円城塔のレビュー一覧
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円城塔の翻訳が綴るタイムトラベルもののSF純文学。メタフィクショナルで概念的な世界観は難解に映るものの、文体の軽妙さのおかげかまるで苦痛に感じない。特に翻訳者との親和性は抜群の一言。ウィットに富んだ比喩表現やプログラムとの掛け合い、自己語りなどは『ライ麦畑でつかまえて』のように軽妙洒脱で、非常にスマートで美しい文章だった。帯にある自分殺しのパラドックスが起こるのは中盤からで、やや遅めに感じるかもしれないが、序盤部分でじっくりと語られた主人公の生活や家族との思い出こそが本筋であり、パラドックスのアクシデントそのものは物語の一要素に過ぎない。難解な用語と世界観の把握が困難を極めるものの、一冊の本の
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いつも通りの変態的なメタ小説。タイトルから察しはつくが「書くこと」について書いた小説で、OjiがMoji。ユーモアが冴える。セルフリファレンスエンジンの時はむちゃくちゃ笑えたが、しかし今作はそれだけではなく叙情的でもあり、世界とか空気とか、そういうものが味わえる小説になっていた。表題作「これはペンです」は白眉。もうひとつの「良い夜を待っている」もかなり良くてラストはむちゃくちゃ好きだが、ちょっと雑な感は否めない。難解な議論や問題を引用するのがいいが、いちいち「ややこしい部分は専門家に任せるが、」みたいな注をつけられるとさすがに鬱陶しい。
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伊藤計劃から派生して読む。ぜんぜん違う。
無数の入れ子構造と時間の改変、というふたつの柱による、奇想天外な論理物語。
何でもあり小説。常識は一切通用しない。
個々のエピソードはそれなりに理解できるのだが、全体を通して何が貫かれているのかを統合するのが難しい。
まわりくどい文章(語り手云々ではなく著者の声)で煙に巻かれて。
そもそも大掛かりなジョークでもある。
はっきりいえばわかっていない箇所のほうが多いのだが、情感あふれる文体や場面に引き付けられる。
ぐっと胸の詰まる場面も。
(アンチロマンであるのは間違いないが。)
つまりは、かっこいいなぁ、と溜め息。
そして、あた -
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旅の間にしか読めない本があるとよい。などという本をすわって読む。飛行機の中では考えがどんどん後ろに取り残されて読めないからである。いやそんなことはない。頭の中の考えも、頭の持ち主と一緒に飛行機で移動しているのだから、考えにも慣性がある。いや考えには質量がないから慣性はないのか。
飛行機の中で捕虫網でアイディアを捕まえようとするA・A・エイブラムス氏の話を聞く私。
さてこそ以上、しからばすなわち、A・A・エイブラムス氏の話は各地を旅してはその土地の言葉で作品を書いた友幸友幸の作品らしい。翻訳。コリアンダーとシラントロとパクチーとシャンツァイは同じ。ウコンとウンコも色が同じ。マンガ的には。
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いくつもの時間と物語の断片から相互に参照し合いながらそのつど生成される機関。という形の小説。入り組みすぎてて笑ってしまうほどだが、完全に理解できなくても判る面白さが絶大にあって、脳が踊る。こんな形の小説は読んだことがないし実際あまりないのだろうけれど、それなのに「これこそが小説としての楽しみだ!」と言えるようなところがあるのは、読むそのつど世界が拡散・収束して私のなかに生成されるからだろうか。小説と物語と書くことと書かれることについて考えた。
なお佐々木敦の解説がわりあいにわかり易く纏まっていてさすが。読後の整理には役立つが、しかし厳格に整理する必要はあまり感じない。
円城は本当に小説の構造、 -
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『人生の目的は、愛すべき人を愛すること。自分の人生をコントロール出来ていないと感じていてもだ。』
『素晴らしき地球ーーどうにかすることできたはずだ。でも僕らはケチで怠け者だった。』
地球の部分を自分の生命と置き換えて考えてしまいました。
自分に対してケチで怠け者な態度はいけないですね。
どうにか出来る時間はまだあるはずです。
さてこのこの本はカート・ヴォネガットのスピーチの記録です。
大学の卒業式や講演会などですね。何の気なしに読んだんですが、
ラスト131ページの言葉読んで涙腺崩壊!!!
糸井重里さんのコピーに同感。
『ヴォネガットは目とこころにしみる。』
目にしみすぎちゃて、しみすぎちゃっ -
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書評的な宇宙で無批判に暮らすっていうこと
チャールズ・ユーなんて知らない。これが処女長編というから、知らなくても当然だが、円城塔が初の長編翻訳していて、この珍妙なタイトル。これは買い。
しかも時間SFである。私は時間ものが大好きであることを公言してはばからない者だが、サグラダ・ファミリアの真ん中でも公言するし、陸前高田市の奇跡の一本松の根元でも公言する。するだろう、するに違いない、したかも知れないが、しているところである。
主人公チャールズ・ユーはタイムマシン修理屋。タイムマシンものをかなり読んできたがこういう職業ははじめてだ。しかも流しの修理屋。狭い四畳半アパートみたいなタイムマシ -
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わかるとかわからないとか問題にするならば、まずはわかるということを明確に定義し、わかるということがよくわかるようにしなければならないということがわかるのである。
円城塔の書評ならば、まずはこんな感じで始めればいいんじゃないか。
お風呂掃除をしながら、猫はそう考える。
そして「おふろそうじ」は「さむらごうち」と似ている、と思う。
思えば、かの「おふろそうじ」氏も、「わからない」現代音楽を否定して、「わかる」語法で長大な交響曲というモニュメントを打ち立てたかったのではないか。そこにナルシシスティックな自己宣伝が混じっていたから人々の反発をかきたてているのだが、「わかる」ものを作り出したい -
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たとえば、『ダ・ヴィンチ・コード』は息もつかさぬ展開で、一気に読まされたにもかかわらず、読後、もの凄く不満が残った。その含蓄の浅さはさておいても、小説でなければならない必然性がないのだ。アクションの連鎖なら映画のほうが効果的ではないか。
本書『Self-Reference ENGINE』は小説であらねばならない手応えを感じさせてくれる。それでいて至って軽く不真面目な語り口。しかも語り得ぬことを、ヴィトゲンシュタインのように沈黙せずに、とにかく、何とか語ってしまったのだ。
もちろん映画にはできないだろう。20の短編にプロローグとエピローグのついた22の断章(文庫化に際し、2編増えた)。そ -
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名所旧跡というものがある。人の口に上るので、自分では特に行ってみたいと思っていなくても、一度くらいは行っておいたほうがよいのではと思ってしまう、そんなようなところだ。古典というのもそれに似たところがあるのかもしれない。学校の歴史の授業で名前だけは聞いていても、『雨月物語』はともかく、色恋や女郎買いを主題とした『好色一代男』や『春色梅児誉美』などは、文章の一部すら目にしたことがない。ましてや山東京伝の名前は知っていても廓通いのガイドブックである『通言総籬』などは作品名さえ教科書や参考書には出てこない。しかし、出てこないから、大事ではないということではない。
「色好み」というのは、日本の文化・伝