杉田敦のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
[ 内容 ]
民主主義、民主的な政治とは何か。
現代社会の基本的な価値理念であるデモクラシーが重要であることは間違いない。
しかし、それを共有している社会において、いろいろな意見の対立や争点が生まれてくるのはなぜなのか。
物事を「民主的」に決めるとは、どういうことか。
古くて新しいこの難問について、対話形式を用いて考える試み。
[ 目次 ]
第1章 制度とデモクラシー
第2章 安定性とデモクラシー
第3章 国民とデモクラシー
第4章 公共性とデモクラシー
第5章 代表とデモクラシー
第6章 討論とデモクラシー
第7章 憲法とデモクラシー
第8章 重層性とデモクラシー
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
日本の極端国家主義の特徴は、精神的な権威と政治的な権威が分かれていないこと。この極端国家主義が、国民を永きにわたって苦しめ、戦争に駆り立てたのだ。教育勅語で国家が倫理を押し付けるなんてけしからん。国家は宗教や信仰、思想に中立であるべきだ。▼慎ましやかでないし、むき出しの権力でもない。偉そうなのに小物。それが日本的な政治。東条英機などがその例だ。
※過度な一般化。歴史上の短期間の現象や特定の政治家の特徴を強調しすぎており、複雑な全体を一面的に切り取っている。
※日本特殊論。ここが変だよ日本人。日本人はこれこれの特徴をもつと指摘するのは喝采され、外国人がこれこれの特徴をもつと指摘すると「差別」「偏見」になる。
※反体制バイアス。
現実主義けしからん。「国際情勢など、現実を見れば、再軍備が必要だ」はだめ。再軍備反対。現実は所与であると同時に、日々造られていくものだ。「現実だから仕方ない」がファシズムに対する抵抗力をなくさせた。
※「現実主義」が何を指すのか不明瞭。「現実主義」は、国際政治学の「リアリズム」のことではないらしい。
憲法9条擁護。「国際情勢がきな臭くなったから改正」はダメ。制定された当時から米ソ対立は予見できていたはず。にもかかわらず、非武装国家を選んだことにこそ、画期的な意味があった。p.264
※平和主義の理想を誤って追求することがかえって戦争を引き寄せる。
各世帯にピストルを1つづつ配給すれば、権力や暴力にたいして自分の自然権を行使する心構えが根付く。これで「自衛権のない国民は何もできない」という再軍備派の言葉の魔術も効かなくなる。p.393
※外国のプロ軍隊に、素人市民がピストルでは応戦できない。国家は国民の生命・財産を守ることを約束したのなら、軍事力の放棄(第9条)は国家の責任放棄であり、社会契約に違反する。
現行憲法によって保障されている権利の実感を失いたくないという保守感覚、これをもう少し政治的に昇華して、組織化する方向に努力すれば、もっと広汎な大衆を動員できるのではないか。p.378
※現行憲法9条によって国民の生命・財産が危険に晒されており、これを変えなければいけないという変革感覚、これをもう少し政治的に昇華して、組織化する方向に努力すれば、もっと広汎な大衆を動員できるのではないか。
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人間社会は制度や合理性だけで成立するのではなく、人々が共有する意味=幻想によって成り立つ。国家や宗教、民族は客観的実体ではなく、共同で信じられることで現実的な力を持つ。自己幻想は自我の意識、対幻想は恋愛や親子関係などの一対一の親密な関係、共同幻想は国家や宗教のような集団的な共有意識。共同幻想は突発的に生じるのではなく、対幻想のような親密関係の感覚が拡張されることで形成される。吉本隆明『共同幻想論』1968
*国家と民族の混同。国家と祖国の混同。祖国愛=国家愛? -
Posted by ブクログ
明治期における運用の時代に構築されていった政治制度。読んでいてもピンとこないのは政治について疎いからではと思い手にとった。
本書は政治というより政治に対しての姿勢を論じている。政治は万人にとっての正しさを追究するものでなく、少しでも納得いく形で何かの決定をするためのインフラ。価値観の多様化や決定が及ぼす領域の拡大により、決定することがより難しくなっている。その難しさを外部のせいとしている単純化した風潮が見られるが、まずは自分を含めた内部に目を向けるべきではという主張。
平易な言葉で現代政治に対する問題意識を絡めながら論が展開されているのは良かったが、政治制度の歴史的成り立ちをもう少し記載してくれればより勉強になっだと思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ〈2者が討論していくディベート形式〉
多数決で行くべきかどうかを、多数決で決めても良いものかどうか。p10
決め方をどう決めるか。p16
多数派が横暴に振る舞うようになると。19世紀にトクヴィルやJ•S•ミルが憂慮したような「多数者の専制」という事態になりかねない。つまり、ある一団の人々が常に自分たちの意見を押し通し、少数派の権利をないがしろにする状態に。p26
【欠乏と過剰】
僕が危惧しているのは、民意が無視される状態、つまり民意の政治への反映がゼロの状態だ。一方、君が憂慮しているのは、民意が暴走している状態、つまり民意が無限大の状態だからね。p34
デモクラシーというものは、本来、古代ギリシャのポリスのような数万人か、せいぜい数十万人くらいの規模の政治社会を前提にしていたものだ。つまり、全員参加の会合を行えるくらいの単位を前提としていた。人々が集まって、政治的な問題について直接に議論し決定することができるというのがデモクラシーの原型だ。ところが現在国民国家を形成しているとされる国民集団は、数百万人規模なら例外的に小さいほうで、数千万人から億単位の規模だ。こんな規模で、デモクラシーができるのか、というのは当然疑問視とすることができるだろう。p94
→苦肉の策としての代表という制度。民意を本当に代弁できているにか?
民意はもともとあるものではなく、選択肢を示すことによって形成される。二大政党制のような、単純化された選択構造を求めることとも結びつきやすい。PとQのような2つの選択肢しか示さなければ、人々は、自分がPに近いかQに近いかを考え、どちらかにくっつく民意が形成される。p105
誰か天才的な人物の直観が政治についての最終的な真理を発見できるという、エリート主義的な考え方とは異なり、デモクラシーは人々の多様な意見に期待するもの。p190