【感想・ネタバレ】車輪の下のレビュー

あらすじ

ひたむきな自然児であるだけに傷つきやすい少年ハンスは、周囲の人々の期待にこたえようとひたすら勉強にうちこみ、神学校の入学試験に通った。だが、そこでの生活は少年の心を踏みにじる規則ずくめなものだった。少年らしい反抗に駆りたてられた彼は、学校を去って見習い工として出なおそうとする……。子どもの心と生活とを自らの文学のふるさととするヘッセの代表的自伝小説。

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感情タグBEST3

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とても面白かった。
ヘッセには他の作品には見られないギラギラとした魅力がある。
大人たちが期待などの善意(残酷な名誉心)によって主人公が苦悩に陥ってゆく?描写が印象に残った。
また読みたい

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2025年11月18日

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「読書は役にたたなかった。」

かつて偏差値70を超えてた私、
本作の主人公と自分を勝手に重ね合わせるという愚行に走った末、見事に撃沈、感傷の海の藻屑と化す(…)
太宰の「大人とは、裏切られた青年の姿である」という格言が思い起こされる

殺傷能力が高すぎる傑作

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2025年11月07日

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内容自体は重たい。成功した著者の自叙伝らしいから、色んな深い意味がある。自分自身を全く性格の違う2人に分けていたり、人生こうなっていたかも、という思いもあったのだろう。悩む気持ち、解放された安心、改めての絶望感、少年から青年になるころの危うい心の動き、立ちはだかる世間、期待、許せないプライド、周りへに嫉妬、大人になってからでも思い出させられた。文章がうまい。古い訳だろうけど、分かるわーとなっている。もう読まないかもしれないけど。人間の性格、本性を描ききったと思う。少年の心は危ういね。

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2025年10月23日

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季節の移り変わりがりんごの状態でわかるのが可愛い。あの子と出会ったのは収穫の時期、ほろ苦く思い出すのはりんご酒ができたばかりの時期。

登場人物の名前すぐ忘れちゃうけど、キャラクターの色がうまいこと書き分けられていて名前わからない状態でも誰が誰かなんとなくわかって感動した。

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2025年10月09日

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ネタバレ

## ひとことまとめ

模範少年ハンスの苦しみと、美しい自然

## 感想

周りの大人の期待に翻弄されて、頑張りすぎて壊れてしまうハンス。
大人もハンスも含めて、こういう人は今も、むしろ今の方が増えているかもな、と思う。
競争はますます激しくなり、人は疲弊し、しかし世の中では争いは絶えない。
誰かに勝つこと、しかもそれが自分でなく自分の子どもを勝たせて悦に入ることが、どれだけの人を幸せにするのか。
少なからず、自分の子は幸せではないのではないか。
人には、その時々にしかできないことがある。
それをしっかり楽しみ味わうことを怠ると、後からは取り返せないことが多い。
自分の子どもには過度な期待を背負わせずに、のびのびと、自分の頭で考え、体で経験し、生きていってほしいと思う。

## 引用と感想

### プライドを守りたいこども

> ハンスが先生たちの誇りとなり、自分でもいくらか思い上がってきてから、フライク親方は彼をしばしばおかしそうにながめ、へこましてやろうと努めた。しかし、そのため少年の心は、せっかく好意をもって導いてやろうとする人から遠のいてしまった。それはハンスが少年らしいいじっぱりの盛んな年ごろで、自信を傷つけられることに対して敏感だったからである。いまも彼はおじさんの話を聞きながら歩いていたが、このおとなが自分をどんな心づかいと親切心とをもって見おろしていてくれるかを知らずにいた。(p14)

感想
多感な時期は、大人から正論を言われたりしても反発してしまうもの。
私自身、今思えば恥ずかしいくらい大人を恨んで憎んでいた。
大人になったいま、そんな風にして子どもに対して親切心のつもりで接することがあるが、受け取る子どもの側の気持ちを考えなければいけない。

### 額の小さなしわ

> あおざめた少年の顔はやせた肩の上に倒れ、細い両腕はぐったりとのばされた。彼は着物を着たまま寝入ってしまった。母親のようにやさしいまどろみの手が、たかぶった少年の心臓の微しい鼓動を静め、美しい額の小さいしわを消した。(p19)

感想
試験前の重圧からか、遊ぶ時間を削って勉学に明け暮れたこども時代を思い出したり、昔飼っていたウサギの小屋を壊したり、父に対してそっけない態度を取るハンス。
ハンスのように厳しい受験競争で戦うこどもたちは今もたくさんいるのだろう。
本当なら楽しく友だちと遊んでいたはずの時間を一人部屋で勉強に費やし、それでも望む結果が出るとは限らない。
受験前夜、そんなハンスが眠るときの「美しい小さな額のしわを消した」という、厳しい重圧からの苦しみを表すしわが消えることで眠りの世界に落ちていく描写が美しい。

### 失った美しい時を二倍にして取り戻す

> どんなに長いあいだこうしたいろいろのものを、彼は見ずにすごしたことだろう。彼はおおきく呼吸をした。失った美しい時をいま、二倍にして取り返し、なんの屈託も不安もなく、もう一度小さい少年に返ろうとするかのように。(p41)

感想
試験に受かり、束の間の休暇を楽しむハンス。
情景描写が素晴らしくて目に浮かぶ。
どれだけ試験勉強が辛かったのかと想像する。

### 教育について

> 自然に造られたままの人間は、計ることのできない、見通しのきかない、不穏なあるものである。それは、未知の山から流れ落ちて来る流であり、道も秩序もない原始林である。原始林が切り透かされ、整理され、力でもって制御されねばならないように、学校も生れたままの人間を打ち砕き打ち負かし、力でもって制御しなければならない。学校の使命は、お上によって是とされた原則に従って、自然のままの人間を、社会の有用な一員とし、やがて兵営の周到な訓練によってりっぱに最後の仕上げをされるはずのいろいろな性質を呼びさますことである。(p59)

感想
教育について熱く語られる。
「自然のままの人間を、社会の有用な一員とする」
今は多様性や個性を重んじると主張する学校が多いが、そうは言っても画一的な授業がいまだに行われているし、試験によって点数をつけて差を明確にしている。
結局は、社会に役立つ人間を育てることを是とする教育だ。

### 精神的な制服

> 人間というものはなんとまちまちなものであろう。また人間のおいたった環境や境遇もどんなにまちまちなことであろう。それを政府は生徒たちについて、一種の精神的な制服、あるいははっぴによって合法的に根本的に等しくしてしまう。(p70)

感想
人間はそれぞれ違うのに、教育などの仕組みによって画一的にされてしまうことを「精神的な制服」と言っている。
怖いけど、言い回しが面白い。

### 天才は浮いてしまう

> しかもいつもながら、ほかならぬ学校の先生に憎まれたもの、たびたび罰せられたもの、脱走したもの、追い出されたものが、のちにわれわれの国民の宝を富ますものとなるのである。しかし、内心の反抗のうちにみずからをすりへらして、破滅するものも少なくないーその数がどのくらいあるか、だれが知ろう?(p119)

感想
教育は生徒に対して画一的に知識を詰め込むやり方が多いが、一握りの天才は、そんな環境の中で浮いてしまう。
しかし、そんな世間から浮いてしまう天才が、世間を変えるような発明をするのもまた事実。
天才たちを殺さないように守ることは難しい。

### 友だちだから

> 「だって彼はぼくの友だちなんですから。簡単に見捨てることはできません」(p123)

感想
校長から「ハイルナーは天才だが悪影響を及ぼすから付き合うな」と言われたハンスの返しの言葉。
一度失った友人関係だからこそ、決意を感じる。
こういうのって、今も昔もドラマや映画で見るよなあと思った。
大人から見れば不合理なことも、こどもの世界では必死で切実な現実だ。

### 強いことを示したい

> とどのつまり、どこに行くかは問題でなかった。少なくとも今夜は憎らしい修道院を飛び出し、自分の意志は命令や禁止より強いことを校長に示してやったのだ。(p140)

感想
規則に縛られないことを示すために修道院を飛び出して野宿するハイルナー。
似たようなことを学生時代の友人がやったことがあり、共感した。

### もろい美しい少年の心を踏みにじる、大人の名誉心

> たぶん例の思いやりのある助教師を除いては、細い少年の顔に浮ぶとほうにくれた微笑の裏に、滅びゆく魂が悩みおぼれようとしておびえながら絶望的に周囲を見まわしているのを見る者はなかった。学校と父親や二、三の教師の残酷な名誉心とが、傷つきやすい子どものあどけなく彼らの前にひろげられた魂を、なんのいたわりもなく踏みにじることによって、このもろい美しい少年をここまで連れて来てしまったことを、だれも考えなかった。なぜ彼は最も感じやすい危険な少年時代に毎日夜中まで勉強しなければならなかったのか。なぜ彼から飼いウサギを取り上げてしまったのか。なぜラテン語学校で故意に彼を友だちから遠ざけてしまったのか。なぜ魚釣りをしたり、ぶらぶら遊んだりするのをとめたのか。なぜ心身をすりへらすようなくだらない名誉心の空虚な低級な理想をつぎこんだのか。なぜ試験のあとでさえも、当然休むべき休暇を彼に与えなかったのか。(p144)

感想
この本を通底する「教育」についての、何となく核となる部分と思える文章。
大人の名誉心を満たすために犠牲になる子どもがいる。
子どもには、そのときにしかできないことがある。

### 死に場所を定めたら

> いろいろな準備と大丈夫だという気持ちとは、彼の心によい影響を及ぼした。宿命の枝の下に腰をおろしていると、例の圧迫が去って、ほとんど喜ばしい快感に見舞われる時間をすごすことができた。父親も容態のよくなったのに気づいた。自分の最後がまもなく確実にやって来るということが原因になっている気分を、父親が喜んでいるのを、ハンスは皮肉な満足をもってながめた。(p152)

感想
森の中に死に場所を見つけるハンス。
するとハンスは「終わり」が決まったことで、少しずつ元気を取り戻していく。
人間が不安になるのは、「先行きの不透明さ」なのかもしれないなとここを読んで思う。

### 一本の木

> 一本の木は頭を摘まれると、根の近くに好んで新しい芽を出すものである。それと同様に、青春のころに病みそこなわれた魂は、その当初と夢多い幼い日の春らしい時代に帰ることがよくある。そこに新しい希望を発見し、断ち切られた生命の糸を新たにつなぐことができるかのように。根元にはえた芽は水分豊かに急速に成長はするけれど、それは外見にすぎず、それがふたたび木になることはない。(p156)

感想
勉強や競争を強いられた幼年時代を取り戻すような行動を取るハンス。
大人が無理に子ども時代に抑圧を加えて何かを強いたとしても、いつか別の形でそのとき抑えられたものが芽を出すことがあるということをヘッセは言いたいのかと思う。
しかし「それは再び木になることはない」とも言う。
子ども時代にできることは、その時に楽しんでおかないといけない。

### 世界の見え方が変わる

> なにもかも不思議に変って美しく心をはずませるようになった。絞りかすで太ったスズメがそうぞうしく空をかすめて飛んだ。空がこんなに高く美しくほれぼれと青かったことはまだなかった。川と水面がこんなに青く青緑色でたのしそうにしていたことはなかった。せきがこんなにまぶしいほど白くあわだっていたことはなかった。なにもかもが、新しく描かれたきれいな絵が透きとおる新しいガラスのうしろに立っているように見えた。なにもかもが大きな祝祭の始まりを待っているように見えた。(p177)

感想
エンマという女性と接して恋をして、世界の見え方がガラッと変わるハンス。
少し前まで死を覚悟していたのに、少しのきっかけで世界の見え方が大きく変わる。
人が世界をどう捉えるかは考え方次第だと思う。

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2025年09月26日

Posted by ブクログ

有名な小説で10代の頃からタイトルは知っていましたが、40代で初めて読んでみると予想外の内容にびっくりしました。子供から遊びやゆとりを強制的勉強により奪うことへの警鐘。時を経た現代においてもいまだ通じるものがあります。ドイツのシュバルツバルトに行ってみたい。

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2025年08月24日

Posted by ブクログ

ネタバレ

読み終わったあとに、考えれば考えるほどじわじわと面白味が増す作品。教員は、優秀なものを生み出した「自分」に酔いしれるような生き物である、ぜひこの世にいる全教員の見解を聞いてみたい。
ハイルナー、教員の皮肉的存在な地位で、ずっと己を貫き通すような人間だったから、特に学校を出たあとも周囲の目なんてそこまで気にせず生きていったんだろうと思う。満足に好きなことを、詩を書いて。一方反対の地位にいるハンスは車輪の下で押し潰されるような違和感を抱えながらも従い続けて、競争に勝つために学習にばかり目を向けて、自分の好きな釣りや幼少期楽しかったこと、ふと思い出すももうほとんどそんなものは殺してし何が楽しくて何が目的で生きている、鬱状態?ハイルナーがそこにいてくれればハンスの最期は違ったんだろうなと思う。一緒にいてくれたら、一緒に車輪を押しのけて大きな声で叫び窮屈な地獄からは逃亡することができたんだろう。ハンスには必要だったハイルナーが、1人でできてしまったことなんだけども。誰か1人でも真の理解者に出会えていたらよかったな。真面目に頑張ったって何も報われないね。
あとはとにかく文章の美しさがそこらじゅうに散らばっていた。育った場所、見てきたものでこうも美しい言葉が紡げるのか。

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2025年07月19日

Posted by ブクログ

麒麟児が普遍的な思春期を際立たせて、その正確さから自身の思春期を掘り起こされた。物語の儚さも美しかった。

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2025年03月26日

Posted by ブクログ

まだ10代だったハンスがどんどん落ちていく様子を見ていくのは、涙が出なくとも心を締め付けられて辛かった。
しかし繊細な心情描写や情景描写にかなり読み応えがあり、とても楽しませてもらった。
個人的に大人になったら読み返したい本TOP5に入るぐらい痺れた一冊だと思う。

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2024年11月13日

Posted by ブクログ

146P

初版発行: 1906年

ヘルマン・ヘッセ(Hermann Karl Hesse, 1877年7月2日 - 1962年8月9日)
ドイツ生まれのスイスの作家。主に詩と小説によって知られる20世紀前半のドイツ文学を代表する文学者である。南ドイツの風物のなかで、穏やかな人間の生き方を描いた作品が多い。また、ヘッセは風景や蝶々などの水彩画もよくしたため、自身の絵を添えた詩文集も刊行している。1946年に『ガラス玉演戯』などの作品が評価され、ノーベル文学賞を受賞した。

車輪の下
by ヘルマン・ヘッセ、岩淵達治
だいたい、ほんとの貧乏人というものは、計画をたてたり、貯蓄したりすることはめったに心得ていないもので、いつもあるったけそっくりを使いこんでしまって、貯めておくなどということは考えもしないものなのだ。

 エーミール・ルチウスは、彼の計画をただ物質的な所有物と獲得しうる財貨について 遂行 していたばかりでなく、精神の領域においても、できるかぎり利益を得ようと努力していたのである。その場合にも彼は賢明で、精神的な所有というものはすべて相対的な価値しかないということを決して忘れはしなかった。だから彼は、今のうちから勤勉にやっておけばのちのちの試験にも大いに成果をあげられる課目にしかほんとうの力を注がず、残りの課目は、控えめに、まあまあ平均程度の成績で満足しているのだった。彼は自分の勉強と成績をいつも同級生の成績との比較で考え、二倍の知識を持っていながら二番でいるよりも、半分の知識で一番になるほうがいいと思っていた。だから夜、他の仲間たちがいろんな時間つぶしをし、遊んだり、読書をしたりしているときでも、彼だけは静かに勉強の机に向かっていた。他の連中の騒ぎにもぜんぜん邪魔されず、それどころか、時にはそっちのほうを、なんの 羨みもない満足しきった目つきで見ることさえあった。なぜなら、もし他の連中もみんな勉強していたら、自分の努力もむだになってしまうからである。

一九四六年には彼の「大胆に深い発展を遂げながら、古典的ヒューマニズムと高度な様式をふたつながらにあらわしている精神的文学的な創造に対して」ノーべル文学賞が与えられたのであった。

 ヘルマン・ヘッセは、一八七七年七月二日、南ドイツ、シュワーベン地方(ヴュルテンベルク州)の田舎町カルフで生まれた。

ヘッセの父ヨハンネス・ヘッセはバルト地方のロシア系ドイツ人であり、やはり青年時代にインド布教に従事したことがあるが、健康を害して帰国し、伝道団の指示でグンデルトの助手になり、そこで未亡人だった娘のマリーと結婚したのである。

 幼少のころからヘッセは空想力にあふれた利発な子であったが、 我儘 で両親の手を焼かせるようたところもあった。彼が四歳のころの母の日記には次のように記されている。 「……この子には巨人のような強さと強引な意志と、四歳にしてはおどろくほどの理解力がある。どういうことになるだろうか? 暴君のようなこの子の気まぐれと戦っていくのは、ほんとに精神的に疲れることだ……」

彼は自然を愛し、動物や植物を友とし、またゆたかな空想力によって幻想の世界を追い求め、音楽的、詩的、絵画的な才能をさえ予測させた。

当時の教育制度の欠陥もあろうが、学校教育が自己に及ぼす束縛への強い反抗心はのちのちまで彼のなかにあらわれてくる。

 神学校の雰囲気や生活は『車輪の下』によく描き出されている。

熱心に読書にふけり、詩作を始めたのもこの時代のことである。

 十八歳になったヘッセは、工場をやめた。大学の町チュービンゲンに、大学生としてではなくヘッケンバウアー書店の見習いとしてふたたび出版業務の実際を学ぶためであった。ここで彼は三年の徒弟期間を努めあげたのだから、とにかく彼にも適した活動の場が見つかったと言えるだろう。読書と創作に余暇を捧げたこの時期の孤独な生活で、ヘッセは厳しく自らを律し、自己の教化と独自の精神的な世界をつくりあげることに全力を傾けたのであった。独学といってもいい彼の読書の中心はゲーテであったが、しだいにローマン派の作家たちとも親しむようになり、とくにノヴァーリスに心を惹かれた。

同じ年に試みたイタリア旅行は、古い芸術や文化にふれ、彼自身がこれまでつねにアウト・サイダーであった今日の社会に批判的な態度を示している。『ボッカチオ』の伝記や、「人間のなかの神の愛の申し子」である『アッシジの聖フランシスコ』伝は、旅行後の収穫である。

ヘッセは前年イタリア旅行で知りあったバーゼルの数学者の娘でピアニストのマリーア・ベルヌイと結婚した。

ヘッセがインドに 赴いたのは、ヨーロッパの文化からの逃走だとも言われるが、彼自身の言葉を借りれば「距離をとって全体を概観する」ための試みでもあった。この旅行では目的地のインドには足をふみ入れず、マレー、スマトラ、セイロンの紀行が主となった。彼の求めていた精神的な救済や、ヨーロッパからの 解脱 は得られなかった。しかしヨーロッパでもアジアでも文明によってこわされぬ超時代的な精神の世界が存在することを知り、そういう領域を自己のうちに造りあげることを望むようになったのは大きな収穫であろう。

一九一四年一一月、彼は「新チューリッヒ新聞」に、「おお友よ、そんな調子はよそう!」という有名な文章を掲載して、戦争に 迎合 的な文化人たちの反省を求めた。しかし人間性を訴えるこの声は、たちまちにして多数のドイツ愛国主義者たちの総攻撃をうけ、ヘッセは「裏切り者」「変節漢」といったような 悪罵 を浴びたのである。

妻は精神病の療養所にはいったままであり、共同生活はもはや不可能であった。子供たちを知人や寄宿にあずけて彼は単身南スイス、テッシン州のルガーノヘゆき、それからさらに山地の葡萄山と栗の森にかこまれたモンタニョーラ村の山荘カサ・カムッツイにひきこもったのは一九年五月のことであった。

 二三年、彼がスイス国籍をとった年に、ヘッセは妻マリーアと正式に離婚し、スイスの女流作家の娘ルート・ヴェンガーと結婚したが、この結婚も三年後には終わりを告げている。このころから坐骨神経痛に悩まされた彼はしばしばバーデン鉱泉に通うようになったが、『湯治客』はその副産物である。

 三三年にドイツではヒトラーが政権を樹立した。この第三帝国の暗黒の時代にヘッセはモンタニョーラに引きこもって完成に一〇余年を費した大作『ガラス玉演戯』の完成に全力を注ぐのである。

 ナチスが文化に対して侵しているさまざまな破壊行為、真実の 蹂躙 や言葉の 冒涜 などのしらせは、テッシンのヘッセの山荘にも伝えられてきた。

 一九四五年に平和が訪れた。それ以後ヘッセは詩や随筆、生涯の仕事のまとめや回想などの仕事を主とし、大作を制作してはいないが、これは彼が眼病に侵され、目をいたわらなければならなかったという事情も加わったせいだと思われる。

ドイツの女子学生が「私は、はじめてあなたの本のひとつを読んだとき、わたし自身が多かれ少なかれ無意識に感じたことのある多くのことを発見しました」と書き、日本の高校生が「……あなたの作品を読んでいけばいくほど、わたくしはそのなかに自分自身を感じました。いまわたしは、自分を最もよく理解してくれる人がスイスに生きており、わたしをいつも見つめてくれるのだと信じています……」と綴った手紙をよせたのもこのころであった。

本来ならば、社会環境に対する攻撃が主なのではなく、自分の個性を完全に生きようとする意志が問題となるべきなのであり、その努力が周囲からは頑固、わがまま、反抗的ともとられるところにはじめてヘッセ流の抗議が生まれるはずなのである。人間を 鋳型 にはめこんでしまうような枠というものが個性を 害 ない、精神をもたぬ人間をつくりあげてゆく過程は、ここではとくに古い型の教育に対して向けられているようにみえるが、見落としてはならないのは、牧歌的な田舎町にかえって強くあらわれてくる偏狭な市民性という枠である。

 ドイツ文学の作家のなかでヘッセと世代的に近いのは彼より二歳年長のマンとリルケである。

ヘッセが、ゲーテやドイツロマン主義の伝統を守り、またヨーロッパを逃れて東洋の英知に救いを見いだそうとしたのは、こうした皮相な技術化近代化、雑文による文化の時代に、失われかけようとする人間性を守ろうとしたからなのであった。

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2024年11月05日

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ネタバレ

最初から最後まで悲しすぎるというか、切ないお話だった。

表現がとても豊かで詩的。それが心の繊細な部分を正確に表現していて、自分たちも似た経験を一度はしたなぁと共感しながら読むことができる。また、この歳の子供の心理描写や精神面、天才児ならではの苦悩などもリアルで面白い。この気持ちをこのような言葉で表現するんだと感心する場面も多く、語彙力を上げるのにもとてもいい。

ただ、話に救いの場面が少ないところがちょっと辛かった。自分の意志を出す事ができず常に弄ばれる世間知らずの子供。その子供が社会の波に揉まれて成長するお話といえばわかりやすいか。綺麗な表現なだけに、結末は現実的に残酷なところがちょっと皮肉にも感じる。

人におすすめはできます。文章の綺麗さや子どもならではの心理描写を楽しめる良い作品だと思います。

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2024年10月02日

Posted by ブクログ

全七章に亘って、ハンス・ギーベンラートの柔く脆い青年期を綴る。

周囲より少し勉強ができてしまったために過度な期待を背負い、踏ん張りが利かなくなったったとき雪崩のようにすべてがうまくゆかなくなる。

冷たく静かに川を流れるハンス。
吐き気も恥も悩みも取り去られた、ハンス。

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2025年09月18日

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神童の主人公が来る日も来る日も勉強を重ねて、合格した先にあるのもまた勉強を重ねる日々。自分がやりたいなと思ったことを心の中にしまい、やるべきことや求められていることに注力していく中で出会う、愛情や死の形、暴力や非行の形は彼の人生の中で「自分とはどのような存在であるのだろうか、何者であるのだろうか」という問い直しを与える。
最後の方に彼が語る神童であったのに気づけば周りから遅れていたというところはどのような形であれ、色々な読み手の人生の思い直しにも一石を捧げるものであると感じた。
働く喜び、人の役に立つ喜び、人を愛する喜び、最終に近づくほどに彼の中に少しずつ湧き立った感情は心の底から生まれた自分自身の本当の感情であるとするならば、我々も生きていく中でそのような「生きている、生きていく」という感情を心のどこかに大切にしておいた方が良いのだなと思った。
人に求められることが多い現代社会、自分らしさとはと問い直す現代社会。ただ自分らしさと自分勝手は違う。その社会、共同体の中で自分の喜びを表せるものやこと、人との出会いを大切にその中で自分なりの「生きている、生きていく」を自分の言葉で、自分の姿で、自分の行動で誇りを持って生きるための一歩を毎日踏み締めて生きたいと感じた。

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2025年07月24日

Posted by ブクログ

『車輪の下』。中学時代からずっと本棚に並んでいたのに手にとらなかったヘッセの小説。
私も、「受験戦争」という言葉や「偏差値」という言葉が世間を騒がせていた時代に青少年時代を過ごした。片田舎で育ち、中学、高校、大学受験を経験したからハンスの境遇には少し近い。都会への憧れはあったものの自然の中で育った環境や思い出を否定することはなかった。
主人公ハンスは、周囲の期待を一身に背負い、神学校というエリート養成機関で過酷な競争にさらされ、精神的に追い詰められていった。学校を追われた友の影響を受け、成績も心も落ちていった。
エリート意識の揺らぎが思春期の揺れと重なり、繊細なハンスはどんどん病んでいく。
社会の車輪の下に圧し潰されないで。そんな叫びは届かない。
子育てを終え、孫育てをしている今だからこそ読んでよかったかもしれない。大人がさまざまなものさしを与えることができたら、きっと子ども達は救われる。

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2025年07月04日

Posted by ブクログ

ヘッセの若い頃の作品です。
実体験をもとに描かれているようですが、当時の時代の雰囲気を知ることができます。
子供の教育について、一石を投じた作品で、現代にも通ずるものがあります。

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2025年05月24日

Posted by ブクログ

薄いのに読み応えがあった
昔読んだ気がしたけど全然覚えてなかった
なんというか、一章ずつ授業とかで読んで、みんなで話し合って噛み砕きたくなるような内容。
メインストーリーとサイドストーリーが絡み合いすぎて、なんなら、サイドストーリーをたくさん繋げた話のように感じる。主人公は1人なんだけどね。
賢い真面目な少年がこうなるなんて面白いよな。少年時代の詰め込み勉強や、学校のあり方の弊害だ。ハイルナーと話してみたかった。

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2025年05月21日

Posted by ブクログ

 ヘッセの『車輪の下』が突きつける最大の問題は、教育制度が〈子ども〉を「人格ある一個人」として認めず、都合のよい記号へ還元してしまう点にある。多くの物語が〈従順な優等生〉か〈反抗児〉に子ども像を二分するなか、ヘッセはハンスを欲望と不安、優越感と傷つきやすさを併せ持つ等身大の存在として描いた。川辺で魚を眺める彼は順位や身分を忘れ、五感で世界を確かめるが、神学校合格直後にはまだ机に向かう同級生を見下し、成績表が貼り出されるたび密かに胸を張りながら怯える。この二面性こそ、人が成長過程で抱える本音と矛盾そのものだ。

 その揺らぎを歪めたのが寄宿制神学校という装置である。生活の隅々まで統制された環境で、教師は成績を「神の恩寵」、落伍を「怠惰への罰」と説き、子どもに〈点取り競争=生きる価値〉を刷り込む。こうして自己肯定は序列依存となり、ハンスの優越感も傲慢というより制度が植えつけた防衛機制にすぎなくなる。

 やがて選ばれたはずの彼は孤立と成績低下で「落伍者」へ転落し、親友ハイルナーの自由さが自分の抑圧を照射する鏡となる。帰郷しても故郷の川は色を失い、安息の場所が機能しなくなる。酒場での放逸や父との沈黙は、静かに積み上がった疲弊が臨界点を越えたサインだった。

 最後にハンスは川へ沈む。意図的な自死でも足を滑らせた事故でも、彼を押し流したのは「一律の教育という大河」である。創造性と感受性を守る余地のない仕組みは、弱さを抱える個を受け止められない。ハンスの死は、彼自身の弱さではなく “弱さを許さない制度” の罪を告発する結末だ。父親や教師が「得意=やるべきこと」と混同し、子の価値観を想像できなかったことも悲劇を深めた。メンタルヘルスの治療が拠り所を奪った環境を変えなければ難しいのと同じく、制度が変わらねば第二第三のハンスは生まれ続ける。ヘッセはこの物語で、近代教育が強いる「個人犠牲」を鋭く暴き、私たちに〈その子を、その人を、枠ではなく顔を上げて見る〉ことの必要を突きつけている。

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2025年04月24日

Posted by ブクログ

純粋に読んで良かった思った。
というか自分が1番悩んで苦しい時に読みたかった。救いにはならなかっただろうけど、多分寄り添ってくれただろうから。
私も未だ車輪の下から抜け出せず溺れている。

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2025年04月23日

Posted by ブクログ

ネタバレ

自分の命を人質にすることで生きやすくなってしまったりとか、何となく見下していた肉体労働を楽しんでしまったりとか。自分の本当にしたいと思ってることや意思がどんどん周りの環境に負けていってしまう感じが、僕自身とダブりすぎてしんどくなる。
僕もこのまま車輪の下敷きかもな

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2025年03月01日

Posted by ブクログ

ネタバレ

15歳の頃、学校の推薦図書のような雰囲気でやむを得ず読み、とにかくつまらない本だと思った。

「果たしてあの本はそこまでつまらなかったのか」と30歳の頃に思い、再び購入して読み直してみたが、やはりつまらなかった。

「あれから30年、今読んでもつまらないのか?」と思い3たび読んだ45歳。
とうとう興味を惹かれ面白いと思った。
それは、私が親になったから。

ハンスが自分の息子だと思ったら、実に切ない。
未来に満ち溢れた若者を、大人たちが寄ってたかってだめにする。
自分が若い頃は、この本の大人たちへの反感が強すぎて胸糞が悪く、つまらなく感じたのだと思う。また田舎の牧歌的な情景の描写が長すぎて退屈だったんだけど、これは強いられたハンスの生活と対比するための描写だったんだなと知る。
(自然の中で子どもが育ってゆく素晴らしさと必要性、今ならわかるけど、若い頃は自身が田舎育ちで田舎を嫌悪していたから分からなかった)

学校でのハイルナーとのくだりは脳内でBLに変換され大変ときめいた。

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2024年12月13日

Posted by ブクログ

ネタバレ

今でこそ一般化している「教育虐待」だけど、この時代に過剰教育の悲惨さをかけたのはすごいと思う。
親友と主人公、天才と秀才の対比が悲しかったな。
それでいて情景の表現がきれいで面白かった。特に神学校に受かったあとのつかの間の休息、釣り、川、優越感、イキイキと輝いて見えた。最後はその川で死ぬっていう対比……
つい最近まで受験生だったので特別に響いた

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2024年11月27日

Posted by ブクログ

現代の話と言ってもいいほどの本だと思った。
教育の問題、教育現場での問題は、変わらないんだと感じた。
教育に限らず、少年から青年への移行期に自分が考えていたことがそのまま書かれていたりして、普遍的な問題なんだなと再評価できたりした。

自分が高校生の頃読んだことがあるけど、まったく覚えてなかった。子供を踏み躙る側の大人になった後の方が受け取るものが多いのだろうか。
悲しいかな、教育者の側の考えもすごくよく分かると思ってしまう。自分が少年から青年への移行期から遠く離れてしまったからだろう。成長期の人間を信じてあげることができないんだろうな、と自分自身を振り返った。
教える側である教師たちの欺瞞がはっきりと描かれているが、こういうのって子供たちに見透かされてるのかもな、と感じる。子供を一人の人間として見てるか、ということを突きつけられた感じがした(反省しました)。

ハンスは、大人の期待に応えなきゃと思ってただけで、優越感はあっただろうけど、周囲を故意に見下したりはしてなかったと思う。見下してたら、意地でも機械工にはならなかっただろう。

また、単に、詰め込み勉強がいけなくて、子供には人との触れ合いが大切、ということを書いてるわけでもない。子供を一人前の人間として扱わず、大人の身勝手な考えだけで子供を追い詰めて行くことが間違いだということが言いたいんだろう。大人の身勝手な期待、考えに押しつぶされてしまった、車輪の下になってしまった子供がハンスなんだろうと考えた。

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2024年10月12日

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難しい 
ヘルマンヘッセの文章、綺麗で良いなーと思った
もう少し時間の余裕のある時に読み返して、感想を書きたい

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2025年11月29日

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ネタバレ

幼い頃から親や周囲の期待に応えようと猛勉強するハンス。神学校に合格した後も同級生に負けじと勉強に明け暮れ疲弊していく。思春期になり周囲との人間関係に馴染めず自分の感情や意思との葛藤。挫折を味わい何度も命を絶とうとするが勇気が出ない。苦しいハンスの生き方を気の毒に思う。ハンスの精神が押し潰される程の重圧を作ったのは、親・地域(郷里の人々)・神学校(先生•同級生)…。重圧という車輪の下で、誰にも気がつかれず潰されてしまったハンス。個人的には、子どもに携わる専門職についているため教育に対する意識と責任を考えさせられた。

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2025年08月11日

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中学生のころに読んだはずであるが、いまいち内容を覚えておらずあらためて読むことにした。

著者のヘルマン・ヘッセは1946年のノーベル文学賞受賞者で、車輪の下は1905年の発表作品だ。

ヘッセの自伝的な作品とされるが、内容は結構ぐさりとくるものであった。

神学校入学からのその後の寮生活は暗澹たるシーンが続き、生々しい心理描写が綴られていいく。

自分は一気に読めず、数日に分けてこのあたりを読み進めた。

主人公の少年の置かれた環境は、逃げ場がなく、空気があるのに窒息してしまうようなものであったと思う。

そして、周囲の大人たちこそが、この作品のもう一つのキーになってくる。

架空の主人公なのに、とても憐みの感情を抱いてしまうのは、このあたりの演出がなされているからだろうか。

エンターテイメントではなく、一つのドキュメンタリーを観たような感覚を得た作品であった。

また読む機会があるかもしれない。

そんな「本棚の端の方にいて、背表紙はよく目に入るが、数年に一度手に取る本」的位置づけな作品である。

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2025年05月24日

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中盤までは優秀な人間が落ちぶれて行くまでの話かと思って読んでいたけど、これは少年の危うさ(特に知能が高くて繊細な)と大人の罪がテーマだったんだろうな。ラストはちょっと意表をつかれた。

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2025年04月01日

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あとがきの″主人公が、決して非凡な英雄ではなく、単にやや秀才肌の、かよわい少年″と言い切る文句がさらに悲壮感を際立たせてくれた

何をするにしてもやはりガッツは必要…

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2024年10月02日

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心がぐにゃあって、なんか重くて、真っ暗い何かに包み込まれてるような気がして、暗くて深いどこかに滑落してるような気がして、

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2024年09月30日

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平凡な家に生まれた秀才のハンス。学ぶことが好きであったハンスは、周囲の期待を受け、言われるがままに神学校への進学に挑戦する。以降、自然の中で魚釣りをすることが好きな少年は勉強中心の生活に。その後、苦労の甲斐あり神学校に入学するも、閉鎖された環境のなかハンスは更に不安定になっていく。

勉強のプレッシャーを描いた作品として有名。読んでみて、学校時代やそれ以降の生活のほうがメインであったことを知った。挫折を味わった若者の苦悩が丁寧に描かれている。

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2024年08月31日

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ハンスの不幸は周囲の人たちが彼を理解していなかったということ以上に、彼自身が自分のやりたいことやりたくないことを理解できていなかったことなんじゃないかと思った

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2024年09月08日

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