ヘルマン・ヘッセのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
生活の芸術家、クヌルプの3の物語を描いた作品。「早春」「クヌルプの思いで」「最期」と題された思いでの中に、クヌルプという人間の豊かさが溢れている。
中でも好きな場面が、「最期」でクヌルプが故郷に帰り、その少年時代を懐古するところだ。少し抜粋したい。
「どの屋根にどのネコがいるか知らないことはなかった。どの庭でもその果実を食べてみなかったことはなかった。どの木でも、登ってみなかったのはなかった。そのこずえに緑色の夢の巣を彼が営まなかった木はなかった。この一片の世界は彼のものであり、このうえなく深い親密さでなじみ愛したものであった。ここでは低木の一つ一つ、庭の生がきの一つ一つが、彼にとって重 -
Posted by ブクログ
二カ月ほど前、我が家に猫がやってきた。母が道端で鳴いていた黒い子猫を拾って来たのだ。その頃は目も開いておらず、当然餌も自力では食べられないため、注射器にミルクを入れて飲ませなければならなかった。時が経ち、日に日に成長した猫だったが、自分たち家族は彼のために様々な気を遣い、世話を焼かなければならなかった。その割に本人は飄々として自由気ままに過ごし、気の向いたままふらついて行く。呆れることもしばしばあったが、しかしそのぶん家族間の空気は和み、癒され、以前に比べて笑顔も増えた。すべて彼のおかげである。
さて、この話の主人公クヌルプは、まさにこの猫のような人間である。
自由気ままに放浪し、旅先の知り -
Posted by ブクログ
レビューというのは自分から距離が離れていればこそ、気軽にホイホイ書けたのだ。ヘッセのレビューを書こうとすると、思い知らされる。
苦しみを宿命づけられた生のなかで、人がその生と死を渡り仰せるだけの光ー平穏ー意味など、何かしらの確かさを見いだそうとする不断の努力。ヘッセという人の根底のテーマは一貫している。そして、そのような凄惨さの中に、美しく優しく人や世界が描かれる点も変わらない。
「シッダールタ」や「荒野のおおかみ」の変奏として「知と愛」を捉えることが適切かは分からない。けれど「シッダールタ」では主人公シッダールタが1人でくぐり抜けた聖者の修行と俗人の生活という2つのアプローチを、ここでは -
Posted by ブクログ
やっぱりヘッセはすごい。個人のある感情についてメタに、俯瞰的に言及することは誰にも可能だ。しかしそれに対してさらにメタの視点で言及することは少し困難だ。これを自由に使いこなす人間が小説家というものだと思う。しかしこれだけでは二流である。一流はさらにそれらに関してメタレベルで表現することができる。ヘッセのすごいところは、さらにこのもうひとつ上のレベルにときどき「ひょいっ」と上がってしまうところである。ヘッセは最初から高みにのぼったりしない。いつも私の手の届きそうなところにいて、いよいよ捕えたかと思うとするっと脇を擦り抜け一段のぼる。繰り返すうちについに私は追いつけなくなってその背中をじっと見つめ
-
Posted by ブクログ
1927年にドイツで発表された作品。
第一次世界大戦を省みるどころか、再び戦争に向かおうとしている社会を疑うこともなく生きる市民を批判する「アウトサイダー」の立場(おおかみ)の立場をとりながらも、まぎれもなく市民的行動の一部に加担している自分の葛藤が描かれています。そしてそんな自分は自殺によってしか報われない、と考え死を望むハリー・ハラーが主人公。彼はヘッセの自画像だそうです。
この葛藤はまさに、神経が不安定であったヘッセが色濃く表現されていて、
その如何ともし難い苦痛には時に目を覆いたくなります。
一方で、一般論や世の中の体制によって作られる考えを排除し、確固たる「自己」を追求すべ