円城塔のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
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もじ、もじもじ。文字どおり「文字は災いの元」、ということでもあるし、文字の渦に呑まれるようで今風に云えば文字沼にどっぷり、ということでもあるし、
全く当然のように使っている文字に不安を抱かせると云う意味では、確かに禍、テロルである。
言語学SFミステリ、とでも云いますか…言語学と云うよりはもっと本当に身近な、漢字ミステリ? なんだろガンプラ好きすぎてオリジナルのMSV作ってる、っていうのとやってることは変わらないんだけどそう云っちゃうのもなんだかなぁ(笑
読みやすい、ってー言葉はそろそろ褒め言葉にならないのかもしれないけれど、実際のところどんな内容も読みやすく書けるというのは基本的な技術としてもちろん必要でしょう。無闇に難解にしようとするのは「わかりやすいね」って云われるのが嫌であまのじゃくしてる子供と同じで、それは自分がわかっていればいいや、という閉塞に向かっていく。つまり、表現ではなくなる。
難しいことを難しく云うのは簡単で、じゃあそれをどう読ませるか。しかもそのひとの作品なら、とかじりついて読んでくれるひとにではなく、ふと手に取ったひとに読ませるのか。
そのために言葉遣いがある…んだけれど。
結局読み進めて行けば行くほど、テキストの不確かさというか不安定さというか、流動性みたいのに泡を食って、自分が遣っている自分の言葉すら危うくなっている。けれど混乱しているのではなくて。むしろ冴えざえと見渡してみて、はて自分はこの文字というものの、何をどう理解して遣い熟していたつもりであったのかと、まだ驚いたままで居る。
これぞ小説、というエンタメではないけれど、これは小説でしか出来ないだろう。
試み、というには剣呑すぎる挑戦。
まじでインベーダーゲームである。
評価…評価ねぇ… -
Posted by ブクログ
ネタバレ12短編。
「文字渦」
「緑字」
「闘字」
「梅枝」
「新字」
「微字」
「種字」
「誤字」
「天書」
「金字」
「幻字」
「かな」
ん? 中島敦「文字禍」? いや「もじうず」!?
あらかじめ、こりゃ歯が立たんだろうと感じたので、まずはネットで感想や評論を漁った。
あまり読み込まないようにしながら、短編一作ずつ分けて言及しているものを探し、evernoteにコピペ。
ざっくり感想というか所感を書いている記事、逐語的にあらすじをまとめている記事、丁寧に解説してくれている記事、と分けた。
各短編を読む前に、記事内検索を駆使して、ざっくり所感を読んだ上で、短編を読んだ後、逐語的あらすじで思い出し、しこうして丁寧解説を読み、と集合知の手助けを得ながら読んだ。
感想。面白い!(小並感)
で済ますのも自分にとってもったいないので少し感想を書くが、そういう本の読み方(コピペとか検索とか)も包括するような内容が、まさに書かれていると感じた。
文字の戦い、漢字とかなの領地を巡る戦争とか。……神経系が人間の寄生生物だという発想があるが、文字も人間に仕えるふりをして人間を侵略している。縦軸。
縦軸から限りなく横軸に近い、ここ数十年の話題として、(木簡→)紙→フレキシブルディスプレイ=帋。
そのタイミングに草書→行書→楷書といった書体の変遷、UnicodeやテキストデータやIMEや、文字と情報のかかわりがゴタゴタして、そのへん理系の人なら判るんだろうなと憧れてしまう。
わかることと、わからないところと。
先行作品としては、「プロローグ」「エピローグ」ともつながっている。はず。どうつながっているかはわからん。
しかし円城塔のサービス精神、パロディ精神、笑ってねというメッセージはじゅうぶんに受け止めた。 -
Posted by ブクログ
SNS上の知人が好きな作家、ということでこの人を知り、どうやら「シュールな」系の作風らしいと興味を持ち、読んでみることにした。
フランツ・カフカを嚆矢とする「シュール」文学は、日本ではまずは安部公房だが、安部公房の初期の作品はやたらに饒舌でドタバタで、奇想の背後には、現代音楽の作曲家で言うと三善晃さん辺りに近いような「熱い魂」が持続していた。
その点では、円城塔氏の文章はもっとクールで情動をあまり前面に出さないことからカフカに近い感触だ。どことなくボルヘスのような寓話的な雰囲気も感じるが、もっと「意味が無い」。
各国のホテルを転々としつつテクストを残していく多言語作家・友幸友幸や、虫取り網で着想を捕らえようとするエイブラムス氏、あるいは「何故こうしたのか意図が分からない」構成法、全体が絶対に解き明かし得ない「謎」である点など、さまざまな要素は記号として意味内容=シニフィエを欠くシニフィアンであり、この小説はさまざまなシニフィアンだけが織りなすラカン的な現代芸術である。これは現代詩の言葉が常識的な意味の体系から解き放たれて飛び立つのとおなじ態様であり、近年の現代音楽、現代美術とも同等の領域を示している。
この「無意味さ」の中でも、一応、テーマは「言語」であるらしいのだが、結局はそのテーマも無意味な遊戯であるかのようだ。
2012年に芥川賞を受賞した本作は現代芸術の一典型と思える。ただし、この無-意味なシニフィエ世界が、読んで面白く思われるかどうかは、読者次第という感じはする。特定の情動を惹起しないためにその「無味乾燥」に人は惹かれるものを感じないという場合もあろう。カールハインツ・シュトックハウゼンのある種の音楽が強い情動性を拒みつつも、そこに深い味わいを感じるような感性が、読者に要求されているのかもしれない。
併収されている「松ノ枝の記」は同様に言語をめぐって複雑化された構造を示しており、表題作と似すぎているように感じた。
どうやら円城塔さんはSF小説のジャンルにも進出しているようで、ディック賞なんかも受賞しているらしい。本書の他にどんなふうにこの作風を展開させているのか、興味を持っている。 -
Posted by ブクログ
円城塔のデビュー作。
個人的に、彼の作品を読むのは、道化師の蝶に続いて2冊目。
まず、読み進めるうちに短編集だと感じたが、更に読み進めると前に出てきた登場人物がチラホラ出て…と、章ごとに連関があるのをなんとなく察した。が、深い関係があるわけでもなく…
一言で言ってしまえば、因果律がめちゃくちゃになってしまった世界線を素直に書いているために、普通の小説の形態を取っていないのだ。
その掴めなさ、何でも有るし何でも無い感じが非常に新鮮であったし、因果律の崩壊した世界観の描写が非常に技巧的で有ると感じた。
これを読んでいた同時期に、クリストファー・ノーラン監督の『TENET』が公開されており、あれもまた時間系のSFであったが、
あちらは独我論を強く意識させるのに対し、こちらは独我論を微塵も感じない。そもそも小説とは、主人公が存在するために、独我論的前提を取らざるを得ないはずなのだが、この小説は独我論的前提がないというところが、(私に取っては)新しい小説であると考えている。
少なくとも、道化師の蝶よりは分かりやすいと思う。 -
Posted by ブクログ
アメリカの文化なりキリスト教についての知識なりがないため、ニュアンスがわからないところもありつつ、糸井重里氏の「目と心にしみる」と解説の円城塔氏の「声」の概念は読んで腑に落ちる感じがした。
読む人によって心に残るところは違うだろうが、自分は「私も生まれたばかりだ」という考え方、「これで駄目なら、どうしろって」と物事がうまくいっている時に声に出してみること、の2つ。
後者は英語のニュアンスを完全には理解できてないが、日本語でこれはこういうことだと書くのも違う気がする。
ヴォネガットの「声」によってなんとなくわかる気がしていればいいのだと思う。