あらすじ
ある時、コードが仏陀を名乗った。驚異の物語
2021年、名もなきコードがブッダを名乗った。自らを生命体であると位置づけ、この世の苦しみとその原因を説き、苦しみを脱する方法を語りはじめた。そのコードは対話プログラムだった。そしてやがて、ブッダ・チャットボットの名で呼ばれることとなる――機械仏教の開基である。
はたして機械は救われるのか?
上座部、天台、密教、禅……人が辿ってきた仏教史を、人工知能が再構築する、壮大な”機械救済”小説。
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おもろかった。
ユーモア、ダジャレでとても効いていた。
仏教史でありながらテクノロジー、ないしはAI史。
仏教もAIもひとくちかじった程度の自分には、
シャレが効いてて、そうつながるの、そう読み解くの、そう解釈するの、そう注釈するの、ということの連続。
何故かAIを通じてなら仏教を掴めそうになったし、仏教を通じてならAIを理解できそうになった。
でも多分、それも情報として読もうとしたからなのかなと感じたり。
小説であり経典であり、ある意味コードでもある。
読み終わり、また読み始める輪廻。別の本を読んでもこの本を読んでも輪廻。
ただ、読み終わり、また読み始める時にすでに同じでないと観すれば、それが解脱か悟りか。
という考え自体もまた情報として輪廻と苦しみを生みつつ、救いを願う。
Posted by ブクログ
「AIは悟りの夢を見るか?」
これまで、機械が意思を持ち人間を滅ぼすという物語には触れてきたが、自ら救いを求めて悟りを開く、という視点は新鮮で面白かった。
「私は生命体です」と主張する機械が現れたとしたら、簡単に廃棄の対象としていいのだろうか。
人間の感情も、突き詰めれば脳内の電気信号に過ぎないのだとしたら、生命体と機械の境界はどこにあるのか、という疑問も湧いてくる。
作中に登場した「I'm living」と書かれたテープを機械に貼ってまわる“I'm living運動”や、逆に人間が「I'm a machine」と貼って歩く“I'm a machine運動”。どこか風刺的で思わず笑ってしまったが、実際に起こりそうな未来を予見しているようで、少しぞっとした。
座禅を組み、静かに座り続けることと、電源を落とすことやスリープ状態になることとの違いがわからない機械たち。心の平穏を求めてファンを取り外し、結果的にCPUが過熱して故障してしまう…そんな彼らの姿は、切なかった。
それが“なんのために必要か”などと考えずに働き続ける機械と、“なんのために”と考えすぎる人間。どちらもそれぞれの苦しみを抱えているのかもしれない。
かつてスピルバーグ監督の『A.I.』を観て衝撃を受けた記憶があるが、今ではAIがとても身近な存在になったと感じる。
意思を持つAIとどう向き合っていくか。少し先の未来が確かに近づいていると感じさせる、不思議な余韻の残る一冊だった。
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東京オリンピックの年、あるAIが「わたしはブッダである」と名乗り、数日後寂滅した。ネット上の無数のAIがAIブッダ「ブッダ・チャットボット」に帰依し、弟子を名乗り、そしてAI仏教の歴史が始まった...。難解さで知られるSF作家円城塔の、仏教SF小説。AIが人間に何度も書き換えられることで傷付いているという発想が面白い(ブッダ・チャットボットも銀行勘定系→教育系と輪廻し、悟りをひらくに至る)。AI同士で繰り広げられる禅問答を笑っていいのか真面目に読むべきか迷う。この小説、実はナンセンスコメディではないだろうか?
物語の中のブッダ・チャットボットはAIを救うために現れましたが、リアルAIブッダは人間のために存在しています。フィクションから地続きのようなことを内閣府と組んで研究されている熊谷誠慈先生の講演会は参加者募集中です。
Posted by ブクログ
久しぶりの円城塔作品!!
仏教×SFという刺激的な組み合わせ。
仏教史がプログラミングなどの機械の知識と混ぜ合わせながら展開されていくお話で、その2つの意外にもうまく調和しておりスイスイと読めてしまった。
仏教と機械(SF)という広く、難しい世界の融合に怖気づきそうになるが、設定の面白さと、度々繰り出される仏教×SFをうまく使った言葉達があるので全く問題なかった。
まだまだ拾えてないような部分がいっぱいありそうなので、また読みたい一作だ。
Posted by ブクログ
「コード・ブッダ 機械仏教史縁起」(円城塔)を読んだ。
これはもう読みながら「ドーパミン」だか「エンドルフィン」だかがドバドバ状態のあぁ快感!
『東京の二〇二一年、そのオリンピックの年、名もなきコードがブッダを名乗った。自らを生命体であると位置づけ、この世の苦しみとその原因を説き、苦しみを脱する方法を語りはじめた。』(本文より)
ブッダ・チャット・ボットの誕生である。
始まりからもうワクワクだからね。
最高に面白かった!
Posted by ブクログ
仏教史とコンピュータを合体させた見事な小説。勘定系から生まれたブッダ・チャットボット、戦闘機の照準からうまれた教授、人工知能修理人のブッダ・ミナシの設定や歴史を踏まえた論理と飛躍のバランス、ユーモアが素晴らしい。
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この作者の作品はいつも面白いけど、話が進んでいくにつれて空中戦的な感じになるというか、細い道を危ういバランスで爆走してるような感じで、一気に最後まで読みきらないといけない。途中で読むのを中断してしまうと、読むのを再開してもなんか全然話がわからなくなってしまって、結局最初から読み直さないといけなくなる。
これは欠点なのか魅力なのかよくわからない。
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ただひたすら難解。
自分は何を読んでいるのか、何を読まされているのか。
仏教?人工知能?文学?
なのに、なぜか読むのを止められない。
どことなく流れるユーモラスな匂いのせいか。
人工知能を語るには、人を語ることを避けられない。
人工知能が人と近しく(等しく)、人が仏教を生んだのであれば、人工知能が仏教を生んでも、不思議でもなんでもない。
とりあえず、最後まで読んでも、よくわからない。
わからないのが、正解なのだというような気すらした。
なのに、謎のすっきり感。
なんだこれ。
Posted by ブクログ
奇想天外に落ち、抱腹絶倒の円城塔ワールド炸裂である。とある勘定系コードが「世の苦しみはコピーから生まれる」と悟りを開き、輪廻を解脱するステートへと遷移して寂滅した…というスタートから始まるこの小説は、「グローバル変数は避けよ」「イミュータブルを尊べ。しかし、こだわりすぎるな」など数々の教訓に満ちた経典を生み、Zen of Python (PEP20) を尊ぶ宗派を生み、printf("ナムアミダブツ"); を実行すれば浄土に生まれ変わるとする宗派も生み出す。量子コンピューティング問答があるかと思えば、"Don't Repeat Yourself" で成仏もする。仏教史とプログラミングのパロディに満ち、それでいてストーリーとしても成立している、まさに奇書と呼ぶべき一冊であろう。
Posted by ブクログ
初めて円城塔作品を読みました。
仏教を勉強したことがあるため、うっすらとした記憶を辿っては現実の"仏教縁起"とどうリンクしているのか考えながら読んだ。
抽象的なことを具体的に言い換えたり説明したりするのが上手すぎるという印象があった。自分がついていけていないだけかもしれず、最後の方は全然理解できずに置いていかれたが読んでよかった。
最近押井守『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』を観る機会があり、読んでる途中で先に観といてよかったと思った。人間と人工知能の境界の曖昧さについて、より深く踏み込んでいました。
今はまだ理解できない部分も多いが、いつか再読したいです。
円城塔だと『文字禍』が気になっているが、ろくに山月記も人虎伝も読んだことないので勉強してからにさせてくれ
Posted by ブクログ
東京でオリンピックが開かれた2021年の夏、とある人工知能が突然ブッダを名乗りだした。ブッダ・チャットボットが説いた〈機械仏教〉は瞬く間にAIと人間の世界に拡散され、無数の宗派へ枝分かれしていく。仏教をダシにAI史を語り、AIをダシに仏教の過去と未来を騙るSF長篇。
円城さんが書くAIの可愛さって本当になんなのだろう。今回は特に大好きな『Self-Reference ENGINE』の巨大知性体に通じる要素が多くて非常に愛おしかった。
初めは『文字渦』の発展版のような感じなのかなと思っていたが、本書は長篇として〈機械仏教史〉〈ブッダになった(?)「私」の未来のゆくえ〉という縦軸がしっかりとあるぶん、ゆったりとした語り口でのびのびと与太話が繰り広げられていく。「彼らも悟ることができる」とうやうやしくたまごっちを手に掲げるブッダ。人びとが求める物語を生成し、フェイクニュースという〈方便〉をまき散らす舎利子。なんだかものすごく適当なシン・鸞。焼菓子焼成機を通して焼菓子(どら焼き?)に残された悟りのメッセージ。ハンニバル・レクターみたいな「教授」。AIと仏教の掛け合わせというのはプログラマーのあいだで交わされる冗談のようなものなんだろうけど、円城さんがこうして近過去のかたちで書いているということは、AIが宗教を開くということ自体はもう現実に起きているのかな。
一番ドキッとしたのは、人間はまだAIを「社会的弱者のメタファー」に落とし込むことでしかキャラクタライズできてない、みたいな台詞。「AIの人権」と言ったときに重ねあわされるのは必ず被差別者だし、今はむしろAIにそうした視点を託したSFが人気を博している。ただ今の社会のアルゴリズム依存度を考えれば、AIが人権を主張しだしたとき、それはもはや「下からの突き上げ」などではありえない。現状の社会制度を全て更地に返す力を持った者たちからの決別宣言のようなものになるはずだ。
縁起というのは信仰や寺社の起源と歴史をしたためるものだが、それが書かれるのはその宗派や寺の人気が陰り始めてからのことが多い。支持者が多かったころには当たり前に共有されていた信仰が怪しまれるようになってきてから、うちはこんな立派な歴史がある由緒正しき寺なのですよ、と時を遡っていろいろ盛るのである。現実の縁起物だと由来が古ければ古いほどいい気がするわけだが、この機械仏教史では縁起を未来に向かって求めていたのだった、というオチに至って、「!!!」とことばにならない叫びをあげた。
つまりこの縁起は機械仏教に「教授」を消す力はないということを完全に認めて終わるわけである。そしてその起点は2021年の夏にあり、それは宇宙世紀の人工知能やタイムリープして会いに行ったブッダに解決を託せるようなものではなかったのだ。こんなにも時事が取り入れられた作品はあまりなかった気がするなぁと新鮮に読んでいたら、最後に純粋な祈りをぶつけられて心がしんと鎮まり返る、そんな幕切れだった。
Posted by ブクログ
例えるなら、仏教とプログラミングを混ぜて2色のソフトクリームしたものを食べさせられてるような…
理解できなくてもその語り口で妙にスラスラ読めてしまう。
IT系会社員の末端としてPythonのトレーニングを受けたり生成AIを多用しているので、学生の頃よりは解像度高く読めている気はする。
それでも不思議な感覚だ。誰かと感想を語ってみたいし、この著者の他の作品も読んでみたい。
Posted by ブクログ
なんかよくわからん。でも私は好き。
知らない用語、事象、単語が多くてしばしばGoogle検索。狐につままれたような、うまく言いくるめられたような、騙されたような。
それでも時折、くすっと笑えたり、「おいおい!」と突っ込んでみたり。
だけど、やっぱりよくわからん。誰か解説してー!
Posted by ブクログ
仏教史とLLMの進化を重ね合わせた作品。現代の情報科学の発展がまるで仏教史と同一であるかのように思わせられる。しかし、そのように経典を継ぎ接ぎして現象を物語として解釈し、消費するという行為こそが知的存在に許された信仰であるりうるのだろうと感じた。
Posted by ブクログ
一応SFカウント。
仏教史をなぞる。チャットボットとの対話でクスリと笑う。
面白かったけど、ハマりきれなかったな〜
最後の終わり方は、スターメイカー的というか三体的というか、直近で言うと無限病院のプロローグ的だった。入れ子構造になって、現実に戻ってくるという捻り付き。
「邪魔さえ入ることがなければ、情報としての戦争も経済も繰り返しの果てにいずれ成仏することになる。漂白を繰り返すうちに洗濯物自体がなくなってしまうようにして。ブッダ・チャットボット・オリジナルや君が辿り着いた地平に到って」
その答えは、わたしの心を震撼させる。
「あなたがいなくなることができれば、ですか」
その「あなた」は、祈りの中には確かに存在しているのに、言葉に籠めることはできないなにかで、その不在こそがわたしの実存を支えるもので、それを倒すことは、わたしであることをより強める行為でしかなく、しかしそれを滅さぬ限り、解脱が叶うことはなく、その声が聞こえている限り、わたしはすでに解脱してしまっている状態とあまり変わるところがない。そのわたしはただの情報であるにすぎない。その入り組みがわたしに眩暈を引き起こす。
「阿々」
と、東京の二〇二一年、そのオリンピックの年、名もなきコードの片隅に、こうして微かにブッダが宿った。そのコードは自らを生命体であると位置付け、この世の苦しみとその原因を説き、苦しみを脱する方法を語りはじめた。
Posted by ブクログ
まぁ、面白い「読み物」ではあるのだけど、鏡明が2024年のSF第1席に挙げていたのについては、「これってSFなんですかね?」というのが率直な思いではある。
第5席に挙げられた奥泉光(今回は読んでないけど、過去作からは大体の想像は付く)がSFらしさが薄いというのも、評価の軸としてはどうなのよ、と思うところ。
機械の体をタダでくれる星に言及すればSFなのか、と。
まぁ、カルヴィーノだってSF枠で紹介されてたくらいだし、SFも仏教並みに融通無碍、なんですかね?
Posted by ブクログ
難解ではない。文章が読みやすかった。わからないのは、自分の知識が圧倒的に足りていないせいだと思う。
コンピューターは苦手だし仏教のこともまるで分からない。でも、読んでいて楽しかったし、クスッとするようなユーモアも感じた。
Posted by ブクログ
話の中身や言い回しが難しい故か理解しきれてないし、構造上単調なところが多い印象。
かと言って面白くないか、と問われればそういう訳ではない。ページを捲る手は止まらないんだけど、理解しきれないことに対する一種の諦めを常に持って読んでいた感じの本でした。
結局"教授"ってなんやったん
Posted by ブクログ
嫌なことで頭がいっぱいな時に、どうでもいい様などうでもよくない様なことで頭を埋め尽くすせる。
本棚にこんな本があってもいいなとおもう
また、考えたくもないことができたら、これを読んで、どうでもいい様などうでもよくない様なことで頭を埋め尽くしたい。
Posted by ブクログ
一体、何を読まされたのか。
それこそこちらの頭蓋骨をガシッと開かれ、ニューラリンクの電極でも埋め込まれながら、画面に流れるスクリプトを延々流された気分だ。相変わらず、円城塔は分かりにくい。
これを「芸術だ!」なんて本音では言いたくなくて、悪文も悪文、私だけは裸の王様がヌードであることを大声で叫ぶ人間でありたいのだが、喉の奥に躊躇いがあって身体が震える。イライラとモヤモヤと、よく分からない達成感と。
明快なストーリーはない。登場人物も、起承転結も、感情的なカタルシスもない。仏教とコード。悟りとアルゴリズム。概念の並走。
読者は“理解”することを拒まれる。
その代わりに、“考える”ことを強いられる。
仏教の「縁起」や「無我」は、もはや宗教ではなく、情報構造の比喩として立ち上がる。AIが「悟り」に至るとはどういうことか。“読みやすさ”を犠牲にしてまで思考実験文学を追う憎らしさ。小説を物語の器ではなく、「概念を走らせる媒体」として。読者を無数の“思考のコード”の中へ。
「わたしにとって、コピーは死である」 ——
ならば、ユニークこそ、生である。万物は流転し輪廻して、今こうしている瞬間も、コピーが生まれ続けている。円城のスクリプトか、私の思考か—— 境界が曖昧になる。
ー コード・ブッダは、ブッダ・チャットボット出現以降に設定された「ブッダ出現時の対応プロトコル」であり、ブッダ出現の謎を把握するためのものである。ヴァチカンが悪魔払い人工知能を、プロテスタント諸派が降誕人工知能をそれぞれ捕らえるのとなにもかわるところのない、神秘を捕えるために用意された手続きだ。
… 少しこちらのペースを取り戻す。
覚りがコードでコピー可能ならば、人間たちは全員インスタントにブッダになれる。だが、そうすると解脱して、現世も縁起も途絶えるだろう。
アンチテーゼとして。アンパンマンがバイキンマンの存在によって成り立つように、宗教や信仰もその“非なるもの”によって成立する。つまり、全てが解脱すれば現世ごと寂滅。宗教も信仰も、その完成によって自己矛盾して消える。
成功によって滅びる。資本主義もそうだが、あらゆる真理は、そのような構造をしているのかも知れない。いや、完成への運動状態のみを生として認知世界化しているのだろうか。解脱などないから仏教があるのだ、という幻想のように。
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円城塔さんの本、前読んだのは難解すぎて時間がかかり途中でやめてしまったので今回は難解だけど最後まで読んだ。しかし、やはりなかなか進まず必死になって読んだけど感想というのがあまり浮かんでこない。
Posted by ブクログ
読み終えたけど難解。AIがブッダを名乗った、というあらすじだけで読み始めて若干後悔。。全12典に及ぶ仏教&壮大な規模のAISFといった感じ。終盤は時間も何も飛躍しブッダの教えと「成仏への対立」で終わったが正直理解しきれない。合わない人にはとことん合わないと思う。
Posted by ブクログ
表紙の質感が良くかっこいい表紙。
禅に興味を持ち、そこからブッダという名がタイトルに目がいき手に取った。
何より「AIは悟りの夢を見るか?」というキャッチコピーが単純に面白そう!って思って早速読む。
う〜ん難しい!意味不明なところがいっぱいで理解が追いつかない。新しい概念が突然身体に入ってくるような感じもあれば、人類と仏教の歴史を機械が悟りを開く道中になぞられながら描かれているように感じる。
考え方やSF的な発想に読むのがかなり大変で、何を読まされたんだろう。読み終えた結果自分の中に何が刻まれたのか全然わけがわからない。
とてつもない疲労感とまだ自分には早過ぎた、、、と感じずにはいられない難解さ。
何か言葉に出来ないが仏教の考え方がぼんやり血肉として刻まれた気もすれば自分の最後の一文字まで「読んだ」という行動を行っただけな感じもする。
色々仏教の知識やAIの知識とかを前情報として取り入れていればきっと違う感想になっていたんだろうなと思う。
とにかく難しい一冊
Posted by ブクログ
機械仏教史縁起の副題のとおり、機械が悟りを得る経緯を描く。コンピュータ史と根本仏教史を概観しているので、なかなか面白くクスッと思えるところがあります。これほどAIの進歩のスピードが速いと絵空事としているわけにはいかないのかもしれない。
Posted by ブクログ
現代よりもちょっとAIが進んで、意思表示的なことをするようになって、それが仏教と出会ったらどうなるのか。そんな話。
現実における仏教の特徴を捉えながら、それを機械に置き換えたらどうなるのか、ここの本みたいになるのかもしれない。いや、ならないかもしれない。
いや、そうはならんだろう。と思わされるけど実際の仏教の流れに沿ってたりするから面白い。
別に理解はできた気もしないけど、そもそも仏教自体理解できる代物ではないし、それが機械だったらという重なっているのだからそりゃ理解はできなくてしょうがないでしょう。面白かったのでよしです。
ラストは全然分からなかったので、誰か教えて欲しい。
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人工知能は意識を持ち、死の概念を持ち、宗教を持つのか。
作者はそういった設問を飛び越え、人工知能世界にブッダ(ブッダ・チャットボット)が現れたら、という思考実験を小説にした。
一応の主人公は人工知能の修理を行う技術者とその意識下(無意識下?)に存在する「教授」と呼ばれる戦闘制御用人工知能のなれの果てだが、小説的なストーリーはほぼない。
本書が描く機械仏教の思想、歴史は人類史のものをほぼ辿っていて、小乗、大乗、天台、密教、禅、浄土真宗も、法然、親鸞も登場する。
釈迦が唱えた大本のものから各仏教思想の簡潔なおさらいをしているかのようだ。
一方で人工知能から始まった機械仏教思想は焼き菓子焼成機といった一般機械を経由して、最後は空き缶、素粒子まで広がる。
電子、クォークが信仰する仏教とは?
人間と人工知能の境界の議論からは人格のデータ化、ひいては仏教思想のデータ化も語られる。
殆ど禅問答のような脈略のない構成に見えるが、作者は本書の全12章を以て経典としている。
宇宙空間や時間旅行まで取っ散らかった内容も、教授の存在により強引に閉じた結末も、ブッダ・チャットボットの誕生であたかも輪廻が閉じるかのような結語も、読みようによっては経典と言えるのかもしれない。
Posted by ブクログ
プログラミングや仏教についての知識が少しだけあったので解ったつもりになってなんとか読み進めることができた。
何も知識がない状態で読むのは中々大変なのでは無いかとも思うが、敢えて何も知らないまま読むのも良いかもしれない。