杉田敦のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
丸山眞男は世間では「左翼知識人」という位置づけなのだろうか?しかし彼はマルクス主義では全然ない。ただ、兵士として原爆投下の日に広島にいたらしく、平和主義を主張していることは確かだ。
周到で学問的な冷静さにあふれた丸山眞男の鋭い分析を、せめて昨今の頭の悪い右翼連中に論駁してもらいたいものだ。
「政治的判断」の中では、「(戦後の)現状はケシカランから(戦前に近い形に戻そうと)改める」というのが現在の保守政党で、「何々を守ろう」と言っているのが革新政党である。という、パラドキシカルな状況を指摘している(377ページ)。
なるほど、日本で言われる「保守性」とは、現在ではなく過去の方向を向いているのに間 -
Posted by ブクログ
p.132(軍国支配者の精神形態)
東京裁判で巨細に照し出された、太平洋戦争勃発に至る政治的動向は、開戦の決断がいかに合理的な理解を超えた状況に於て下されたかということをまざまざと示している。むしろ逆にミュンヘン協定のことも強制収容所のことも知らないという驚くべく国際知識に変えた権力者らによって「人間たまには清水の舞台から眼をつぶって飛び下りる事も必要だ」という東条の言葉に端的に現われているようなデスペレートな心境の下に決行されたものであった。
p.154(同上)
千差万別の自己弁解をえり分けていくとそこに二つの大きな論理的鉱脈に行きつくのである。それは何かといえば、一つは、既成事実への屈服 -
Posted by ブクログ
従来の議論においては、憲法というものは特別な地位を与えられていたように思われる。
護憲派については、憲法が成立するまでの闘いや、憲法の規定の素晴らしさ等を強調し、それを根拠に護憲を訴えていたし、
一方、改憲派については、特別な地位を与えていたからこそ、自分たちで決めなおそう、という主張になる。
しかし、長谷部の理解によれば、憲法にはそのようなロマンチシズムなどはなく、単に「調整問題の解」にすぎない、ということになる。
調整問題とは、大勢の人が、みんなと同じ行動をしたいと思っているときに、多くの選択肢があるときに発生する問題である。
例えば、車を走らせるのに、右を走るべきなのか、左を走る -
Posted by ブクログ
政治的な問題に関して、「国家」や「官僚」などを自分の外部にあるものとして捉え批判することをしがちだが、実際にそれを選んでいる、又は支えているのは我々であり、それを意識から除外することの危険性を学んだ。政治を変えるにはまずは自分が変わる必要がある、ということが主張されていた。
また日本の政党政治がうまく機能していない点は感じていたが、それは明確な対立軸がないこと、また経済衰退下で与党は負担配分が不可避だが、それにより与党批判が激しくなり、それは政権が変わっても変わらないこと、などが原因であると説明されており、腑に落ちた。
そして社会がない状態を考えることの困難さに興味を持った。社会契約説では契約 -
-
-
Posted by ブクログ
丸山真男の代表的な論考14遍である。
超国家主義の論理と心理
軍国支配者の精神形態
福沢諭吉の哲学
戦争責任論の盲点
日本の思想 等々
かつて文庫本や新書等で何度かトライしたが、その都度よくわからずそのままになっていたものが多い。その他初めての論文も含めて通読するなかで、丸山真男に対して今回はかなり理解が進み納得感があった。
先の大戦・15年戦争の総括を真剣かつ誠実に行なった政治学者という印象を新たにした。戦争責任の問題や軍部の無責任体制の解明など、日本の海外思潮受容の歴史特性まで遡って統治体制を政治思想や組織構造面から分析する思考の深さと明解さは秀逸なものを感じる。天皇の戦争責任の指摘 -
Posted by ブクログ
ネタバレ今から3年前2019年、当時の首相による日本学術会議の会員任命拒否問題は、政府による自由・学術・教育に対する介入であると大変な危機感をつのらせることになった出来事でしたが、自分の周りでこの件について同じようなことを考えていたり意見を交換したりということがあったのは、小学校教員である友人ただ一人との間でした。
そこにあるものの不穏さを感じ取った人が自分の周りにはあまりにも少なかった、と思います。
それから現在までを振り返ってみるとたった3年の間に自由というものがとても堅苦しく緊張の伴うものになってしまっており今なお進行形であると感じます。
気づいたら周りから固められてて自分は奇特な意見を述べる -
Posted by ブクログ
一部ネットで嫌われてそうな論客たちからのメッセージ集。みなさん、日本から少しずつ自由が奪われていると危惧している。
ある一面の行動・発言が切り取られて批判されることが多い方々だが、その考えに直に触れると、国の在り方や自由について真剣に考えているのが分かる。
例えば表現の不自由展に携わった津田大介氏。近年、アートの世界では政権の意向に沿った展示しかできなくなってきたと言う。意向に反せば、補助金が下りないなど不自由を強いられるそうだ。
詳しく知らないが、おそらく、この展示は慰安婦像などを展示するのが目的ではなく、賛否両論のものを公の場で示すこと自体が目的だったのではないか。こうした国の動きに対 -
Posted by ブクログ
政治哲学の本。
10年くらい前に刊行されているが、今読んでも古びていない。
誰が、いつ、政治的な決断をするのか。
誰かが誰かを代表するとはどういうことか、可能なのか。
権力の源泉は。そして自由とは権力をなくすことか。
アトランダムに書き出したが、こんな原理的な問題が検討されていく。
いま、ここにある問題を外部化するのは危険なことだという話が印象的だ。
政治家のせい、官僚のせい、外国のせいとすれば、気持ちは楽になるが、問題は解決しない。
自分(たち)の中の、変化を嫌う何かを見極めなければならない、というのだ。
その通り、とも思うが、難しいだろうな、とも思う。 -
-
Posted by ブクログ
断っておきたいが、本書を全面的にレビューはしない。例えば「超国家主義の論理と心理」を取り上げてしまったら、それこそ五千字以上の論文にならないといけないと個人的には思うからである。
先日5月3日の3年ぶりのリアル憲法集会に於いて本書の『「現実」主義の陥穽』(1952「世界」5月号)を話題にしていた。久しぶりに再読したくなった。今年はサンフランシスコ体制(安保体制)70年。正に70年前、丸山眞男は(軍隊の復活に反対している丸山に対して)「現実的でない」という言葉をよく使われたらしい。
現在日本の閣僚のほとんどが参加している日本会議が、「ウクライナは現実を突きつけた」と言っているらしい。
丸山眞 -
-
-