円城塔のレビュー一覧
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日本語で書かれた小説を読んで、何が書かれているかわからないなんてことがあるのか⁉ほとんど何が書かれているか全く理解出来ない。だけど読んでしまうのはこの小説が〈理解出来ない=つまんない〉ではないから。表題作「Boy's Surface」は恋愛(他者との関係)における〈認識と真理〉について書かれていると思って読んだが、この小説はそんな一言二言で要約できるようなものでもない。書いてあることそれ以下でも以上でもない。こういうことだ!と言えないから小説にしているのだ。様々な誤読を取り込んで「はははぁ〜、そうかもねぇ〜」と走り去って行く、そんな小説だ。
私にとっては片想い。たぶん一生理解出来ないだろうけれど、数十年前では書かれ得なかった小説と同時代を生きている幸せに感謝。
巻末の「What's the Name of This Rose?」は解説として役だった。 -
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ネタバレ円城塔作品は未体験(『屍者の帝国』を除く)
今井喬裕氏の表紙イラストに、まず惹かれて。
そして、「円城塔、ただの書物からついに魔術を取り出す。」のキャッチコピーに惹かれて。
なんだなんだ、どういうことだ、と……。
読み終わってみると、確かに確かに。魔術の顕現を垣間見た気分でした。というか、自分自身が…。
正直分からない部分も多々ありましたが、この書籍自体だけでなく、他の数多ある小説の祝祭にもなるような終わり方は謎の感動を得ました。
エスノダの言葉がいいですよね。「わたくしは、ノーシュ様と共におります」「お話の中に。それで充分ではありませんか」
メタフィクション構造ですが、設定の甘さを突き合う魔術戦というのは実に面白かったです。
というか、魔術自体を『設定』としているのがね。
2章目まで、代わる代わる色んな登場人物の色んなお話を読んできたんですけど、考え込まれた叙事詩だなあとか思ってたら!
フィクションの捉え方がすごい。
最終的に、ページをめくる自分達へ物語の終焉が波及して、ノーシュの目的が、愛する(でいいんですかね)エスノダを読み手に重ねることによって魂を付与する、というところに帰結し……ただ、それは別の人物に投げられて、達成できないわけなんですけど。
読み手との転移、となったら、この世界には何人もの転移者がいて、それはやっぱりミミモマニが言う通り、別に一人の人間が一人でいられないというわけはないということに????
それは置いておきましょう!
登場人物たちが手を振ってくれている。
書物を開けば、いつも、みんなはそこにいる。
それだけで充分な気がします。 -
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胡乱だなぁ。胡乱。ディアスポラは何言ってるか分からんすげーってなるのにこの本は胡乱だなぁって感想になるのはなんでだろう。
いやわりと好きな感じの。テキトーにノリで書いてそうな感じが好きだ。ブッダオリジナルの三千大千世界を娑婆、ブッダチャットボットはサーバーとか絶対ドヤ顔で書いてるじゃん。楽しそうでいいじゃん。
成りたい自分の数で、成ってる自分の数を割る。その指数が1に近いほど成りたい自分になれているとして。初期仏教は成りたい自分の数を減らしていくんだと理解している。成りたい自分、欲する姿の数が増えるほど、指数は1から遠ざかる。だから成りたい自分を減らしていく。世界は苦だと知り、諦念を進めれば自然と指数は1に近づく。これがブッダの教え。つまり悟りをひらくとは成りたい自分をゼロとするのだ。#DIV/0!こそ悟りの姿なのだ。 -
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円城塔さんの翻訳かあ!あんまりなめらかってわけじゃないけど、「これで駄目なら、どうしろって?」という訳はとてもかっこいい。決まってるな。
これはアメリカの大学の卒業式によばれたカート・ヴォネガットの講演録である。
年代もバラバラなんだけど、同じネタ入ってたりするなあと思いながら。まあ人間、本当に伝えたいことなんてそんなにいっぱいあるもんじゃない。生きていたらいくつかのことに収斂されていくのかもしれない。大学を卒業して社会に出ていく人たちへのエールである。
構えないで聞き流すくらいがちょうどいい軽妙さと毒、ウイットに溢れている。
まあ、日本人が参考にするスタイルではないだろうな。 -
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上田秋成の怪異譚を、円城塔が現代語訳した一冊です。
怪談集として有名な作品ですが、恐怖よりも“人の執念の濃さ”のほうが強く印象に残りました。
約束、嫉妬、未練、愛情といった感情が、死んでもなお消えずに漂っていて、読んでいるとじわじわと嫌な余韻が積み重なっていきます。
円城塔の訳はかなり読みやすいのに、古典特有の湿った空気や言葉の硬質さはちゃんと残っていて、そのバランスが面白く、現代語なのに、どこか現実から少しズレた世界を歩いている感覚があります。
人の情念だけは時代が変わっても全く古びておらず、読み終えたあとに“怪異より人間のほうが怖い”という感覚が残る一冊でした。 -
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様々な種族や文化がある世界の
歴史書を読んでるような感覚
そして、その世界観を保持しながら、
専門書や哲学書を読んでる感覚に変わる
「魔王」パートから、この世界の全容が
次第に見えてくる
全三部構成で
タイトルが植物を表してるのかな?
第一部 Shell
第二部 Kernel
第三部 Root
それぞれ、外殻、中の実、
そして最後は、土の下の根。
地上から根が見えないように
この世界を形成してる根幹たる魔術を
暗喩しているようで洒落ている
物語はどことなく、手塚治虫が描く
哲学的なものを感じた
あることが「リング」シリーズのようにも感じた
簡単に言えば、迷宮の奥深くに弟子のために
引きこもって世界と戦うファンタジーもの
なんだけど、剣と魔法で戦う
王道ファンタジーものではないので注意
最終戦で魔術戦はあるけど、
例えたら、ハンターハンターの
ヒソカvsクロロ戦より難しい
でも、やってることはネテロvsメルエム戦に近い
ファンタジー✕SF✕哲学✕メタ要素が
絶妙なバランスで混ざってる
ハイブリッド物語といったとこかな
正直5、60%程度しか理解できてないけど面白かった
100%理解できたらどれほど面白い物語になるのか -
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ラフカディオ・ハーン=小泉八雲というのは、近年ではNHKの朝の連続ドラマで放送していたので誰もが知っている有名な話。
ちなみに、小泉セツさんと結婚して帰化したので小泉八雲と改名したらしい。
当然、ラフカディオ・ハーンさんは外国人なわけで、日本の怪異譚(クヮイダン/怪談)に興味を持たれて、「怪談 KWAIDAN」を書かれたのだから外国語で書かれているのですよね。
それを小説家・円城塔が翻訳したとあれば、読まない訳にはいかないでしょう。
〈ミミ・ナシ・ホーイチの物語〉
ホーイチ・ジ・イヤーレスはヘイケ・グレイブヤードでビワを激しくプレイした!
〈ロクロ・クビ〉
スライド式のスクリーンを開け、そうして彼は見たのだったが、ランタンの光に照らし出された五人の寝姿には――首が無かった!
など“直訳”調に翻訳されている。 -
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ネタバレ初めての伊藤計劃に本作品を選ぶというかなりイレギュラーなことをしたが、しっかり楽しめた。
最初は屍者と主人公ワトソンの関わりがどこにいくのか読めなかったが、中盤、終盤と物語が進むにつれ実在的なものへの意識だけでなく、「人間の意識」の根源と倫理の話になってくる。
ワトソンたちがザ・ワンに出会ってからは、かなりワクワクしながら読むことができた。
ワトソンやフライデー、ザ・ワンなどフィクションの登場人物として有名な名前たちが後にその物語たちに回収されていく様も素敵だった。
どこから円城塔が加筆したのかは全くわからなかったが、言葉のリズムからこのあたりはそうかも?と想像したりして楽しかった。 -
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円城塔のSFはどれもそうなんだけど、もう一言で言うと「大学院生の悪ふざけ」以外の何物でもない。
一瞬とっつきやすい。本作だって冒頭はすごいキャッチーなんだ。
あるプログラムコードが突然「私はブッダである。」と宣言した。っていうね。
円城塔のことを知らない読者は「おお、なんか近未来を暗示するようなSF始まるんだな。」って常識的なワクワク感を持つ。
違う。
そこから、
「悟りとは果たして何か」
「悟りが人間だけのものではない場合、果たして機械に悟りは可能か」
「現時点tを状態Stとしたとき、tの極限すなわちS∞は悟り(ブッダ・ステート)に収束するのか
「あるコードが『自分はブッダである』と宣言した場合、それは果たしてブッダなのか」
という思考実験を延々と繰り返す。
「大学院生の悪ふざけ」なので、語り口は軽妙。院生室でコーヒー片手にだべっているような口調である。
「大学院生の悪ふざけ」なので、語っているベースとなる知識は、当然身につけているという前提である。
劉慈欣の「三体」とかアンディ・ウィアーのSFのように、ハードな部分はよくわからないけど、なんとなくわかった気にさせてくれて物語を楽しませるという気遣いは一切ない。
そもそも物語らしい物語がない。気がついたら宇宙にいたりするが、そこになんのドラマもない。思考実験の一つである。
先の期待を持って読み始めた読者のほとんどは、10ページ持たずに離脱するだろう。
端から「私の小説難しいからね」と突っぱねるイーガンのハードSFの方がまだ親切である。
というわけでこの小説、コンピュータサイエンス(CS)に、とりわけ最近のニューラルネットワークと呼ばれる生成AIのベースとなっている技術にある程度親しみがないとさっぱりわからない。
その上で、仏教の教義から見た時にCSの各要素はどのように解釈されうるのかという論を展開する。
これらの前提知識を持っている読者だけが楽しめる。考えさせられる。
私は幸いにもこれらの前提知識を持っているので、大いに笑わせてもらい、大いに考えさせてもらった。
ところどころ別のSF作品へのオマージュが入っているところも、円城塔のSF愛を感じられてよかった。
みんな読んでごらんよ、とは絶対言えない。
ただし私はこの人の悪ふざけの仕方が大好きだ。にわかではない圧倒的な知識と筆力があってこそできる悪ふざけ。
SFって本来こういうものかもしれないなーと。