ヘルマン・ヘッセのレビュー一覧
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中学生の頃に母親がこの本を買い与えてくれ(訳者が異なりヘッセ翻訳者として高名な高橋氏であったが)、読んだのが初めての記憶。しかし読んでいる途中は主人公のハンスがかわいそうでならなかった。その感想は今も変わっていない。
好き嫌い関係なく、そしてなんの疑問も持たない(持てない)子供に勉強をさせるのが本当に正しい教育の姿なのだろうか…
私自身も親からの期待を裏切れずに過ごした塾漬けの毎日に嫌気がさし、勉強嫌いになってしまった人間だからそう思うのかもしれない。
やはり今でも読んでいて辛い物語で、結果的にヘルマン・ヘッセという素晴らしい作家を10年以上も遠ざけてしまうことになったのは残念でならない。少なくとも本書はヘッセ諸作の中で、中学生に読ませる本ではないのではないか。親が子供に与える本の大切さはもっと認知されてしかるべき問題だと思う。 -
Posted by ブクログ
小説でも感じたことだが、ヘッセの悩みには自分と通じるところが多い気がする。そのためか詩も全体的に馴染みやすかった。なかでも個人的に特によくて、動揺と感動の渦が沸き起こる感じがしたのは次の5つ。
眠れぬ夜(p80)
陶酔(p150)
ある友の死の知らせを聞いて(p189)
新しい家に入るに際し(p192)
夕暮の家々(p195)
年代によって著者の悩みの種が移り変わっていることが窺えるが、終盤の詩からはついに全ての悩みを乗り越えて一つの境地に到達したという感じがして一段と味わい深い。
"そしてわれらは感じる、危きもの、人間を、
永遠なものは特別な愛をもって愛しているのを。"
(沈思 p204)
私も早くこの境地に到達したい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ解説に小説としてのストーリーはないが、散文詩としてのまとまりがある、と記されている。その通りで筋らしいものはない。1部はクヌルプの気障なところが見える。2部は友との哲学的対話。3部がメインだろう。この最期に感じたクヌルプの人生の決着が、この小説の最も重要なシーンだと思われる。普通の人のように、人生に対して建設的に臨めなかったが、周囲に子供っぽい笑顔を振りまくクヌルプらしい人生だった、というわけだ。
「彼は才能があったのに、何故落ちぶれてしまったんだろうか」という問いに対する答えがこの小説にある。
落ちぶれた人クヌルプ…しかし彼は落ちぶれてなどいない。
自由気ままな旅人だ。解説にはエリートより共感しやすいとあるが、共感の対象になるにはあまりにクヌルプは人好きのする性格だ。太宰治の人間失格を読んだ時のような気分だ。持つものが、道を踏み外して落ちぶれていくのに、共感は来さない。持たざるものが道を踏み外した悲しみより、幾分救いがあるからだ。 -
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見どころがありそうなだけに惜しい作品。1クール目だけはおもしろいアニメみたいなかんじ。もっと跳躍できそうなのに、やはりいつものヘッセである。
クヌルプの漂白の人生。彼は美青年で気ままで不思議なところがあり、かならず娘っこたちの目にとまる。彼のときおり口ずさむ詩や、生活をいとなむうえではいくらも役にたたない手先の器用さは「人々の息苦しい生活に一脈の明るさとくつろぎをもたらす。」
作者のいうことを鵜呑みにすれば、そうなのだろう。けれどもぼくにはこのクヌルプという人物が真から人を和ませることのできる人物とはとても思えない。なぜなら彼の性格はやはりヘッセ的気難しさであって、それがクヌルプの柔和な性格といまいち融和しきれない感じをおぼえる。
なにより生活を営む人たちに対するクヌルプの軽蔑がかなり徹底してることに驚く。彼の生活は社会の外にあって、アウトサイダーそのものであり、そのうえ「軽蔑」まで加われば、これはもう生活の内にある人々・インサイダーにとってみれば「破壊者」そのものであろうし。
クヌルプが「聖」の属性をになっているのはわかるのだけれども、「俗」への軽蔑をみせる場面ではたしょう説教師的「聖」のありかたが垣間見える。まあ救世軍に入りたいとも言ってるし。けれどもクヌルプはけっきょく最後まで彼の「繊細さや敏感さ」を捨て去ることはなかった。ただぼくにとっては、年上の女にふられて漂白という、クヌルプのなまっちろさがいかにもうさんくさいのだ。
彼は「繊細さや敏感さ」の世界に留まることを選び、俗と汚辱にまみれた生活とは縁を切っていたけれど、神がこのクヌルプを選ぶということは、はっきりと誤まりだったとぼくは思うのだ。とヘッセに言いたい。
もはやヘッセとの対話という感じではあるが、二章の「クヌルプの思い出」は好き。 -
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メルヒェン/ヘルマン・ヘッセ 読んだ。
解説にもあるとおり、母から授かった無償の愛と死生に対する考察が混じりあって、価値観の放擲がなんどとなくくり返される。憧憬と回帰に関する一貫したテーマのなかで、短編集ながら連作を思わす生活くささが妙に生々しい。
メルヘンとはなにか、読みすすめるうちに何度となくこう自問したくなる。この一冊の中に読み取るべきものは『アヤメ』のなかで、他作品とくらべてスローダウンした筆致で書かれてあるのでページを戻りながら読むとわかりやすいが、読み終わってそこに答え(救いのようなもの)をもとめるなら「ノー」と言わざるを得ない。
たち返ることが必要で純粋なものに同調し、なじむこと、をヘッセはよく最上のもののように書くふしはあるけれど、ヘッセに限らずこの種の道徳をもった恋人は病に倒れるか何かして、早死にする場合がほとんどであるから、主人公が死を目前にして『そこ』へたち返ると確信したとしても、それこそメルヘンということもできるだろうし、だからこそ母を思うのだろうし、答えはいつもノーとなるわけ。 -
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ワシは「詩」が苦手です。「小説」が好きで、いわんや「言葉」が好きなのに、なぜか「詩」は苦手。理由は掘り下げればいろいろ出てくるのですが、端的に言うと「受け取れている気がしない」。
詩って、俳句や短歌に次いで、極限まで言葉を削いだ状態ですから、言葉そのものに共感できないと、なかなか入り込めないんですよね。そしてワシはその辺りの感性が鈍いのでしょう、感覚的な言葉紡ぎは結構難しい。
それでも、まだこのヘッセの詩集は読めました。まぁ和訳の妙もあるのでしょうけど、まだ「分かる」という感覚で読める作が半分くらいはあった。それが多いか少ないかは分かりませんが。そんな中、特に感じ入ったことが二つ。
一つは、創作家は満ち足りてはいけない、幸せになってはいけない、そんな気がしたこと。というのも、この静かな詩人の叫びは、渇望から生み出されているに違いない……そう感じたんですよね。満ちた瞬間、言葉がこぼれ落ちてくることはなくなるんじゃないか、この言葉紡ぎを見ていると半ば本気でそう思います。
二つ目は、詩は分からないワシなりに心に響いたものをメモっていったら、その半分が晩年寄りのもので、著者が実感としての「死」を意識し始めたのではないか、と思われるような、「生への渇望&諦観」が書かれたものが多かった気がしたこと。これも、言葉を削ぎ落していく詩作という作業は、人生の無駄を削ぎ落していくことにも似ているのかな、と、そんなことを感じました。
や、そもそも「詩集」のレビューって難しいですね。小説で言えば、無数の短編集みたいなものですから、なかなか全体を通じてこう、と言いづらい。
ただ、これもレビューとは言えませんが、ひとつ自覚して驚いたこと。子供は好きだけど自分の子供はいらないと吹聴するワシが、一瞬だけど、子孫がいた方が良いかも、と思わさせられてしまったこと。普段からゼロの結婚願望が沸き起こることはなかったとはいえ、意外な心の移り変わりを感じた読書だったのは確か。
純粋すぎる言葉の応酬は、思わぬ心への効果をもたらすものかもしれませんね。 -
Posted by ブクログ
ヘルマン・ヘッセの短編集。大人のための童話みたいな物語がたくさん収録されている。いくつか好きな作品があった。が、ヘッセの良さは短編では出きらないな、とも思った。なぜなら、ヘッセの良さというのは、人間が心の奥底で悩んでいることについて、それが自分自身にもよく言い表せないような状況において、それを見事なまでに文章化する点にある。そしてもっとすごいところは、さらに自分自身でもそこに存在していたことに気が付かなかったような細かな感情の揺れ動きまでを見事に表すことができる点にある。こんな事をするには長ーい前ふりと細やかな記述が必要なのだけれども、短編ではそこのところができなくなってしまう。なのでヘッセの作品は長編の方がいいと思う。