宮城谷昌光のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ読む前はちょっと腰が引けていました。
宮城谷昌光だからなー。
史実に基づいたエピソードが、多少時系列を前後させながら淡々と書かれているんだろうなー。
難しくなきゃいいけれど、ま、三国志だし、なんとかなるか。
いや、もう、面白かったのなんのって、久しぶりに手を引っ張られる勢いで物語世界に引きずり込まれました。
普通の三国志は、人心がすさみ食べる物にも事欠くような世の中で黄巾の乱が起こり、それを憂いた劉備と関羽と張飛が桃の木の下で兄弟の契りを結ぶところから始まるのですが、この本は違う。
「四知」から始まります。
「四知」とは「天知る。知知る、我知る、子(なんじ)知る」のことで、誰にもバレないだろうと思っても、悪事は露呈しないわけがないという意味です。
この言葉を言った楊震(ようしん)は、後漢時代の儒者であり、請われて重臣となった人です。
その清廉潔白の人が、陥れられ死なねばならなかったのが、後漢という時代。
三国志と言いながら、物語はここから始まります。
まるで、幕末を描こうと思って関ヶ原から始まった、みなもと太郎の「風雲児たち」みたいじゃありませんか。
少し前の時代から始まることによって、時代の背景が明確になり、何年とか誰がとかの個別のことはさておき、流れがつかめるようになります。
どういうわけか短命な帝が続いた後漢時代。(後半は毒殺じゃね?って思っているんですが、どうでしょう)
帝が若くして亡くなるということは、皇太子が幼いということ。
皇太子が幼いということは、後見人が力をもつということ。
というわけで、帝の未亡人である皇太后と、その血族が力を持つ時代が続きます。
善政を布くならそれで構わないのですが、そういう人ばかりではありません。
自分達の好き勝手にふるまうことに歯止めが効かなくなる人が多いわけです。
降ってわいた権力ですからね。
そして、王朝が堕落すると、官僚も堕落します。
自分たちだって好き勝手やっていいだろうと。
もちろんたまには正しいことを言ったりやったりする人もいますが、そういう人はたいてい目の上のたん瘤扱いされて、最終的には追放されるか命を奪われます。
ローマ帝国の末期みたいですね。
そんな時、帝に子どもが生まれます。
しかし生みの母は殺され、父に愛されることもなく、見かねた皇太后が手元に置き慈しんで育てたのが後の順帝です。
いつ何時命を狙われるかわからない立場の皇太子ですが、大仰に警護すると却って敵を刺激することを畏れた皇太后は、幼い宦官たちで順帝の周りをガードします。
なので、一度皇太子の座を追われた彼に帝の座を持ってきてくれた宦官たちを、順帝はとても信頼しています。
しかしそれが、官僚対宦官、外戚対宦官の火種にもなってしまいます。
いや、順帝の時代なんて、ほんのちょっぴりしか書かれてないんです。
ほとんどは彼の父親安帝のころか、その前。
で、順帝の死後の後継者争いでこの巻は幕を閉じます。
固有名詞は難しいので、なんとなくで判断。
時代は後漢の中盤なので、福岡県の志賀島で発見された金印のちょっと後の時代。卑弥呼より結構前。
くらいの知識でも十分読み進めることができます。(よいこはもう少し勉強してね)
書き忘れましたが、順帝が幼い頃から身近にいた宦官の一人が、曹操のおじいちゃんです。
一般的な三国志ではあまり評判のよくない曹操ですが、私は曹操一押しなので、今後がめっちゃ楽しみです。
よく考えたら、三国志って三国ができる前の話がメインなんですよね。
なら、このアプローチもありだな。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ武霊君が亡くなったのちに、趙での仕官のみちながなくなり魏にて法家について学ぶ。孔子の言葉、学問をするものは童心のような純粋さをもって師に学ばなければその深奥に触れることができない、という言がよかった。
また法家を学んでいる際の修めるべきところを修め、棄てるべきところを捨てていると評されたことも上に立つ者の学び方だと感じた。
楽毅が魏の使者として、燕に向かう途中で趙の奉陽君に面会した際、奉陽君が楽毅の器を見抜けなかったことも興味深い。この時代魏から、燕は1000里の距離があるが、孟嘗君や魏王の臣下にそのような使いができないものがいないはずがなく、それでも楽毅が任命されている背景に思いを至らせれば、楽毅の器の大きさを見ることができた。
白起と司馬錯が2人で1年の間に61城を落とした話が興味深い。小さな城を落とすのにも100日はかかるというのが常識の時代にこれができるというのは、非常に驚いた。
一つ考えられるのは、白起はこの前に24万の首印をとっている。周辺の諸侯には恐怖の象徴になっていたのかもしれない。
そこで情報をうまく使えば、相手が自ら降るようにもっていけるのかもしれない。
これは勝利の使い方がうまいのかと思う。ここはすべて空想だが。
覚えておきたいという言葉もう一つ、燕王が昭王から息子の嗣王へと変わった際に燕を追われ、楽毅がいなくなったとたんに燕軍は総崩れとなったため、戻ってきてくれとなった際の文に返した文の一文『昔の君子は交際が絶えても悪口を言わず、忠臣は国を去っても己の潔白を唱えないものです』 -
Posted by ブクログ
ネタバレいよいよ中山が国として危うくなってきている。王に才覚がないので、楽毅への暗殺が画策されるなどし、楽毅自身は、中山への愛着が薄くなっていく。
昔陽の守城戦の準備では、寝ていてもどこが危ういなど気づきがあれば、それをすぐさま対応し、戦いに備える姿など重要だと感じた。
また、『雲従龍、風従虎』という易経の言葉が学びがあった。”相似た性質を持った者どうしが互いに求め合う。 りっぱな君主のもとにはすぐれた臣下が現れるということのたとえ。”らしい。
有名な”先ず隗より始めよ”のシーンの背景が描かれており、勉強になる。
そこまで優秀ではない隗を厚遇することで、それよりも優秀な臣下が仕えに来るという助言である。これを郭隗、自分自身が言ったことが面白い。また、これが原因となったかどうかはわからないが、実際に楽毅など有望な臣下が集まってきたのも面白い。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ晏子の4巻を通じて登場する崔杼が没落するところに関する晏纓の論が興味深かった。荘公への憎しみが深いほど手厚く葬り、自身の幻影を見せれば、死ぬことはなかっただろう、ということである。それだけ荘公への憎しみが深かったということであれば、そのために崔杼は死んだということだ。ここに、学びがあった。強い憎しみだけで行動してはいけない。
季札から晏纓への助言も興味深い。危ういバランスをとっている閣内において、職位を返上し距離をとることで、政争に巻き込まれないようにアドバイスしている。これは非常に重要なことだと感じた。正道のない嵐が巻き起こっているときは、距離を置くのが吉と出る。
あとは、和と同の話か。
話は例えるならスープ。火と水が合わさって、美味しいスープができて飲むことができる。同は水と水、合わさっても生み出されるものはない。王が言うことを察して、答えるだけでは、同であり諫めたりさらに深めたりすることが和であると理解した。
自分が人を用いる立場にあっても同ではなく、和を大事にするようにしたい。 -
Posted by ブクログ
正史やそれに類する史書によれば、曹操はもちろん、董卓・孫堅・公孫瓚・劉備はみな豪腕で、紛れもなく動乱期の英傑なんだなとわかります。大人になって改めて三国志に触れると、子供の頃はわからなかった群雄たちの凄さに気付く、という感じでしょうか。その気付きのきっかけを与えてくれる本だと思います。
特に劉備は、根拠地を失おうが部下を見捨てようが慕われ続けるという、群雄の中でも飛び抜けて不思議な人物です。結局皇帝として自分の国を建国するわけですから、現代だったらとんでもない存在でしょう。
逆に曹操は、官渡で勝利するまで苦境に見舞われ続けたのに、実力や人材の力で乗り切った強烈なリーダーシップの持ち主です。漢王朝に対しては節度を保ったバランス感覚もさすがだと思います。
現代で悩んでいる人に、このくらい強引に物事を進めていいんだ、と思わせるパワーが三国志にはあります。そういう面白い世界に誘ってくれる良書でした。そういった意味では「入門」なのでしょう。
あとがきも面白かったです。 -
Posted by ブクログ
介子推。
宮城谷さんの小説『重耳』を読まなければ、その名前すら知らず、興味を持たなかった。
権力欲とは別の場所にいて、そして、賢母の助力もありながら、神になった人物。
「人から何かを得ようとするのであれば、その人にまず与えなければなりません。救ってもらいたいなら、まず救ってあげることです。」
「竜は天にのぼらんと欲し、五蛇は輔をなす。竜はすでに雲にのぼり、四蛇はおのおの宇にはいるも、一蛇は独り怨み、ついに処るところをみず」
幾多の困難とその功績は史書の中には詳しく記載されてないという。
しかし、晋の文公が介子推に対する、行動が民の心を打ち続けたのだろうと感じた。
-
Posted by ブクログ
晋の文公。
春秋五覇の1人であり、斉の桓公と並び称される明君とされている。
しかし、その半生は流浪の身であり、辛苦を味わい続けた人物であった。
上巻では、文公の祖父、称が主人公。
じっと待ち、好機と見れば、それをものにする。
諡の武公に恥じない明君であると感じた。
中巻では、称が死に、晋の混乱期が現出する。
やはり、明君のあとの君主は苦労するのだろう。
王朝や、政権が安定するのは、創業者の次の代が安定するか否かであることを示してくれているのではないだろうか?
下巻は、重耳が文公となり、覇者への道を歩んだ。
下巻は、文書が軽やかで一気に読んでしまった。
古代中国史は礼節に始まり、その礼節をどう打破したかが次代への布石になっているように感じる。
筆者の細やかな歴史の記述は頭が下がるばかり。
次は介子推を読もうと思う。