黒原敏行のレビュー一覧
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ブラッドメリディアンに続き、コーマックマッカーシー作品は2作目。ブラッドメリディアンはひたすら荒野が続き、人間がその背後に引っ込んでいるような世界観で読むのに難儀した記憶があったが、本作はジョン・グレイディ・コールという人間が全面に出ていて読みやすかった。
冒頭のろうそくの炎が揺れて戻る描写など、物事の詳細を書きまくる文章は、時間をかけて脳内に映像として再生させる事を強いてくる。また、それは主人公が出会う自然やゆきずりの人々を前景化させる。主人公だけを特別視しないというようにも言えるし、主人公に極めて近い位置にいるカメラから見ている超高精細な物語と考えると、ジョン・グレイディ・コールに寄り添った文章とも思う。
ジョン・グレイディ・コールの純粋さが際立つ。馬に対する愛情、ロリンズやプレビィンズに対する友情、アレハンドラへの恋心、誰に何を言われても筋を通そうとする考え方。終盤で判事に打ち明ける逡巡。全てが純粋で、ある意味完璧な人間性とも言えるのに、だからこそ理想郷を求めて彷徨い続け、居場所が見つからずでいる様は、世の中の矛盾を感じさせる。でもそれは、判事や牧師の語った使命感に出会うまでの旅路なのかも知れない。こう書くとベタな話に思えるけど、でも良いんです。
西部劇要素が強く極めて男性的な物語なはずだが、女性がお飾りになっているようには感じなかった。後半の大叔母の独白は圧倒的で、世を動かしている男性の暴力性についての語りであり、ジョン・グレイディ・コールにも備わってしまっているものだ。判事に告白したように。
越境三部作という事なので残り二作も楽しみ。
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ネタバレディストピア小説に挑戦中で、これはジョージ・オーウェル『1984年』の次、2冊目に選んだもの。
『1984年』よりも古いのに、西暦2540年を描いているから?今の社会と比べる感覚で読めるのが良かった。コミカルでおもしろくて不気味!
家族、老い、苦痛、忍耐がない世界。「母親」が卑猥な意味になる世界(なぜなら人は母体ではなく瓶で作られるから。妊娠と出産は卑猥でグロテスクなものとされる)
「条件づけ」や「睡眠学習」によって管理下で育つ人々は、恋愛や特定の人への執着はせずフリーセックスを楽しむ。新しい清潔なものだけを好む。出自や身分に不満を抱かない。死を重大なことと捉えない。達成感や感動を機械的に獲得できるよう、娯楽のシステムが整備されている。
現代的な、特に都心部の、気楽さと心地よさが極端に振れると実現しそうな世界にぞわぞわしながら読み終えました。 -
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マッカーシーのピュリッツアー賞受賞作。
終末の地球を歩く父と子の姿を、悲しみに満ちているが乾いた筆致で描いた。人類は自ら招いた恐怖と絶望を超えられるのかと、少年を通して語りかける。感動作。
父親と少年が、何もかも燃え尽きた地表を南に向かって歩いている。
理由は 訳者あとがきから
舞台はおそらく近未来のアメリカで、核戦争かなにかが原因で世界は破滅している。空は常に分厚い雲に覆われ、太陽は姿を現さず、どんどん寒くなっていく、地表には灰が積もり植物は枯死し、動物の姿を見ることはほとんどない。生き残った人々は飢え、無政府状態の中で凄惨な戦いを続けている。そんな死に満ちた暗澹たる終末世界を、父親と幼い息子がショッピングカートに荷物を積んで旅をしていく。寒冷化がいよいよ進み次の冬が越せそうにないため、暖かい南をめざしているのだ。
これで状況が十分説明されている。こうなった原因は語られず、現状の荒みきった地球、わずかに生き残った人たちも既に人でなくなっている世界。
分厚い灰が積もりその細かい塵が空に舞い上がり上空で雲になり雨を降らせる。日が差さず空が白んできたことで朝かもしれないと思う。
飢えた一握りの生き残りがお互いを食う。柔らかい人の肉をむさぼる。通り過ぎた後には略奪と破壊と死だけが残されている。
父親と少年は、持ち出した食料が尽きてくると、焼け残った家や小屋をあさる。少年は常に父に付き添い話しかける。
その声はこの世の、地球の生命が尽きようとしている中で、唯一人間らしい響きを残している。だが父親は少年の魂から出る声に従うことが出来ない。少年を死なせないためには、人らしい生き方など捨てなくてはならない。タダ生き伸びるために死力を尽くしている。
生き続けるためには、敵は殺さなくてはならない、銃はそのために離さない。弾が尽きるまで。
厳寒のなか海に浮かぶ廃船にも泳いでいく、厨房に何か残ってないだろうか。
父親は、火を炊かねばならない、そうしないと少年が凍える。
少年はいつも火を(と共にあり)運んでいる、善き人であろうとしている。
父は肺臓をやられ血を吐いている。死んでも息子を守らなくてはならない。
こうして、穢れのない少年の言葉が、汚れきり腐った道程に火を灯し、それに読者は同行する。
変化のない枯れた木立と燃え尽きたかっての家の残骸、焼死し打ち捨てられた人々を越えて、日々ただ暖かいだろう南に進んで歩き続ける。
食べられそうなものならどんなものでも食べ、泥水を漉してのみ、流れている黒い水の中に入って体を洗う、そんな光景に付き添う。
話の終わりまで変化のない道筋を、憑かれたように読んでしまう。
小さな出来事におびえ、拾ったり見つけてきたボロ毛布を体に巻きつけ、やっと南の海に来た。そこは黒く汚れた波が打ち寄せていたやはり死んだ海だった。
このまま長く生きていると世界はいずれ完全に失われてしまうだろうと思った。盲いたばかりの人の世界が徐々に死んでいくように全てがゆっくりと記憶から消えていくだろうと。
旅の途中で父親が思った、そんな風景の未来が見えた。
父は命がつきそうだった。
パパと一緒にいたいよ。
それは無理だ。
お願いだから。
駄目だ。お前は火を運ばなくちゃいけない。
どうやったらいいかわからないよ。
いやわかるはずだ。
ほんとにあるの?その火って?
あるんだ。
何処にあるの?どこにあるのかぼく知らないよ。
いや知ってる。それはお前の中にある。前からずっとあった。パパには見える。
ぼくも一緒に連れてってよ。
それはできない。
お前が話しかけてくれたらパパも話しかける。
ぼくに聞こえるの。
ああ聞こえる。話をしているところを思い浮かべながら話すんだそうすれば聞こえる。練習しなくちゃいけないぞ。諦めちゃいけない。わかったかい?
わかった。
迷子になっても見つけてくれる、善意が見つけてくれるんだ。パパは言った。
少年は生き残りの人が近づいてくるのを見た。
マッカーシーのピュリッツアー賞受賞作。終末の地球を歩く父と子の姿を、悲しみに満ちているが乾いた筆致で描いた。人類は自ら招いた恐怖と絶望を超えられるのかと、少年を通して語りかける。感動作。
父親と少年が、何もかも燃え尽きた地表を南に向かって歩いている。
理由は 訳者あとがきから
舞台はおそらく近未来のアメリカで、核戦争かなにかが原因で世界は破滅している。空は常に分厚い雲に覆われ、太陽は姿を現さず、どんどん寒くなっていく、地表には灰が積もり植物は枯死し、動物の姿を見ることはほとんどない。生き残った人々は飢え、無政府状態の中で凄惨な戦いを続けている。そんな死に満ちた暗澹たる終末世界を、父親と幼い息子がショッピングカートに荷物を積んで旅をしていく。寒冷化がいよいよ進み次の冬が越せそうにないため、暖かい南をめざしているのだ。
これで状況が十分説明されている。こうなった原因は語られず、現状の荒みきった地球、わずかに生き残った人たちも既に人でなくなっている世界。
分厚い灰が積もりその細かい塵が空に舞い上がり上空で雲になり雨を降らせる。日が差さず空が白んできたことで朝かもしれないと思う。
飢えた一握りの生き残りがお互いを食う。柔らかい人の肉をむさぼる。通り過ぎた後には略奪と破壊と死だけが残されている。
父親と少年は、持ち出した食料が尽きてくると、焼け残った家や小屋をあさる。少年は常に父に付き添い話しかける。
その声はこの世の、地球の生命が尽きようとしている中で、唯一人間らしい響きを残している。だが父親は少年の魂から出る声に従うことが出来ない。少年を死なせないためには、人らしい生き方など捨てなくてはならない。タダ生き伸びるために死力を尽くしている。
生き続けるためには、敵は殺さなくてはならない、銃はそのために離さない。弾が尽きるまで。
厳寒のなか海に浮かぶ廃船にも泳いでいく、厨房に何か残ってないだろうか。
父親は、火を炊かねばならない、そうしないと少年が凍える。
少年はいつも火を(と共にあり)運んでいる、善き人であろうとしている。
父は肺臓をやられ血を吐いている。死んでも息子を守らなくてはならない。
こうして、穢れのない少年の言葉が、汚れきり腐った道程に火を灯し、それに読者は同行する。
変化のない枯れた木立と燃え尽きたかっての家の残骸、焼死し打ち捨てられた人々を越えて、日々ただ暖かいだろう南に進んで歩き続ける。
食べられそうなものならどんなものでも食べ、泥水を漉してのみ、流れている黒い水の中に入って体を洗う、そんな光景に付き添う。
話の終わりまで変化のない道筋を、憑かれたように読んでしまう。
小さな出来事におびえ、拾ったり見つけてきたボロ毛布を体に巻きつけ、やっと南の海に来た。そこは黒く汚れた波が打ち寄せていたやはり死んだ海だった。
このまま長く生きていると世界はいずれ完全に失われてしまうだろうと思った。盲いたばかりの人の世界が徐々に死んでいくように全てがゆっくりと記憶から消えていくだろうと。
旅の途中で父親が思った、そんな風景の未来が見えた。
父は命がつきそうだった。
パパと一緒にいたいよ。
それは無理だ。
お願いだから。
駄目だ。お前は火を運ばなくちゃいけない。
どうやったらいいかわからないよ。
いやわかるはずだ。
ほんとにあるの?その火って?
あるんだ。
何処にあるの?どこにあるのかぼく知らないよ。
いや知ってる。それはお前の中にある。前からずっとあった。パパには見える。
ぼくも一緒に連れてってよ。
それはできない。
お前が話しかけてくれたらパパも話しかける。
ぼくに聞こえるの。
ああ聞こえる。話をしているところを思い浮かべながら話すんだそうすれば聞こえる。練習しなくちゃいけないぞ。諦めちゃいけない。わかったかい?
わかった。
迷子になっても見つけてくれる、善意が見つけてくれるんだ。パパは言った。
少年は生き残りの人が近づいてくるのを見た。 -
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残酷な事件の裏に漂う哀感。コーマック・マッカーシーの世界を読む。
「チャイルド・オブ・ゴッド」は初期作品(1973年)だか、映画化によって2013年に邦訳された。
アメリカ、アパラチア山脈にある貧困部落で、母は男と逃げ、父は自殺した。
身寄りがなくなったレスター・バラードが育った小屋を含め周りの土地まで、税金滞納で競売にかけられるところから始まる。
住処をなくした彼は、破れ小屋を見つけ、孤独な自給自走の生活が始まる。それが7~10歳のころ。
粗野で粗暴で村人にも馴染まなかった、車で森に入ってきた若者のカップルを見つけて殺し、それから連続殺人が始まる。
妹に対する近親相姦から、殺した女を屋根裏に隠して死姦を繰り返し、ついには放火。
家がなくなった後は複雑な地形にある洞窟にすみ。まれな大洪水にみまわれ、犯行が現れて逮捕状が出る。弱りきった体で逃げ迷い、病院に来て自供し、死ぬ。
多くの人種が混在している、広いアメリカの社会では、こういった山間部には貧困部落があり多くの小説の題材になっている。この犯人レスター・バラードもそうした社会で、人と交わらず教育を受けないで育つ。ライフルの腕を頼りに銃をいつも持ち歩いて狩りで食べ物を得ている。
無知と、生きるために食べなくてはならないその日暮らし。しかしそういった生活は、危険から身を守ることを(独白で)言葉にすることが出来ても、自分自身を振り返ってみることなどまったく思いつかない。見方によれば動物的に、本能だけで動く主人公を残酷なまでに描き出している。
陰惨な、犯人に関して言えば社会に見捨てられた悲惨な人生ではあるが、コーマック・マッカーシーが書く文章は、四季の風のそよぎであれ、吹きすさぶ吹雪に揺れる木であれ、レスターが徘徊する足の下で砕ける霜柱や、落ち葉が映つる無数の不透明なガラスのような霜柱を透る光など、澄み切った自然の風物が、テーマを浮き彫りにさせるような透明感を持つ。
青く青い高い空、澄み切った流れ、野草に吹く風の音。鳥や獣の鳴き声や鳥の羽根が風を切る音。雪の上に残っている獣の足跡。作者の筆致は独特の情感を持っている。
またこの作品は、ショートストーリーを積み上げることで、シーンが違っても実に気の効いた形で、回りの雰囲気や、中でもレスターの生い立ちが徐々に判明するように話が進んでいく。
会話は括弧で囲まず詩のような箇条書きで雰囲気がいい、それも大きな特徴で、こうした構成が酷薄な事件を和らげているようにも思える。
現実に起きた事件を基にしているとも言われるが、前面の露悪的な生々しい事件の周りが、まるで別世界に思えるような爽やかで透明で、殺されて無残な姿を晒す遺体の姿まで、大きな自然の中では、最後は静かに土に返るのが自然に思える。
多くは非情な世界を書いているが、そうであっても読んでいると、こういった境遇に生まれた主人公の性のようなものから深い悲しみが伝わってくる。
マッカーシーは作品が映画化され作家として安定した。今ではノーベ文学賞候補ともささやかれているという。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ少年たちの旅の中で、美しい馬が旅に寄り添い慰め、より美しく輝いている。 全米図書賞。 全米書評家協会賞受賞作。
コーマック・マッカーシーの世界はグロテスクで残酷だ。が、国境三部作といわれる第一作のこれは、ストーリー性が豊かでエンタメ小説の趣もあり読みやすかった。
故郷のテキサスからメキシコに不法入国するいきさつや、つねに寄り添っている馬、行動を共にする友人も、少年というより未成年、未成熟な年頃の、精いっぱい運命に向かう姿が痛々しくもありどことなく危うい。
16歳の少年の(アメリカだからもう充分大人だけれど)青春、成長譚だ。
コーマックのドライで区切りの少ない独特の筆は、ユニークではあるが読みなれると違和感がなくなり不思議なリズムに乗ることができる。
コーマック・マッカーシーを読むのは、その風景描写が美しい、だがただそんな風景を写し取るだけでなく、風や雨や、砂漠に舞う土埃、枯れた川の荒々しさなど、読んでいる周りにその気配が立ち込めてくるような文章が素晴らしい。言葉はそっけないほど細かな説明がない分、情感は直接的だけれど詩的で快い。
こういった表現が 先に読んだ
「チャイルド・オブ・ゴッド」や 「ザ・ロード」 のような心にのこる作品になっていったのだろうか。悲哀、哀歓、人間の持つ究極の孤独を書くにふさわしい。
この国境シリーズ(と呼ばれている)の残る二冊も楽しみだ。
テキサス生まれの少年の名はジョン、グレイディという。彼は、戦後無気力になった父親と、彼が生まれてから唯一の慰めであった牧場を売って出て行きたいと叫ぶ母、そんな両親の元を去る決心をする。
馬と過ごす牧場の生活を求めて、親友のレーシー・ロリンズと二人、リオ・グランデを渡る。
途中でひ弱で年下に見えるがやはり一人旅のジミー・ブレヴィンズが加わる。彼は過去に雷に打たれ身内が何人も死んだこともあり極度に雷を怖がっていて、広い草原や砂地で雷雲を見ると怯え、手を焼かせる。
そして彼のこの恐怖が、ふたりを苦境に陥らせる。
雷におびえている間にブレヴィンズの鹿毛が逃げてしまう。
彼はそれを探し当て取り返すのに三人の人間を殺してしまう。
メキシコの牧場に雇われた二人は生きがいを感じて充分によく働き重宝される。しかし、グレイディは帰省していた牧場主の娘に恋をして、二人は心のまま突っ走ってしまう。しかし将来はなく、牧場から出て行かなくてはならなくなる。この牧場の実権を握る大叔母の説教は、彼女の生き方の長い歴史であり、若い二人に理解を示しながらもやはり大人の分別を超えることがない。この長い話を聞かせた叔母の心がよく分からないまま二人は牧場を放り出される。
ブレヴィンズの起こした殺人事件で二人は共犯になり刑務所に入れられる。そこで、捕まっていたブレヴィンズに出会うが、彼は警官に連れ出されて射殺される。このあたり暴力が蔓延する刑務所の中、マッカーシーの描写の面目躍如といったところで迫力がある。牧場の大叔母の手引きだろうか、二人は奇跡的に救い出されるが、帰省する前にちょっと警官を探して気合の入った復讐に向かう、ここにきてまさに西部劇の世界。クレイディの若さと血の熱さ、無鉄砲なところ読んでいても力が入っていい。
旅の途中二人の若者がぽつぽつと語彙の少ない会話を交わす、それは深い意味を持つ言葉だったが、答えはいつも、わからないな、知らないな、で納得する。このあたりの会話も生き生きとして、このわからない世界の深みを少しずつ知っていくのだろうと何か愛おしくなるところが微笑ましくてうまい。
題名にある「美しい馬」がいる風景。
命がけで行方のわからなくなった馬を探したいブレヴィンズ、いつも腕を伸ばして首をなでて話しかけ、孤独を癒しているグレイディ。町に入ると横を車が走り抜けていく。そんな時代に野生馬を集め馴らして繁殖させる牧場の生活がグレイディの生き甲斐だった。
日が落ち無数の星が中空に向かってせりあがってくる。百合や野の花が咲く松林の下で焚火を熾し、ノウサギを狩る。突然の豪雨や雨上がりの霧に閉ざされたメキシコの草原、草丈に埋もれそうな盆地、小高い丘から見下ろす風景などが、くっきりと描き出されている。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ美しい風景描写に救われるが、そこに血の跡を残していくインディアン討伐隊。マッカーシーは汚れつつ生まれたアメリカ開拓期の一面にある歴史を書く。
ビリーが繰り返す不幸そうな恋愛と、ジョン・グレイディの共演は面白そうですがなんだか気が乗らずおいてあったのですっきりしました。
そして取り掛かったのが「ブラッド・メリディアン」でこれは読んでおかないと一応マッカーシーの締めにならないと思って。
あとがきでは「20世紀アメリカ文学屈指の傑作。歴史的現実を尊重するもの」とか。あちこちでこれは傑作だという評があふれています。でもしっかり理解できず多少のもどかしさが残るのです。特に、時を経て判事と少年が再会して何を話して何が起きたのか出会ったところでプツンと終わった理由がよくわからなかった。ここは勝手な想像でいいのだろうか。
少年(the kid)とだけ呼ばれる14歳の主人公は1833年に生まれている。まさにインディアン狩りの渦中に成長している。孤児になった彼は生きるすべとして誘われるままに頭皮狩りの一団に加わる。
文字通り頭の皮をはぐ、頭皮狩りのなんと血なまぐさい、残虐とくれば非道。なぶり殺し、斬り殺し、吊るし、もちろん葬りもしないが、時には穴に放り込んで埋めることはあっても、それは自分たちを守るため。
政府の政策で殺した頭の皮の数で金をもらう、米墨戦争の後兵士たちが仕事にあぶれ、生きるために選んだ仕事がインディアン狩りなのだ。
建国の途上にあったアメリカは、国土拡張路線で各地でインディアン排除の戦いが繰り広げられていた。西部開拓史の始まりは、戦争の歴史で、騎兵隊、インディアンともに名高い戦争英雄の物語を残した。だが人間の暗い行為の歴史の後を残してもいる。
マッカーシーはこの時代のド真ん中に筆をおいて書いている。
批判するでもなく同調するでもなく、登場人物の行為に沿ってリアルな光景を描き出している。
グラントン将軍を頭にした頭皮狩りの一団は、インディアン部落を探して、砂漠を渡り山を越えて、谷間の貧しい集落を襲う。これは実話に基づいていて隊員にはモデルがあったそうだ。
水辺で逃げまどう人々を狙撃し、動物を殺し、大人も子供も頭の皮をはぎ髪でつなぎ、首や耳を戦利品代わりに首にぶら下げて行進する。読み始めは泡立つような不快感があるが哀しいかな不思議に慣れて読んでいく。
中には逆に襲われて命を落とす隊員も出る。
町につくと皮を数えて高値で売り捌き、女と暴力、酔った勢いで手当たり次第の破壊行為、殺人、無法の限りを尽くし、町に入ったときは歓迎の声に迎えられたが、出るときは怯えた人々は顔も見せない。
主な人物は隊長のグラントン、ホールデン判事、元司祭、少年、黒人と白人の同名の二人。斥候に出るデラウェア族のインディアンたち。隊員が殺されたり死んだりして、隊員が減ると街で募集する。
障がい者の弟を連れた兄が加わる。グラントはなぜかその知的障がいをもつ弟を檻に入れて曳かせる。
何を思ったか迷い犬に餌をやりいつも連れている。
ヒューマニズムというものでもない、彼は隊に加えて連れて行き、不要になれば無残に切り捨てていく。
独特の存在感がある身長二メートルをこす無毛のホールデン判事。眉毛もまつげも頭髪も体毛もない禿頭の彼が聳えるように 登場すると不気味な空気に包まれる。外国語を自国語のように話し絵を描き、科学に通じ学識が豊かで、歌もダンスもうまい。何気に隊に加わりインディアンを無感動に殺し、自説をとうとうと述べる。その説や思想は 一面正当にも聞こえる。コーマックはこれ聞き流すように書き続ける。この説が彼の何に起因しているのかはわからないが、判事という人格の一面を著しているには違いない。
生と死に関した彼の説は興味深い。
人間は遊戯をするために生まれて来たんだ。ほかのどんなことのためでもでもなく。子供は誰でも仕事より遊戯の方が高貴であるのを知っている。遊戯の価値とは遊戯そのものの価値ではなくそこで賭けられるものの価値がということもね。
カード・ゲームをする二人の男が命以外に賭けるものを持っていないとしょう。こういう話は誰でも聴いたことがあるだろう。カードの一めくり。この遊戯をする人間にとっては自分が死ぬか相手が死ぬかを決定するその一めくりに宇宙全体が収斂する。一人の人間の値打ちを検証する方法としてこれほど確かなものはあるかね。遊戯がこの究極の状態まで高まれば運命というものが存在することには議論の余地がなくなる。あの人間でなくこの人間が選ばれるというのは絶対的で取り消し不可能な選択であってこれほど深遠な決定に何者の作用もはたらいていないとか意味などないという人間は鈍いとしか言いようがない。負けた方が抹殺される遊戯では勝負の結果は明確だ。ある組み合わせのカードを手にしている者は抹殺される。これこそがまさに戦争の本質であってその遊戯の意味も経緯も正当性も賭けに勝ったものが手に入れることになるんだ。こんなふうに見れば戦争とは一番確かな占いと言えるだろう。それは一方の側の意思を試しもう一方の側の意思を試すがそれらを試すより大きな意思はこの二つの意思を結び合わせるがゆえに選択を強いられる。戦争が究極の遊戯だというのは要するに選択の統一を強いるものだからだ。戦争は神だ。
言い切る判事は狂っているのか。戦争は神だ本能だと言い切る。
彼の信念はゆるぎなく、集まった人々に向かって延々と話し続ける。彼の肩にかけた袋には頭皮と引き換えた金貨や銀貨で膨れている。
神を信じない元司祭が時々反論する。
こういったシーンが多いが、一面狂ったような、しかしある時代にはそれが正義であった生き方を語る中に、難しい命についての論理(そうと言わないまでも一種の哲学)が挟み込まれている。無残に殺される人々は、選んでもいない環境や運命の中でもがいて死ぬ。
空を見上げる、時には雨上がりの霧に方向を見失うような何もない荒れた世界から平和に戻った文化文明は、ただ時の流れとともに人の知恵や力の結果生み出されるものだけだったのだろうか。
10日、半月あるいは何年も飢えや渇きに耐えて生き続け、罪の意識なしに同じ人間の命を奪う。狂った時代に生きた人々の、善悪を超えた論理を書いていく。
討伐禁止令が出て彼らは追われるものになる。
命がけの究極の選択(例えばユタ族との戦いで多くの犠牲を出し逃げる、砂の山を上るか下るか川を渡るのは生か死かというシーン)の中でも、マッカーシーは隊員のエゴそのままの無惨な風景を描写する。光るあるいは澄み切った言葉たちをつかって現実の風景を掬いあげる。続く作品につながる命と一体化した透明なほど美しい言葉が作る宇宙観は、ここから始まったのかと思いながら読む。
ここでも変わらない見事に澄み切った詩的な風景描写。月や星座の巡りや雷鳴や砂の流れや落日の描写だけでも無数にある。
マッカーシーの作品には心理描写がないといわれる中で、こうしたマッカーシーの目を通した風景から浮かび上がってくる、人の心に浮かぶ抒情の反映、優れた自然描写が虚空に繋がり心に訴えかける見事さは、残酷な行為を描いているにしても、時々しんとした静寂に包まれ深い感銘を受ける。
最後のページ
短いエピローグは何を意味するのだろう。大きな視野から見た人間の営みのことだろうか。
判らないたとえ(スパークする鉄球)の、不思議な文章だった。
チャイルド オブ ゴッド(1974)2013年訳
ブラッド・メリディアン(1985)2009年訳
すべての美しい馬(1992)2001年訳
越境(1994)2009年訳
平原の町(1998)2009年訳
血と暴力の国(2005)2007年訳
ザ・ロード(2006)2008年訳 -
Posted by ブクログ
妻殺しの罪を着せられた男に死刑執行の時が刻一刻と迫る中、事件当夜のアリバイを証明できる「幻の女」を探すというタイムリミット・サスペンス。最近似たような設定の国内作品を読んだが、本作は冤罪とか法曹の問題とかに焦点を当てるわけではなく、あくまで謎解きを中心に据えた作品なので、余計なことを考えずシンプルに楽しめた。
今から80年以上前に発表された作品であるにもかかわらず、古臭さをあまり感じずに読めるというのが何気に凄い。文体も特徴的で、格調高さに最初はやや違和感があったんだけど、すぐ慣れて途中からこの作品にはこの文体以外考えられないと思うに至った。真相は言われてみればなるほどといった感じだけど結局読めなかった。てっきりもう一人のキーマンのほうが怪しいと踏んでいたんだけどなあ。
さすがオールタイム・ベストのミステリランキングに毎回選ばれるだけのことはある。面白かった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ子供の情念と性悪説
楽園のように食料に困らず外敵もいない無人島に子供だけが不時着する。最初は集会を定期的に開き家を作り火を炊き豚をかっていた。しかし小さな子から中くらいの子へと伝わり話が肥大化している"獣"の存在がみんなの恐怖心を煽る。ジャックとラルフはどちらが隊長になれるか競争している。その一環で、獣の正体を突き止めて群衆に勇気を見せつけようとする。
夜闇の中冒険に出たせいで、人間の死体が正体であるのに気が付かず、化け物だと思い込んでしまう。
そこでラルフが「獣の前では狩猟隊は槍を持った子供だ」というと、ジャックが決定的に腹を立てて決別してしまう。
ここから狩猟隊VS文明人の構図が出来上がる。
皆、踊りや狩りや上下関係による権威の乱用など情念的な楽しさにノコノコつられていき、文明人側はサイモンピギーエリックサティちびっ子だけになってしまった。それでも各々別の生活をしていたが、ある日宴会に文明人がつられていき、肉の施しを受け、踊りに参加してしまう。その興奮状態の時サイモンが暗闇の中飛び出してくる。獣と勘違いされて殴り殺されてしまった。次にピギーのメガネが盗まれる。取り返しに行くも、顔に野蛮人の化粧をして集団という記号の中に自我を沈めている皆は群衆と成り果ててしまい、ピギーの奪ったことの不当性を訴える声は届かない。あまつの果てにはピギーは明確に殺される。
ラルフが対話を試みようとその晩野蛮人サイドについたエリックサティに話しかけると、次の日ラルフ狩りが始まることがわかった。それでも草の中に隠れて眠る。あとは焼け払われた森から死に物狂いで逃げ続け、隠れ続け、刺し続けた結果海に出ると海軍の大人が助けてくれておしまい。
最初は自由に浮かれて無邪気に逆立ちをしていたラルフが後半になるにつれてに文化人としての責任を感じ相対的に大人になっていくのが不気味だった。
サイモンについてはよく分からない使われ方をしたな、と思ったら、あとがきの解説によると聖書関連なのか。
自分だったらもっと上手くやれるのにと思いながら見ていたが、それは大人の視点でだった。小学六年生の頃だったら絶対に自分はジャック側に操作されていただろうな。
群集心理や匿名性が引き出す人間の暴力的な面、人間に備わったタナトスやパトスを含んだエロス。考える余地が多くて世界に無理やり没入させられた。数日間は頭を悩まされそう。 -
Posted by ブクログ
イアン・マキューアンを読んで以来、現代海外文学の面白さに気づき、いろいろ読んでみたくなった。で、コーマック・マッカーシーを手に取ってみた。
本作はメキシコが舞台の辺境3部作の一冊。
いや〜面白かった。なんだろう。久しぶりの感覚。起承転結ありの正統派小説。血生臭くてグロくてあまりにも残酷な成長物語。
馬と暮らしたい、牧場で働きたいとの漠然とした気持ちからグレイディは友達のロリンズと馬に乗り、テキサス州からメキシコへ国境を越えて行く。野宿をし銃で狩った兎をバラして食べ、川の水を飲み行く宛を探しながら旅をする。命の危険と隣合わせの旅。途中で見ず知らずの少年に会う。この少年も銃と立派な馬を持っているが、得体が知れずでまかせばかりを話す。厄介な事が起こりそうなそんな矢先…。
メキシコの自然の描写が素晴らしい。会話文が文章の中に入り込んでいて、ややこしいんだけど慣れてくると自然に感じる。朴訥とした会話の中に人生観や哲学がある。成り行き任せ。老成した感もあるけど、しかし、彼らはまだ17歳。そこが味噌。若いからこそ怖い物知らずなんだよね。
主人公のグレイディがいいんだなぁ。寡黙で朴訥、強くて正直者で馬を愛する男。真っ直ぐなのよ。
周りに翻弄されながらも苦難に立ち向かう姿に感動させられる。
この時代のメキシコ情勢や国柄、人々の暮らしぶりが興味深い。闇も伺い知れる。
馬の調教シーンが印象的。グレイディにとって馬は家族であり、乗り物であり、財産であり、生きる目的なのだ。馬が居ればそれでいい。
不条理な目に合いながらも、自分の行いが正しかったのかどうかを自問自答するグレイディ。歩みを進める孤独な彼が行き着く場所はどこなのだろうか。