黒原敏行のレビュー一覧
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ネタバレ「すべての美しい馬」のジョン・グレイディ・コール、「越境」のビリーが「平原の町」では同じ牧場で働いている。
「越境」でのビリーは世捨て人のような、世界に背を向けようが何をしようが、お構いなし、という感じだったが、ここではジョンの兄貴分として、大人になっている。
「すべての美しい馬」のジョンはどう生きるべきなのか、世界にもまだ淡い期待を持っていたように見えた。ここでもそれは変わらない。
そしてジョンは娼婦に恋をする。意味を持つ世界を信じるジョンは娼婦に入れ込み、結婚を申し込む。
ビリーをはじめ、誰もが諦めるようにジョンを説得するが、ジョンは聞かない。
ジョンにはなんとかなる、という淡い期待がある。普通、これを”若さ”として描くのだろうが、マッカーシーは”狂ってる”若者として描く。
やがて、娼婦は殺され、ジョンは死ぬ。
これを単なる愛憎劇と見ることもできる。
だが、生き方を変えられない、自分の物語に縛り付けられた人間の姿にも見える。
過去も未来も、そして歴史の中でも、人は物語を作り続ける。 夢の中でも。
それが人間なのかもしれない。
だが、それを“生きている”と呼べるのかどうかはわからない。
人は人の言葉でしか世界を語れない。
それでも世界は動き続ける。 -
Posted by ブクログ
表紙は雪の中2人の男女が歩いている。よく見えない霧のなかをあてどなく歩くような本だった。命は簡単に失われ、同時にまた新しい命が生まれる。命は個人の意思で生まれず、与えられ、去っていく寂しさがある。抱擁は1人ではできない。寂しさを埋めるために抱きしめ、暖かさを確認するためにきつく抱き合う。昔、小猿の代理母の実験があった。針金の代理母とタオルの代理母が用意された。すると小猿はミルクが出るかどうかに関わらずタオルの代理母にしがみついたという。小猿が求めていたのは、単なるミルクだけではなく、触れられる温かさなのだろう。人間もただ生きるだけではなく、誰かの温かさを感じなければ、生きている実感を持てないのかもしれない。
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ネタバレ前半では社会のあり方やそこに生きる人の価値観を描き、後半ではその社会を外部から観察した際の違和感を野蛮人ジョンの視点から分かりやすく描いている。
苦悩や障害を超えることで得られる達成感が重要である、というジョンの主張のもとにディストピア社会を批判しているが、自分は社会に馴染めるタイプだろうなあと思いながら読んだ。苦労せず短絡的な快楽を得たいという思想と、何かを乗り越える過程にこそ意味があるという思想は優劣のつくものではなく、この作品でいうところの条件づけ次第で好むものが変わるという話なんだろう。
1984年は寡頭政治のトップが権力を握り続けること(権力は権力のために存在し続ける)を目的に社会を維持するのに対し、素晴らしい新世界では安定性とそのための民の幸福を目的として社会維持を行っているという差が大きなポイントだと思う。1984年を読んだ時と比べ興奮が小さかったのは、登場人物を通して感じられる社会の絶望感がそこまで強くなかったからだと思う。この社会では適合できなければ島に送られ同じ特性を持つ人間と暮らすこともできるし、そもそも社会の中にあって幸福度が高く抑圧されていない(一部の人間を除いて)。そういう意味で、ディストピア小説に求めるものを現代風な言葉で言うなら、キャラクターの曇らせなのかもしれない。感じたいのは絶望的な社会の完全性とそれによって与えられる絶望で、それを感じるためには抗うキャラクターが必要だから。曇らせというワードで考えてみると、ディストピア小説を書くのに必ずしもシリアスな空気は必要なく、分かりやすい社会の描写とそれに相対するキャラクターがいればいいという話だし。雰囲気はポップだけど中身はガチガチのディストピア小説とかあるのかもしれないし読んでみたいな〜。 -
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ネタバレ大厄災の後、ほとんどの動植物種・文明は絶滅し、灰色の厚い雲に覆われ、生き残る人類の大部分は人食い部族として存続している地獄の世界。
そんな地獄の中を、主人公の親子は、飢餓や凍死の危機をはじめとする様々な恐怖を経験しながら、倫理や理想を捨てずに進み続けようとする。
極限状態に追い込まれていく描写がとてもリアルで、読みながら何度も何度も「頑張れ!まだ死ぬな!」と応援してしまった。食糧にありつくたびに、自分がとても安堵した。
信仰を捨てず、こどもに無償の愛を注ぎ続ける父親が死んでしまうシーンはとても悲しかった。
少年が新たな夫婦に出会う、救いのあるラストでまだよかったが…いや、この世界には救いなどないか…。
父親がほんとに理想のパパすぎる。自分に息子ができたら、こんな父親になりたいと感じた。 -
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環境が人を作ると思ってるから、この本の洗脳教育を実際にやっても功を奏しそうで怖い。
多分階級社会を受け入れさせて、階級を明確にすることが1番効率的なのかもしれない。差別はきっと無くならないし、それをモチベーションに仕事をする、っていうのもリアルだなと思った。きっとこの物語は人がめちゃくちゃ単純になったら一番効率的(経済面)で、みんな幸せ(不幸だと思えない)なモデルな気がする。
この本の洗脳教育をされている登場人物は盲信的に自分たちの価値観が正しく、優れていると思っているけど、実際の人間には少しは疑う心があって欲しい。
けど、その考えもいろんなことを考えましょう、という教育の影響かもしれないから、なんともいえない。
多様性多様性言われる世の中になっていて、この本の思想統一とは真逆にも取れるが、脳死で多様性っていいじゃんーってならないようにしないと、結局この物語と同じな気がする。
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ネタバレ40~60年前の小説の訳者あとがきで幾度も出会い、読んでみる気になった。
中盤の終わりくらいまではかなり良かったのだが、以降徐々に怪しくなってゆき、クライマックスはハリウッド映画のようになってしまっていてがっかり。いわゆるハリウッド映画的とされるものが醸成される以前の作品であるはずだが、不思議なことだ。
本作品から見えた幻覚は『無限のリヴァイアス』、『癒しの葉』、『地獄の黙示録』。
『癒しの葉』について。エレメンタルのありようのモチーフになったのではないかと思ったり思わなかったり。
『地獄の黙示録』について。狂ってく様と、後半に覚えた「オイオイ、いーのかよそれで」なガッカリ感。
『無限のリヴァイアス』は全般的にオマージュを捧げてるように思われる。特に、結末において相葉兄が投降を訴えかけたさまは本作品の結末を意識したものと覚えるが、ひときわ輝いて見える。