ヘルマン・ヘッセのレビュー一覧
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ネタバレ高校の時に、「俺本読むわ、でも何から始めていいかわからんし」って言った時に母が買ってきてくれた本がこれ。積み本にしてそのまま捨てて、買ってくれた母は今は亡き。
思い出して大いに猛省し、再度読む機会を得た。
これはヘルマンヘッセの自伝でもあるという事だったけど、ええ!?主人公最後....オイ
これは今でいう鬱になっちゃった時期があったんだろうか、神学校から戻ってきてからの話がぶっとぎ過ぎて学生時代こんなむつかしい本理解できんやろうって思いながらも、でもやっぱりこれは学生時代に読んでおきたかったなぁとつくづく思った。
タイトルの車輪の下って意味が文中に登場し、ああ、そういうことなんだぁって納得した。もとは”車輪の下”だったのを、この新訳時に”車輪の下で”と接続助詞を付けることでよりその意味を分かりやすくしたとあとがきに書かれている。この光文社古典新訳文庫シリーズは全体的に読みやすく書かれているので敬遠しがちなトルストイなどの文学書などもとっつきやすい。また今後もお世話になるシリーズ文庫だ。 -
Posted by ブクログ
主人公のクヌルプは、とても魅力的な青年に感じました。
作中に出てくる登場人物たちも、彼を慕っていて、彼が来ると食事やお酒を与え、寝床まで提供します。
しかし、彼はどこにも定住しません。人生に悩んでいるのです。
なぜ、彼にこんなに魅力を感じるのかは、理屈ではなかなか説明できませんが、最後の神様との対話で、その理由が少しわかった気がします。
それは彼が自分の生き様に対して、本気で悩む人だったからです。
最初の頃は、どちらかというと、物事を斜めから見るような印象が強いクヌルプですが、それは彼なりの物事に対する「真摯な態度」の表れだったのかもしれません。 -
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そうなのよ
なんで『車輪の下で』ってタイトルにしたの?って気になるよね
はい、ヘルマン・ヘッセの代表作『車輪の下で』です
みなさんご存知の通り、これまでの翻訳本のタイトルは圧倒的に『車輪の下』なのよ
なんで「で」をくっつけたのか?って気になるよね
ならいない?いや、わいはなるの!
でね、そもそも『車輪の下』ってなんなのよ?って話ですよ
「車輪」って言われるとさ、なんかものすごいでかいのが思い浮かぶのはわいだけ?馬車に付いてるやつ
馬車にひかれてんのよ
しかも「下」にいるってことはひかれた状態キープですからね
腹の上に馬車乗った状態で小一時間です
でもって馬車にひかれたってことはその前に馬にも踏まれてますからね
ギューってされてますからね
ギューのドーンのムギューですからね
『車輪の下』ってそういうことですからね
あ、なんか『車輪の下』ってドイツ語で「落ちぶれた」「落ちこぼれた」って意味があるみたい
それを最初に言いなさいよ
馬車とか言っちゃって、いらん恥じかいたやないか
でもって「車輪」には色んな意味が込められているみたいなんよね
「運命」とか「社会」とか
で訳者の松永さんは「で」という助詞を付けることで、現在進行中のイメージを持たせたかったみたい(直球な理由)
「社会」に押し潰される中でもがく主人公
でもなー
こういう悲しい物語はやっぱあんまり好きじゃないんよなー
色んな教訓を込めたかったんやろうけどさ
ギューのドーンのムギューな物語でした
そんなところで小一時間も考える前に救急車呼びなさいよっていう物語でした(だから馬車じゃないって) -
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繊細な少年の幼少から青春を描いたヘルマン・ヘッセの代表作です。
傷付きやすく、繊細で、多感な少年時代。心理描写や自然描写の詩的な美しさに、豊かな感性を持った少年の心の内を思わされます。親や周囲からの期待に応えようと自分を追い込み、努力をし、必死で掴んだ神学校への切符も、学友との関係の中で色々なことが変化していく。どうにもならない車輪の下で必死にもがく姿に、なんとも苦しい心地になります。
決して、読後が爽やかな話ではありません。
でも、読めてよかったと思う一冊です。
じわじわと身体の中に落ちてくるような、やりきれなさと日々の中にある輝きを見る物語でした。 -
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青春は美わし の方はあまり刺さらず。
街に帰ってきて出ていくまでを描いた作品だけどあまり目立った事は起こらなかったように思う。
ラテン語学校生はとても良かった!テンポもよく、流れもスッキリしていて読みやすい。
他のヘッセ作品と似たような境遇の主人公だが、珍しく主人公が思いを寄せる女性からの視点からも描かれていた。彼女が主人公を裏切って(あまり裏切りという感じはしなかったが結果的に)しまった際に彼女からの謝罪があったのが印象的。クヌルプではこのフォローがなかったから彼は放浪の旅に出ることになってしまったわけだし。
主人公が成長していく過程とその成長した結果がとても好きな作品です。
生き物を飼っていたけど成長後は飼わなくなったと言う記述があった。これは何の比喩なのだろう。 -
Posted by ブクログ
装飾というか、色綺麗!
と思って手に取って、ヘッセってあれやん。
ヘルマン・ヘッセやん。
あれや、車輪の下や。
という軽い知識しかないけれど、綺麗なので買ってみた。
なかなかに、良い言葉が載っていてお気に入り。
悩んでいるね。悲しいことが多いね。 胸が痛いこともしばしばだね。
でも、喜びなさい。でも喜びは、誰かが突然どこからか嬉しいことを持ってくるときに湧いてくるものじゃないよ。
喜びは、今の自分を否定せず、今の自分をそのまま素直に認めることから生まれてくるのだよ。だから、悩んでいても、悲しんでいても、そのことに自分が同意すれば自然に湧いてくるものなのだよ。
なんか、優しい言葉で好き。
人生をあきらめたんだよ。 自分一人の幸不幸なんてもうどうでもいいことじゃないか、もういいやってね。
そうしたら、不思議なことに人生が以前よりマイルドになってきたん だよ。
こういうちょっとネガ感があるのも好き。
超訳シリーズはいいよね。
他のも読みたいな。
おすすめあれば教えて下さい。 -
Posted by ブクログ
「早春」「クヌルプの思い出」「最期」の3編から成る。
年上の初恋の娘に裏切られた時から、クヌルプの漂泊の人生が始まる。旅人となり放浪する彼は、自然と人生の美しさを見いだす生活の芸術家となり、行く先々で人々の生活に灯りをともす。肺を病んで雪の中で倒れ、人生を後悔する彼に、神は彼らしく生きたと語りかける。
「早春」「クヌルプの思い出」と読み進めていて、この話の何が名作なんだろうかと、正直疑問に思った。クヌルプは、私には、わがままで厚かましく、自己中心的が過ぎるような気がした。誰もが彼を好いて、きれいな子供が屈託なく生き進んでいるかのように評し、放浪している彼に喜んで手を差し伸べている。それがなぜだか理解できなかった。
そのもやもやは最後までやはり残るが、「最期」の編を読むと、彼がいかにして絶対的な孤独を好むようになったのか、自然に包まれながらさすらうことを望むようになったのかが描かれていて、私にとってやや愛すべき人に変貌していき、独り死んでいく彼を憐れむ気持ち、慈しむ気持ちが不思議と湧いてきた。
クヌルプの死の場面は、この上なく美しい。子供の頃、フランダースの犬のネロとパトラッシュが天に召される場面を知った時の、深刻で強烈だった感覚と似ていた。
☆神さまとクヌルプは、互いに話し合った。彼の生涯の無意味だったことについて。また、どうしたら彼の生涯が作り変えられ得ただろうか、ということについて。なぜあれやこれやがああなるよりほかなく、なぜ別なようにならなかったかということについて。
あるがままでいいんだ、何も嘆くことはない…何もかもあるべきとおりなんだ。
あの時こうしていれば、など、時々立ち止まって深い後悔に打ちひしがれたりは年を重ねれば誰しもあることだけれど、何もかもあるべきとおりなんだ、と大きいものに肯定されたようだった。