なら真っ先にキンキキッズの両堂本君が浮かびます。
決してタッキー&翼ではありません。
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人生を貫く二つの欲求である知と愛、それぞれを体現するナルチスとゴルトムント。出会い、別れ、邂逅する彼らの人生は、離れ離れのようで常に寄り添っているように感じられ、それは知と愛という相反するようでありながら共に真理である二つのものの在り方そのものとも思える。詩人を志したヘッセならではの豊かな詩情と、美しく深い物語が胸に残る名作。素晴らしい邦題にも感動を覚える。
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就学生の頃教科書で読んだ「少年の日の思い出」を書いたヘルマン・ヘッセが気になり、あの物語を書いたヘッセが「知と愛」という題名でどのような物語を書くのか気になり読み始めた。
一回しか読むことができていないため浅い感想になってしまうが
知を表すナルチスと愛を表すゴルトムントが初めて出会ったときはナルチスが修道院という俗世間から隔離された環境において神意をより理解していたと思われる。しかし、3度目に合うときはゴルトムントが愛や死、飢え、芸術、病、衰えを経験しており死さえも受け入れる心境になり、ナルチスですら理解できない考えを持っていた。そんな正反対な中でも互いに尊敬しあっている姿に感動した。
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精神を求め知に奉仕する神学者のナルチスと愛欲を求め美に奉仕する芸術家のゴルトムントの友情の物語。そうは言っても、ナルチスは元々始めからほとんど完成されており、ナルチスがゴルトムントの気質を見抜き芸術家としての道を示した後は、ゴルトムントが思いのままに放蕩し芸術とは何たるかを理解し芸術家に至る成長の物語がメインとなる。
ナルチスとゴルトムントの会話がお互いに下地となる思想と感情に根差したものになっており、それぞれの微妙に噛み合ってなさなどが表現されていて、議論のシーンは読んでいて楽しかった。また、心情描写がとても素晴らしく、ゴルトムントが自分の気質に気付くシーンやリディアとの交友のシーンなど、読んでいるこっちがいじらしくなるような気持ちになった。特にリディアとの仲を深めていって、少しずつ態度が変わっていく描写はこの物語で一番好きなところだった。後、最後にナルチスにとってのゴルトムントに対する思いが述べられたところも好きだった。
ただ、ゴルトムントは魔性だったので、リディアやレベッカといった一部の人を除いてだが恋愛無双していて共感がしにくかったり、年を取って古典の良さが分かるようになるといった芸術家としての成長はあるものの、ペストによる人々の変化の恐怖を味わった後でさえ自分の愛欲を求める態度のせいで捕まっても多少の反省もなく生き汚さを発揮していたりと人間的ないわゆる成熟さみたいなものを獲得することがなく、今の価値観とは違うところを感じた。それが真の芸術家というものなのかもしれないが。加えて、訳された時代のせいなのか、それとも元々の文章がそうなっているのかもしれないが、会話文にぎこちなさを感じ、特にゴルトムントが口説く会話に対し薄ら寒さを覚えてしまったのは残念だった。
Posted by ブクログ
「知」をもって「愛」を知るナルチス
「愛」をもって「知」を知るゴルトムント
読み終わって見ると素敵な言葉すぎる、、
慣れない文体に最初は読むのに苦労しましたが、自分なりに解釈し楽しく読めました。
こんな真逆の2人が語り合い、理解し合う姿に何度も心打たれました
「道の上の1匹の小さな虫が、図書室全体のすべての本よりはるかに多くを語り含んでいる」と言うゴルトムントに対し、
「存在するものを愛し、可能なものではなく、現実のものを愛する。自然にさからってだけ生きることができる」と言うナルチス
一見、型に収まった生活をするナルチスより、自由で愛欲のままに生きているゴルトムントの方が幸せなのでは無いかと感じるけど
結局どっちがいいかなんてわからない、、
少なくともこの2人の関係はお互いの人生にとって、強い刺激を与えたんだろうなと思う。
海外文学は読むのが初めてだったので、理解するのが難しかったです。
現代風に悪く読むのであれば、キリスト教神学を学ぶけど、女の子と遊ぶ楽しさを知って学校を出て放浪し、たくさんの女の子を見て愛を知り、彫刻を学び年月を経て学校に戻ってくる。
最初はこんな解釈をしてしまって、、
何回も読み直してもっと素敵な読み物にしたいです。
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ヘッセの人生というのは、常に知性と感覚のせめぎ合いだったのだろう。この激しい二項対立を抱えて生き続けたと言ってもいい。知るとは何だ。目の前にあるこの美しい景色を感じるこの心はなんだ。彼は幼い時からそう思う心を非常に大事にしてきたに違いない。彼にとって学問は感覚抜きに行われる、純粋に抽象的なものであったのだろう。なぜ、感じられもしないそんなことをしなければならないのか。どこまでも素直な彼にとって、こんな理不尽なことはない。彼はそうして何もかも捨てて飛び出していくのであった。
旅に生き、流れのなかに生き、とめどないひとの世でさすらうということは、別れが必然であり、定住はできない。ひとが好きなのに、ひとと別れねばならない。ずっと一緒にいられればいいのに、心がそれを望まない。そんなせめぎ合いの中、ゴルトムントは何を残せるのかと問い、ついに芸術というものを知る。しかし、その芸術さえも超え、ついに形而上の世界へ飛び出してしまうのだった。生きているということは、それ自体不思議で、魂は不滅なのだと彼は気付いたのだろう。そんな彼の生き様を抱えて、ナルチスは生きていかねばならないのだ。ナルチスの選んだ道はそういう生き方でしかないのだ。かくしてふたりは結局わかりあうことはなく、ゴルトムントはナルチスを置いてひとり旅立っていく。
多分に『デミアン』や『シッダールタ』で培った精神分析や、諸行無常観が取り入れられている。ヘッセにとって、そうした考え方にどこかひかれるところや、新しい境地を見出したのは間違いないようだ。おそらく、二項対立という考え方をどうにかして乗り越えようとしていたに違いない。ずっと愛したい、けれど限りある命だからずっと一緒にはいられない。ここではないどこかへ行きたい、けれど安住の場所などなく、どこにもいられない。それならば、なぜ自分は今こうして生きているのか。それはすべてを生みだした母なる原型に帰るためなのだ。これこそ悟りであり、人間の目指すべきところではないか。彼はそう感じていた。
いい意味でも悪い意味でも、ヘッセはいわゆる西洋的な信仰に裏打ちされて生きてきたゆえの発想なのだとは思う。しかし、知と愛はそれほどまでに対立するものなのか。「知る」ということと「感じる」ということはそれほどに違うのか。終盤ゴルトムントも触れており、ナルチスも気づいているが、心象のない思索というのはありえない。形式と内容というものはどうあがいてもそれ単一では存在しえない。形式のない内容、内容のない形式、そんなものはおおよそあり得ないのだ。
二項対立という現象自体、そもそも、それを見出す第三者の存在なしにはありえない。二項対立を作りだすのは他でもない、この自分だ。内容と形式を分けているのは、他でもない内容と形式を併せ持ったこの自分でしかない。『シッダールタ』でみられたあの一体感というものが、この『知と愛』ではまったく感じられないのは、おそらく、この辺についての考察がヘッセ自身煮え切っていないからなのだと思う。母の姿を持たなくとも、ひとは愛だとか、死ということばを先に持ってしまっているのだ。その母という原型さえも、ことばの存在ありきでないといけないのだ。ほんとうに原型に帰るのなら、ことば自体を成り立たせている、ことば以前の存在を感じているはずではなかったのか。ゴルトムントはその生涯を終える際に、あのようなうわ言ではなく、ことばにならない叫びをあげるか、静かに何も語らず従容と消えていくべきではなかったのか。そう思わずにはいられない。
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知と愛、ナルチスとゴルトムント、一見反芻する立場の二人が互いに惹かれ合う姿を描いている物語。あとがきにあるように、この2つは永遠のテーマでもあるからそれをこのように物語として完成させた本書は素晴らしい。
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知と愛、論理と芸術という相反する二元性を描いた作品。
互いの相反する役割を認識し、忘れ得ぬ友情を育みながら別々の世界で生きて、互いを認め合うところにまで到達した二人に賞賛を与えたい。ゴルトムントは最後まで求め続けてきた母の偶像を作り上げることができなかったが、彼の死によって彼自身の人生とその芸術が完成されたような感覚を得た。人生に対する美学を感じた作品だった。
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ヘッセは「デミアン」しか読んでおらずまた記憶も曖昧な中、新聞記事で見かけ気になったので読んでみた。ゴルトムントがナルチスによって目覚めて放浪の旅をはじめてからの年月が頁を割いているが、ゴルトムントの傍らにはいつも愛が、つまりナルチスがいたということ。それがヨハネの像に結びついた場面を読んで、愛と芸術を心に抱きながらも表わそうとしたものが精神のひとナルチスだということに心震えた。終盤の対話で「自分を実現する」という部分があったがとても興味深くて夢中で読んだ。これまでの物語によってこの対話がより際立っていた。
(素晴らしい読書体験だったのは間違いないのですが、やっぱりどうにも難しくて何一つ理解できていないのではという不安でいっぱいです。また、間をおいて最初から再読しようとおもいます。)
2011/05/13
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「ナルチス(知)とゴルトムント(愛)なら、君はゴルトムントだね」
って、全然知らない人からメッセで言われた。
で、読んだ。
確かにそうだと思った。
Posted by ブクログ
学問と理性と秩序を象徴するナルチスと、芸術と感情と自由を象徴するゴルトムントを主に進んでいく。修道院で出会った2人は、ナルチスが憧れられる指導者として、ゴルトムントが憧れる生徒として関係を深めていく。ゴルトムントはある日ナルチスに母を忘れていることを目覚めさせられ、芸術に向いていることを諭され、旅に出ることになった。
自由で快活な好青年ゴルトムントは、森の冷たさや恐ろしさや飢えと情欲と女とを知り徐々に大人になっていく。女の元を転々として愛を学んでいたゴルトムントは、ある日翻訳家として騎士に雇われそこ姉妹の姉と愛を育む。妹にバレ、妹も参戦したその日に騎士に追放された。次に同じお気楽で打算的な放浪者に出会い行動を共にすることになった。軽蔑しながらもある所で尊敬していたが、夜に富裕層の姉に貰った金貨を盗まれそうになった為目を覚ますと、放浪者はゴルとムントの首を絞めてきた。ゴルトムントはナイフで反撃し殺してしまった。教会で聖マリア像に出会い感激し、その作者の元へ弟子入りし、ナルチスを象徴した像を完成させる。師弟関係とそこの娘とある種の愛情を築いていたが、自由を愛すゴルとムントはまた旅に出る。道すがらで純粋な巡礼中の青年に出会い、行動を共にすることになったがそのころペストが流行っていた。ペストの醸し出す死の匂いに好奇心を誘惑されたゴルトムントは、車に載せられ穴に放り出される大量の死体や腐った犬の死体や閑散とした町など感染を顧みずペストの街を探検する。その中である娘と出会い、しばらく3人でペストから逃れるためにも行動を共にすることになった。ある廃墟を改造して3人でつましく暮らしていたが、ペストの男に娘が噛まれてしまい感染する。ゴルとムントは娘が死ぬところを見届けたらまた1人旅にでる。途中で父をおって死にたがるユダヤ人の美しい娘に出会った。死の匂いに疲れ、またたびで培った観念を死から逃れた存在物として表現したくなったゴルトムントは親方の住まう町を目指すが、親方はペストにかかった娘を看病して死んでいた。最後の女、その町の公爵貴にゴルトムントは恋をし、最後公爵に見つかってしまい死刑になるところをナルチスに救われた。修道院への帰途でお互い成長を実感して軽く今までの事を話し合う。修道院に帰ってからは院長となったナルチスが工房を手配してくれて、ゴルトムントは芸術作品をふたつ作り上げる。たまの外出時の女の反応で自分の老いを感じたゴルトムントは若さを取り戻すべくまた旅に出るが、公爵夫人は今の彼には振り向かなかった。それでも諦めず旅を続けようとするも、小川で馬と共に足を滑らせ肋骨を折ってしまった。それでもまだ帰らずに旅を続け、やっと帰ってきたゴルとムントはもう治療が不可能だった。ナルチスはゴルとムントの死を看取る。
デミアンや荒野の狼や車輪の下ではヘッセ作品に共通する同性愛的な導くものと導かれるものという上下関係は揺らがなかったが、知と愛では最後にナルチスが認めているように同等になることが出来た。
ナルチスから始まりナルチスで終わるゴルトムントの人生観は、もちろんこの2人が主人公ではあったんだろうけど、旅のターンが長くあまりヘッセ作品で求める緊密な友情を感じることが出来なかった。
感情も愛情も若さも全て続くことは無い、だから論理に落とし込み記録するか芸術作品として昇華するかをしなければならない。秩序と学問は結ばれていて、自由と芸術もまた結ばれている。
ゴルトムントが躁鬱患者のように秩序から自由へ
移行する時や、ペストの時、殺害後の時、などなど過渡期の思考が今まで許容していた自由から神経質なものへ変わるのが、自分の浮き沈みしやすい神経と一致していて共感出来た。
正直ヘッセみがあまり無かったなあ
Posted by ブクログ
『目標はこうだ。
自分が一番よく仕えあるところに、
自分の流儀や特性や天分が
最上の地盤と最大の活動の分野を
見出しうるところに、
常に自分を置くことだ。』
ここの部分がすき。
Posted by ブクログ
対称的な生き方をした二人を通して見る、「知」を大事にする生き方と、「愛」を大事にする生き方。
なんだか口にして語ればそう、かからない話なのに、すごく壮大な話であったかの印象。
Posted by ブクログ
久方ぶりにヘッセをば。
で読んだのだけど、読み終わった後泥のように眠った。
読む力衰えてるのかもしれない。
知と愛。
原題はNarziss und Goldmund。
修道院長になるナルチス(宗教家としてではなく、自らをあくまでも学者・思索家として定義しているのがこの人物の造形の肝ではないかと思う)、
放浪の日々を経て芸術家になるゴルトムント(ナルチスから見るゴルトムントは常に少年らしさを失わず・・・何か少年漫画の主人公みたいね。)
その二人の応酬が軸になっている。
*
前5編、後ろ5編、ナルチスとゴルトムントの会話が繰り広げられる修道院の中の場面は、設定も含めてヘッセらしく理屈っぽい。
ナルチスと同じく学者(修道僧)を目指そうとしたゴルトムントが、
ナルチスとの応酬から適性を悟っていき最終的には修道院を抜け出す。
トラウマものと言ってしまえばそれまでだけれど、
過去からの抑制、母の記憶の喪失と復活、天性の見極めといったドラマがテンポよく繰り広げられて、ここまでで一つの小説として成り立っているように思う。
中10章については読み解きかねる・・・
これを「愛」の象徴的な生活と読むのだろうか・・?
血の通った人間としてのやりとりを読み解くのが正直私には難しかった。
むしろ冷徹に形象としての女性を観察していることが描かれていて、そこに愛着が生まれることはない。
更にペストのくだりにおけるゴルトムントの冷徹さは芸術家としての目で死を観察するというもので、地獄変を連想すると、このくだりであるのは「愛」ではないよなぁ、と。
*
やっぱりシッダールダが群を抜いていたように思われ、
そしてしばらくまたヘッセはいいかな、と思った。
(むしろいまはもっと直近の作品を読むか、または少年漫画とか読みたい)