あらすじ
西暦2540年。人間の工場生産と条件付け教育、フリーセックスの奨励、快楽薬の配給によって、人類は不満と無縁の安定社会を築いていた。だが、時代の異端児たちと未開社会から来たジョンは、世界に疑問を抱き始め……驚くべき洞察力で描かれた、ディストピア小説の決定版!(『BRAVE NEW WORLD』改題)
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Posted by ブクログ
え、これ100年近く前の小説って
ちょっと待ってよ
人間が大量生産される未来
そこは幸せしかないユートピア
不満も孤独も執着も病気もない
死の恐怖も消されてる
睡眠学習による洗脳で
老いや不潔を嫌悪
不調は早めの薬で治し
ゴルフなどのスポーツ最高
余暇には映画や旅行を楽しむ
おいおい
いま私がいる世界は
すでにユートピアではないか
しかも不満はないです
今を楽しむのは良い事だと思います
モラルに縛られ
欲に潔癖なジョンを生きづらそうな
変な人と思ってしまいます
すでに
条件付けされている
新世界に住むわたし
Posted by ブクログ
再読。ユートピアとディストピアの違いは何かを考えさせられる。時代はフォードが大量生産を始めた頃を始めとするフォード紀の後の世界。その世界では瓶で子供が生殖され、人間同士が生殖行為によって子供を作るなど野蛮な原始人のような行為とみなされている。
さらに洗脳教育および階級付け、ソーマといった快楽を得る薬物の存在。かなり前の小説であるものの、ユートピアを実現するための手段を、用意周到に練って考えられていることに驚く。
上記の技術自体、倫理的な観点を考えなければ実現可能であると想定されるし、倫理など世論でいくらでも変わる。例えば、少子化がこのまま進み続けて子供を人間が持つことへの意味がなくなってきたら、本小説のように瓶詰めで人工生殖が普通になるかもしれない。
それの何が悪いのか?と言われた時、悪いとは言い切れないところに面白さがある。SFの良いところは、こうした既存の善悪を取っ払い、空想の世界を考えるところにあるなと改めて感じた。
Posted by ブクログ
この物語のなかで起きていることに困惑したり嫌悪したりするのは、わたしはわたしで現実世界で条件づけ教育を受けているからだろうかと悩まされた。こうするのが正しくて道徳的だと信じ込まされているだけであって、違った理想が掲げられていればそちらを不思議に思ったりはしないはずだ。
終盤のムスタファ・モンドとジョンの会話が面白くて素晴らしかった。ジョンはジョンでいくらか偏った考えを持っていて、それ故にふたりのどちらにも共感できないのだけれど、どんな意図での言動なのかがわかりスッキリした。
麻薬がなければ新世界でもやっていけないのならまったく安定していないし、生まれる前から遺伝子を捜査されて階級が決められていることや、生まれたあとも洗脳を繰り返し、ひとりと深い関係にならないような仕組みになっていることや、発展のためにとにかく消費が求められることなど、受け入れがたい点が多い。
でも過去の戦争によって人々の意識が変わり、幸福な世界を望んだというならもうそれには反対できないと思った。現実に起きている戦争が頭にチラついてくるし、ジョンの攻撃性の高さを見ていると、これくらい管理されないと人間は争いをやめないような気がしてくるのだ。ジョンのラストは悲劇だった。
Posted by ブクログ
当時こんなことを考える人がいたことは驚きだ
本気でやっている苦悩をエンターテイメントとして受容されることのなんと耐え難いことか…
モンドの苦悩が大多数の幸福を支えている歪さがいい意味で気持ち悪かった
Posted by ブクログ
来るかもしれないディストピアを描いた作品。フィクションを通じて、自由主義・資本主義の問題点を伝えている。どんなイデオロギーが妥当か、正直議論が抽象的すぎて、自分にはわからない。けどとにかく、今の社会を生きる人間として、読んでおいてよかった!
Posted by ブクログ
登場人物の台詞に時折ぐさっとくることがあるはず。そのくらい現代にも示唆的な小説だった。
シェイクスピアの引用も面白い。そして切ない。
作者は1946年のあとがきで、われわれが権力を分散し、応用科学を人間を手段として使うためではなく、自由な諸個人からなる社会をつくるために利用する道を選ばないとすれば、取りうる選択肢は軍事優先主義もしくはそれがエスカレートした世界、もしくはここに書かれたようなユートピアの2つしかないだろうと言っている。偶然にも前者も未だ現実的であることを思い知らされている現状が世界で起きており、考え込んでしまった。
Posted by ブクログ
文庫版の裏表紙に書かれている本書のあらすじは、下記の通りだ。
【引用】
西暦2540年。人間の工場生産と条件付け教育、フリーセックスの奨励、快楽薬の配給によって、人類は不満と無縁の安定社会を築いていた。だが、時代の異端児たちと未開社会から来たジョンは、世界に疑問を抱き始め・・・・驚くべき洞察力で描かれた、ディストピア小説の決定版。
【引用終わり】
本書の初版の発行は、1932年であり、なんと約90年前のことだ。ディストピアはユートピアの反対語であり、反理想郷とか、暗黒社会とかと訳されるようだ。
ディストピア小説と表現されているが、この物語に描かれている社会は、ある意味ではユートピア社会だ。人類は、階級化され、その階級内で不満を持たないように、生まれる前から条件付けをされる。それはおおよそ成功しており、この社会で暮らす人々は、全く不満を持たない。
一方で、「不満を持たない」ということと「幸福である」ということは異なる。この世界で人々が不満を持たないのは、実際の生活条件に対して不満を持たないように条件付けられている、プログラミングされているからであり、そこには、主体性というものはない。与えられた条件の中でのみ不満がないのであって、そこから外れようとすることは想定されていない。すなわち、人間に自主性を期待しないし、実際にこの世界で暮らす人は自主性・主体性を持たない。ただ難しいのは、「自主性・主体性を持たない」ということに、この世界の人間は気がつかないということである。そもそも自主性とか主体性という概念を持たないように生まれ、育てられる訳であり、そのような考えを持ちようがないのだ。
そういう意味で、この世界は、「現在の我々の目から見れば」ディストピアなのであるが、では、我々自身の世界は全く違う目で見るとどうなのか、ということを考えさせる内容の小説になっている。
Posted by ブクログ
p.317
社会的不安なしに悲劇はつくれないんだ。
幸せってなんだろう、感情ってなんだろう、生きる意味ってなんだろう、、、いろいろ考えちゃう作品でした。
幸せなら娯楽もこうやって本を読むことも不要になるのかな?
Posted by ブクログ
すべてが「良い」とされ、誰もが「幸福」である状態を維持するために社会全体が作り込まれた世界の異常さを描いた小説。人々は階級ごとに分けられ、生まれた瞬間からその階級を幸福だと感じるよう教育される。家族という概念は下品なものとされ、人は人工的に生み出される。どの階級になるかも操作され、人口比率は厳密に保たれる。死はあっても老いはなく、性行為は恥じらいなく行う習慣とされる。悩みがあれば「ソーマ」という錠剤を飲めばよく、それで精神は安定する。だから表面的には誰も悩まず、社会は安定している。
悩みや不安が排除された世界では、宗教や神話、芸術は必要ないものと扱われる。科学も統制の範囲から外れないよう制限される。新しいものが善とされるのも同じ理由で、消費を進めることが社会の安定につながると考えられているからだ。
物語の中盤で「新世界」の外から来た「野蛮人」が登場する。彼が世界統制官にこの社会の異常さを訴える場面が印象に残った。
「快適さなんて欲しくないです。欲しいのは神です。詩です。本物の危険です。自由です。美徳です。そして罪悪です」「要するにきみは」とムスタファ・モンド(世界統制官)は言う。「不幸になる権利を要求しているわけだ」
このやり取りを読んだとき、『世界99』の一節を思い出した。「かわいそうなことは、素晴らしいですよね。僕、たぶん、将来、それって娯楽になると思うんです。」
書かれた時代は全く異なるが、全体主義的な幸福の形や階級制度など、両作品には通じるところが多いと感じた。
Posted by ブクログ
常識や価値観にギャップがある者同士の関わりを俯瞰して見ると、ここまで狂気的に映るのだなと思った。その上で、バーナードやレーニナたちの住む世界は全てが非常に効率化されている一方、心のつながりがかなり希薄になっているのが興味深かった。読者である僕たちの住む世界もどんどん効率化されていっていて、その行く末を見ているかのようだった。どちらが正しいのか僕にはわからないけれど、心のつながりを無くした世界は少し寂しい気もする。
Posted by ブクログ
1984よりは明るいディストピア
明るいからと言ってもディストピア
1930年代に書かれたと言うのは驚き。
今の世界も実はジワジワとこのすばらしい新世界になっていってるのかも。
思考を手放したら蟻と同じ。
蟻の巣のような世界だ。
Posted by ブクログ
作中では時々、詳細な科学用語・物質名が引き合いに出され科学的にかなり発展していることが伝わり、その世界で宗教、文学、歴史が禁忌、禁書となっていることで「現在の我々読者の常識は非効率的な世界である」という雰囲気が出ている。
しかし、性については野蛮人そのもので、誰とでも性交をするのが良しとされ、1人の人を愛する感覚がない彼らは果たして文明人と言えるのだろうか。
また、異様なまでにシェイクスピアが引用されており、SFを描くにしては過剰な著者の文学的趣向が滲み出てしまっているように思えた。
Posted by ブクログ
明るいディストピアな未来を舞台とした小説。ファスト消費、経済性、快楽主義を第一とする全体主義世界。1930年代に書かれたにも関わらず、ある意味現代社会を描いている様にも思える。著者による新版前書、解説なども必読。
Posted by ブクログ
瓶詰めの科学的に調整を施す人間培養、その調整によって格付けされた人間社会、あらゆる快楽を叶えることで欲望や不満、絶望を排除したユートピア。人間の最大の欲求は信頼関係のある人付き合い、と定義する人がいるが、それさえ叶えることのできるユートピアは果たしてディストピアなのか。かなり極端な世界ではあるが、今自分が置かれている自由はとても幸福なことであると実感する。もし自分に苦難が降り掛かったとき、本当に「ソーマ」を拒絶出来るかは怪しいとは思います。16章、17章のジョンと世界統制官との論戦は興味深いが、個人的にはやや宗教的思想に偏るジョンにも賛同できないところがある。
そして衝撃のラスト。自分への鞭打ちさえなければ穏やかな生活を営むことができそうだが。
Posted by ブクログ
ディストピア小説の古典とも言われる本著。しかし、1932年に書かれたとは思えない位、新感覚にも読めるし、あるいは既に社会に浸透した一種のSF的仮説の基礎とも読める。最近の作品では、貴志祐介の『新世界より』が影響を受けてるのかなと感じたがどうなのだろうか。
階級を容認し、寧ろ階級がある事を前提に構築される社会。そして、その階級意識を遺伝子操作というよりも、主には、オペラント条件付けにより、無意識下に学習させて統制させていく。一見、共産主義の思考実験による皮肉にも見えるが、恐らく、この仮定に主義は選ばない。資本主義であれ、その報酬は金銭の多寡をKPIとして、条件付け、刷り込まれたものであり、階級は偏差値や年収を指向する事で成立されている。右も左も、人間社会の本質を究極的にデフォルメ化して皮肉っているのではないか。
社会とは、洗脳により与えられた報酬から役割を規定され、条件付けにより繰り返す事が労働である。成果物の搾取や交換、分配の手法が、主義の相違を生んでいるだけである。
変な読み方をしてしまったかも知れないが、面白いな、素直に読んでもそう感じた。
Posted by ブクログ
近未来ディストピア小説
人間は工場生産されるようになり、家族という概念はなくなり、フリーセックスと快楽薬で不快や欲求不満を解消した、非常に安定した世界が描かれている。
ディストピアだけど、きっとこの世界が本当にあったらここに生きる人は、結構幸せじゃないかと思う。
徹底的に管理された階級社会、でもそれぞれの階級はその階級を不満に思うことのないように小さい頃から睡眠教育を受けている。なので、上の階級にも下の階級にも行きたいと思わない。
動物園のライオンとサバンナのライオン、どちらがより幸せかがわからないのと同じ。
Posted by ブクログ
ディストピアを題材にした小説は初めて読んだ。未来の描写を読むのは単純にわくわくする。こんな未来は確かに来そうだとか、嫌だなとか、中途半端に機械化されてないな、みたいな考えが去来する。
ところでこの小説の社会では、安定や幸福が何より優先されている。そのために人間を生産する技術が高められ、健康的害の少ない薬物が生活必需品となり、フリーセックスが奨励されている。社会は階級分けされ、低層階級の者は単純な肉体労働をこなしている。
こんな未来がやってきそうかというと、やってこないだろう。この本が書かれた当時には想像もできなかったであろうインターネットの進化は、別のディストピアを用意していると思う。
Posted by ブクログ
人間が工場で企画生産され、条件付けと快楽薬物の多用によって一律に幸せを感じる世界に『野蛮人』としてやってきたジョンは違和感を覚えるが………。
『1984』で描かれるディストピアより、幸せで快適だけれどもやはりディストピアには違いないし、何だかより現代に近い感じもある。
終わり近く、世界統制官と野蛮人の問答は『カラマーゾフの兄弟』の大審問官パートを意識している。
Posted by ブクログ
環境が人を作ると思ってるから、この本の洗脳教育を実際にやっても功を奏しそうで怖い。
多分階級社会を受け入れさせて、階級を明確にすることが1番効率的なのかもしれない。差別はきっと無くならないし、それをモチベーションに仕事をする、っていうのもリアルだなと思った。きっとこの物語は人がめちゃくちゃ単純になったら一番効率的(経済面)で、みんな幸せ(不幸だと思えない)なモデルな気がする。
この本の洗脳教育をされている登場人物は盲信的に自分たちの価値観が正しく、優れていると思っているけど、実際の人間には少しは疑う心があって欲しい。
けど、その考えもいろんなことを考えましょう、という教育の影響かもしれないから、なんともいえない。
多様性多様性言われる世の中になっていて、この本の思想統一とは真逆にも取れるが、脳死で多様性っていいじゃんーってならないようにしないと、結局この物語と同じな気がする。
Posted by ブクログ
1984と並んでディストピア文学の祖と評される。1984とは異なり全体的な雰囲気は明るい。ムスタファ統制官と野人の会話が、この小説で描かれている世界になぜ至ったのか、どう維持しているのかを分かりやすく示しており面白かった。
Posted by ブクログ
管理されすぎた世界を描いている。その世界をどう感じるか、ディストピアなので負の世界と思うか、それでも幸福と思うか。苦労をする権利を主張できるか。
Posted by ブクログ
昔の小説かつ翻訳本ということで読み辛かった。。。
15〜16章の哲学弁舌対決の部分以外は正直面白さは感じなかった。
面白くなかった理由は物語全体を通して分かりやすい"主人公"がいないからかもしれない。
また"最大多数の最大幸福"を実現した未来世界は、野蛮人ジョンの視点からディストピアのように描かれているが、争いが絶えず格差が広がるばかりの現代社会よりかはマシなように思った。
Posted by ブクログ
社会の上層部が利益のほぼ全てを享受するユートピアを支えるためには奴隷の労働力が必要である。
とはいえ、奴隷にも幸せはある。労働後のささやかな報酬という形で。
そのような光景を描く本書はディストピア小説として今に知られている。労働力を自前で生産している点で、オフショア、グローバル化という言葉で奴隷の労働力のアウトソーシングを正当化した現代の筆頭資本者らよりも自助的であり、責任の所在を明確にしているといえる。非人道的な社会を描きあげた作家であっても、資本主義が要求する過酷なコスト意識を甘く見ていたか、見逃していた観がある。
つまり、現代はすでにハクスリーのディストピアを実現している。一部ではそれを超えてすらいる。
ボス敵と語る。
このシチュエーションはどこからやってきたのか考えたことがある。回答は得ていない。本書には相当するシーンがあり、考え抜かれた著者の思想を与えられたボス敵は揺るぎない。これも、よく見かけるものだ。主役は言い返せないが、勝たなくてはいけないので殴って勝つ。これもよく見かける。
本書の主役サイドの言葉はすべて理性的な反論を受ける。主役サイドはついに自らの言葉を失い、過去の権威にすがるが、それに対するこたえも考え抜かれている。ボス敵もまた過去に深く悩み考えた末に、現実を受け入れたのだと強く理解させられる。『ミストボーン』シリーズは最終的には好みではなくなってしまったが、この構造を持っていたことは好ましく覚えている。
主役サイドは言葉を失うが、殴りかかることはない。少年漫画ではないからだ。否、相手は絶対的な悪ではないからだ。その社会においては秩序善ですらある。
本書はまた、夢想家や革命家()に辛辣な言葉を投げかけているようにも見える。ある秩序の中で、その恩恵を受けながら、その秩序を否定する活動を行う。「働いてる感を出してるヒモ」という印象が、わかちがたくその印象に重なる。主役サイドはそちら側に属している。
人生は生まれにおいてすでに公平ではないと悟らせる以上の役割を果たせぬまま、主役の一人は去る。
宗教が信者に施す道徳教育は、ディストピア社会が社会を維持するために施した道徳教育と相似形である。いずれも他者を傷つけることもあるという点でもまた類似している。それを背負わされた主役サイドの一人は苦悩のあまり死ぬという物語の結末を担う。物語としての出来はよくないが、教訓としてはまあわかる。
本書解説には「学問のふりをする科学」について語られている。学問のふりをしたなにかが旗を振った結果が奴隷労働のグローバル化であるのなら、そこを改めない限り、いかに手を尽くしても虚しかろう。
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読中、超人ロックの初期のエピソードが想起されてきて、その名の通り『新世界戦隊』で発火したのかなと読み返してみたら『ジュナンの子』と『ロンウォールの嵐』だった。
『ジュナンの子』には、出生時点で身体的に不利な特徴が出現しないようコントロールするようになった社会で不利な特徴が出現してしまった人々の苦難が語られていた。この構図に相似形を見たのであろう。
『ロンウォールの嵐』には、ナディアという女性が登場する。やりなおしがうまくいかず記憶を失ったロックの恋人だが、体制側のいうなりにロックを売る。ありように類似性を感じてしまったのだろうが、よくある人物像ではある。
本書には多幸感を与え多用すると死に至ることもあるソーマという薬物が登場する。『聖者の涙』には、そんな偶然の一致ではなさそうな影響が見受けられるような気がする。
Posted by ブクログ
階級社会を作るために、受精卵から操作され、条件付けされた人間を作る社会。
ディストピアなんだけど、その階級の人はその階級で幸せになるようにされているためなのか、そんなに不幸せそうには思えなかった。
居留地から来たジョンが、ほんとに辛いと思ってしまった。自分の気持ちとこの社会が全くあってなさすぎる、ジョンどうなってしまうんだろう。。。
Posted by ブクログ
昭和初期の発表されたディストピア小説。現代でも全く違和感を感じさせない。
「一九八四年」(途中で挫折)と対比されるが、こちらは読みやすかった。
いろいろな風刺やオマージュが詰まっていることが解説を補足することでさらに見えてくる。
いろいろな翻訳本がでているので、また機会があれば読み比べてみたい。
そして、「一九八四年」をもう一度挑戦してみる。
Posted by ブクログ
生まれる前からの英才教育によって、それぞれの階級に適した教育を施し、
幸せな世界を作り出している。
健康的でかつ幸せな世界だから、ある意味理想的なのだと思う。
ただ、なんだかもう人ではないかのように見えてしまう。
ある意味人造人間ばかりの世界。