杉田敦のレビュー一覧
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購入動機不明。なぜか家にあった本。
本の印象としては、政治思想を1つ1つ解説する本ではなく、
決定・代表・討論・・・などテーマごとに、政治に関わる思想をメリット・デメリット・類似点などを筆者が好きに解説している感じでした。
発行が10年以上前になるため、グローバルな政治については記述が少ないです。
しかし古くからの政治思想はしっかり解説されているので「あのときの政治家はこうしたかったのか」と政治の意図が理解できるようになる本だと思いました。
個人的には政治的思想と書かれていますが、集団で物事を考え決定する基本が詰まっているように感じました。
例えば会社で「当時者不在の会議で物事を決めようとする」という行為は、今までの私だと間違っていることは理解できていましたが、
読んだことによって、「職権乱用ではないか?」「正しい論点で議論はできているのか?」「誰が責任を取るのか?」など問題点が言語化されました。
今の悩みが私↔先輩または後輩、私↔組織など他者になっていたため、このタイミングでこの本を読んだことにとても意味がありました。 -
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ネタバレはじめは読みにくいと思ったけれど、どんどん引き込まれていった。
今の日本は戦前とほぼ同じであることが察せられたし、日本人の本質はどの時代も変わっていないのかもしれないと思った。責任を取ろうとしない、曖昧さで乗り切る悪い癖があるのは、昔からなのだとわかり絶望した。軍人自身も聖戦と思い込んでしまった、なんてとても日本らしいと思う。
いくらか励まされる言葉もあった。既成事実への屈伏を拒絶しようではありませんかという呼びかけ、たとえ悪法が通ってしまっても抵抗を示すことで運用の慎重さを引き出すなど。
日頃から疑問に思っていた政治の謎が、いくつも解消されたので非常に有意義だった。
丸山氏は広島で被爆したと知り、キノコ雲を近くからその目で見てよくご無事でいらしたと思った。戦争の時代を耐えた人々が語れなくなったとき、本当に恐ろしいことが再び起こるような気がしてならない。 -
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丸山眞男は、なぜか怖い印象を持っており、手に取ることができなかった。そもそも文章が読みづらい。ただ、それは1945年頃の発表であり、その後はだんだん読みやすくなり、さらに対談形式で議論する形式を深めるなど、色々と工夫を凝らしている。そしてどうやら丸山は左派の学者と呼ばれているそうだが、実際にはそんなものに関係なく、論理を重視しており、どちらも斬っている。怖い印象は間違っていなかった。
さて、まず驚くのは、このセレクションは1945~1960年代までだが、内容として全く色褪せていないことだ。世界情勢が動き、右極化が進んでいるが、丸山の時代は冷戦時代で朝鮮戦争が起きている、そんな中なので緊張感は今よりも高いのだから、当然である
内容を細かく振れると大変なことになるので、気になった点だけをメモとして書く。
戦時における天皇主権での構造的問題、責任意識などは現在にも通じるし、そもそも普通の会社での責任感へ繋げてもよい。ここでの「現実」として考えると仕方ない、これしかないという思考停止は現在にも起きている
また政治的なリアリズム、政治的な思考についても語っている。そして理論を語る学術と現実に起きていることの考えも示している。「理想はそうだけど現実はそうではない」という思考停止であり、政治とは起きうる可能性のうち、何の可能性を伸ばすのか、とめておくのか。その選択である、という。
その例としてソ連、中国の日本攻撃に備えての軍備論がとりあげられる。そもそもこれらの国が日本侵攻するのか。そのあとの展開を考えて本当に侵攻するのか。現実として、あり得ない悲観論をもとに「心細い」理由での軍備論を政治的リアリズムではないとしている。(ここでは右派を例にしたが、その後の文章では左派の例がでる)
また政治と政局の違い。政局の安定は政治の安定ではない。報道も政局の報道に偏っており、政治部を政局部に変更してはどうかと辛らつである。
大衆が誤った選択をしてしまうこと、それについては錯誤、混乱を認めながら政治的判断をする習熟度をあげていく、民主主義はプロセスであり、それが条件なのだとも語っている。二項分類しない、多数決についても全員一致ではなく、少数意見がでてくることと、その意見を尊重することが重要であるとも。これはミルの自由論にも類似した内容があった。考え方が違う。逆に全員一致の危険性を指摘する -
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792
政治の向き合い方へのスタンスって学校で習えないけど重要なことだと思った。社会で生きていくために大事なことはほとんど学校で教えてくれないことだけどね基本。化粧の仕方とか人との付き合い方とかもそうだけど。政治っていうのは社会の最大公約数の妥協点を探ることで個人の理想を追求するものではないという事が書いてあった。政治というものにはある種の押し付けがましさ不愉快さが付きまとうもの。過度の期待は政治への絶望に繋がり、政治そのものへの興味を失うから気をつけた方がいいらしい。
杉田 敦(すぎた あつし、1959年4月30日 - )は日本の政治学者。 法政大学教授。 専攻は、政治理論、政治思想史。 群馬県伊勢崎市生まれ、東京育ち。 みんなで決めよう「原発」国民投票の代表を務める。 [略歴] 筑波大学附属駒場中学校・高等学校卒業 1982年 東京大学法学部卒業 1982年 東京大学法学部助手 1986年 新潟大学法学部助教授 1993年 法政大学法学部政治学科助教授 1996年 法政大学法学部政治学科教授 2003年 - 2007年 放送大学教養学部客員教授 [関係者] 制度的な指導教官は福田歓一。 1期上の兄弟子に川崎修がいる。
まして政治は、みなのことについて決める営みです。複数の人びとの間の集合的な決 定にかかわるわけで、そのために、政治は個人的な決定とは別の水準の理不尽さをもた らすものとして、私たちに意識されることが多い。複数による決定ですから、自分の意 のままにはいかないことも少なくないのです。全体を称する多数派の都合のために、 分が損をすることだってある。だからといっていつも従わなければ、決定すること自体 が無意味になってしまいます。この世に自分一人だけで暮らしているわけではないです から、集合的な決定は避けられるものではありません。納得はいかないけれども受け容 れないわけにもいかない。このあたりから、政治というものにはある種の不愉快さ、押 しつけがましさがつきまとうことにもなるわけです。
一般的にいって、政治に過度に期待することはあまりいいことで はありません。過度な期待は絶望と紙一重です。期待が裏切られる と、政治そのものへの絶望につながります。そして、政治などなく てもいいのではないかという話になってしまう。 ただし、政治との問に距離をとるべきだといっても、それは、政 治をなくせばいいという話とは違います。逆説的ですが、政治を活 かすためにこそ、政治に距離をとるべきなのです。政治に距離をと ることで、政治は活きるのです。政治的思考にとって大切なことを 以下にまとめてみましょう。 第一に、政治はさまざまな価値観にかかわるものであり、多様な 価値観の間の調整こそが政治だということを理解する必要がありま す。
よくいわれることですが、ユーモアとは自分に対して距離を置く ことができるような態度と関係しています。深刻な問題であって も、少し距離を置いてみれば、たかだかこの程度の問題だというこ とで、気持ちが少し軽くなる。それがユーモアでしょう。そう考え てみると、実は政治や外交にはユーモアが必要なのかもしれませ ん
政治は、利害関係を異にする生身の人間たちの対立を前提とし て、調整する作業をしなくてはならない。これは簡単な話ではあり ません。自然を相手にしているわけではないですから、すっきりし た結論が出ないのも当然です。政治は複雑な活動です。 -
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憲法学、政治学、歴史学と3つの視点から今を読み解く。あまりにも刺激的で、新書をこんなに真剣に読み込んだのは本当に久しぶりである。
地に足がついた議論。
日本は防衛費増税だの、敵基地攻撃能力の保持だの様々な論点がいきなり飛び出してきた。きっちり議論も分析も、歴史に学ぶこともない、とてもふわふわした捉えどころのない首相、政府の見解に、どうしようもない不安と怒りを感じているけれど、こうやって、ひとつひとつ立ち止まって考えたい。
戦争は始まってしまったらすぐには終わらないのだ。たくさんの人の生活、命が左右されるのだ。そのことにもっと冷静に想像力を働かせたい。 -
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まず著者群の面子を見て、少なくとも既知の名前において、それぞれの発信することばを追いかけている人が多いことを確認。演繹的に、その他の著者についても、かけ離れた立場にはないであろうと判断。あわよくば、今後の人生指針になり得る存在と出会えることも期待。前置き長いけど、そんな考えの下、発売前から気にかけていた本書。日本学術会議任命拒否問題についても、どこかでちゃんと読まなきゃと思っていたけど、その欲求も本書で満たされた。中曽根時代から綿々と受け継がれて今に至るってのも、何とも根深くて嫌な感じ。そのあたりまで遡って、ちゃんと勉強しなきゃ。あとは、己でさえままならない自由の取り扱いを、更に次世代に伝えることの困難も、改めて実感。自分も不断の努力を続けることにしか、それに対する答えはないですわな。
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学問の自由は私たちの生活とも関係している。学問をすることが自由なのもあるが、学問はそれ自体国の権力から自由で独立したものでなくては、また再び、戦争に使われる可能性がある。過去の過ちを繰り返さないという学者の決意から生まれた学術会議の経緯を知っていれば、今回の件は学者集団にとって、赤信号であるとともに、私たちの身にも危険が近づいていることを示している。
さまざまな学会から声明が出され、報道を賑わせたが、最近また忘れられそうになっている気がしてならない。しかし、このことは決して忘れてはならない。
個人的には内田樹さんの部分が、自分が薄々感じていたことをはっきりと明文化して提示されたようで戦慄が走った。 -
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丸山眞男セレクション (平凡社ライブラリー ま 18-1)
(和書)2012年09月27日 12:28
丸山 眞男 平凡社 2010年4月10日
数ヶ月前に、柄谷行人さんの講演を聴きに行った。その時、丸山真男さんの話題が出た。デモについてでしたがなかなか面白い話だった。そして最近、片山杜秀さんの本を読んでいて又、丸山真男さんの話題が出た。柄谷行人や浅田彰以上の影響力を持った知識人だという話でした。
そうか今まで一冊しか読んでいない。佐藤優さんのお勧めで読んだ一冊きりだ。そしてあまり意味が分からなかったときた。それで入門編を兼ねてこの本を手に取った。そしたらなかなか面白いではないか!苅部正さんが嵌るのもわかるわかると言う感じになった。
なかなか面白く今、丸山真男を読むのは意義深いことだと感じる。 -
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「超国家主義の論理と心理」をはじめとした彼の代表的な文章をうまくまとめてあります。丸山眞男を持ち歩くのにとても良い本。
安保闘争を知っている世代はまさに体験として彼を知っているのだろうが、私は彼を原体験として知っているわけではなく、大学の授業で習ってはじめて知った。
しかし、昨今の日本の政治家の発言を聞いていると、氏が示した戦前の日本戦争に突入していった特殊性が根本では解消できていないことに気づく。
例えば、国家、国体を区別できない政治家。また、国家を「形式的秩序」としてとらえられない政治家。だからこそ「教育勅語はいいところもあった」などというのだろう。そういった、一級品の戦前の日本の課題の分析を読み解くことで、「超国家主義」の彼の指摘は、単なる過ぎ去った「昔の日本」への指摘ではなく、むしろ今日にその課題が残り、解消されず、再生産されているという我々の危機を知ることができる。
是非はあるかもしれないが、戦前、戦中、戦後にわたる彼の分析力と明快な文章は一度読んでみたほうがいいと思う。 -
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丸山真男の著作(講演も含む)集。
政治的な「思惟方法」について、その在るべき姿が模索される。
日本の伝統的な思惟方法の問題点として、際限のない「無責任」(これは、日本において、中核・機軸となる思想が欠落していること、自由な主体的意識が生まれていないことに一因を帰する)や、「現状追認」(「現実」という言葉が「既成事実」と同義に用いられ、現状の盲目的受容がなされてきた日本の政治にありがちな風景)といった点が、様々な著作において、微妙に形を変えながら指摘される。
講演録である『政治的判断』では
・政治的な責任というものは徹頭徹尾結果責任である
・政治から逃避する人間が多いほど、専制政治を容易にする
・選挙とは、いわば「悪さ加減の選択」であって、ベストを選択するプロセスではない
・「政局」とは「政界」と同義であり、「政局不安定」だからといって「政治的に(あるいは国民生活が)不安定」ということには必ずしもならない
などとして、政治的な思惟方法の理想形を、具体的に提示する。
日本政治の腐敗や政治的無関心等が日々問題視されるが、根本的解決の兆しはうかがわれない。
そうした問題を考察していくに当たり、本書から得られるものは大きいといえよう。 -
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「日本軍国主義に終止符が打たれた八・一五の日はまた同時に、超国家主義の全体系の基盤たる国体がその絶対性を喪失し今や始めて自由なる主体となった日本国民にその運命を委ねた日でもあったのである。」(丸山[1946=2010:80])
丸山眞男は戦後すぐに記した『超国家主義の論理と心理』の末尾を以下の一文で締めくくる。その3年後に記された『軍国支配者の精神形態』の末尾はこうだ。
「これは昔々ある国に起こったお伽噺ではない。」(丸山[1949=2010:184])
以後この調子が続く。ここに丸山の失望を読むことは簡単だ。が、もし失望してしまったのであれば、トゥホルスキーのように口をつぐみ、唖者として暮らしたであろう。そうならなかった丸山は何を期待し、何を実践したのだろうか。『超国家主義の論理と心理』で丸山は次のように言う。
「「新しき時代の開幕はつねに既存の現実事態が如何なるものであったかについての意識を闘い取ることの裡に存する」(ラッサール)のであり、この努力を怠っては国民精神の真の変革はついに行われぬであろう。」(丸山[1946=2010:59])
二度あることは三度ある。では、同じことを繰り返さないためにはどうすればよいか、どうすべきか。それは、徹底的に「認識すること」あるいは「対象化すること」である。この姿勢を丸山は生涯貫き通した。であるがゆえに、丸山は日本人の思考の癖を極めて的確に認識し得た。では、われわれ日本人はどうか。そうではないだろう。ここに丸山を読む意義がある、と私は思う。
『「現実」主義の陥穽』にて、丸山は、我々日本人がこれこそまさに「現実」だ、と考えるその「現実」とは何か、ということを考察し、その落し穴を明らかにする。はじめに、丸山は「現実の所与性」を挙げる。現実とは本来一面において与えられたものであると同時に、他面で日々造られるものであるにも関わらず、日本人は前者のみに着目してしまうこと、それが「現実の所与性」が意味することだ。2点目に、「現実の一次元性」を挙げる。これは、現実の一つの側面だけが強調される、ということだ。たとえば、6割の日本人が、憲法改正に賛成しており、残りが反対していたとしても、後者を無視し、憲法改正が「現実的」である、と考えがちである、ということだ。丸山は以上2点より、次のように言う。「その時々の支配権力が選択する方向が、すぐれて「現実的」と考えられ、これに対する反対派の選択する方向は容易に「観念的」「非現実的」というレッテルを貼られがちだということです」と。
以上より、丸山は国民が公平な判断を下すために、つまり現実を認識するために、以下3つの条件が充たされている必要がある、と言う。
1.通信・報道のソースが片よらないこと
2.異なった意見が国民の前に公平に紹介されること
3.以上の条件の成立を阻む、もしくは阻むおそれのある法令が存在しないこと
さて、衆議院を通過した「特定秘密保護法案」であるが、これはどうみても、3に該当するだろう。何をもって「秘密」とするのか、それが明確に規定されていないため、たとえば、TPP問題、たとえば、原発問題等に関して、重要な情報が「秘密」として指定された場合、どうなるかは、火を見るより明らかであろう。政府から与えられた「現実」を受け入れることが「民主主義」であるという構図を知らない「現実主義的」主権者にはなりたくないですね。