ヘルマン・ヘッセのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
どこまでも美しい言葉のリズム
美しい中に痛みを感じる表現
1905年に書かれた作品を今わたしは読んでいる…
100年以上前の言葉に 今の私の心が震えている…
“車輪”という言葉に 絶望と希望が込められているのだろうか…
少年の心の成長の繊細な描写が描き出されている
時に車輪を追い抜き 追い越され 下敷きになりながらも
ヘッセ自身の人生を体現させてくれる
ラストはまるで映画を観終わったかのように
すーっと私の前から物語が消えていく…
心に残る映画を観たあとの
少しずつこちら側の世界に戻ってくるような感じがした…
もしも この作品を読みなおす機会があるならば…
間接照明がほんのり灯る -
Posted by ブクログ
▪️印象に残った言葉やシーン
荒野のおおかみの論文に書かれていた「ハリーが一つないし二つの魂あるいは人格から成り立っていると思うのは空想に過ぎない。人間はみな、十、百、千の魂から成り立っている」。
ヘルミーネがハリーに対して言った「あんたは精神的なものが高く発達しているかわりに、いろいろな処世術が酷く遅れている。思想家ハリーは百歳だけど、踊り手ハリーは半日そこらの赤ん坊。同じくらい発育の悪い小さな兄弟たちも含めて、これから私たちが育てていく」。
ハリーの人格や魂が分裂してできた、老人、青年、女性、強いの、弱いのなどの多数の駒が、将棋盤の上で遊んだり、戦ったり、同盟を組んだり、結婚したりする -
Posted by ブクログ
シッダールタは釈尊の出家以前の名前であるが、これは別の求道者の話。
シッダールタはバラモンの子であるが、普通のバラモン僧になる気はなく、父の反対を押し切って、沙門(苦行僧)の仲間入りをする。
修行のなかで無我を目指し、誰よりも無我に近い所に辿りつけるが、疑問を感じる。ある日、仏陀に出会い、この世で一番尊敬出来る師だと思った。親友は仏陀の弟子になるが、シッダールタは「教えられる」ということには興味をもてなくなり、一人、仏陀からも沙門の仲間からも離れて修行を続けようとする。
虚しさのあまり、考えぬいた結果、自我に目覚め、町のほうへ歩いて行く。随一の遊女カマーラに出会い、愛について教えを乞う。